その夜。
結絆と沙羅はマジックシアターの屋上で並んで夜空を見上げていた。
イギリスへ行く準備は既に終わっている。。
遠くでゲコ太のイルミネーションが瞬き、風が二人の髪を揺らす。
「ねえ、沙羅」
「どうしたの?」
「俺の選択で世界の運命は変わる。俺は、大切な人たちを守れるかなあ」
沙羅は静かに頷いた。
「大丈夫。結絆君だけに背負わせたりなんかしないから」
結絆は微笑み、彼女の手を取った。
その温もりは、秋の夜気に溶けるように優しかった。
「じゃあ、行こうか。次の舞台は、イギリスだねえ」
夜空の下で、二人の視線が交わる。
その瞳に映るのは、まだ見ぬ国と、まだ知らない“彼女”の真意。
風が吹き抜け、星々が瞬く。
それから間もなくして、マジックシアターの屋上から、結絆と沙羅の姿が消えた。
そして、場所はバッキンガム宮殿
ロンドンの地は学園都市よりも肌寒い。
舞踏会の幕が上がろうとしていた。
黒塗りの車が荘厳なバッキンガム宮殿の正門をくぐると、石畳を踏みしめるタイヤの音が静かに響いた。
後部座席から降り立ったのは、食蜂結絆と橘沙羅。
結絆は濃紺のスーツに黒いネクタイを締めている。
橘博士は淡い色のドレススーツを身にまとい、髪を軽くまとめて上品な雰囲気を漂わせていた。
「......さすがにちょっと緊張するねえ。外国のお偉いさんと会うことはよくあるけど、イギリスの王族と会うなんて滅多にないからねえ」
「そうね。でも結絆君なら大丈夫よ。むしろ王族のほうがあなたに緊張するかもしれないわ」
沙羅が軽く笑いながら言うと、結絆は肩をすくめた。
「沙羅が隣にいてくれるだけで助かるよお。」
二人は案内の騎士に導かれ、宮殿の長い回廊を歩いていった。
壁には歴代王族の肖像画が並び、重厚な絨毯が足音を吸い込んでいく。
やがて大広間の扉の前で立ち止まると、案内役が深く一礼して言った。
「これより、女王陛下がお待ちです」
重い扉が開く。
天井の高い広間の奥に、絢爛なシャンデリアの光を背にした女性が一人、ソファに寝転がってくつろいでいた。
イギリス女王、エリザード。
その傍らには、長身の女性、金髪をポニーテールにしたキャーリサ王女が立っていた。
きりっとした雰囲気で、赤いドレスを身にまとっている。
そして彼女の背後に控える鎧姿の男性が、騎士派の長である、騎士団長である。
「やあ、ようこそバッキンガムへ。久しぶりだな、食蜂結絆」
エリザードはそう言いながら、まるで旧友でも迎えるかのように片手を軽く上げた。
結絆は姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。
「お久しぶりです、エリザード陛下。学園都市統括理事の食蜂結絆です。こちらは」
「橘沙羅と申します。結絆君の補佐を務めております」
二人が礼を終えると、エリザードはにっこりと笑った。
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。今日は舞踏会前の顔合わせなのだから」
そう言ってカップを傾けるが――。
隣で控えていた騎士団長が、眉間に皺を寄せた。
「陛下......。大変申し上げにくいのですが、本日は正式な外交の場です。せめて礼服をお召しになられませぬと......」
「ん?ああ、これかい?」
女王は自分のラフな格好――白いセーターにスラックス姿を見下ろして肩をすくめた。
「だって、堅苦しい服は肩がこるからね。どうせ晩餐会で着替えるんだし、いいじゃないか」
「いけません、陛下!」
団長は声を上げ、周囲の騎士たちも緊張して姿勢を正す。
「外国の要人をお迎えするのです。陛下の御姿勢が我が国の品格を......」
「はいはい、わかったわかった。後でちゃんと着替えるから落ち着いてくれ」
その一連のやり取りを見ていた結絆と沙羅は、顔を見合わせて小さく苦笑した。
「......仲が良いんだねえ、あの二人」
「まるで母と息子みたいね。ふふっ」
キャーリサがその様子を見て、小さくため息をついた。
「いつものことだ。母上はこういう場でも自分のペースを崩さない」
「お転婆な女王だよねえ」
結絆が冗談めかして言うと、キャーリサはわずかに微笑を浮かべた。
「久しぶりだし、食蜂結絆。あの時以来、一年ぶりか」
「ああ。あの時の戦場での紅茶は、今でも忘れられないよお」
「お世辞が上手くなったな」
