「......はぁ......はぁ......っ......」
視界が、現実に戻ってくる。
常盤台の寮の部屋。
整えられた机、壁の腕章、静かな夜。
「夢......覚めましたのね......」
喉が、ひくりと鳴る。
だが、その瞬間。
「黒子っ!?」
隣のベッドから御坂美琴が勢いよく起き上がり、心配そうな顔でこちらを見ていた。
「どうしたのよ! すごい悲鳴だったじゃない!」
「お、お姉様......悪夢を......見ましたの......」
黒子は、震える手で胸元を押さえる。
美琴はすぐに黒子の顔に手を当てる。
「汗、すごいじゃない......大丈夫なの?」
その声を聞いた途端、張り詰めていたものが切れた。
「うぅ......怖かったですの......」
小さく、弱い声。
美琴は一瞬驚いた顔をしたあと、そっと黒子を抱きしめる。
「もう大丈夫よ。私がいるから」
その言葉に、黒子の呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
夢と言うにはあまりにも、鮮明だった。
追いかけてきた“何か”。
捕まった感触。
恐怖。
(これは......ただの夢じゃありませんの......)
常盤台に広がる悪夢は、確実に“侵食”を始めている。
黒子は、美琴の存在を確かめるように、美琴の胸に顔を埋めた。
夜は、まだ深い。
そして、次に眠りに落ちたとき、何が待っているのか......それは誰にも、分からなかった。
荒い呼吸が、少しずつ静まっていく。
白井黒子は、まだ震えの残る体を小さく丸めたまま、ベッドの上で座っていた。
額に浮いた汗は冷たく、夢の感触がまだ皮膚に張りついている。
そんな黒子の様子を、美琴は黙って見つめていたが、やがて、ぽんと軽く黒子の頭に手を置いた。
「しょうがないわね。今日は、一緒に寝てあげるから」
「......ふぇ......?」
黒子が顔を上げる。
美琴は少し照れたように視線を逸らしながら、続けた。
「このままじゃ眠れないでしょ。怖い夢見たあとなんだからさ。......それなら、私が横にいれば、少しは安心できるでしょ?」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥に溜まっていた不安が、じわりと溶け出した。
「お......お姉様......」
声が、かすれる。
泣きそうになるのを必死にこらえながら、黒子は美琴の袖をきゅっと掴んだ。
「......うれしいですの......」
「はいはい。ほら、こっちに来なさい」
美琴は自分のベッドに潜り込み、毛布をめくって黒子を招く。
黒子は少しだけ躊躇したあと、そっと隣に横になった。
背中越しに感じる、美琴の体温。
それだけで、心臓の鼓動が穏やかになっていく。
「......大丈夫よ。私がいるから」
「......はい......ですの」
その言葉に包まれるようにして、二人は静かに目を閉じた。
夜は、まだ終わっていなかった。
冷たい感触。
黒子は、ゆっくりと目を開けた。
「......っ......ここは......」
視界に映ったのは、崩れた天井と、ひび割れた壁。
雷鳴が、遠くで響く。
「......また......ですの......」
悪夢の廃墟。
だが
「......黒子?」
隣から聞こえた、聞き慣れた声。
「お姉様......?」
振り向くと、美琴がそこに立っていた。
ゲコ太の描かれたパジャマ姿のまま、彼女は少し眉をひそめて周囲を見回している。
「なにここ......夢、よね?」
「......どうやら、そのようですの......」
黒子の声は、まだ緊張を含んでいる。
美琴は状況を把握すると、小さく息を吐いた。
「なるほどね......二人そろって悪夢を見てるってわけか」
そう言って、黒子の方を見る。
「黒子......大丈夫?」
「......正直に言えば、少し......いえ、かなり怖いですの......」
黒子は正直に答えた。
美琴は、にっと笑う。
「じゃあ、出口探そっか。ここに閉じ込められてるなら、出ればいいだけでしょ」
その言葉に、黒子の胸が少しだけ軽くなる。
二人は並んで、廃墟の廊下を歩き始めた。
床は不安定で、どこかで水滴の落ちる音がする。
「......先ほどは、私はここで......“見えない何か”や、怪物に......」
黒子が震える声で告げる。
「ふーん......」
美琴は足を止め、軽く肩を回した。
「......念のため、やってみるわよ」
ぱち、と小さな音。
次の瞬間、美琴の体を青白い電気が走った。
「......え?」
黒子は目を見開く。
「使えますの!?能力......!」
「みたいね」
美琴は掌にバチバチと電気を走らせ、にやりと笑う。
「夢の中でも、私は私、ってことかな」
その頼もしさに、黒子の目が潤んだ。
「お姉様......」
「ま、黒子は下がってなさい。能力使えないんでしょ?私が前に出るから」
その直後。
ぐるるるる......。
低いうなり声が、廊下の奥から響いた。
「......来ましたの!」
闇の中から、歪な影が現れる。
長い腕、不自然な体、光る目。
あの怪物。
「気持ち悪い......ですの......」
美琴は一歩前に出た。
「黒子を怖がらせたのは......ちょっと、許せないわね」
怪物が、吠えるように腕を振り上げる。
その瞬間。
「食らいなさい!」
美琴の掌から放たれた電撃が、廊下を白く染め上げた。
雷鳴とは比べものにならない、圧倒的な光と衝撃。
怪物の体が、悲鳴のような音を立てて弾ける。
怪物は焼き切られ、霧散するように消えていった。
「もう終わり?思ったよりあっけなかったわね」
美琴が周囲を見渡す。
何も、残っていない。
「......すごい......ですの......」
黒子は、呆然と呟いた。
美琴は振り返り、肩をすくめる。
「だから言ったでしょ。私がいるって」
その言葉を聞いた瞬間。
廃墟の景色が、ゆっくりと歪み始めた。
床が溶け、壁が崩れ、光に包まれていく。
「......これは......」
「目が覚めるみたいね」
美琴は黒子の手を、ぎゅっと握った。
「起きたら結絆に相談するわよ」
「はいですの!」
二人の意識は、光の中へと溶けていった。
朝
窓から差し込む光の中で、黒子は目を覚ました。
隣には、すやすやと眠る美琴の姿。
「......夢」
だが、もう震えはなかった。
黒子はそっと、美琴の袖を握り直す。
(お姉様がいれば、大丈夫ですの!)
