政略結婚編と同じ日付の話です。
イタリア旅行に行こう!
大覇星祭の翌日。
街を包む秋風は、昨日までの熱狂を嘘のように穏やかに撫でていた。
マジックシアターのラウンジでは、食蜂結絆が紅茶を飲みながら当麻と操祈を待っていた。
テーブルの上には一枚の封筒が置かれている。
金色のリボンで結ばれたその封筒には、「北イタリア5泊7日の旅」と刻印されたロゴが輝いていた。
やがて、上条当麻と食蜂操祈がやってきた。
操祈はいつものように柔らかな笑みを浮かべ、当麻はどこか落ち着かない様子で後ろを歩いていた。
「お兄様?呼び出されたけど、どうしたのかしらぁ?」
操祈が軽く手を振ると、結絆はにこやかに顔を上げた。
「んー、ちょっと渡したいものがあってねえ。当麻、操祈、こっち座ってよお」
二人が向かいの席に腰を下ろすと、結絆は封筒を軽く指先で押し出した。
「これ、俺が大覇星祭のナンバーズで当てた景品なんだけどねえ。イタリア旅行のペアチケットだよお」
「イタリア!?」
当麻が目を丸くする。操祈もぱちくりと瞬きをして、思わず身を乗り出した。
「ペ、ペアチケットって......つまり、二人で行けるやつ、よねぇ?」
「そうだよお、航空券もホテルもツアーもついてるから、初めてでも安心だねえ」
結絆はにこにこと笑いながら、ティーカップをくるりと回した。
「いや、ちょっと待てよ!」
当麻が慌てて手を振った。
「そんなすげぇもん、俺たちがもらっちゃっていいのか? お前が当てたんだろ、それ」
彼の真面目な反応に、結絆はふっと目を細めた。
「いいんだよお。当麻。俺は、ちょうどイギリスに行く用事があるからねえ......だからイタリアまでは行けないしねえ。せっかくだし、当麻と操祈で行ってきたらいいよお」
結絆はため息をつきながら話した。
用事とは、前回までの政略結婚の件である。
「......でもよ、こんなの、タダでもらうのは気が引けるっていうか......」
当麻が言葉を濁すと、操祈が軽く彼の袖を引っ張った。
「当麻ぁ、お兄様がせっかく譲ってくれるんだし、素直に受け取った方がいいんじゃないかしらぁ?イタリアよぉ、イ・タ・リ・ア。早めの新婚旅行って考えたら最高じゃなぁい?」
「お、おう......そうだな......」
当麻が照れながら頭をかくと、操祈は頬を染めながら微笑んだ。
「だってぇ、素敵じゃなぁい?二人で異国の街を歩いて、パスタ食べたり、ジェラート食べたり......」
結絆はそんな二人の様子を見て、自然と笑みを浮かべる。
「ふふ、なんか青春してるねえ。......でも、ほんとに行っておいでよ。当麻、操祈。学園都市ばっかりじゃ息も詰まるだろうからねえ」
そう言いながら、結絆は封筒を当麻の手に押し付ける。
「このチケット、もう名前は空欄にしてあるから。当麻と操祈の名前で登録すればいいよお。出発は”今日”。ちょうどいいリフレッシュになるんじゃないかなあ」
当麻はしばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついて笑った。
「......お前ってやつは、ほんと、時々太っ腹すぎて怖ぇよ。ってか出発日は今日なのかよ!」
結絆は肩をすくめながら微笑んだ。
大覇星祭の代休にツアーが組まれているので、出発が今日なのである。
「ありがとな、結絆。」
「ふふん、どういたしましてえ。......でも一応言っとくけど、あんまりイチャイチャしすぎて観光どころじゃなくなった、なんて報告はいらないからねえ?」
「なっ!?そ、そんなことするわけ」
慌てる当麻の横で、操祈はにやにやと笑っていた。
「まぁ、どうなるかはお楽しみ、ってとこかしらねぇ♡」
三人の笑い声がラウンジに柔らかく響く。
その後、旅行のパンフレットを見ながら、操祈はヴェネツィアの水の都に目を輝かせていた。
「ねぇ当麻ぁ、見て見てぇ!このゴンドラ、すっごくロマンチックじゃない?夜の運河でライトアップされてるみたいよぉ」
「へぇ、いいな。......うーん、これは完全にカップル向けのやつか」
「私たちはカップルでしょぉ?」
「お、おい操祈......!」
操祈がくすくす笑い、当麻が顔を赤らめる。
