イタリアの話は、この後になります。
イギリス王室からの手紙
マジックシアターの執務室。
大覇星祭の振り替え休日であるのにも関わらず、結絆は仕事をしていた。
マジックシアターの運営や、統括理事会、暗部組織など、結絆の仕事は多岐にわたる。
しかし、結絆は分身の魔術が使えるので仕事は午前中には終わるのが常であった。
そんな中、結絆のもとへ一通の封書が届いた。
深紅の蝋で封が施され、王家の紋章が刻まれている。
送り主は「イギリス王室」
ドリームのメンバーたちは、結絆の執務机に並んで座りながら、興味深げにその封筒を見つめていた。
「結絆さん、それ......まさか、また外国の要人からの招待状とかじゃないですよね?」
帆風潤子が心配そうに言う。
「んー......どうだろうねえ。ま、見てみるしかないかあ」
結絆は苦笑しながら椅子の背にもたれ、指先で封を割った。
重厚な紙の匂いがふわりと立ち上る。
文面を目で追った瞬間、彼の表情がぴたりと止まった。
「......なっ!?」
結絆にしては珍しく、驚きの表情を浮かべている。
「ど、どうしたんですか?」
帆風が首を傾げる。
「えっとねえ......これは、その......ちょっと笑えない内容だよお」
結絆は手紙を机に置き、こめかみに手を当てる。
愛愉、看取、入鹿、猟虎、千夜、美琴、黒子、そして操祈までもが集まってきて、皆が机の上の手紙を覗き込んだ。
「英国第二王女キャーリサと、食蜂結絆様との政略結婚についての正式協議を提案する」
そこにはそう記されていた。
「せ、政略結婚って......本当ですの......?」
黒子が思わず声を上げた。
「本気みたいだねえ。しかも“正式協議”ってことは、もう王室側では前向きに進める気らしいよお」
「な......なにそれ、冗談じゃない!」
美琴が机をばんと叩く。
頬がほんのり紅潮していた。
「ま、待って美琴。いったん落ち着こう。俺だって、いきなりこんなの来て戸惑ってるからねえ......」
「結絆君......キャーリサって、この前聞いた......」
橘博士──沙羅が静かに口を開いた。
「うん。キャーリサとは一年前、ロンドンで起きた事件の時に会ったよお。あのときは、まあ......助け合ったって感じかなあ」
結絆は目を細め、過去の記憶を呼び起こす。
冷たい霧の漂うロンドンの夜、馬に跨って戦うキャーリサの姿。
彼女の戦い方は美しさと豪快さを両立していた。
「正直、気は合ったんだよお。戦い方も、考え方も、ある意味似てた。でも......それと結婚は別の話だねえ」
彼の声は苦笑混じりだったが、その裏には確かな迷いがあった。
政略結婚、それは個人の意思よりも国と国との思惑が優先されるもの。
結絆ほどの立場、そして学園都市統括理事会の一員という地位を考えれば、政治的利用価値は計り知れない。
「でも......なんで今になってそんな話が出てくるの?」
看取が眉をひそめる。
「一年前の件で、イギリス清教や王室とつながりを持ったのがきっかけかなあ。インデックスの件や天草式の件で俺が“敵でも味方でもない中立の存在”として認められちゃったせいかもねえ」
「つまり、イギリス側は結絆さんを“取り込みたい”わけですね」
猟虎が腕を組み、低く呟く。
「そういうことだねえ」
沈黙が続く。
誰もが言葉を失っていたが、次第に女性陣の間で微妙な空気が漂いはじめる。
「ちょ、ちょっと待ってよ。政略って言っても、結婚って......つまり、あのキャーリサって人と“結絆が夫婦になる”ってこと?」
美琴の声が震える。
「ま、まあ書面上はそういう提案だねえ」
「冗談じゃないわよっ!」
彼女の電撃が一瞬ぱちりと走り、机の端が焦げた。
操祈がすぐにその肩を押さえる。
「まあまあ、御坂さん、落ち着きなさぁい。お兄様が即答しなかっただけでも、ちゃんと考えてる証拠じゃなぁい?」
