食蜂操祈のお兄様   作:とんこつスープ

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今回は長めになってます。


学園都市への帰還

 朝食を終えたあと、結絆は一同を見渡して、特に一人の姿に目を留めた。

 

目の下に黒々としたクマを宿した当麻が、味噌汁の器を持ったまま、魂が抜けたような顔をしている。

 

「うーん......当麻、完全に限界だねえ......」

 

苦笑まじりに言うと、操祈が隣でくすくすと笑いをこらえる。

 

「ちょっと張り切りすぎたかしらぁ?ふふっ」

 

「......昨日はよっぽど盛り上がったんだろうねえ」

 

結絆は額に手を当て、ため息をついた。

 

「よし。じゃあ今日は、どこかへ出かけるのはやめにしようか。せっかく旅館に来てるんだし、たまにはのんびりってのも悪くないよねえ」

 

その提案に、白羽がすぐに微笑んで頷く。

 

「賛成です。この旅館は、とても心地いいですし......身体を休めるには最高の場所です」

 

「超いいですねそれ。私も露天風呂、もう一回入りたいですし!」

 

絹旗が手を挙げて同意し、操祈もゆったりとした声で続ける。

 

「じゃあ、当麻は今日はお昼寝三昧ねぇ?」

 

「そ、そうだな」

 

当麻のかすれた声に、全員が笑った。

 

 

 

 部屋に戻った結絆、白羽、絹旗の三人は、ふかふかの座布団の上でくつろいでいた。

 

窓の外では、やわらかな風が草木を揺らしている。

 

「ねえ、白羽、絹旗。ちょっと見せたいものがあるんだけど、いいかなあ?」

 

そう言って、結絆はすっと立ち上がる。

 

白羽が小首を傾げながら微笑む。

 

「ふふ、何でしょう?もしかして......前世の姿ですか?」

 

「そうだよお。思い出したからねえ......少しは、懐かしんでもらえるかなって」

 

結絆の金髪が静かに揺れた。

 

次の瞬間、彼の身体を淡い光が包み込む。

 

衣服が変化し、髪は闇夜のごとく艶やかな黒に。

 

目元は涼やかに鋭くなり、纏う雰囲気は一転して凛とした侍のそれになった。

 

黒羽織に白の着物、腰にはマスターソードを差し、佇まいは、まさに武士そのもの。

 

結絆が、少し照れくさそうに肩を竦める。

 

「......どうかなあ?こんな感じだったんだよお、俺」

 

白羽は一瞬、目を見開いたあと、胸元に手を添えて感慨深そうに呟く。

 

「......懐かしいですね。この姿......何度も夢に見ました。あなたが戦いに向かう背中も、風に揺れるこの羽織も......全部そのままです」

 

その声は震えていた。

 

結絆は、そっと白羽の手を取り、優しく微笑む。

 

「待たせちゃったねえ......でも、こうしてまた会えた。今度は、もう離さないよ」

 

白羽は小さく頷き、指先に力を込める。

 

「ええ、ずっとそばにいます」

 

その隣で、絹旗がぱちぱちと拍手をしながら言った。

 

「こっちの結絆も超かっこいいですね!なんかこう......歴史の教科書に出てくる英雄みたいです!」

 

「そ、そうかなあ。まあ、当時は名のある侍だったからねえ。でも、今はもう侍じゃなくて、学園都市の統括理事会の一人だし......」

 

「うわ、超ギャップです」

 

三人は笑い合い、ゆったりとした時間が流れた。

 

部屋の窓から差し込む光が、三人の影を柔らかく映し出していた。

 

「今日は本当に、いい日ですね」

 

白羽のその一言に、結絆も絹旗も心から頷いた。

 

 

 

 静かな旅館の一室で、心も身体も、確かに温かく癒やされていた。

 

穏やかな午後の陽が、旅館の障子越しに差し込んでいた。

 

結絆、白羽、絹旗の三人は、静かな和室の中で再び輪になって座っている。

 

結絆は先ほど披露した黒髪の姿――前世の侍の姿のまま、虚空をじっと見つめていた。

 

「そういえば、白羽。前世の俺って、どんな風に呼ばれてたのかなあ?中々一か所に留まることがなかった気がするから、よくわかってないんだよねえ。」

 

その問いに、白羽は微笑を浮かべながらも、どこか懐かしむような眼差しで言葉を紡いだ。

 

