朝のバッキンガム宮殿。
黄金の朝日がカーテンの隙間から差し込み、広々とした食堂のテーブルを柔らかく照らしていた。
長さ十数メートルにも及ぶテーブルの上には、香ばしいトーストの香り、紅茶の湯気、そして焼き立てのベーコンの音が心地よく響く。
その中央に、結絆と沙羅、キャーリサ、そしてエリザードが並んで座っていた。
一見すると格式高い朝食会だが、エリザードの気楽な雰囲気のせいで、どこか家庭的な空気が流れている。
「ふむ......イギリスの朝食は、思ったよりおいしいねえ。」
結絆は焼きトマトとベーコンをフォークでつまみながら言った。
「イギリスに失礼よ、結絆君。」
沙羅が小さく笑いながら紅茶を口にする。
「すごい食べっぷりだし。見てるこっちも腹が膨れてくる」
キャーリサは呆れたように言いながらも、結絆の方をちらりと見た。
その視線の柔らかさを、正面のエリザードは見逃さなかった。
エリザードは紅茶のカップを置くと、にやりとした笑みを浮かべた。
「キャーリサ、お前......随分と乙女らしい目で見ているな。」
「は、はあ!?母上、何を言っているのですかっ!」
突然の言葉にキャーリサは椅子をきしませて立ち上がり、顔を真っ赤に染めた。
「別に私はっ!そのような目で見てなど......!」
「否定されると悲しいねえ」
結絆がくすっと笑うと、キャーリサはさらに赤面し、「お、お前まで茶化すな、結絆!」と、思わず声を上げる。
そのやり取りを見ながら、エリザードは優雅にティースプーンを回し、軽い調子で続ける。
「まあいい。キャーリサ、お前が惹かれる相手が現れるとは思っていなかったが......」
女王は視線を結絆に移し、ふと口角を上げた。
「結絆、どうだ? うちの娘を娶る気はないか?」
「ぶっ――!?」
突然のエリザードの発言で、結絆と沙羅が紅茶を吹き出し、キャーリサは「なっ......な、何を言い出すのですか母上ぇっ!」と悲鳴のような声を上げた。
しかし、エリザードはまるで悪戯を楽しむ少女のようににやにやと笑っている。
「私は別に悪い話ではないと思うぞ。お前の力は本物だし、政治的にも大いに価値がある。だが、それ以上にキャーリサが久しぶりに笑っていたからな。」
女王のその言葉に、場の空気が少し静まる。
「......母上、からかうのも大概にしてください。私は、まだそんなつもりでは......」
キャーリサは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに顔を上げ小さく呟いた。
「ふふ、まるで母娘そろって結絆君に惹かれてるのね。」
沙羅は隣で微笑みながらも、口元を押さえて笑いをこらえる。
「む......沙羅。お前まで敵に回るのか?」
キャーリサがむくれたように言うが、沙羅は肩をすくめて、優雅にパンをちぎる。
「私はただ見てるだけよ。ねえ、結絆君?」
「俺に振らないでよお......こっちも困ってるんだからあ。」
そんな軽口が交わされる中、ふとキャーリサは沙羅を見た。
朝の光を受けた沙羅の表情は、どこか晴れやかで、上機嫌だった。
まるで夜通し上質な夢でも見てきたような――そんな満足感に満ちた笑み。
(......なんだ? この余裕、まさか......)
キャーリサの頭に昨夜のことがよぎる。
自分が照れながら部屋へ戻る時、結絆と沙羅は二人で同じ部屋へ向かっていた。
まさか、いや、まさか。
沙羅と目が合う。
その瞬間、博士はにっこりと、まるで「ご名答」と言わんばかりにウインクした。
「――っ!?」
キャーリサの心臓が跳ねる。
(やっぱり......! 本当にあの二人......!?)
