食蜂操祈のお兄様   作:とんこつスープ

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ヴェント戦と、その後の話です。


VSヴェント、事件の終わり

 嵐の中心へと、結絆が踏み出そうとした瞬間だった。

 

轟ッ!!

 

視界を埋め尽くす灰色の壁。

 

とてつもない突風が、まるで意志を持ったかのように正面から叩きつけられる。

 

空気そのものが刃となり、地面の瓦礫や看板の残骸、アスファルト片を巻き込みながら一直線に襲いかかる。

 

「......っ」

 

結絆の身体が後方へ押し流される。

 

足元のコンクリートがひび割れ、靴底が数メートル滑る。

 

通常なら人間が簡単に肉片になるほどの暴風。

 

結絆は、冷静に対応して衝撃を逃したが、近づくことが困難だった。

 

風圧が層を成し、まるで透明な壁のように何重にも重なっている。

 

その中心に、こちらを見据える前方のヴェント。

 

彼女の手にした杖状のハンマーが不気味に揺れる。

 

「......近寄れるものなら、やってみなさい」

 

風が吠える。

 

結絆は髪を乱されながら、軽く肩をすくめた。

 

「ここまで風がきついとダメージはなくても近づくのが大変だねえ。というか、髪がボサボサになるから困るねえ」

 

その言葉と同時に、さらに強烈な風圧が重なる。

 

周囲のガラスが砕け、電柱が軋む。

 

地面を削り取る竜巻の尾が、蛇のようにうねる。

 

結絆は一歩踏み出す。

 

しかし、空気の壁が押し返す。

 

術式で増幅された風。

 

空間の運動エネルギーを暴力的に支配する力。

 

「風が邪魔だから、とりあえずぶった切るよお」

 

結絆はマスターソードを召喚して踏み込む。

 

「実体がなくても斬れるからねえ」

 

振り抜かれた一閃。

 

剣先から放たれた光の軌跡が、縦一直線に嵐を断つ。

 

ゴウ、と唸っていた風が、音を失う。

 

まるで巨大な布を裂いたように、暴風が左右へ割れた。

 

空に裂け目が走る。

 

その瞬間、結絆の姿が消える。

 

次の瞬間には、ヴェントの目前。

 

「!?」

 

ヴェントが咄嗟に杖状のハンマーを掲げる。

 

鈍い金属音。

 

マスターソードとハンマーが激突する。

 

衝撃波が放射状に広がり、周囲の瓦礫を吹き飛ばす。

 

ヴェントの腕が軋む。

 

「くっ......!」

 

ガードは間に合った。

 

だが、完全ではない。

 

結絆の剛力が、ハンマー越しに風の術式を削り取る。

 

風の壁が次々と断ち切られ、術式の層が崩れていく。

 

「クソッ......!」

 

ヴェントが力を込める。

 

だが結絆はさらに踏み込む。

 

バキリ、と空気や結界が砕ける音がした。

 

次の瞬間、ヴェントの身体が後方へ弾き飛ばされた。

 

街灯が根元から折れ、彼女は数十メートル先のビル壁面へ叩きつけられる。

 

衝撃で外壁が砕け、粉塵が舞う。

 

風が一瞬、止まった。

 

嵐の中心に、わずかな静寂。

 

結絆はゆっくりと剣を構え直す。

 

暴風はまだ完全には消えていない。

 

ヴェントが瓦礫の中から立ち上がる。

 

口元から血を拭い、憎悪に満ちた目で睨む。

 

「やってくれるじゃない......」

 

ヴェントは息を切らしながらハンマーを構えなおす。

 

雷鳴が轟き、再び風が唸りを上げた。

 

 

 

崩れた外壁の粉塵がゆっくりと落ちていく。

 

瓦礫の中から立ち上がったヴェントは、折れた街灯を蹴り飛ばし、再び空中へと浮かび上がった。

 

その背後で風が渦を巻く。

 

結絆はマスターソードをゆっくりと下ろし、構えを解く。

 

剣を消すわけではない。

 

ただ、今は対話の余地を残すという意思表示。

 

「......これ以上はやめておいた方がいい」

 

嵐の中でも不思議と届く、穏やかな声。

 

「学園都市とローマ正教の関係をこれ以上悪化させたら戦争になるから、これ以上は何もせずに帰ってほしいねえ」

 

ヴェントの瞳がぎらりと光る。

 

「戦争?それがどうしたというの」

 

風が唸る。

 

「科学は私の弟を殺した。私はその報いを与えに来ただけ」

 

彼女の足元に円環が広がる。

 

術式陣が重なり合い、天へと伸びる風柱が形成される。

 

「これは復讐よ。科学への復讐として、学園都市を潰す」

 

空気が変質する。

 

ただの風ではない。

 

より高位の何かが降りてくる気配。

 

天使の力。

 

街全体を押し潰しかねない圧力が、空を覆う。

 

結絆は静かに目を細めた。

 

「本気かあ......」

 

ヴェントの背後に、巨大な翼のような風の構造体が展開される。

 