その光景を見て、結絆は少し目を細める。
(......当麻も、こうして笑う時間が増えてきたねえ)
彼の胸の奥には、ほんの少しの安堵が広がっていた。
アレイスターのプランのせいで、いつも戦いや事件に巻き込まれてばかりの当麻。
そんな彼に、何も気にせず笑える時間を与えたかった――それが結絆の本心である。
「それじゃあ、準備ちゃんとして行くんだよお? パスポートもスーツケースも忘れたらだめだよお」
「おう、任せとけ」
「お兄様、本当にありがとう!帰ってきたらお土産いっぱい渡すわねぇ」
「ふふ、期待してるよお。まあ、俺も用事が終わった後にイタリア観光するかもしれないけどねえ」
結絆は二人の笑顔を見送りながら、静かにティーカップを傾けた。
水の都ヴェネツィア。
そこへ向かう二人の旅が、きっと彼らにとって忘れられない思い出になることを、結絆はどこか確信していた。
そして彼は、紅茶の香りを楽しみながら、ひとり呟いた。
「......さあて、俺も準備しなきゃねえ。イギリスはイタリアより寒いんだっけ?」
秋風がカーテンを揺らし、光が静かに彼の頬を照らす。
そんな穏やかな日に、二人のイタリア旅行への第一歩が、そっと幕を開けた。
第二十三学区の国際空港は、学園都市から帰る人々で混みあっていた。
ガラス張りの巨大ロビーを行き交う人々、飛行機がひっきりなしに離着陸する滑走路。
その中心で、上条当麻と食蜂操祈は二人並んでチェックインカウンターを後にし、搭乗ゲートへと向かっていた。
「なんか実感湧かねぇな......俺たち、これから本当にイタリア行くのか」
「ふふ、当麻ぁ、もうチケットもパスポートも通してもらったんだし、心配することはないわよぉ?」
操祈は旅行用に少しだけ髪を纏めていて、いつもより大人っぽい雰囲気だ。
そんな彼女の隣で、当麻はリュックを背負いなおしながら言った。
「それにしても......」
彼の視線は首元からぶら下がった黒いゴーグルに向く。
「本当にこれ使うのか? 結絆がくれた“高速学習ゴーグル”とかいうやつ」
「当たり前じゃなぁい。イタリア語、ちゃんと喋れた方が楽しいでしょぉ?」
「そりゃそうだけどさ......俺、こういうのに弱いっていうか、絶対酔う気しかしねぇ......」
心配そうに呟く当麻に、操祈はくすっと笑って彼の腕に軽く寄り添った。
「大丈夫よ。当麻が酔ったら、付きっ切りで看病してあげるんだからぁ♪」
「いや余計に緊張するわ!」
そんな掛け合いをしながら搭乗ゲートを通過し、二人は飛行機へ乗り込んだ。
座席は窓側に当麻、通路側に操祈。
旅客機特有の乾燥した空気と、ふかふかの座り心地が旅の非日常感を強める。
「じゃあ、離陸まで少しあるしぃ......当麻、早速つけてみたらぁ?」
「......よし、腹くくるか」
当麻はゴーグルを両手で持ち上げ、顔に装着した。
黒い外装がカシャリと閉じる。
次の瞬間
「......うおっ......なんだこれ......!?」
視界いっぱいに鮮明な映像が立ち上がる。
作り物とは思えないほどリアルな街並み、イタリア語の文字、ネイティブスピーカーの発音。
脳に直接染み込むような不思議な感覚。
装置が優しい音声で言う。
《イタリア語初級モードを開始します。基礎文法から会話まで、睡眠を伴わない高速学習を実行します》
「すげぇ......本当に頭の中に直接入ってくる感じだなこれ......」
最初こそ驚いて身を固くしていた当麻だが、数分もすると身体の力が抜け、完全に学習モードに没頭していた。
飛行機が滑走路を走り、ふわりと宙へ浮かぶ。
上昇する機内で、この世の誰より真剣な顔でイタリア語を脳に叩き込む上条当麻。
操祈はそんな彼の横顔を見つめ、小さく微笑んでいた。
(ふふ、当麻ってほんと、不器用なくせに一生懸命なんだからぁ......)
約一時間後。
「......むにゃ......あれ......?」
当麻はふと意識が戻った。
ゴーグルが自動で外れ、機内の柔らかな照明が目に映る。
「おかえり当麻。気持ち悪くなってない?」
「いや......頭がなんか軽いような......いや重いような......変な感じだけど......」
そして......