キャーリサは腕を組みながらも、どこか楽しそうだった。
エリザードがそんな二人を見て、意味ありげに口角を上げる。
「ほお......。やはり相性は悪くないようだな!」
「母上?」
「なに、独り言さ。さあ、座って。お茶でも飲みながら話をしましょう」
結絆と沙羅は促されるまま席についた。
テーブルには紅茶とスコーンが並び、ゆったりとした空気が流れる。
しかしその裏では、政治的な思惑が絡み合っていることを、全員が理解していた。
結絆は紅茶を口にしながら、これからの世界の動きを予測していた。
「さて、食蜂殿。今宵の舞踏会では、少々公的な発表がある。とはいえ、今はまだ肩の力を抜いていてほしい」
騎士団長が穏やかに告げる。
「ありがとう。もっとも......肩を抜くほどの余裕があるかどうか、わからないけどねえ」
結絆がそう言って苦笑すると、沙羅が隣で小さく頷いた。
「でも、結絆君なら大丈夫よ。どんな相手でも、自分のペースを崩さないもの」
その言葉に、キャーリサは一瞬驚きを見せた。
女王はそんな二人を面白そうに眺めながら、紅茶を一口すすった。
「......やはり見ものだな。お前たちがこの先、どう動くのか」
騎士団長は「また始まった」とでも言いたげに眉をひそめたが、結絆はただ穏やかに笑っていた。
そして、夜のバッキンガム宮殿。
黄金に輝くシャンデリアの下、舞踏会が静かに幕を開けた。
百を超える貴族や騎士たちが集まり、きらびやかなドレスと燕尾服が光の海のように揺れている。
バイオリンとチェロの旋律が流れ、空気は優雅で、それでいて張り詰めていた。
沙羅のドレスの裾が光を反射し、彼女の動きに合わせて柔らかく揺れる。
結絆が差し出した手を、沙羅は微笑みながら取った。
「結絆君、エスコートしてくれる?」
「沙羅と踊れるならいくらでも」
「ふふっ、じゃあ、お願いね♪」
二人は音楽に合わせてステップを踏む。
結絆の動きは滑らかで、まるで水が流れるように自然だった。
沙羅もそれに合わせて回転し、彼の胸にそっと寄り添う。
まるで二人だけの世界が、広間の中心に浮かび上がっているかのようだった。
キャーリサ王女がそれを見て、わずかに目を細める。
「......納得いかないし!なんであの女とばかり......」
女王エリザードは微笑を浮かべながら紅茶を啜った。
「我が娘が嫉妬してるとは!結絆は面白いやつだ」
そんな優雅な時間がしばらく続いた後、音楽が一区切りつく。
人々はシャンパン片手に談笑し始め、舞踏会の第二幕、駆け引きの時間に入る。
結絆は沙羅と並んで軽く杯を合わせていた。
「いやあ、沙羅と踊れて楽しかったよお。」
「私もよ。......結絆君と踊るの、ちょっと夢みたいだった」
「沙羅がそう言ってくれるなら、ここまで来た甲斐があったねえ」
そんな穏やかなやりとりの中、少し離れた場所で三人のイギリス貴族が声をひそめて笑っていた。
結絆の背後からちらちらと視線を送っているのがわかる。
「まったく、あれが例の学園都市の男か」
「キャーリサ王女の婚約候補とは聞いて呆れるな。若造のくせに、ずいぶん調子に乗っている」
「所詮は異国の成り上がり者だろう?王族の血を汚す気か」
彼らの声は小さかったが、沙羅の耳にははっきりと届いていた。
彼女の表情がぴくりと揺れ、手にしたグラスがわずかに震える。
「......今、なんて言ったのかしら」
低く冷たい声。
その声音に、隣の結絆がすぐ気づいた。
「沙羅、落ち着いて。こういう連中は相手にするだけ無駄だよお」
「でも......」
「大丈夫。俺に任せて」
結絆はゆっくりと振り返る。
彼の目は笑っていた。
だが、その奥には、底知れぬ闇が広がっていた。
「......へぇ。俺のことをそんな風に言ってたんだあ」
声は柔らかく、まるで冗談を言うように穏やか。
しかし、空気が変わった。
音楽が止まり、会場の温度が一気に数度下がる。
その場にいた全員が、何か得体の知れない圧を感じて息を呑んだ。
結絆はゆっくりとシャンパンを置き、指先で髪を整えるような仕草をした。
そして笑った。
「俺がキャーリサにふさわしくない?......そうかもねえ。でも、君たちは彼女に視線を向ける資格すらないよお」
その瞬間、空気が震えた。
見えない刃が会場を横切るように、圧倒的な“殺気”が放たれる。
心臓が握り潰されるような恐怖が、彼ら三人を襲った。
「ひ、っ......ぐ......!?」
