時系列がややこしくなっていますが、今回は0930事件の後に起こった話です。
夕暮れの中央公園。
予知された日、その時刻は、静かに近づいていた。
秋のはずの風はどこか生温かく、夕焼けに染まる公園には、まだ多くの人影が残っている。
遊具で遊ぶ子ども、ベンチで談笑する学生、犬の散歩をする家族連れ。
風紀委員と警備員は、事前に配置につき、念入りに巡回を行っていた。
「不審者、見当たりません」
「可燃物の持ち込みもなし。異常なしです」
無線から流れる報告は、どれも“問題なし”だった。
白井黒子は、園内中央から全体を見渡しながら、唇を噛む。
(......それでも)
美山写影の予知は、これまで一度も外れていない。
初春は端末を握りしめ、落ち着かない様子で周囲を見回していた。
「白井さん......何も起きないなら、それが一番ですけど......」
「ええ。ですが......」
その瞬間だった。
ぱちっ。
乾いた音が、公園の奥から聞こえた。
次の瞬間。
ぼっ、と不自然なほど勢いよく、炎が立ち上がる。
「......火災発生!」
誰かの叫びと同時に、警報が鳴り響いた。
火は、植え込みを起点に一気に広がっていく。
まるで、燃えることを“前提”にしていたかのように。
「くっ......!」
黒子は、悔しそうに歯噛みした。
「怪しい人物はいませんでしたのに......!」
原因不明。
それでも、立ち止まる暇はない。
「初春、避難誘導を!」
「はい!」
「各員、消火と人命救助を最優先ですわ!」
悔しさは、即座に行動へと変わった。
風紀委員と警備員が連携し、人々を安全な方向へと誘導する。
事前に準備されていた非常動線が、ここで活きた。
「落ち着いてください!走らないで!」
「こちらへどうぞ!」
黒子は、空間移動を連続で使用し、煙に包まれたエリアから人々を次々と退避させていく。
熱。
視界を遮る黒煙。
だが、混乱は最小限に抑えられていた。
初春は、消火設備の起動状況を確認しながら叫ぶ。
「散水、正常に作動してます!延焼、抑えられてます!」
警備員たちも、消火器とホースを手に、炎へと立ち向かっていた。
数分後。
炎の勢いは弱まり、被害は限定的なものに留まった。
「負傷者は......?」
初春の問いに、無線が即座に返る。
「公園内にいた人たちの避難は完了しました。負傷者はゼロです!」
その報告に、現場の空気が一瞬、安堵に包まれた。
「......よかった」
初春が、胸に手を当てて息をつく。
だが、そのとき。
「......ペロ......?」
写影の声が、震えた。
彼は、炎を見つめ、顔色を変える。
「僕の犬......ペロが......いない......!」
「え?」
「さっきまで、あの木の近くに......!」
写影は、衝動的に炎の方に向かって走り始める。
炎は消えかかっているとはいえ、まだ安全とは言えない区域だ。
「行ったらだめです!」
初春が制止する、その前に。
「......きゅん」
小さな鳴き声。
次の瞬間、炎の熱が残るエリアから、犬を抱えた黒子が現れた。
「......ペロ!」
写影が叫ぶ。
黒子は、軽く息を整えながら、ペロを地面に下ろした。
「大丈夫ですわ。少し驚いていますけれど、怪我はありませんの」
ペロは、尻尾を振りながら写影の元へ駆け寄る。
「......よかった......本当に......」
写影は、その場にしゃがみ込み、ペロを強く抱きしめた。
その目には、涙が浮かんでいる。
黒子は、そっと視線を外した。
(......救えましたわね)
人も、そして小さな命も。
やがて、火災原因の調査が始まった。
焼け跡の中心。
そこには、焦げた植物用アンプルが残されていた。
「植物アンプル......?」
初春が、眉をひそめる。
「成長促進用のものですけど......これは......可燃性の物質が使われていますね」
さらに、公園の桜の木に、黒子は視線を留めた。
「......おかしいですわね」
「え?」
「今は、秋ですのに......」
その桜には、淡い花が咲いていた。
季節外れの、あまりにも不自然な光景。
初春の言う通り、桜に対して植物アンプルが使われていたのだろう。
「植物アンプルから漏れ出た液体......」
初春が、はっとする。
「桜は広範囲に根を張っていますの。初期対応を誤れば、公園の外まで火が広がっていたかもしれませんわね」