「Ciao, Misaki. Come stai?(こんにちは操祈、調子はどうだい?)」
「......えっ」
操祈の目がぱちんと見開かれた。
「ちょっとぉ!?なに急にペラッペラになってるのよぉ!?」
「なんか自然に口から出たんだけど!?俺そんなつもりじゃ......!」
「すごいじゃない......!天才力を発揮してるじゃなぁい!」
操祈は驚きながら当麻の顔を覗き込む。
当麻は逆に不思議そうに操祈を見返した。
「でもさ......操祈はイタリア語平気なのか?」
「常盤台中学では授業が複数の言語で行われるのが通常なのよぉ。イタリア語も読み書きできるわよぉ!」
「まじかよ......常盤台ってそんなの教えてんのか......!」
当麻は本気で驚き、操祈は誇らしげに胸を張った。
「というわけで、イタリアでは、言葉の心配はいらなさそうねぇ」
「なんか急に旅行のハードルが下がった気がするな......イタリアに着いたら結絆にお礼の連絡しないとな」
ふたりは顔を見合わせ、自然と笑い合った。
“これからの旅はきっと楽しいものになる”
そんな予感を乗せて、飛行機は静かに空の上を進んでいく。
イタリア語をマスターした当麻は、しばらくぼんやりと機内の天井を見つめながら余韻に浸っていた。
すると、隣の操祈が機内リモコンを操作して、シート前方のモニターにメニューを表示させる。
「ねぇ当麻ぁ、映画でも見ない?長時間フライトだしぃ、暇をつぶせるものは必要よねぇ」
「あ、いいな。さすがに頭使いすぎたし......映画でも見てリラックスするか!」
「じゃあぁ......これなんてどうかしらぁ?」
操祈が選んだのは......
『魅惑のイタリア紀行――空から見るローマ・フィレンツェ・ヴェネツィア』
観光ドキュメンタリー映画。
イタリアの名所を“空撮映像”中心で紹介する作品だ。
「あ、これ絶対いいやつだろ......!」
「ふふ、気分を先取りしちゃうわよぉ」
再生ボタンが押され、画面いっぱいに地中海の美しい青が広がった。
静かな音楽が流れ、ヘリから撮影したようなダイナミックな映像が続く。
最初に映ったのはローマ。
コロッセオの円形が黄金の夕陽に照らされ、歴史の息吹をそのまま飲み込んだように浮かび上がる。
「すげぇ......本物、こんな感じなんか......」
「ふふ、楽しみねぇ。実際にこの場所を歩くのよぉ?」
画面が切り替わり、ヴァチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂が映る。
芸術そのもののような建築美に、当麻はすっかり圧倒されていた。
そして次に映るのはフィレンツェ
赤い屋根がぎっしりと並ぶ街並み、ドゥオーモの荘厳なドームが夕陽に包まれる光景。
「なんていうか......絵本みたいだな」
「ううん、絵本より綺麗よぉ。ここ、バスから見たら本当に涙が出るくらい素敵なんだからぁ」
「操祈、行ったことあるのかよ......!」
「常盤台の研修旅行で少しだけ♪」
「はぁぁ......さすが常盤台......」
当麻はあまりの世界の違いに苦笑しつつも、操祈が嬉しそうに話す姿を見るだけで胸が温かくなった。
そして、映画はクライマックスへ。
ヴェネツィアの運河を夜のゴンドラが進み、無数のランプが水面にきらめく。
その瞬間。
操祈がそっと当麻の手に触れた。
「ねぇ当麻ぁ......こういう夜景を、あなたと見られるの......すっごく楽しみよぉ」
「......ああ。俺もだ」
自然に手を握り返すと、操祈は嬉しそうに肩を寄せてきた。
映画の光が彼女の髪に反射し、きらきらと揺れる。
「......ロマンチックだな」
「ふふ、まだ始まったばっかりよぉ。当麻との旅行、全部ロマンチックにしてあげるわぁ」
映画は静かに終わり、機内が再び薄暗くなる。
ふたりは無言のまま窓の外を見る。
遥か下に、黒い海と星の光がかすかに見える。
そして、機内アナウンスが流れた。
《まもなく、マルコポーロ国際空港へ降下を開始いたします》
心臓がふわりと浮くような感覚。
遠くに、イタリアの市街地の光がほのかに滲む。
「......着くんだな......ほんとに」
「当麻と一緒なら、どこへだって行けるわぁ」
手を繋いだまま、ふたりは窓の向こうの光の大地を見つめた。
その目は、期待と幸福で輝いていた。
こうして、上条当麻と食蜂操祈の五泊七日のイタリア旅行が、いよいよ幕を開ける。
イタリア編を書いていると、万博のイタリア館を思い出しますね。