貴族の一人が膝をつき、泡を吹いて倒れた。
残る二人も顔を真っ青にして喉を掻きむしるように倒れ込み、痙攣する。
会場がざわめきに包まれる。
騎士たちが即座に駆け寄り、医療班が呼ばれた。
しかし、結絆はただ静かに立っていた。
その表情には怒りも興奮もない。
ただの笑顔。
「......ちょっと殺気を強めすぎちゃったかなあ。まあ、命は取ってないから安心して」
その余裕のある言葉に、周囲の人間は息を呑む。
そして、誰もが理解した
この青年が“人間”の範疇を超えていることを。
キャーリサが結絆のもとへ歩み寄る。
「相変わらずだし。......でも、あまり派手にやるなよ。母上が面白がる」
「うん、でも君の名を汚されるのは嫌なんだよお」
そう言って肩をすくめる結絆に、キャーリサは一瞬だけ、頬を赤らめて視線を逸らした。
エリザードはというと、ソファから立ち上がり、実に楽しそうに拍手を送っていた。
「いいものを見せてもらった。“王の器”とは、他者を支配する威を自然に纏うもの。やっぱり君は面白い」
沙羅が結絆の隣で、ふっと息を吐く。
「......やりすぎよ、結絆君」
「ごめんごめん。でも、沙羅が怒ってたからねえ。俺もちょっと頭に血が上っちゃってさ」
「もう......」
そう言いながらも、沙羅は彼の袖を軽く引いて笑った。
再び音楽が流れ始め、舞踏会は何事もなかったように再開する。
結絆は軽く息を吐き、沙羅の手を取る。
「さ、もう一曲踊ろうか。せっかくだし」
「ふふっ、もう......あなたって本当に」
二人は再びステップを踏み始めた。
黄金の光の中、結絆の笑顔は穏やかで、どこか達観したものだった。
政治も策謀も、恐怖すらも、すべて飲み込んで微笑む。
それが、食蜂結絆という男の“本当の強さ”だった。
舞踏会が最高潮に達し、バッキンガム宮殿の大広間は歓声と拍手に包まれていた。
煌めくシャンデリアが光を落とし、貴族たちはシャンパン片手に談笑している。
だが、そんな優雅な空気を一変させるように、女王エリザードが立ち上がった。
「さて......せっかく我が国に“娘の婚約者”が来ているんだ。皆も踊るだけでは退屈だろう」
その声に、広間のざわめきが一瞬で静まり返る。
エリザードは手に持ったカーテナを軽く振りながら、楽しげに笑った。
「余興として剣の試合でも見せてもらおう。騎士団長、頼んだぞ」
その一言に、場の空気が固まった。
ざわつく貴族たちの中で、スーツを着こなした一人の男が静かに一歩前へ進み出る。
それが、英国最強の騎士、騎士団長であった。
「......女王陛下のご命令とあらば」
低く響く声。
鋭い眼光が結絆に向けられ、まるで試すような気配が走る。
「俺も断る理由がないねえ」
結絆はあっさりと笑った。
「イギリスの剣、使ってみたかったんだよねえ」
橘沙羅が隣で心配そうに結絆を見上げた。
「結絆君......本気は出しすぎたらだめよ?」
「わかってるよお、沙羅。会場を吹き飛ばすつもりはないから安心して」
エリザードが手を叩くと、舞踏会の中央が静かに片づけられ、
大理石の床が二人のために開かれた。
まるでこの瞬間のために用意されていた舞台のようだ。
騎士団長は儀仗兵から一本の剣を受け取ると、それを結絆に手渡した。
銀の刃が光を反射し、硬質な輝きを放つ。
「この剣は王国製のものだ。重いかもしれんが......扱えるか?」
「うん、大丈夫だよお。」
結絆が軽く剣を振ると、風が舞う。
ほんの一振りで床に小さな風紋が走り、周囲のカーテンが揺れた。
「......やはり只者ではないな」
騎士団長が低く呟くと、背筋を伸ばして礼をした。
「一応、申し上げておこう。私は術式で身を固めている。多少の攻撃では傷つかん。心配する必要はない」
「そっか。じゃあ心配は要らないねえ。......まあ、俺も肉体の損傷は瞬時に治るから、どっちも心配いらないよお」
観客席に緊張が走る。
笑みを浮かべながら平然と言い放つ結絆に、貴族たちはざわめいた。
「瞬時に......治る?」
「まるで怪物じゃないか......!」
エリザードは笑いをこらえながら、満足げに目を細める。
「準備はいいな。さあ、始めなさい!」
女王の号令と同時に、空気が変わった。
そして次の瞬間、二人の姿が消えた。
観客の誰にも見えない。
ただ、床に火花が散り、金属音が連続して響き渡る。
ギィィン――ッ!!