「“神速の侍”。それが、前世のあなたにつけられた異名です」

 

「神速......?そんな大層なあだ名が......俺に?」

 

驚いたように目を瞬かせる結絆に、白羽は静かに頷いた。

 

「ええ。あなたは触れたことのある場所に、一瞬で移動する術を使って戦っていましたからね。敵の背後、味方の前線、屋根の上......まるで風のように、影のように」

 

「それって超便利ですね......!空間移動と似ていますが、タイムラグがないのは超違いますし」

 

絹旗が思わず身を乗り出す。

 

「味方からは頼れる守護者として敬われ、敵からは“確殺の鬼”とまで恐れられていたのです。」

 

「......そう呼ばれてたんだねえ、俺......」

 

結絆はどこか照れくさそうに笑ったが、その瞳には確かな誇りが宿っていた。

 

だが、ふとその目に陰りが差す。

 

「でもねえ......その術、今の俺じゃ使えないんだよお。何度か試してみたけど、まるで力が外へ出ていかない。流れが詰まってるっていうか......」

 

「気の流れが乱れているのですね。現世の肉体と前世の魂の記憶が、完全に馴染んでいないのでしょう」

 

白羽はそう言って、結絆の背後にまわり、そっと背中に手を置いた。

 

「少しだけ......調整しますね」

 

その声は穏やかで、優しい。

 

彼女の指先が軽く結絆の背を撫でると、まるで透明な水が流れるような感覚が結絆の体内を駆け巡った。

 

「......あれ?」

 

結絆の表情が変わる。

 

けれど、それは苦痛ではなく、むしろ長年のコリがほぐれていくような心地よさだった。

 

「気の巡りが整いました。......これで、前世の技も少しは思い出せるかもしれません」

 

白羽の囁きに、結絆は深く息を吸い込んで立ち上がった。

 

そして、部屋の端にある座布団へと視線を向けた。

 

その瞬間、結絆の姿がふっとかき消えた。

 

「えっ!?消え......た!?」

 

絹旗が驚くよりも早く、座布団の上に結絆の姿が現れる。

 

「おおお......久々だねえ、この感覚......!」

 

白羽は満足げに頷いた。

 

「お帰りなさい。神速の侍様」

 

「こっちの結絆も、超かっこいいじゃないですか......!前世でもモテてたのも超納得です」

 

「そ、そりゃまあ......それなりには......ねえ......?」

 

結絆が気まずそうに目を逸らすと、白羽がくすりと笑った。

 

「ええ、たくさんの女性があなたに想いを寄せていました。けれど、あなたは......」

 

「白羽だけを見てたよお」

 

不意に結絆が真っすぐに言葉を放つと、白羽の頬が紅に染まる。

 

「......そのまっすぐなところも、変わっていませんね」

 

結絆は改めて、刀の柄を軽く握った。

 

「この術......博士にも教えないとねえ」

 

 

 

 結絆は、湯呑を片手にくつろいでいた。

 

すぐ隣では絹旗がゴロゴロと寝転び、白羽は座布団の上で背筋を伸ばしながら、微笑を浮かべていた。

 

「......あの、結絆様」

 

ふと、白羽が静かに問いかける。

 

「その......“学園都市”って、いったいどんな場所なんですか?」

 

結絆は一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに笑みを浮かべた。

 

「そっかあ、白羽はまだ知らないもんねえ」

 

「まあ、そりゃ超当然ですよ。結絆の前世の時代じゃ、学園都市なんて影も形も超ありませんからね」

 

絹旗も頷きながら身体を起こす。

 

「学園都市ってのは、世界でも最先端の科学技術を集めた都市なんだよお。人口の8割以上が学生で、その学生たちは、“超能力”の開発を受けている」

 

「超能力......ですか?」

 

白羽が目を丸くする。

 

「うん。炎を出したり、電気を出したり、物を操ったり......人によって能力は様々なんだけど、そこがまた面白いんだよねえ」

 

「私の能力は“周囲の窒素を操る”能力です。レベルは4なので、十分戦えますよ」

 

「ふふ......以前は、戦は刀と術だけだったのに。時代は変わるものですね」

 

白羽は感慨深げに呟いた。

 

「それでねえ、俺はマジックシアターを経営してるんだよお。学園都市の中でもちょっと特殊な......表向きは複合施設だけど、裏ではいろんな人が集まる場所になってる」

