夕陽が傾き始め、バッキンガム宮殿の広大な庭園が黄金色に染まっていた。
手入れの行き届いた芝生の上には、白い噴水が涼やかな音を奏で、その周囲には薔薇とラベンダーが風に揺れている。
沙羅は少し離れた場所で紅茶を飲みながら微笑み、結絆とキャーリサは二人きりで噴水の前を歩いていた。
「......いい庭だねえ。ありのままを楽しむ日本庭園も好きだけどお、人の手を加えて整える西洋の庭もいいものだねえ」
結絆が空を見上げると、淡い橙に染まる雲がゆっくりと流れていく。
「王家の庭師たちが手塩にかけているからな。ここは母上が特に気に入っている場所だ」
キャーリサは軽く微笑んだ。
だが、その横顔にはいつもより少し真剣な影が差していた。
しばらく無言で歩いた後、彼女は立ち止まり、静かに結絆を見つめた。
「......なあ、結絆。縁談のことをどう思っている?」
結絆は少し目を細め、風に髪を揺らしながら答える。
「正直に言うとねえ、まだ迷ってるよお。国と国の絆って意味では悪くないけど、俺たちの気持ちが置いてけぼりになったら意味がないと思うんだ」
キャーリサは小さく頷いた。
「わかる。私もそう考えていた。......でも、今日、お前と過ごしてみて、少し考えが変わった」
「ん?」
「結絆、お前には人を惹きつける“力”がある。仲間や恋人に心から慕われる理由が、少しだけわかった気がするんだし」
キャーリサは噴水の縁に腰を下ろし、真っ直ぐに結絆を見上げる。
その瞳は、王女としての威厳ではなく、一人の女性としてのまっすぐな光を宿していた。
「......私は、王家の義務としてじゃなく、一人の女としてこの婚姻を受けようと思う」
その言葉に、風が一瞬止まったような気がした。
結絆は驚き、そしてゆっくりと息を吐く。
「......いいのかい? 本当に」
「イギリスと学園都市の関係を安定させる意味でも、これは重要な縁だ。でも、それ以上に......私は、お前という存在に興味を持ってしまった。」
その真剣な眼差しに、結絆は一瞬言葉を失う。
風が吹き抜け、キャーリサの金髪が淡い光を帯びて揺れた。
やがて、彼は静かに笑った。
「......そう言われたら、俺も逃げられないねえ」
「逃げる気だったのか?」
「いやあ、王女様の求婚を断るのは命がけだからねえ。......でも、本気で言ってくれるなら、俺もちゃんと答えるよお」
結絆はキャーリサの前に立ち、片膝をついた。
彼の表情は穏やかだが、瞳の奥にある光は真剣そのものだった。
「キャーリサ王女。俺は、政治や権力のためじゃなく、君という人を知りたいと思ってる。君の強さも、弱さも、”迷い”も、全部含めてねえ」
キャーリサの唇がかすかに震える。
「......それは、愛の告白か?」
「そう聞こえるなら、それでいいよお」
結絆がゆっくりと立ち上がると、キャーリサの頬が紅潮した。
その姿に、普段の強気な王女の影はなかった。
「......ずるいんだし。そうやって、誰の心にも入り込む」
「癖みたいなもんだよお」
「それが厄介なんだけど」
キャーリサは苦笑しながらも、手を差し出した。
「......改めて言おう。私はこの縁談を受ける。王女としてではなく、一人の女として。そしてお前と歩む未来を選ぶ」
結絆はその手を取り、優しく握り返す。
「俺も、君の選択を受け入れるよお。ただし、焦らずにいこう。国の未来も、俺たちの未来も、きっと同じくらい大事だからねえ」
キャーリサは頷き、柔らかく笑った。
その笑顔は、初めて見る安らいだ一人の女性の笑顔だった。
結絆はそっとキャーリサの肩に手を置く。
噴水の水音が静かに響き、夕陽が二人を包み込む。
そして、遠くから、沙羅が微笑ましそうに二人を見つめていたのだった。
翌日、広間は、朝の光を受けて静かに輝いていた。
結絆とキャーリサは並んで歩く。
