アドリア海から吹く風は澄んでいて、ほんの少し塩の香りを含んでいた。
陸地に結絆たちを降ろしたアトラスは満足げに水面を跳ね、結絆の横へ戻ってきて尾びれをぱしゃりと上げた。
「いやあ......助かったよ、結絆。マジでどうなるかと思ったからな......」
当麻がぐったりした様子で海沿いの岩場へ腰を下ろす。
「当麻、大丈夫かい?怪我は......うん、問題なさそうだねえ」
結絆は軽く手を当麻の肩に触れ、能力で軽く状態を確かめた。
「ありがとう、お兄様ぁ......来てくれて助かったわぁ......」
操祈は胸を押さえ、まだ少し震えの残る手を結絆に見せる。
「心配させたねえ。二人とも無事でよかったよお」
そう柔らかく笑う結絆の後方に、複数の影が近づいてきた。
当麻と操祈は二日連続の出会いに驚き、結絆は微笑みながら手を振る。
「騒ぎが起きたから来てみれば、まさか結絆様にも会えるとはな。今日こそは恩を返させてほしいのよな!」
天草式のメンバーたちがこちらにやってくる。
「建宮に五和、諫早も......会えて嬉しいよお。」
早速喋りだす結絆や天草式のメンバーたちを見て、当麻と操祈は結絆の凄さを改めて実感する。
その後ろでは他の天草式のメンバーたちが、次々と巨大なバスケットや折り畳みテーブル、鍋に釜まで抱えながら姿を現す。
「昨日もご馳走してもらったのに......なんか悪いな」
当麻が申し訳なさそうな顔をしながら建宮の方を見る。
「遠慮する必要はないのよな。食事は皆で食べる方が盛り上がる。さあ、席について少し待ってくれ」
「天草式の人たちが作るご飯はおいしいからねえ、イギリスの用事が終わった後にすぐにこっちに来た甲斐があるよお」
「じゃあ、遠慮せずにいただいちゃうわよぉ!」
海岸沿いの岩場にテーブルが並べられ、天草式のメンバーはまるで屋外料亭のような手際で料理を並べ始める。
味噌仕立ての海鮮鍋や炭火で焼かれたイカや白身魚。
極めて和風だが、不思議とイタリアの海に馴染んでいた。
「わぁ......すごい量ねぇ......」
操祈が目を丸くしながらも嬉しそうに頬を緩める。
「イルカさんはこちらをどうぞ!捕れたばかりの魚ですよ!」
「キュイィイ!」
アトラスは差し出された魚を飲み込み、満足したのか結絆の足元に戻ってごろりと仰向けになる。
なお、アトラスの筋力は並のイルカの比ではないので、陸地でも普通に動けたりもする。
「喜んでくれてうれしいのよな」
建宮は嬉しそうな表情を浮かべた。
結絆は湯気の立つ碗を受け取り、柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、みんな。俺のためにここまでしてくれて嬉しいよお」
「結絆様から受けた恩に比べればまだまだ返しきれないのよな。女教皇様と共に助けを求める人々を救う仕事ができて皆幸せなのよ。」
「はは......結絆はすげぇな......」
それを聞いた当麻は肩をすくめて笑う。
しばらくして、皆が揃って食卓についた。
朝の柔らかな陽光が波間で反射し、熱い味噌スープの湯気と混じってぼんやりとした光の輪が広がる。
「結絆様、イギリスであったことを教えてほしいのよな」
建宮が、どこか含みのある目で結絆を見た。
「そうだねえ。今ちょうど話そうと思ってたところだよお」
結絆は食べ終えた碗を置き、少しだけ姿勢を正して二人と天草式の面々を見渡す。
「俺はねえ......イギリスの第二王女のキャーリサと結婚することになったよお」
その言葉は、海風よりもずっと強くその場の空気を吹き飛ばした。
「はあああああ!?」
「結婚!?」
「キャーリサ殿と!?」
「イギリス王女様ではないか!?」
大声が海へ反響し、アトラスが驚いて「キュッ!?」と跳ねた。
当麻は箸を落とし、操祈は碗を持ったまま固まる。
「お、お兄様ぁ......ま、待ってぇ......あの話、受けることにしたの!?」
「落ち着いて、操祈。驚きすぎだよお」
「びっくりするわよぉ!?」