暴風が渦を成し、彼女の手にある杖状のハンマーへと収束する。

 

空気が軋み、地面が割れる。

 

「死ね、異端者ッ!」

 

振り下ろされるハンマー。

 

風を纏い、質量と速度を増幅された一撃。

 

その一振りは辺り一帯を消し飛ばせる威力を持つ。

 

だが、結絆は動かない。

 

逃げもしない。

 

ハンマーが直撃して轟音が鳴る。

 

衝撃波が四方へ弾け、周囲の建物の窓が一斉に砕け散る。

 

アスファルトが抉れ、爆風が街路を削る。

 

しかし。

 

煙が晴れた先に立っていたのは、無傷の結絆だった。

 

衣服すら裂けていない。

 

ヴェントの瞳が見開かれる。

 

「......なっ」

 

「痛くもかゆくもないねえ」

 

結絆は軽く首を鳴らす。

 

ヴェントが再びハンマーを引く。

 

だが、焦りによってその動作は一瞬遅れた。

 

結絆が踏み込む。

 

しかし、その速度は人の認識を超えている。

 

「復讐は理解できなくもないけどねえ」

 

拳が握られる。

 

「それでこの街を潰されるわけにはいかないよお」

 

結絆の拳が、ヴェントの顎へねじ込まれる。

 

乾いた衝撃音と共に、ヴェントの視界が跳ね上がる。

 

脳を揺らす衝撃で彼女は一瞬意識を失い、ハンマーが手から離れ、くるくると回転しながら落下する。

 

ヴェントは空中で体勢を失い、そのまま地面へと叩きつけられた。

 

風は急速に弱まり、嵐の中心が崩れていく。

 

雷鳴が遠ざかる。

 

結絆はゆっくりと歩み寄る。

 

倒れたヴェントの前で立ち止まる。

 

「勝負あり、だねえ」

 

静かな宣告。

 

ヴェントは意識を保とうとするが、視界が霞む。

 

天使の力も消えていき、術式が完全に途切れる。

 

暴風はただの強風へと変わり、やがて雨音だけが残る。

 

結絆は空を見上げる。

 

黒雲の隙間から、わずかに夜空が覗く。

 

「戦争なんて、誰も望んでないんだよお」

 

ぽつりと呟く。

 

そして通信を開く。

 

「沙羅、外は片付いたよお。救護班をお願いねえ」

 

『結絆君、お疲れ様』

 

返答が届く。

 

結絆は再びヴェントへ視線を落とす。

 

彼女は完全にダウンしている。

 

嵐は終わったが、学園都市とローマ正教の間に残る火種は消えていない。

 

それでも今夜は少なくとも街は守られた。

 

 

 

 ヴェントを倒したことで雨脚は弱まりつつあったが、依然として雨や風は止まらない。

 

倒れ伏した彼女の周囲で、結絆は静かに立っていた。

 

その時だった。

 

空気の奥に、わずかな“質量”を感じる。

 

重く、しかし澄んだ圧。

 

結絆は肩越しに視線を流し、口元をわずかに緩めた。

 

「......久々だねえ、オルウェル。元気にしてたかい?」

 

返答の代わりに、背後の闇がゆっくりと揺らぐ。

 

雨粒が、そこだけ弾かれる。

 

次の瞬間、結絆の背後に一人の男が立っていた。

 

後方のアックア。

 

本名をウィリアム=オルウェルという。

 

聖人としての重圧と、武人としての落ち着きを纏った巨躯が、静かに息を吐く。

 

「......相変わらずであるな、結絆」

 

低く、よく通る声。

 

視線は倒れているヴェントへ向けられている。

 

「間に合わなかったか」

 

「いやあ、ちょうどいいタイミングだよお。流石にヴェントの身柄を科学サイドで拘束するって選択肢は取りたくないからねえ」

 

結絆は軽い調子で話すが、その奥にある緊張はオルウェルにも伝わっている。

 

彼はヴェントの傍に膝をつき、状態を確認する。

 

呼吸はある。

 

致命傷はない。

 

「......感謝する」

 

「どういたしまして」

 

結絆はポケットに手を入れ、肩をすくめた。

 

「これ以上ローマ正教との関係を悪くしたくないからねえ。戦争なんて、面倒だし」

 

オルウェルは小さく頷く。

 

「私も、無益な衝突は望まん」

 

彼の言葉には嘘がない。

 

今夜の暴走が、どれほど危うい均衡の上にあったかも理解している。

 

「ヴェントは私が連れて帰る。責任は取らせよう」

 

「そうしてくれると助かるよお」

 

しばし、沈黙。

 

雨音だけが二人の間を満たす。

 

「......しかし」

 

オルウェルがわずかに目を細める。

 

「結絆よ、強くなったのであるな。天使の力を真正面から受けて無傷とは」

 

「慣れだよお」

 

「慣れで済ませていいものではないが......」

 

短い苦笑。

 

その空気に、わずかに昔の気配が混じる。

 

異国の地で弱者を逃すために共闘した思い出。

 

「そういえば......」

 

結絆はふと、思い出したように指を鳴らす。

 