朝食の会場へ着くとエリザードが既に座しており、厳かでありながらもどこか柔らかい笑みを浮かべていた。
「どうやら結論が出たようだな」
女王はゆっくりと椅子の肘掛けに手を置き、二人を見据えた。
キャーリサが一歩前に出る。
彼女の表情は凛としていて、いつもの強気な王女の顔ではなく、責任を負う覚悟を帯びた大人の顔だった。
「母上。......私は、結絆との政略結婚を受け入れます」
その言葉に、エリザードは一瞬だけ目を細める。
だが驚きの色はなく、むしろ静かな納得があった。
「そうか。お前のことだから、感情だけで動いたわけではないのだな」
「はい。......結絆と過ごして、国のためだけではなく、個人としても信頼できると改めて思ったから」
キャーリサの言葉を受けて、結絆は隣で微笑みながら軽く頷いた。
「俺の方からも伝えさせてもらうよお、陛下」
エリザードの視線が、今度は結絆に向けられる。
結絆は一呼吸置いてから、まっすぐにその緑の瞳を見返した。
「俺は......キャーリサとの縁を受け入れるつもりだよお。ただ、その前に一つ、正直に話しておきたいことがあるんだ」
その場の空気がわずかに張り詰める。
だが、結絆は飾ることなく、穏やかな声で続けた。
「俺には、すでに共に生きている人たちが何人もいる。皆、大切な仲間であり、恋人でもある。キャーリサのことも、その一人として心から愛すると誓うけど......嘘をついて隠すようなことはしたくない」
キャーリサはその横顔を見つめ、静かに目を閉じた。
沙羅との関係を見たり、昨夜、彼の真摯さを知った彼女は、今さら驚きもしない。
むしろ、堂々と真実を語るその姿勢に、彼女の胸は誇らしくさえあった。
「ふっ......」
沈黙を破ったのはエリザードの微かな笑いだった。
彼女は、興味深そうに結絆を眺める。
「お前は、本当に面白い男だな。普通なら恐れて隠すようなことを、こうも堂々と言い切るとは」
「陛下に嘘をつくような男じゃ、娘さんを貰う資格はないと思ってねえ」
「なるほど」
エリザードは口元に手を当て、くすりと笑う。
その目には、どこか満足げな光が宿っていた。
そして彼女はゆっくりと立ち上がった。
その威厳は、場の空気を一瞬で支配する。
「話はまとまったな。我が娘との婚約を、正式に認めよう。」
結絆は頭を下げ、静かに微笑んだ。
「ありがとう、陛下。......責任は、必ず果たすよお」
その言葉に、エリザードは柔らかな笑みを浮かべた。
「その言葉、信じるぞ。キャーリサを任せた。彼女は王族である前に、私の娘だからな」
「わかってるよお」
結絆はそう答え、隣のキャーリサをちらりと見る。
キャーリサは照れ隠しのように鼻を鳴らして、肩をすくめた。
「まったく......結絆は、どこまでも堂々としてるな」
「そう言われると悪い気はしないねえ」
結絆の軽口に、キャーリサの口元がわずかに緩む。
そして、そんな二人のやり取りを眺めながら、エリザードは満足げに息を吐いた。
この青年が世界を獲る日も遠くはないのかもしれないな
彼女は心の中でそう呟き、玉座に静かに腰を下ろす。
重苦しい政治の空気が少しだけ和らぎ、広間に柔らかな光が満ちる。
結絆は深く一礼し、キャーリサと共にその場を後にした。
廊下に出ると、キャーリサがふと立ち止まり、結絆を見上げる。
「母上の前で、あんなこと言うとは思わなかったし」
「隠したって意味ないからねえ。俺は俺らしくいかないと」
キャーリサは肩を落としながらも、少し笑って言う。
「結絆といると、不思議と気が楽になるな」
結絆は苦笑しながら、彼女の頭に手を置いた。
「そう言ってもらえるなら、光栄だねえ」
その瞬間、廊下の窓から差し込む朝の光が二人を包み、新しい関係の始まりを祝福するように、静かに煌めいていた。
宮殿の中庭は、朝の霧がまだうっすらと漂っていた。