「お前なぁ......とんでもない相手じゃねぇか......!」
当麻も操祈も額に手を当てている。
「まあまあ。これでねえ、学園都市とイギリスは正式に同盟を結ぶことになったよお。みんなも......少しは安心できるようになるんじゃないかなあ」
天草式の面々は一瞬沈黙し、やがて
「......結絆様。我々の予想を遥かに超えてきたのよな」
「女教皇様にも連絡しないと......」
「心より祝福します!」
次々と祝辞が飛び、場が一気に明るい空気に包まれる。
「いやあ......ほんと、結絆ってすげぇよ......もはや友達として誇らしいくらいだぞ......」
「そうよねぇ......お兄様はどこまで行くのかしらぁ......」
当麻と操祈がため息をつきながらも、どこか嬉しそうに笑う。
結絆はふたりを見て、穏やかな笑みを浮かべた。
「俺は俺だよお。家族や仲間が笑っていられる時間を作ることが一番の生きがいだからねえ」
海の朝陽は、一同の頭上へあたたかく降り注いだ。
波の音と天草式の賑やかな声が混ざり合い、束の間の平和な時間がゆっくりと流れていく。
アドリア海沿いの砂浜での朝食を終え、片付けの最中だった。
結絆はふと、遠くの水平線に目を向けた。
その瞬間、結絆は違和感を覚えた。
常人の数十倍に達する視力が、海上の異変を捉えていたのだ。
「......ん?あれは?」
「結絆、どうしたんだ?」
当麻が問いかける。
結絆はゆっくりと指を伸ばした。
「氷でできた船......かなあ。数、百はあるよお」
「百もですか!?」
天草式のメンバーたちが素っ頓狂な声を上げる。
操祈も眉を寄せて海の向こうを見るが、肉眼でそれを捉えることはできない。
「ほんとに見えてるのからしぁ?」
「見えてるよお。しかもねえ......」
結絆は瞳を細め、さらに焦点を遠くへと合わせた。
「船の上でローマ正教のシスターたちが無理やり働かされてるねえ......」
その言葉に、場の空気が一気に張り詰めた。
「またローマ正教かよ......勘弁してくれ......」
当麻がため息をつきながら後頭部をかく。
「術式の構造は見えますかな?」
建宮が神妙な面持ちで言った。
「術式の骨組みまでは見えるけど、正確な効果までは分かんないねえ。ただ、悪い予感しかしないよお」
結絆は静かに首を振る。
「当麻ぁ......また危ないことになりそうだわぁ......」
操祈が不安げに当麻の袖をつまむ。
「大丈夫だ。結絆がいるし、俺もいるからな」
当麻は優しく操祈を抱きしめる。
結絆は軽く笑い、天草式のメンバーへ視線を向けた。
「調べにいくよお。皆もついてきてくれるかい?」
天草式のメンバーたちは一斉に頷く。
「もちろんです!」
「恩返しがまだ済んでおりませんので!」
「お役に立てるなら何でも!」
そして、建宮は懐から折りたたまれた紙を取り出した。
簡単な術式が描かれたその紙を空中に放つと、ふわりと光が弾けた。
次の瞬間、紙片は小型の木製船へと姿を変え、水面へ現れる。
「さぁ、結絆様。必要かはわからんが、船は用意できたのよな!」
建宮が誇らしげに言う。
「こんなの持ち歩いてたのか......」
当麻が呆れたように言うと、建宮は胸を張った。
「天草式は常にいろんな状況に備えているのよな!」
船体は小型とはいえ、十人ほどが乗れるサイズに展開されている。
操祈は当麻の手を握りながら船に乗り込み、海風に髪を揺らした。
「お兄様、相手は敵対しているローマ正教とはいってもぉ、無理やり働かされてるなら助けるのよねぇ?」
「もちろん助けるよお。任せてねえ」
船は滑るように海へ進み始める。
そして結絆は、氷の船団が並ぶアドリア海沖へ視線を向けた。
「さあ行こうかあ」
結絆たちの乗る船は、しぶきを上げ、百隻の氷の船が待ち受ける海域へ向かっていったのだった。
お気づきの方もいると思いますが、結絆はイギリスで朝食を食べた後にイタリアでも朝食を食べています。
結絆は大食いですね。