 

「面白そうですね!」

 

「うん。派手な演出があったり、イルカが芸をしたり、動物園があったり、客席が動いたり。あと、住居エリアも併設してて、俺と仲間たちはそこに暮らしてるよお」

 

「あそこはホントに学園都市の異空間って感じですよね」

 

「でね、白羽。京都の観光が終わったら......君もそこに住んでほしいと思ってるんだよお」

 

結絆のその言葉に、白羽の瞳が見開かれる。

 

「......え?」

 

「ちゃんと住む部屋も用意してあるし、俺のすぐ近くだから、寂しい思いもしないで済む。また一緒に暮らそう」

 

「結絆様......」

 

白羽の頬がほんのり紅く染まる。

 

ゆっくりと顔を綻ばせながら、小さく頷いた。

 

「......はい。喜んで。あなたと一緒にいられるなら、どこへでも」

 

「おおー、結絆、超やりましたね。」

 

「いやあ、そんな褒められると照れちゃうなあ......」

 

照れくさそうに笑う結絆に、白羽はそっと寄り添い、肩に頭を預けた。

 

「それに、マジックシアターなら......私の術も活かせそうです。」

 

「君がいてくれたら、俺はもっと頑張れるよ。だから、よろしくね、白羽」

 

「......はい。ずっと、そばにいます」

 

未来と過去が交差しながら、新たな日々が少しずつ、静かに動き始めていた。

 

 

 

 学園都市へと帰還した翌日、快晴の空の下、結絆は白羽の手を引いてマジックシアターの住居エリアに案内していた。

 

「ここが、君の部屋だよお」

 

結絆が指し示したのは、シアターの中でも静けさに包まれた区画にある一室だった。

 

ほんのり木の香りがするその空間には、まだ家具が何も置かれておらず、がらんとした中に未来への余白が広がっていた。

 

「わぁ......広いですね。窓からの光も柔らかくて......とても落ち着きます」

 

白羽は、窓際に歩み寄って外を見た。

 

見下ろせば、水族館の透明な屋根が波のようにきらめき、その向こうには学園都市の高層ビル群が霞むように広がっている。

 

ちなみに結絆のマジックシアターは、学園都市内では一番高い建造物である。

 

「ここなら、落ち着いて暮らせると思うんだあ。設備も最新式だし、防音もばっちり。あとで大浴場にも案内するねえ」

 

「......ありがとうございます、結絆様。本当に、ここまでしてくれて」

 

白羽は微笑んで一礼する。

 

「いやいや、当然だよお。君のことを......長い間、待たせちゃったし。これは、罪滅ぼしのつもりなんだ」

 

「......ふふっ、では遠慮なく甘えさせていただきますね」

 

そう言って白羽は、すっと襖を開け、部屋の中央に正座した。

 

「では、さっそくこの部屋の雅な彩りを一緒に考えましょう」

 

「やっぱり和風がいいかなあ?」

 

「はい。前世で過ごしたあの時代の風情を、少しでも再現できたら......落ち着きますから」

 

結絆は頷き、端末を操作してホログラム式のインテリアカタログを部屋に投影する。

 

ふすま柄の襖、杉の一枚板を使った座卓、柔らかい灯りを灯す行燈、風情ある掛け軸の数々が、浮かび上がった。

 

「じゃあ......まずは畳だねえ。縁なしの畳とか、どう?」

 

「いいですね。全体の雰囲気をすっきりと引き締めてくれそうです」

 

「障子はどうしようか。外の光が気持ちよく入るように、少し透ける感じにしてもいいと思うよお」

 

「そうですね。あとは、香炉など、小物も配置したいです。季節の移ろいを感じられるような」

 

白羽の語り口には、どこか懐かしさと高揚が混じっていた。

 

結絆の前世の時代では当たり前だった“和”の生活が、科学の街である学園都市で再び花開こうとしている。

 

結絆はその横顔を見ながら、胸の奥に静かな満足感を覚えていた。

 

「じゃあ、ベッドはどうしようかなあ? 和風にこだわるなら、布団にしてもいいよお」

 

「はい、ぜひ布団で。薄紅色のカバーに、桜模様の刺繍なんていかがでしょう?」

 

「いいねえ......なんだか、白羽の部屋って感じになってきた」

 

「ありがとうございます。結絆様のおかげで、とても素敵な空間になりそうです」

 