黒子は、静かに結論づけた。
直接火をつけた犯人はいない。
だからこそ、事前の警戒網をすり抜けた。
しかし、被害者は、ゼロ。
黒子は、夕焼けに染まる公園を見渡した。
(予知された未来は、起こった)
(けれど......結果は、変えられましたわ)
初春も、写影も、そして周囲の風紀委員たちも、同じ思いを胸に抱いていた。
炎の跡に残る、静けさ。
それは、守られた未来の証だった。
火災現場に立ち込めていた黒煙はすでに薄れ、焦げた芝生と濡れた地面だけが、数十分前までの混乱を物語っていた。
夕暮れの空は、まるで何事もなかったかのように穏やかだ。
だが、公園のあちこちには消火活動の痕跡が残り、風紀委員と警備員たちが最後の確認作業に追われている。
負傷者は、ゼロ。
その事実だけが、現場にいる全員の胸をかろうじて支えていた。
「......本当に、誰も怪我をしなくてよかったです」
初春が、ほっと息をつきながら言った。
「ええ。予知がなければ、こうはいかなかったでしょうね」
黒子は手帳を閉じながら、公園の奥に視線を向ける。
その近くで、写影は一人、少し距離を取って立っていた。
(......もう一度、念写を)
胸の奥で、そんな衝動が湧き上がる。
今回の火災は、予知通りに起きた。
だが、まだ原因の詳細や、アンプルがいつ、誰によって仕込まれたのかまでは完全に掴み切れていない。
今回は人的被害が出る前に食い止めることができたが、再び火事が起これば被害を防げる保証はない。
ならば、もう一枚......
写影は無意識のうちに、ポケットの中のカメラに指をかけていた。
「......写影」
その動きを、黒子は見逃さなかった。
すっと歩み寄り、彼女の前に立つ。
「それ以上は、いけませんわ」
「え......?」
「あまり念写をしすぎると、体を壊しますわよ。自分の体も大切にしなさいな」
きっぱりと、しかし柔らかな声だった。
写影は一瞬、言葉を失う。
そして、自分の視界の端がわずかに揺れていることに、ようやく気付いた。
胸の奥が重く、頭の奥が鈍く痛む。
火災が収まった今、張り詰めていた緊張が解け、疲労が一気に押し寄せてきていた。
(......ああ、やっぱり)
自覚は、ずっとあった。
念写を使うたびに、回復にかかる時間が長くなっている。
以前なら一晩で抜けた疲労が、最近は数日残ることもある。
能力が成長しているのと同時に、体への負担も増している。
写影は、ゆっくりと息を吐き小さく頷いた。
「......わかったよ」
「分かってもらえたなら、それでいいですわ」
その様子を見て、黒子は少しだけ表情を和らげた。
「大丈夫ですか?顔色、ちょっと悪いですよ」
初春も、写影のそばに来て、心配そうに覗き込む。
「大丈夫......とは、言えないかな」
写影は苦笑しながら答えた。
「正直、今回でよく分かったよ。......もう、無理はできないって」
少し間を置き、そして続ける。
「だから、しばらくは能力の使用を控える。体調がちゃんと戻るまでは、念写は最低限にする」
黒子と初春は、黙って耳を傾けている。
「その代わり」
写影は、二人をまっすぐに見た。
「もし、能力の強度が上がって、ちゃんと自分で制御できるようになったら......今度は、僕も風紀委員になって二人を支えたい」
その言葉に、初春が目を見開く。
「えっ......!」
「白井たちを、今度は内側から支えたいと思っている。予知や念写で事件を知らせる側としてじゃなくて、一緒に現場に立って、助ける側として」
それは、静かだが強い決意だった。
「......素敵な目標ですわね」
黒子は一瞬、驚いたように目を瞬かせ、すぐに微笑んだ。
「本当です!写影くんが風紀委員になったら、すごく心強いです!」
初春も、嬉しそうに声を弾ませる。
「でもそのためには、まずは体を治さないと、ですわね!」
黒子は少しだけ人差し指を立てる。
「風紀委員は、健康第一ですのよ?」
「......うん」
写影は、今度ははっきりと頷いた。
焦げた公園の中で、秋なのに咲く桜の花びらが、ひらりと舞い落ちる。
不自然で、歪な光景。
だがその下で交わされた約束は、確かに未来へと続いていた。
次は、守られる側ではなく、守る側として。
夕焼けの空の下、写影の胸には、静かな温もりが広がっていた。
今回で天賦夢路編はおしまいです。
次回からは番外編を挟んでから0930事件編となります。