「......そりゃそうだけど......」
潤子が口を挟む。
「結絆さん、返事はどうされるんですか?」
「んー、すぐには返せないねえ。これは......ただの手紙ってわけでもない。俺の人生にも関わってくるからねえ」
その言葉に、沙羅が微笑んだ。
「そうね。貴方がどう選ぶかは、きっと誰にも決められないことだわ。......でも、私としてはちょっと複雑かも」
彼女は穏やかな声で言いながらも、瞳の奥には揺れる感情があった。
「キャーリサ姫ってどんな人なのお?」
愛愉が頬を膨らませて椅子にもたれかかる。
「どれも“強い”って言葉が似合うかなあ。剣の腕も、意志も、信念もねえ。だけど、意外とノリが良いよお。酒場では陽気だったりして」
「うう......なんかその人も結絆さんのことを好きになりそうな予感......!」
ドリームの女性陣たちは、互いに顔を見合わせながら小声で作戦会議を始めていた。
「どうする? 王女に負けない魅力アピールとか?」
「むしろ外交妨害......いや、違うか」
「全部聞こえてるよお......」
結絆は思わず苦笑を漏らす。
そんな彼の表情を見て、黒子がふっと笑った。
「
でも、結絆さんが“すぐ返事をしない”って言ったのは、少し安心しましたの。」
「......うん。結絆が私達のことを愛してくれてることもわかってるし」
美琴は頬を染め、そっと視線を逸らした。
結絆はそんな彼女たちの姿を見て、ゆっくりと息を吐いた。
「......俺はねえ、これまででたくさんの人と出会って、支えられてきた。だからこそ、今の俺がある。その中にはキャーリサも確かに含まれてる。でも、それだけで“結婚”なんて軽々しく決められないよお」
静かにそう告げると、部屋の空気が柔らかくなった。
イルカのアトラスが水槽の向こうから軽く跳ね、まるで励ますように泡を上げる。
「まったく結絆君は......ほんとにモテる男は大変ね」
沙羅が苦笑しながら立ち上がり、彼の肩に手を置く。
「でも、もしもこの件で動くなら、私もサポートするわ。戦力は多い方がいいでしょう?」
「ありがと、沙羅。でも、まずは......自分の心と、少しだけ向き合ってみるよお」
彼は再び手紙を見下ろす。
そこに記された文字は変わらない。
結絆の心に去来するのは、一年前のキャーリサの笑みと、今ここにいる彼女たちの温もり。
その狭間で、彼はひとり静かに考えた。
「......せめて当事者同士でもう少し話し合えたらいいんだけどねえ」
その言葉に、誰もが微笑んだ。
学園都市第七学区、天を衝くようにそびえ立つ巨大な建造物。
その最深部、液体に満たされた透明な円筒の中で、アレイスター=クロウリーは静かに眠るように浮かんでいた。
空間を満たす機械の低い駆動音。
仄暗い照明。
その中に、食蜂結絆の姿がゆっくりと現れる。
「久しぶりだねえ、アレイスター」
空間転移の光が消えると同時に、結絆の声が反響した。
逆さまに浮かぶ魔術師の瞳が、薄く開く。
その視線は無機質でありながら、どこか愉悦を含んでいる。
「食蜂結絆。ようやく来たか」
「ま、こんな相談をできる相手って、そう多くないからねえ」
「ふむ......今回は、“婚約”の件か」
アレイスターの声が、静かな波紋のように空間を満たす。
結絆は苦笑を浮かべながら、持っていた封書を指で回した。
「そう。イギリス王室からの政略結婚の提案。相手は第二王女キャーリサ。まさか俺が、国際外交の駒にされるとは思わなかったよお」
「学園都市統括理事会の一員であり、なおかつ“原典”を複数所持する存在だ。国の垣根を超えて注目されるのは当然だろう」
「まあ、そう言われちゃあ否定できないけどねえ......」
結絆は天井を仰ぐ。
管の向こうで漂うアレイスターを見上げながら、深く息を吐いた。