白羽が見せるその柔らかな笑顔に、結絆は思わず顔をほころばせた。

 

「ここでの生活、きっと気に入ってもらえると思うんだあ。仲間たちも、きっと君を歓迎するよお」

 

「ええ、皆さんに早く会いたいです。......でも、今はこうして結絆様と二人きりで、この部屋を作っているだけで、幸せです」

 

「......俺もだよ。白羽がいてくれて、本当に嬉しい」

 

ふたりの手が自然と重なる。

 

外では学園都市の喧騒が遠くに響き、室内には和の気配が静かに満ち始めていた。

 

ここが白羽にとっての“新しい日常”の始まりだった。

 

 

 

 マジックシアターの居住エリアのラウンジは今日も賑やかだった。

 

蜜蟻がソファに寝そべりながら飴を舐め、帆風は微笑みながら紅茶を淹れている。

 

警策は片隅でノートPCとにらめっこしており、弓箭姉妹は軽口を交わしていた。

 

悠里とミサカはゲームで対戦しているようだ。

 

そして、美琴と黒子、さらにはアイテムの面々である、絹旗、フレンダ、滝壺、麦野までもが集まっている。

 

そこへ、結絆がゆったりとした足取りで入ってきた。

 

隣には、長くしなやかな尾をたなびかせた美しい九尾の狐が付き従っている。

 

「皆、ちょっと紹介したい人がいるんだよお」

 

結絆の声に皆が注目する。

 

狐の姿を見て、美琴が目を丸くし、黒子はわずかに後ずさった。

 

「九尾の......妖狐?」

 

ざわつく面々の視線の中で、九尾の狐はふっと息を吐いた。

 

金色の瞳が閉じられたかと思うと、たちまち眩い光がほとばしり――その場に、一人の和装の美女が現れた。

 

黒髪は腰まで届き、着物の柄は古雅で雅。

 

「初めまして。白羽と申します。以後、お見知りおきを」

 

優雅に一礼する白羽だが、場に沈黙が走った。

 

美琴が口を開けたまま言葉を失い、黒子は状況を呑み込めていない。

 

「ま、まさか......ほんとに、妖狐......?」

 

「いや、どう見ても人間に見えるけど......?でも......さっきの......」

 

「さっきの九尾の狐と同一人物ってこと?」

 

唯一驚かなかったのは、結絆の隣にいた絹旗だった。

 

彼女は涼しい顔で頷く。

 

「白羽さんとは、京都で会ってますからね。それに、白羽さんは結絆にとって超大切な人ですから、超よろしくお願いします」

 

その一言で場の空気が和らぐ。

 

「結絆の大切な人なら......まあ、歓迎しない理由はないわね」

 

美琴が微笑み、黒子も「そうですわね」と続く。

 

ドリームのメンバーも次々と挨拶を交わし始めた。

 

愛愉はニコニコしながら白羽を見つめ、帆風は丁寧にお辞儀を返す。

 

結絆はそれらを見守りながら、微笑んだ。

 

「皆に受け入れてもらえてよかったねえ」

 

「ええ、私も......とても嬉しいです。ありがとうございます、結絆様」

 

白羽がそっと結絆の腕に手を添えた瞬間、彼女の顔がわずかに紅く染まる。

 

「じゃあ、今日は歓迎パーティーってことで、盛り上がろうかあ」

 

「やったー!」

 

「超ご馳走になりまーす!」

 

陽気な声が集会室を包み、ドリームの本拠に、また新たな仲間が加わった瞬間だった。

 

 

 

 マジックシアターの一角、煌びやかに装飾されたホールには、フレンチやイタリアンの豪華な料理が並び、ドリームやアイテム、美琴や黒子たちが集っていた。

 

今日は、結絆が学園都市に連れ帰った白羽のための歓迎パーティーだ。

 

白羽は、華やかな振袖姿で皆の前に立ち、優雅に一礼をした。

 

「改めまして、白羽と申します。これから、どうぞよろしくお願いいたしますね!」

 

「お姉様、あの方、なかなかの美人ですわね」

 

「ま、まあね。でも、結絆は私たちのことをちゃんと見てくれるから......」

 

そして、白羽はにっこりと微笑み、結絆の隣に静かに腰を下ろす。

 

テーブルには、芳醇な香りのするローストビーフ、トリュフのリゾット、バジルの利いたカプレーゼサラダ、そして甘さ控えめのミルフィーユなどが並び、白羽は一品ずつ味わうように口に運んでいった。