頬が一瞬で赤く染まり、紅茶を飲もうとしても手が震える。
「ど、どうしたキャーリサ?」
エリザードが首を傾げる。
「な、なんでもない!」
「顔が真っ赤だぞ?」
「こ、これは......朝日が眩しいだけだっ!」
結絆は首をかしげつつも、沙羅の余裕たっぷりの表情を見て、なんとなく察したように小さくため息をつく。
「沙羅......やりすぎだよお」
「ふふっ、別に何も言ってないわ。ねえ、キャーリサ王女?」
「~~っ!その笑い方をやめろっ!」
そして、沙羅は紅茶を口に含み、満足げに微笑んだ。
「朝からいい気分だわ。......ねえ結絆君、今日はイギリス観光でもしようかしら?」
「うん、せっかくだからねえ。キャーリサも付き合ってくれるかい?」
「イギリスの伝統を二人に教えてやるんだし!」
「楽しみだねえ」
結絆が笑うと、エリザードは満足げに頷いた。
「ふむ、やはりお前たち、相性がいいな。今夜にでも婚約発表するか?」
「母上ぇえええっ!!!」
その悲鳴が、静かな宮殿の朝に響き渡った。
そして、結絆と沙羅は顔を見合わせて笑い、エリザードは楽しげに紅茶をかき混ぜ続ける。
バッキンガム宮殿の朝は、今日も賑やかに幕を開けた。
朝の陽光が柔らかく石畳を照らし、白い鳩が空を横切っていく。
バッキンガム宮殿の庭を抜けた先、少し歩いた場所にある「ロイヤル・キャリッジ・ギャラリー」。
王室が代々使用してきた馬車を保管・展示している博物館だ。
金と紅を基調とした荘厳な建物の前で、キャーリサが髪を風に揺らしながら振り向く。
「ここが王族専用の馬車博物館だし。母上の即位式で使われた黄金の馬車も保管されている。二人も興味を持ってくれると思う」
キャーリサは誇らしげに説明する。
隣で沙羅が興味深そうに建物を見上げる。
「さすがに壮観ね......まるで歴史そのものが息づいているみたい」
「だねえ。こういうの、学園都市じゃまず見られないもんねえ」
結絆は両手をポケットに突っ込みながら、軽い調子で微笑む。
その姿を見たキャーリサは、ふと胸の奥に妙な感情が浮かんだ。
館内に足を踏み入れると、空気がひんやりと変わる。
高い天井のホールには、豪華な馬車がずらりと並び、天井のシャンデリアがその金装飾を反射してきらめいていた。
「これが......戴冠式用の馬車かあ」
「そうだし。あれは二百年以上前に造られたもので、重さは四トン。馬八頭で引く」
キャーリサの説明を聞きながら、結絆は前に立ち、馬車の造形を興味深そうに見つめた。
精巧に彫られた天使の装飾、車輪の金縁。
沙羅もその職人技に感嘆の声を漏らす。
「人の手でここまで精密なものを作れるなんて......。いくら科学技術が発展しても、この凄さは失われないわね」
「王室の馬車職人は“職人の王”と呼ばれている。今でも新造の際は同じ工法を用いているらしい」
キャーリサは誇らしげに語るが、結絆の視線は展示の奥へと吸い込まれていた。
そこに、実際に使用可能な馬と馬車が並んでいた。
数頭の馬がゆっくりと鼻を鳴らし、柵越しに彼を見ている。
「......おい、キャーリサ。あの馬、乗ってもいいのかなあ?」
「もちろんだし。あれは観光用ではなく訓練用の馬だが、結絆なら問題なさそうね」
結絆は穏やかに笑い、馬のもとへ歩み寄る。
彼の気配を感じたのか、栗毛の馬が首をかしげて近づいてくる。
大きな瞳がまっすぐに結絆を見つめ、そして頬をすり寄せてきた。
「......よしよし、いい子だねえ」
結絆が手を差し出すと、馬はその掌を舐めるように触れる。
沙羅は微笑みながら、その光景を見守った。
「相変わらずね、結絆君。どんな動物にも好かれるんだから」
キャーリサはその様子を見ながら、胸の奥が温かくなるのを感じた。
結絆が馬に軽やかに跨ると、その姿勢は驚くほど自然だった。
手綱を軽く引くだけで、馬が滑るように動く。
見ているだけで絵になる。
「......なんというか、板についているな」
キャーリサが思わず漏らすと、沙羅が微笑を浮かべる。
「でしょ?彼、どんな乗り物でも一瞬で乗りこなすのよ。飛行船でもバイクでも、馬でも」
「まさに天才だな」
キャーリサの声には、わずかに感嘆が混じる。
結絆は軽く馬の腹を蹴って速度を上げる。
風が吹き抜け、コートの裾がひらりと舞う。
その光景を見た博物館の係員たちは思わず拍手を送った。
「おお......見事な御者ぶりだ」
「王族の方々以外で、あの馬があそこまで従順になるのは初めてですよ」
その後、結絆は馬から降り、軽く息をついた。
「いやあ、いい子だったよお。毛並みも手入れが行き届いてるし、愛されてる証拠だねえ」
キャーリサはその言葉に微笑んだ。
「......お前は本当に、不思議な奴だし。人も馬も、皆お前に惹かれてしまう」
「そりゃあ、俺が優しいからじゃないかなあ?」
「自分で言うのは自画自賛が過ぎるんだし」
キャーリサの瞳には、尊敬と同時にどこか嫉妬めいた光が宿っていた。
