吹寄制理は、朝の目覚めと同時に、自分の身体がいつもより軽いことに気づいた。
「......あれ?」
首を左右に回してみても、嫌な引っかかりがない。
肩に痛みを感じることもない。
ここ最近、勉強やボランティアで慢性的に続いていた肩こりが、嘘のように消えている。
その理由を、彼女はすぐに思い出した。
インディアンポーカー
最近学園都市で流通する、夢の中で特別な体験ができると噂のカード。
その中でも今回使用したものは、「プロのマッサージによる全身ケア」という、あまりに実用的で人気の高い内容だった。
「どうせ当たらないと思ってたんだけど......」
理由はわからないが、応募者多数で抽選必至と聞いていたため、半ば記念応募のつもりだった。
だが結果は当選。
封筒を開けた瞬間、思わず二度見したのを覚えている。
そして昨夜、吹寄はそのカードを使って眠りについたのである。
夢の中で彼女がいたのは、白を基調とした落ち着いた空間だった。
柔らかな光に包まれ、床には清潔感のあるマットが敷かれている。
「こんばんは、吹寄。肩、かなりこってるらしいねえ」
そう声をかけてきたのは、食蜂結絆だった。
穏やかな笑顔で、白衣のような服を着ている。
「そうなのよ......って結絆!?」
クラスメイトとはいえ、こんな場面で出てくるとは思わず、吹寄は少し驚いた。
しかし、結絆の態度はあくまで落ち着いていて、どこか講師のようでもあった。
「じゃあねえ、まずは肩の仕組みから説明するよお。肩こりっていうのは、筋肉が緊張したまま血流が悪くなるのが原因なんだあ」
そう言いながら、結絆は無理のない位置に吹寄を座らせ、肩にそっと手を置いた。
力加減は控えめで、いきなり強く押すことはしない。
「いきなり揉むんじゃなくて、温めて、緩めてから。これが基本だねえ」
円を描くように、ゆっくりと筋肉を動かしていく。
押されているというより、導かれているような感覚だった。
「......あ、そこ、凄いこってるかも」
「うん、その反応が出る場所は、普段よく使ってる証拠だよお」
結絆はそう言いながら、なぜそこがこりやすいのか、姿勢や呼吸の話まで交えて説明してくれる。
ただの施術ではなく、その後を見据えたアドバイスもしてくれる不思議な時間だった。
肩だけでなく、首、背中、腕へとケアは続く。
「全身はつながってるからねえ。肩だけほぐしても、他が固いままだとすぐ戻っちゃうよお」
吹寄は、いつの間にか自分の呼吸が深くなっていることに気づいた。
頭の中まで、すっきりしていく。
「最後に、朝起きたときにできる簡単なストレッチも教えるねえ」
そう言って結絆が示した動きを、彼女は夢の中で一緒に繰り返した。
そこで、夢はゆっくりとほどけるように終わった。
そして、今。
吹寄はベッドの上で背筋を伸ばし、静かに息を吸った。
「結絆のやつ、やるじゃない!」
身体が軽いだけではない。
気分まで前向きで、朝の支度をするのが億劫に感じない。
机の上には、使い終えたインディアンポーカーのカードが一枚、静かに置かれていた。
「何度でも使えるみたいだから、人気なのも納得ね」
そう呟いて、吹寄制理はカーテンを開ける。
差し込む朝日が、いつもより明るく感じられた。
快適な朝は、こうして始まったのだった。
登校中の吹寄は、いつもより足取りが軽かった。
肩にかけたバッグが、妙に軽く感じられる。
首を動かしても、昨日まであったはずの重さがどこにもない。
「......やっぱり、ただの夢じゃなかったのよね。夢の中でマッサージされて現実でこりがほぐれるのはよくわかんないけど......」
インディアンポーカーで体験した、あの不思議なマッサージ。
目が覚めたあとも、身体の調子は驚くほど良好だった。
教室に入ると、すでに何人かのクラスメイトが集まっていた。