石畳の上を渡る風が、金色の装飾をきらめかせる。
その中央に、キャーリサと結絆と沙羅、そしてエリザードが立っていた。
「もう、戻るんだな」
キャーリサが口を開いた。
その声には、寂しさがにじんでいる。
結絆はそんな彼女を見つめ、穏やかに頷いた。
「うん。いずれ戦いが動き出す。ローマ正教の動向も、第三勢力の影も見過ごせないからねえ。学園都市に戻って、情報と戦力を整理する必要があるからねえ」
「......でも、結絆がいなくなったら、寂しいんだし」
キャーリサが唇をかむように言う。
それに、結絆は軽く笑って指を鳴らした。
その瞬間、彼の影が水面のように揺らぎ、そこからもう一人の“結絆”が現れた。
分身体
だが、単なる幻影ではない。
実体を持ち、表情も、声も、息づかいも本体と変わらない。
「代わりに、こいつを置いていくよお。俺の分身だよお」
「......分身?」
「俺の力を“水脈”を通して繋げてあるんだよお。幸いイギリス全土には強い水脈が多いからねえ。それらに俺の力を流し込めば、どれだけ離れていても、こうして分身体を維持できるんだよお」
結絆は冗談めかして肩をすくめる。
「まるで、本当に二人いるみたいだな」
キャーリサは目を見開いて分身を見つめた。
「実際、記憶も感情も共有してるからねえ。こいつも俺だし、俺もこいつなんだよお」
分身体の結絆が軽く微笑んで、キャーリサに頭を下げた。
「こちらでもよろしくね、キャーリサ」
その声にキャーリサの頬がわずかに染まる。
「本体と区別がつかないんだし」
本体の結絆は小さく笑いながら肩を竦めた。
「これなら君のそばにいられる。寂しい思いはさせないよお」
その優しい言葉に、キャーリサの心が温かくなっていく。
彼の存在は、不思議と安堵を与えてくれる。
そんな二人の様子を眺めながら、エリザードが満足そうに笑った。
「これで安心だな。それにしても、お前たち二人、まるで長年寄り添った夫婦のようだな」
その言葉に、キャーリサは慌てて顔を背ける。
「ま、まだそういうわけでは......っ」
だが、エリザードはその反応を見逃さなかった。
そして、ゆっくりと結絆の方へ顔を向ける。
「......私は孫の顔を見るのを、楽しみにしているぞ」
あまりにも堂々とした女王の言葉に、キャーリサは一瞬息を止めた。
「っな、な、なっ――!?」
真っ赤になった顔で、彼女は思わず両手を振る。
「ま、待って母上!? い、今そんな話じゃ......!」
「はは......戦いが終わってからだねえ、そういうのは」
キャーリサの慌てぶりに、結絆は苦笑しながら首の後ろを掻いた。
「まあ良いだろう。その時には私も、母としてではなく“祖母”として、心から祝福してやるぞ」
エリザードはそう言いながら、満足そうに微笑む。
キャーリサは顔を真っ赤にしたまま、口をパクパクさせていた。
そして、キャーリサが頬を膨らませると、結絆は彼女の頭をそっと撫でた。
「戦いが終わったら皆で結婚式をあげようねえ」
「その約束、破ったら許さないんだし」
「もちろん、さてと、沙羅、頼んだよお」
「わかったわ。キャーリサさん、一緒に結絆君を支えましょう」
そう言って、沙羅は結絆とともに学園都市に帰還したのだった。
その後、中庭には分身体の結絆と、キャーリサ、そして微笑むエリザードだけが残った。
「結絆はどこまでも人の心を掴んで離さないな」
キャーリサは小さく息を吐き、残る温もりを胸に感じながら、空を見上げた。
「だから困るんだよねえ、俺って」
その呟きに、隣の分身体が冗談を言いながら柔らかく笑った。
その声に、キャーリサは思わず吹き出してしまう。
朝の光の中、彼女の頬に映るその微笑みは、どこか幸せそうだった。
キャーリサは魔術関連の話ではこれからも登場させる予定です。
次回からは、イタリア編になります。