彼女は、結絆のように自然と人を惹きつけることができない。
軍事における才能は、この国の誰よりもある。
だが彼のような“信頼される力”は、持ち合わせていなかった。
沙羅はそんなキャーリサの心を読んだように、穏やかに笑う。
「キャーリサ王女、彼はそういう人よ。誰かを従わせるより、寄り添わせてしまうのよ。」
「......なるほどね」
キャーリサは小さく息をつき、結絆の背を見つめた。
彼が馬の首を撫でながら優しく囁くその姿は、まるで国を治める王のように見えた。
「キャーリサも一緒に乗ってみるかい?」
結絆が振り返りながら声をかけると、彼女は少し照れたように笑った。
「......そうだな。お前がそこまで言うなら」
キャーリサは結絆の前に座る。
「お前が後ろにいると、なんか安心するな」
「俺がいる限り、落としたりしないよお」
その優しい声に、キャーリサの頬が少し紅潮する。
沙羅はそんな二人を見ながら、楽しそうに笑った。
館の外では、秋風が木々を揺らしている。
穏やかな時間の中で、剣と政治に生きてきた王女と、科学と魔術を超えた男の間に、確かな絆が芽生えたのだった。
午後のロンドン。
馬車博物館を出た三人は、石畳の並木道を抜けて宮殿近くの「ローズティー・パヴィリオン」と呼ばれる小さなティーハウスへと足を運んでいた。
白い煉瓦造りの外壁に、緑の蔦が絡む可憐な店構え。
窓辺には色とりどりの薔薇が飾られ、柔らかい陽光が差し込んでいる。
「ここは王族御用達の店だし。母上もお気に入りでな」
キャーリサが扉を開けると、心地よい鈴の音とともに紅茶の香りが漂ってきた。
結絆と沙羅は顔を見合わせて微笑み、店内へと足を踏み入れる。
丸テーブルの上には白磁のティーセットが整えられ、香ばしいスコーンとクロテッドクリーム、苺ジャムが美しく並べられていた。
窓の外では噴水の水音がかすかに響き、遠くで馬車の車輪が回る音が聞こえる。
「......紅茶の香りって、なんだか落ち着くねえ」
カップを手に取った結絆が、ふわりと香りを嗅ぐ。
「当たり前だ。英国の誇りだからな。お前も学園都市に籠もっていないで、もっとイギリスに来たらいい」
「これからは行く機会が増えるかもねえ」
その言葉を聞いたキャーリサは嬉しそうだった。
そんな二人の様子を、沙羅は静かに見つめていた。
少しの沈黙ののち、キャーリサが興味深そうに問いかける。
「一つ、聞いていいか?お前たちの関係は、ただの恋人以上に見える。まるで、生と死を越えたような......そんな絆を感じる」
沙羅は一瞬だけ目を細め、そして微笑んだ。
「鋭いわね、キャーリサ王女。......そう。実を言うと、私は一度死んでいるの」
結絆が静かに視線を落とす。
キャーリサの表情が強張る。
「......どういう意味だし?」
沙羅はゆっくりと紅茶を一口啜り、穏やかな声で語り始めた。
「私は研究所の事故で命を落としたの。暴走した能力者を全員止めて生存者を助けられるだけ助けたけど、その後力尽きたわ」
その言葉に、キャーリサは息を呑む。
「でもね......結絆君が、私をこの世に引き戻してくれたの」
「結絆が......?」
沙羅は頷き、隣に座る結絆へと優しい視線を向ける。
キャーリサは言葉を失う。
蘇生、それは神の領域に近い行為。
そんなことを、目の前の男は平然と成し遂げたのか。
「......本気で言っているのか?」
「本気だよお」
結絆は穏やかな微笑を浮かべ、カップを置いた。
「俺はねえ、大切な人を死んでも離さない主義なんだよお。」
その声には不思議な温かさと、底知れぬ覚悟が混じっていた。
結絆はそっと沙羅の肩を引き寄せ、優しく抱きしめる。
「沙羅は俺の大切な人だからねえ。命の理なんて、関係ないんだよお」
沙羅はその腕の中で微笑み、静かに目を閉じた。
「......だから、私はもう怖くないの。結絆君がいる限り、死も終わりじゃない」
キャーリサは二人を見つめながら、胸の奥が熱くなるのを感じた。
これが、彼らの絆。
王族として多くの縁談や政略を見てきたキャーリサにとって、絆とは形だけのもので中身を伴わないことが多かった。
けれど、今目の前で寄り添う二人の間には、そんな薄っぺらい打算など一欠片もない。
「......すごいな。お前たちは、もう人間の愛を超えているんだし」
「それでも、俺たちは人間のつもりだよお。恋して、笑って、喧嘩して、泣く。それが俺たちの形だから」
結絆はそう言って、沙羅の髪をそっと撫でた。
沙羅は嬉しそうに微笑み、結絆の胸元に頭を預ける。
店内の薔薇の香りと、紅茶の甘い香りが静かに混ざり合った。
「なんか、そこまでの愛を持てるのは......羨ましいんだし」
キャーリサは少し視線を逸らし、照れくさそうに言った。
外の陽光がカーテン越しに差し込み、テーブルの紅茶を黄金色に染めていく。
その光の中で、三人の心は確かに一つの温もりに包まれていた。
キャーリサと結絆の出会いは気が向いたら過去編で書こうと思います。