その中に、見慣れた後ろ姿を見つける。
「あ、結絆」
声をかけると、結絆はゆっくり振り返った。
「おはよう、吹寄。今日は顔色がいいねえ」
「それよ、それ!」
吹寄は思わず一歩近づき、少しだけ声を落とした。
「インディアンポーカー、使わせてもらったわ。あれ......本当にすごいわね。肩も首も、全部軽いのよ」
結絆は一瞬だけ目を細めてから、柔らかく笑った。
「そっかあ。満足してくれたなら、発売した甲斐があったねえ」
そして、いつもの少し間のある口調で言った。
「え、発売?」
吹寄が聞き返した、その瞬間だった。
「え?今の聞いた?」
「発売って言った?」
「もしかして、あのインディアンポーカーって......」
二人のやり取りを何気なく聞いていたクラスメイトたちが、次々と反応を示す。
「ああ、インディアンポーカーは、マジックシアターで製造販売してるよお」
教室の空気が、ざわついた。
「ちょっと待って、吹寄さん。肩こりが治ったって、本当なの?」
「昨日まで、あんなに辛そうだったのに?」
「......ええ、本当だけど」
吹寄は頷いた。
「一晩で、って言うと信じにくいかもしれないけど。今朝なんて、目覚めた瞬間から楽だったわ」
その言葉に、今度は視線が一斉に結絆へ向けられる。
「結絆、お前がやったのか?」
「マッサージのインディアンポーカーって、お前の企画だったのか!?俺は抽選外れたんだよな」
残念そうに話すクラスメイトを見て、結絆は少し困ったように頭をかいた。
「まあ、そうだねえ。肩こりで困ってる人、多いみたいだったからさあ。抽選外れちゃった人はごめんねえ」
「ちょっと、それ早く言いなさいよ!」
誰かが声を上げると、次々に同意の声が重なる。
「私も肩バキバキなんだけど」
「ネトゲのし過ぎで、首が回らないのよ」
「朝起きると、もう疲れてる感じでさー」
吹寄は、その様子を見て思わず苦笑した。
「......人気が出てるって聞いてたけど、ここまでとはね」
「想像以上に人気が出て、生産が追い付いてないんだよねえ」
「俺も早く使いてー」
「ずるいー!」
「ちょ、ちょっと待ってねえ。今もどんどん生産してるから、一週間以内には全員に......」
そんな声が飛ぶ中、結絆は慌てて手を振った。
「待てないなら、直接頼めばいいぜよ!」
元春の一言が、決定打だった。
「そうそう、夢じゃなくてもいいから!」
「少しでいいから、肩だけでも揉んでくれると助かるなあ!」
結絆は一瞬、言葉に詰まったあと、吹寄の方をちらりと見る。
「......うーん、どうしたらいいかなあ?」
「どうって......」
吹寄は肩をすくめた。
「さっきの説明、ちゃんとしてたじゃない。無理しなければ、少しくらいならいいんじゃない?」
結絆は小さく息を吐いてから、にこりと笑った。
「じゃあ、休み時間限定でねえ。軽く触る程度だよお。ちゃんと説明しながらやるから」
「やった!」
「お願いしまーす!」
教室が、一気に明るい空気に包まれる。
結絆は近くの席の生徒に向かって、椅子の高さや姿勢を確認しながら、落ち着いた声で話し始めた。
「まずはこの辺りからやっていくよお、力を抜いてねえ」
「はーい!」
吹寄は、その様子を少し離れたところから眺めていた。
(......なるほど)
ただ揉むだけじゃなく、相手の状態を見て、きちんと説明もする。
夢の中と同じだった。
クラスメイトたちの表情が、次第に和らいでいくのを見て、吹寄は小さく息を吐く。
「本当に......いい朝の続き、って感じね」
そう呟きながら、彼女は自分の軽くなった肩を、そっと回してみるのだった。
インディアンポーカーは何度でも使えるという設定にしています。
脳がマッサージを受けたと錯覚することによって肩こりが治ったという流れですね。
いわゆるプラセボ効果ってやつです。