剣と剣が交差するたびに、空気が爆ぜる。
大理石の床が削れ、風圧でカーテンが裂けた。
「ほう......!」
騎士団長が笑みを漏らす。
彼の剣は“フルンティング”と呼ばれるものであり、カーテナによる強化は受けていないものの、彼が使えば一騎当千の活躍は間違いない。
「速いな、結絆!」
「騎士団長もねえ!でも、これくらい、まだまだだよお!」
結絆の剣が閃く。
一撃が空気を裂き、音速を超える風が走った。
瞬間、騎士団長のスーツの端が切れた。
「な......!」
観客の一部が悲鳴を上げる。
だが騎士団長は怯まなかった。
口元を引き締め、剣を構え直す。
「見事だ。だが、まだ私も倒れるわけにはいかん!」
彼の纏う空気が変わり、剣も3メートルを超えるものへと変化した。
結絆は目を細める。
「なるほどねえ......敵の返り血で強くなる剣かあ。いいね、そういうの嫌いじゃないよお」
次の瞬間、二人は再び交錯した。
ドンッ!!
爆音が鳴り響き、観客席のシャンデリアが震える。
互いの一撃が真正面からぶつかり合い、火花が散った。
刃と刃が擦れ、視界が白く染まるほどの閃光が生じる。
沙羅は両手を胸の前で組み、息を詰めてその光景を見守った。
数秒にも満たない応酬が続き、やがて静寂が訪れる。
中央には、互いに剣を交えたまま動かない二人の姿があった。
そして、先に動いたのは騎士団長だった。
「......降参だ。今の状態で踏み込めば、真っ二つにされるだろう」
彼は剣を引き、ゆっくりと膝をつく。
「いやあ、バレるとはねえ。流石は騎士派の長」
結絆は剣を下ろし、微笑みながら息を吐いた。
二人は握手を交わした。
「王女殿下が君を選ぶ理由が、分かった気がする。」
結絆は何とも言えない表情をしながら騎士団長を見た。
そして、会場から拍手が沸き起こる。
先ほどまでの緊張が溶け、誰もがこの戦いの結末に安堵の息をついた。
「これで余興は十分だな。......いいものが見れた。」
エリザードは満足そうに頷いた。
結絆は剣を静かに返しながら、笑って言う。
「お褒めにあずかり光栄だよお。......でも、正直言うと手加減してもらって助かったよお。お互い本気なら宮殿が吹っ飛んでるからねえ」
それを聞いて、騎士団長がわずかに目を細める。
「......ならば、次は互いに全力で」
「いやいやいや、本当に宮殿吹き飛んじゃうからねえ!」
結絆が笑いながら手を振ると、場の空気が一気に和らいだ。
沙羅が近づき、彼の袖を軽く引く。
「ほんとに......結絆君はどこに行っても目立っちゃうわね」
「仕方ないよお。沙羅が見てるから、ちょっとはかっこつけないとねえ」
夜の宮殿に再び音楽が戻り、舞踏会は続いていく。
だが、誰もが心の中で思っていた。
この青年こそ、“キャーリサ王女の結婚相手”にふさわしいと。
政略結婚編は、まだまだ続きます。