「俺も考えてるんだよお。ローマ正教があれだけ動いてる以上、対立は避けられそうにない。そうなると、イギリスを味方につけるのは悪くない選択かもしれない。
でもねえ......イギリスに近づけば、間違いなく別の勢力──たとえばフランスや神の右席、あるいは“第三勢力”が動く。その混乱に乗じて、誰が何を仕掛けてくるかわからないんだよねえ」
アレイスターは沈黙したまま、結絆の言葉を受け止める。
円筒の中の液体がわずかに波打ち、光が反射する。
「つまり、選択を誤れば、学園都市を巻き込んだ世界規模の戦争になる可能性がある......そう考えているわけか」
「そうだよお。俺の一つの返事が、世界地図を塗り替えることになる。だから簡単には答えを出せない」
重い言葉が落ちる。
しかし、アレイスターの唇がわずかに歪む。
「実に面白い」
結絆が顔を上げる。アレイスターの瞳に、奇妙な光が宿っていた。
「学園都市とローマ正教の衝突......イギリス王室の介入......そのどれもが、“プラン”の道筋に干渉する可能性がある。だが、どちらに転んでも支障はない。なぜならいずれの結果もプランの過程に過ぎぬからだ」
「......つまり、俺がどんな選択をしても、お前の計画には支障がないってことかい?」
「そうだ。お前がキャーリサと結婚し、イギリスを味方につけようと、あるいは拒み孤立の道を選ぼうと......最終的に、目的は達せられる。」
アレイスターの声には、冷たいようでいて確かな期待が滲んでいた。
「だが、結絆」
その声色がわずかに変わる。
冷徹な魔術師の顔に、奇妙な興味が宿る。
「君という存在は、私にとっても例外だ。“自己制御”によって己の限界を超越し、悪魔になりながらも、人間としての感情を失わない ......お前がどんな未来を選び、どんな世界を作るのか。私はそれを観測するのが楽しくて仕方がないのだよ」
「......俺を、実験材料か何かみたいに言うねえ」
「実験ではない。興味だ。お前という“変数”が、世界にどんな影響を与えるかを見たいだけだ」
アレイスターの笑みが、不敵に、そしてわずかに愉快そうに浮かぶ。
結絆はその様子を見て、軽く肩をすくめた。
「まったく......君らしいねえ。でも、そうやって何でも計算してるくせに、時々“人間の意志”ってやつを見落とすんだよねえ。俺は“駒”なんかじゃない。世界の流れがどうあれ、俺が守りたいものがある限り、俺は俺の選択をするよお。」
沈黙が落ちた。
そして次の瞬間、アレイスターはくすりと笑った。
「......やはり、面白い。君は“神を拒む人間”ではなく、“自ら神に手を伸ばす人間”だ。そんな者が、この都市に来たこと自体が、すでに“奇跡”の一つだろう」
「お褒めにあずかるのは悪くないけどねえ......あんまりそう言われると落ち着かないよお」
結絆は苦笑し、背を向けた。
出口へ向かう足音が、静かな液体の響きと重なる。
「ひとつ、忠告しておこう」
アレイスターの声が背後から響く。
「選択を先延ばしにすれば、“他者”がその空白を埋める。君が決める前に、世界は動き出す。」
「......わかってるよお」
結絆は一瞬だけ振り返り、柔らかな笑みを浮かべた。
「でも、俺の中でまだ決着がついてないんだ。“心”ってやつは、理屈よりもずっと複雑でねえ」
光が再び結絆を包み込み、空間転移の粒子が舞う。
アレイスターはその姿が消えたあとも、しばらく沈黙していた。
やがて、円筒の中で小さく笑う。
「さあ、結絆。お前の選択が、この世界の“秩序”をどう揺らすのか。私に、もう一度“人間という存在”の面白さを見せてみせろ」
その言葉と共に、逆さまの魔術師は再び瞼を閉じた。
薄暗い室内に、機械の唸りだけが残る。
そして、その中心に眠るアレイスターは確かに笑っていた。
その後......
