鴨川沿いを歩いていた一行は、そよ風に吹かれながら少しだけ立ち止まった。
柔らかな夕日が水面にきらめき、空は青く澄んでいた。
ベンチに座った白羽の隣で、絹旗は何気なく問いかけた。
「あの、白羽さん。......ちょっと気になったんですけど、前世の結絆は、どんな感じの人だったんですか?」
その声に、操祈と当麻も自然と耳を傾ける。
結絆本人は少し離れたところで、屋台の湯葉コロッケを物色している。
白羽はゆっくりと目を細め、少し懐かしむように頬を緩めた。
「ふふ......そうですね。正宗様、つまり前世の結絆様は、まさに“陽だまり”のような方でした」
「陽だまり......ですか?」
「はい。どこかにいるだけで、周囲が自然と笑顔になる。人々は彼の言葉に救われ、彼の行動に導かれていたのです」
白羽の声には、深い慈しみと尊敬が込められていた。
「正義感が強くて、優しくて......それでいて未来を見据えて動く方でした」
その語り口は、まるで詩のようだった。
「周囲からもとても好かれていましたよ。身分の違いを越えて人々に慕われていましたし、思いを寄せる女性も......少なくありませんでした」
「......へぇ。やっぱり超モテモテだったんですね、結絆は」
絹旗が少し頬を膨らませて呟くと、操祈がくすりと笑った。
「それって、今と変わらないってことじゃない?お兄様、今だって十分モテてるわよぉ」
「確かに......超そうですね。今も、すっごく優しくて、超強くて、でもちょっと抜けてるところもあって......。それに、誰かのために超本気で動いちゃうところとか......」
絹旗の声は、いつしか照れくささの混じったものになっていた。
「そういうのって、変わらないものなんですね。姿が違っても、魂はそのままっていうか」
「そうよねぇ。お兄様の“芯”は、ずっと変わってない。私も......そんなお兄様を尊敬してるのよねぇ」
操祈も静かに頷く。
「アイツ、知らず知らずのうちに人を惹きつける天才だよな......。いろんな意味で」
当麻はちらりと結絆を見て苦笑した。
「でも、そんな彼だからこそ、きっと今の世界でも、再び多くの人を導くのでしょうね」
白羽が遠くを見るように視線を川面へ落とした。
その横顔は、どこか誇らしげだった。
「......なんだい?皆して俺の顔じーっと見ちゃってえ」
しばらくして、湯葉コロッケを人数分買って戻ってきた結絆は首をかしげた。
「別に何でもないですよ。前世でも今でも、結絆は超結絆ってだけです」
絹旗が少し照れたように言うと、操祈も「そうそう」と頷いた。
「う、うん......?」
戸惑う結絆を見て、当麻が笑った。
「結絆は、マジで変わってないみたいだからな。なんか安心するな」
その言葉に皆がくすくすと笑い出し、結絆は何がなんだか分からずに再びコロッケを頬張った。
過去も、今も、きっと未来も――大切な人たちと共に在ること。
それが、結絆という存在の“変わらぬ真実”なのかもしれなかった。
京都の町に月が昇り始めたころ、一行は予約していた老舗旅館へと到着した。
木造の趣ある玄関をくぐれば、ほのかに漂う白檀の香り。中庭からは静かな水音が聞こえてくる。
「おお......落ち着いた雰囲気だねえ」
荷物を肩に掛けた結絆が、畳の匂いに目を細める。
「超いい旅館ですね。温泉もあるし、部屋には露天風呂もあるみたいです」
靴を脱いで廊下を進みながら、絹旗がパンフレットを見ながら目を輝かせた。
「ふふ、今日は心ゆくまで癒やされましょう。私もこういう場所は久しぶりですから」
白羽も静かに笑って頷く。
そして、案内された部屋に入ると、広々とした和室が迎えてくれた。
障子を開ければ中庭が見え、灯籠が優しく照らす石畳に風情がある。
「さて、今日の部屋割りだけど......俺は、白羽と絹旗と一緒でいいかな?」
「私は構いませんよ。むしろ、願ったり叶ったりです」