常盤台の悪夢は、まだ完全には終わっていない。
それでも、黒子の心には確かな光が灯っていた。
マジックシアターの居住エリア。
静まり返った回廊の奥、柔らかな間接照明に照らされた一室で、帆風潤子はベッドに腰掛けたまま、膝の上で指を組んでいた。
「......もう、眠りませんと」
時計の針は、とっくに深夜を指している。
だが、眠気はまるで訪れない。
理由は分かっていた。
常盤台生が悪夢を見るという噂。
『常盤台で、悪夢が広がっていますの』
黒子から受けた連絡によれば被害は日々拡大しているようだ。
それでも、胸の奥が嫌な予感でざわついた。
帆風は不安な気持ちを抑えつつベッドに横になる。
暗い。
ひどく暗く、重たい空間。
「......ここは......」
帆風は、ひび割れた地面の上に立っていた。
周囲は瓦礫だらけで、赤黒い何かが床を濡らしている。
見覚えが、あった。
「......そんな......」
震える視線の先。
そこに、結絆が倒れていた。
「結絆......さん......?」
駆け寄ろうとするが、足が動かない。
全身が鉛のように重い。
結絆は仰向けで、全身に火傷を負い、周囲は血に染まっている。
呼吸は浅く、今にも途切れそうだった。
「......い......いや......」
分かっている。
これは夢だ。
過去の記憶が、形を変えて現れているだけ。
それでも。
「......帆......風」
かすれた声が、確かに聞こえた。
「っ!?」
結絆が、ゆっくりとこちらを見た。
いつもの柔らかな笑みはなく、ただ、苦しそうな瞳。
「......ごめん......ねえ」
叫びたいのに、声が出ない。
結絆の指先が、地面を掴み、血の跡を残す。
「......もう......だめかも......しれないねえ」
「やめて......やめてください......!」
夢だと分かっているのに。
記憶だと理解しているのに。
あのとき、何もできなかった現実が、心を締め付ける。
「......結絆さん......結絆さん......!」
その瞬間。
視界が、歪んだ。
雷鳴のような音とともに、場面が崩れ落ちる。
「......っは......!」
帆風は、勢いよく跳ね起きた。
息が荒く、胸が痛い。
シーツは冷たい汗で湿っている。
「夢......」
そう呟いても、心臓の鼓動は収まらない。
目を閉じれば、すぐにあの光景が蘇りそうだった。
「......眠れそうにありませんね」
帆風は、たくさんのゆはんぬいを抱え、夜が明けるまでじっと目を開けていた。
一方、別の部屋。
弓箭入鹿は、布団の中で浅い眠りに落ちていた。
だが、次の瞬間。
冷たい感覚。
「......っ!?」
視界に映ったのは、暗い空と、崩れた建造物。
「......また......ここに......?」
嫌というほど覚えている。
結絆が、致命傷を負った、あの場所。
「......結絆さん」
声が、震える。
視線を落とすと、そこにいた。
地面に倒れ、血だまりの中で動かない結絆。
「夢......これは夢なんです......」
入鹿は、歯を食いしばる。
これは現実じゃない。
分かっている。
なのに。
「......入鹿......」
結絆の胸が、わずかに上下する。
「最悪の事態は......防げたみたいだねえ......」
「......やめてください」
入鹿は、拳を握り締めた。
「俺が......もっと......」
悔恨が、胸を刺す。
その瞬間、結絆の体が、ゆっくりと崩れていく。
砂のように。
血と一緒に、指先から消えていく。
「......っ......!」
入鹿は、叫ぼうとして
「......はっ!」
跳ね起きた瞬間、壁に拳を叩きつけていた。
呼吸が荒く、喉が痛い。
「夢......でしたわね......」
分かっている。
だが、二度と眠りたくなかった。
目を閉じれば、また、あの光景を見る。
「......結絆さん......」
呟いた名前は、静かな部屋に溶けて消えた。
帆風も、入鹿も、昨晩は一睡もできなかった。
夢だと理解している。
現実では、結絆は生きており、今はイギリスで貴族たちを手玉に取っているのだろう。
それでも......
心の奥に刻まれた“最悪の記憶”は、悪夢という形で、確実に牙を剥いていた。
帆風や入鹿の記憶についての話は、もう少し先で過去編として書こうと思ってます。