「......今度は招待状、かあ」
封を切ると、上質な紙の香りとともに、金糸で縁取られた文字が現れる。
それは、“バッキンガム宮殿にて催される舞踏会へのご招待”署名は、キャーリサ王女本人のものだった。
結絆は手紙を読み進めながら、思わず苦笑をこぼした。
「政略の次は、舞踏会の誘いとはねえ......ずいぶんとロマンチックな戦略を立てるじゃないかあ」
ちょうどその時、部屋の扉が開く音がした。
白衣の袖を軽く捲り、冷静な瞳を向けながら沙羅が入ってくる。
「結絆君、そろそろ食事のってあら?何か届いたの?」
「うん。イギリスからの招待状。どうやら、キャーリサ王女が主催する舞踏会に呼ばれたみたいだよお」
沙羅はテーブルの上の手紙を見て、静かに目を細めた。
そして、少しだけ口角を上げる。
「政略結婚の続き......ね。けれど、舞踏会というのは単なる社交の場ではないわ。“王室が直接交渉を持つ意思を示す儀礼”でもある。彼女、本気みたいね」
「うん、たぶんねえ」
結絆はソファに腰を下ろし、天井を仰いだ。
「俺もキャーリサとは一度会ったことがあるけど、あの人、意外と真っ直ぐでさ。
戦うことにも誇りを持ってるけど、それ以上に“国”のことを考えてる人なんだ。
でも、そういう人だからこそ、俺は......簡単に答えを出せないんだよお」
沙羅はその言葉を聞きながら、ゆっくりと結絆の隣に座る。
長い髪が光を受けて揺れ、彼女の横顔が柔らかく照らされた。
「彼女のことを知りたいと思うのね?」
「うん。もしこの話が本当に進むとしても、俺は“誰かの国のため”じゃなくて、“一人の人間”として彼女を見たいんだよお。政治の道具になるのは嫌だけど、彼女がどういう想いで動いてるのか、それを知らずに拒むのも違うと思うんだよねえ」
その言葉に、沙羅は静かに微笑んだ。
「......それでいいと思うわ。あなたらしい判断よ、結絆君。相手がどんな立場でも、その中身を見ようとするところは、私が好きになった理由のひとつだもの」
「はは、そう言われると照れるなあ」
二人の間に、穏やかな沈黙が流れた。
「で、行くつもりなのね?」
「うん。もちろん、沙羅にも一緒に来てほしいんだ。もし向こうで俺に何か仕掛けられたとしても、沙羅の空間移動があれば安心だからねえ」
「......護衛兼、逃走経路担当ってわけね」
「沙羅とイギリス観光したいって理由が一番だけどねえ」
軽口を交わしながら、沙羅は小さく笑った。
その笑みには、かつて科学の理論に閉じこもっていた少女の姿ではなく、いま結絆と共に歩む女性の温かさがあった。
昼過ぎ。
マジックシアターのホールに結絆が現れると、美琴や最愛、潤子たちが集まっていた。
すでに噂は広まっているらしく、ホールの空気は妙にざわついている。
「結絆、聞いたわよ! イギリスの舞踏会に行くってほんとなの?」
真っ先に口を開いたのは美琴だった。
その表情は驚きと、ほんの少しの不安を混ぜている。
「うん、本当だよお。正式な招待状が来たからねえ」
「......政略結婚の件、まだ続いてるの?」
「まあ、あっちも本気みたいだからねえ。でも、即答する気はないよお。俺としては、もう少し彼女のことを見てから決めたいだけ」
その言葉に、美琴は胸を撫で下ろすように息を吐いた。
「でも、イギリスって危ないんじゃないの?向こうには怪しい勢力もあるって聞くし......」
「超そうですよ!」
隣で絹旗が強く頷く。
その目には、真剣な色が宿っていた。
「超重要人物である結絆さんがイギリスに行くなんて、超危険です。捕まったり、利用されたりしたら、超洒落にならないですよ!」
結絆は二人を見て、軽く笑みを浮かべた。
「心配してくれるのは嬉しいけどねえ、俺が動けなくなったとしても──沙羅の空間移動で逃げるから大丈夫だよお」
「......本当?」
美琴が半信半疑の目を向ける。
結絆は肩をすくめながら答えた。
「沙羅の空間移動は、学園都市で最強だよお。たとえ地球の裏側であっても飛べる。それに、俺も“時空間の原典”を持ってるからねえ。逃げ足だけは保証するよお」
「......ま、そこまで言うなら信じるけど」
美琴は腕を組み、呟くように言った。
その頬にはわずかに赤みが差している。
「でも、あんまり無茶しないでよね。イギリスの貴族たちって、裏で何考えてるかわかんないんだから」
「はは、大丈夫だよお。俺は“人の心”を読むのは得意だからねえ」
場の空気が少しだけ和らいだ。
絹旗も腕を組んで小さくため息をつく。
「......結絆さんがそう言うなら信じますけど、帰ってきたときは超土産話をお願いしますよ?」
「もちろん。お菓子と紅茶ぐらいは買ってくるよお」
結絆はそう言って笑い、全員の顔を見渡した。
美琴、絹旗、潤子、愛愉、黒子
皆が不安と信頼を半分ずつ抱えながら、彼を見つめていた。
「行ってくるよ。分身体がいるから寂しい思いはさせないけど、少しの間だけ留守を頼むねえ」
「......はい、気をつけてくださいね」
潤子の言葉が、静かに響いた。
結絆とキャーリサの出会いは、気が向いたら書きます。