「超異論ありません」
あっさりと了承され、結絆は肩をすくめる。
「......なんだか、あっさりと事が進んでいくねえ」
そう言いながら、三人は浴衣に着替え、ちゃぶ台の前に座った。
窓の外には鈴虫の音が鳴り、時間がゆっくりと流れていく。
「今日一日、いろいろあったけど......白羽とこうして話せるようになるなんて、思ってもみなかったよお」
結絆がそう呟くと、白羽は微笑んで頷いた。
「私もです。結絆様と再びこうして過ごせる日が来るとは......。前世の誓い、果たされましたね」
「超運命的ですね。こういうの、少女漫画でしか見ないパターンですよ」
「それにしても」
白羽が、ふと扇子で口元を隠しながら小さく笑った。
「前世の結絆様といえば......夜はお盛んでしたよね」
ごく自然に放たれたその言葉に、茶を飲んでいた結絆が思わずむせた。
「ぶっ......!?な、なにを唐突に言ってるんだい、白羽......っ」
「ええ、だって事実ですから。毎日夜になると、私の部屋にふらりと現れて......ね?私の意識が飛ぶまで、やめてくれませんでしたもんね。」
くすくすと微笑む白羽に、結絆は何も言い返せずに顔を赤らめた。
「......今もそれ、超変わってないですけどね」
絹旗があっけらかんと言い放ち、結絆の肩をぽんと叩いた。
「ちょ、絹旗まで......っ。そんなこと言ったら、白羽に怒られるよお......」
「でも、誰にでもそういう顔を見せるわけじゃないですよね?結絆は、ちゃんと恋人を大事にしてるって分かってるから、私は超気にしませんよ」
絹旗は素直な眼差しでそう言い、白羽も静かに頷いた。
「ええ。どれだけ多くの女性に囲まれていようと、結絆様は皆に対して誠実です。それに......それだけの“縁”を引き寄せるのは、あなたという存在が、それほどまでに人の心を掴んで離さないという証でしょう」
「......そ、そう言われると、ちょっと照れるねえ」
結絆は頬を掻きながら、湯飲みに口をつけた。
少し甘みのある茶が心を落ち着けてくれる。
障子の外から聞こえる川のせせらぎに耳を傾けながら、三人はしばしの沈黙を楽しんだ。
「結絆様」
「ん?どうしたんだい」
「今のあなたも、前のあなたも......私はどちらも好きですよ」
白羽の言葉に、結絆は少し目を見開き――それから柔らかく笑った。
「ありがとう、白羽。......これからも、よろしく頼む」
「もちろんです。今日という一日も、そして明日からも」
「超よろしくお願いしますね!」
三人の笑い声が、静かな旅館の一室にぽつぽつと溶けていく。
優しい夜が、京の空の下に降りていた。
夜も更け、旅館の灯りはほのかにゆらめき、虫の音だけが静かに響く。
結絆、白羽、絹旗が同じ部屋で過ごすはずの夜――その静寂の中で、白羽は静かに扇子を開いた。
「......少しだけ、眠っていてくださいね」
優しい声と共に、舞う桜の幻が絹旗の周囲をそっと包む。
風がふわりと部屋に流れ込んだかと思えば、絹旗は驚いた様子を一瞬浮かべたのち、すぅ......と、深く息を吐くように眠りについた。
微笑んだまま、白羽はその額にそっと手を当てる。
「良い夢を。あなたが今、望む幸せを」
そして、振り返る。
「これで、二人きりですね。結絆様」
その言葉に、結絆は少しばつの悪そうな笑みを浮かべながら頭を掻いた。
「はは......強引だねえ。まあ、白羽らしいっていうか......」
「ずっと......お会いしたかったのです。記憶の奥に、何度も浮かぶあなたの背中を、私はどれだけ追いかけたか......」
白羽の声音は、どこか夢のように柔らかく、切なさを帯びていた。
畳の上に静かに座り込むその姿に、結絆もゆっくりと向き合うように腰を下ろす。
「......待たせてしまった、って気持ちはあるよお。本当に。俺は前世のことなんて全然知らなかったし......でも、こうしてまた会えた。だから......できる限り、君の願いを聞いてやりたい」