 

そして、「美味しいかい?」と隣の席から結絆が声をかけると、白羽は頷いて微笑んだ。

 

「はい。とても......。そして、何より、皆様とこうしてお話できることが嬉しいです」

 

その言葉通り、白羽は丁寧に各テーブルを回り、ドリームのメンバーの一人一人に言葉を交わしていく。アイテムのフレンダや絹旗、そして美琴や黒子とも笑顔で挨拶を交わし、少しずつ打ち解けていった。

 

そんな白羽の姿を見て、麦野がぼそりと呟いた。

 

「この調子だと、一か月以内にはまた新しい女の子の歓迎会でもしそうね」

 

「あはは......否定は、できないかなあ......」

 

白羽はそんな結絆の様子を見て、くすりと笑った。

 

手にしたグラスをそっと差し出しながら、穏やかな声で囁く。

 

「ようやくこうして再会できたんです。私は、それだけで十分ですから」

 

その言葉に、場が一瞬静まり返る。

 

そして

 

「......なるほど。やっぱり、何かあったんですのね」

 

黒子のツッコミが、場の緊張を和らげた。

 

こうして、白羽の存在は、マジックシアターとその仲間たちにとって、新たな家族として自然に受け入れられていくのだった。

 

 

 

 夜の帳が静かに降りた頃、マジックシアターの喧騒も落ち着きを見せ、結絆と白羽は白羽の部屋へと戻っていた。

 

「楽しかったですね、歓迎パーティー。皆さん、とても良い方ばかりで......」

 

白羽はそう言いながら、柔らかく微笑んだ。

 

部屋の扉を開けると、香の柔らかな香りがふんわりと鼻をくすぐる。

 

白檀を基調としたお香は、空間全体に穏やかな気配を宿していた。

 

「お香、好きだよねえ?」

 

「ええ。こうして香りに包まれていると、心が落ち着きます。......前の世界でも、あなたと並んでよく焚いていましたよね」

 

「そうだねえ。懐かしい......」

 

結絆は優しく頷くと、部屋の中央に飾られている生け花に目をやった。

 

白羽の手によるものだろう。

 

花瓶に活けられた薄紅の椿と白い小菊が、控えめながらも雅な趣を漂わせている。

 

「花も、綺麗だねえ。白羽の人となりを表してる感じがするよお」

 

「ふふ。嬉しいです。あなたに褒めてもらえるなんて」

 

白羽は小さな笑みを浮かべ、結絆の隣にそっと座った。

 

床は畳敷きで、座布団の感触が心地よい。

 

障子越しの月明かりがふたりの輪郭を淡く縁取っていた。

 

「......こうして並んで座ってると、不思議と心が落ち着くよお。前世のころを思い出すねえ」

 

「ええ。あなたはいつも、お茶を淹れてくれて......私の髪を梳いてくれたりもしましたね」

 

「それなら、これからも髪を梳いてあげようかなあ」

 

「......今も昔も、変わらず優しいのですね」

 

白羽は、結絆の方に身体を傾けた。

 

その瞳には、どこか懐かしさと安心が混じっている。

 

「ありがとう、白羽。こうしてまた会えたこと、本当に嬉しい。......これからも、ずっと一緒にいよう」

 

結絆がそう言葉を紡ぐと、白羽はほんの少し瞳を潤ませながら、ふわりと微笑んだ。

 

「はい。何度生まれ変わっても、私はあなたの傍にいます。......今生でも、未来でも」

 

そして、二人の距離がゆっくりと近づく。

 

静かな空間の中、白羽の手が結絆の頬に触れ、そっと唇が重なった。

 

それは深く、しかし穏やかで、温もりの宿ったキスだった。

 

お香の香りと、夜の静けさの中で、それはまるで時を越えて重なった二人の想いを祝福するかのようだった。

 

キスが終わると、白羽はそっと結絆の肩に頭を預ける。

 

「今の私は、あなたに愛されていることだけで十分です。......だから、どうか、これからも私の隣にいてください」

 

「もちろんだよお。......もう二度と離さないからねえ」

 

二人の影は月明かりに寄り添いながら、静かに夜の時間を共有していたのだった。




今回で結絆の前世の話はおしまいです。

大覇星祭の話も終わりなので、次回からは番外編になります。
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