「......では」
白羽がそっと結絆の手を取り、重ねる。
「その言葉、忘れないでくださいね」
柔らかな唇が、結絆の唇に触れたのは、ほんの一瞬だった。
だがその一瞬で、結絆の全身にほとばしるような熱が走った。
心臓が高鳴る。
まるで、何か深い記憶の扉が、白羽によって開かれたかのように。
「......っ......な、なんだ、今の......」
「魂が覚えているのです。かつてのあなたの感情も、私の愛も、すべて、時を越えて、ここに」
白羽の声は囁くように、だが確かな熱を帯びていた。
彼女の手は結絆の頬に添えられ、扇子が床にそっと落ちる。
間近に見えるその瞳は、まるで星のように輝いていた。
「......白羽」
「......結絆様。どれだけの時が過ぎても、あなたを愛し続けると決めたのです。たとえ、今のあなたが」
「......多くの女性と関わっていても、かい?」
自嘲気味に結絆が言えば、白羽はふっと微笑み、頷いた。
「はい。姿も、名前も、時代も違えどあなたの魂は、変わらない。だから私は......結絆様がどれほど多くの人を愛しても、その一人であれるのなら、それでいいのです」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと締め付けられたような感覚が、結絆を包んだ。
「......ありがとう、白羽。俺は......本当に幸せ者だねえ」
夢のように優しい時間は、確かにそこにあった。
障子の向こう、月が優しく夜を照らしていた。
旅館の一室。
静寂と灯りのぬくもりの中に、結絆と白羽だけの時間が流れていた。
「あなたの疲れを、癒やして差し上げたいんです。今宵だけは、何も考えずに、私に身を委ねてください」
そう言って白羽の手から伝わる癒しの力は、決してただの術ではなかった。
そのすべてに、想いが込められていた。
結絆は何も言わず、ただその温もりを受け入れた。
手のひらの熱が、心まで染み渡っていく。
まるで何度も見た夢の中にいるような錯覚すら覚える。
この夜、彼の身体は白羽によって優しく包まれ、心ごと解されていった。
この数日で疲れていた結絆の心を、白羽は完璧に癒したのだった。
朝の陽射しが、障子越しに柔らかく差し込んでいた。
結絆は静かに目を開ける。
旅館の天井をぼんやりと見つめ、ゆっくりと体を起こした。
隣を見ると、白羽がいた。
布団の上に座り、結絆を見つめている。
微笑んでいて、その表情はとても穏やかだった。
「おはようございます、結絆様」
白羽の声は柔らかく、嬉しさをにじませていた。
「昨日の奉仕......いかがでしたか?」
結絆は少し驚いたように瞬きをした後、ふっと笑った。
「うん。白羽からの愛が、ちゃんと伝わったよ。あったかかった」
その言葉に、白羽は一瞬きょとんとした。
そして、顔をぽっと赤く染めた。
「そ、そうですか......良かったです。ふふ......」
照れたように笑いながら、白羽は軽く頭を下げた。
「これからも......よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、だよお」
結絆は優しく微笑み返す。
二人の間に、静かで確かな時間が流れる。
......そのとき。
「あっ!!」
白羽が突然声を上げた。
何かを思い出したように、目を見開く。
「し、しまった......絹旗さん!」
「え?」
「絹旗さんにかけた幻術、まだ解いてませんでした!」
慌てて立ち上がる白羽。
扇を取り出し、すぐに術式を組む。
「幻術、解!」
軽やかな動きと共に、柔らかな風が部屋を駆け抜けた。
隣の布団で寝ていた絹旗が、ぱちりと目を開ける。
「......ん......おはようございます。超、気持ちいい夢でした」
白羽は胸を撫で下ろしながら、結絆に小声でささやく。
「本当に、うっかりしてました......」
結絆は苦笑いを浮かべた。
「まあ、たまには抜けてるくらいのほうが、可愛いよお」
白羽は再び赤面し、ふわっと微笑む。
こうして、穏やかな朝が始まった。
幸せと、少しのドタバタとともに。
旅館の朝は、静かに、そして清々しく始まった。
鳥のさえずりが耳に心地よく響き、外から差し込む光が廊下を優しく照らしている。
結絆は絹旗、白羽とともに部屋を出て、木の床をゆっくりと歩いていく。
その足取りはどこか軽やかで、三人の間にはまだ夜の余韻が漂っていた。
「今日の朝ごはん、超楽しみですね。和食旅館って、やっぱりごはんが違いますし」
「うん。京野菜とか、漬物とか......旅館ならではって感じだよねえ」
「ふふ......私が選んだ旅館ですから、間違いありませんよ」
三人は微笑み合いながら食堂ののれんをくぐった。
すると、先に来ていた二人の姿が目に入る。
テーブルに座る当麻と操祈。
当麻は......目の下にくっきりとしたクマをつくり、げっそりした表情でお茶をすすっている。
まるで魂が抜けたかのように、ぼんやりと前を見つめていた。
一方の操祈はというと、頬をほんのり染めながら、いつもの落ち着いた笑みを浮かべている。
髪もきっちり整えられ、肌も艶やかで、明らかに機嫌がいい。
結絆は無言で目を細めた。
絹旗も一瞬で察し、微かに頷いた。
白羽は微笑を崩さずに、その場に座った。
誰もツッコまなかった。
いや、ツッコまないことを選んだ。
これは、そっとしておくべき朝なのだと、全員が本能で理解していた。
「おはよう。当麻、顔色悪いけど、大丈夫?」
「......ああ、ちょっと寝不足でな......はは、なーんか、夢見が悪かったというか......うん......」
「ふぅん......夢ねえ......」
操祈は涼しい顔で湯飲みを口元に運び、まるで聞こえなかったかのようにお茶を一口。
表情ひとつ変えない。
絹旗は笑顔を保ちつつ、声をひそめる。
「(......超、頑張ったんですね。当麻)」
白羽も小さく吹き出しそうになりながら、話題を変えるようにメニューに目をやる。
「そ、それにしても、今日の朝食......素敵ですね。ほら、見てください、炊き立ての白米に、賀茂なすの田楽、小鉢には九条ネギのぬた和え......」
テーブルの上には、京都ならではの彩り豊かな和朝食が並んでいた。
さりげない京野菜の甘さと香りが、湯気とともに立ち上り、目にも舌にも優しい。
湯豆腐の白い湯気がふわりと漂い、漬物の鮮やかな赤と緑が食卓を引き立てている。
「うわぁ......見てるだけで超お腹すきます......!」
「これは......しっかり食べないといけないねえ」
「はい。さあ、皆さん......いただきましょう」
「「いただきまーす!」」
和やかな声が、食堂に広がる。
箸が進むたび、自然と会話もほぐれていく。
ふんわりとした出汁巻き玉子を口に運んだ絹旗が、嬉しそうに目を細める。
「出汁が超じゅわってして......おいしすぎです」
「この味噌汁も、白味噌の風味が素晴らしいよねえ。京風って感じがするよお」
白羽も、柔らかな笑顔で頷いた。
「旅の朝には、こういう温かい食事がいちばんですね」
その横では、操祈が当麻にさりげなく小鉢を差し出す。
「当麻ぁ、これ、好きなやつでしょぉ?ほら、食べなさぁい」
「......あ、ありがと......」
そのやり取りに再び何かを察しそうになりながらも、誰も何も言わず、食事を楽しむ。
和気あいあいとした時間の中で、全員の笑顔が少しずつほどけていった。
旅館の窓の向こうには、穏やかな春の陽射しが差し込んでいる。
結絆はふとその光を見上げながら、仲間たちの姿を目に焼きつける。
こんな日が、続けばいいなあ。
そんなことを、心の中で思いながら、ゆっくりと箸を進めるのだった。
次回で結絆の前世編は終わりです。