空間がわずかに歪む。

 

次の瞬間、一本のワインボトルが手の中に現れる。

 

重厚なガラス瓶。

 

封蝋付きの高級品。

 

「騎士団長が君に会いたがってたよお」

 

軽い調子で差し出す。

 

「これ、預かってたんだあ」

 

オルウェルの眉がわずかに動く。

 

「......あいつがか?」

 

「元気かどうか気にしてたよお。表情には出てなかったけど、かなり心配してたねえ」

 

オルウェルは一瞬、空を仰ぐ。

 

そして苦笑する。

 

「......まったく」

 

受け取ったボトルの重みを確かめるように軽く振る。

 

「余計な気遣いを」

 

「嬉しそうだねえ?」

 

「......否定はせん」

 

短い沈黙のあと、オルウェルはヴェントを肩に担ぐ。

 

その動作は驚くほど静かで丁寧だ。

 

「借りを作ってしまったのであるな」

 

「気にしなくていいよお。今夜はお互い様ってことで」

 

結絆は手を振る。

 

「またゆっくり話そう。戦場じゃないところでねえ」

 

「ああ......」

 

オルウェルの身体が、ゆっくりと雨の中に溶けるように消えていく。

 

聖人の気配が遠ざかる。

 

嵐はほぼ止み、雲の隙間から月光が差し込む。

 

静まり返った街路に、結絆だけが残る。

 

「......やれやれ」

 

軽く息を吐く。

 

「本当に面倒だねえ、世界ってやつは」

 

それでも、その瞳は穏やかだった。

 

今夜は守り切った。

 

結絆は空を見上げて静かに微笑み、何事もなかったかのようにマジックシアターへと戻っていった。

 

 

 

 空間が静かに裂け、結絆はマジックシアターのロビーへと戻ってきた。

 

嵐の名残を纏った夜気が、ゆっくりと室内の暖かな空気に溶けていく。

 

豪奢なシャンデリアの光が静かに揺れ、まるで彼の帰還を待っていたかのように静謐な空間が広がっていた。

 

正面階段の上に、二つの影。

 

「おかえりなさい、結絆さん」

 

弓箭入鹿が駆け寄ってくる。

 

その隣で、猟虎が腕を組んだまま、ほんのわずかに口元を緩めている。

 

結絆はほっとしたように肩の力を抜いた。

 

「ただいまあ」

 

その一言には、戦場で見せていた緊張の色はない。

 

階段を上がり、二人の前に立つ。

 

「無事でよかったです」

 

入鹿が言い終える前に、結絆は軽く両腕を広げた。

 

ほんの一瞬、姉妹は視線を交わす。

 

そして、そっと、しかし確かに抱擁を交わす。

 

「......風、強かったですよね」

 

「うん、髪型が台無しだよお」

 

「元々整ってません」

 

「ひどいねえ」

 

くすり、と入鹿が笑う。

 

その温もりが、今夜の激戦の現実を静かに遠ざける。

 

猟虎は腕を離しながら低く言う。

 

「猟犬部隊は排除済み。洗浄作業も問題なしです!」

 

「さすがだねえ。二人とも本当に頼りになるよお」

 

その言葉に、猟虎は目を逸らし、入鹿は少しだけ頬を染めた。

 

その時。

 

ロビー奥の扉が勢いよく開く。

 

「結絆さーん!」

 

現れたのはナース服姿の看取。

 

純白のナースキャップに、短めのスカート。

 

胸元には赤い十字のワッペン。

 

どこか舞台衣装のような、少し誇張されたデザインだ。

 

結絆は一瞬きょとんとし、次の瞬間吹き出した。

 

「結絆さん、痛いところはない?」

 

真剣な顔で駆け寄る看取。

 

結絆はわざとらしく顎に手を当てる。

 

「うーん......」

 

少し考えるふりをしてから。

 

「看取のナース服姿を見て痛いのは吹っ飛んだよお。まあ、元々怪我してないけどねえ」

 

一瞬の沈黙。

 

そして。

 

「なっ......!」

 

看取の顔が一気に赤くなる。

 

「ふざけてる場合じゃないでしょ!」

 

「いやいや、本気で元気出たって」

 

入鹿がくすくす笑い、猟虎が小さくため息をつく。

 

ロビーの空気が一気に柔らぐ。

 

戦いの匂いが、ゆっくりと消えていく。

 

「でも、本当に無事でよかった......」

 

看取が小さく呟く。

 

「さっきまで結絆さんが戦っていた敵も退けたの?」

 

「友人が回収してくれたよお。これ以上は荒れないはずだねえ」

 

そして、結絆はロビー中央へ歩き、振り返る。

 

「皆、今日は本当にありがとう。今夜は俺一人じゃどうにもならなかった。マジックシアターは、そして学園都市は、皆で守ったんだよお」

 

その声音は柔らかいが、真剣だ。

 

「守るべき場所ですから」

 

入鹿が頷く。

 

「当然のことをしただけ」

 

猟虎の声もどこか誇らしい。

 

「勝利祝い、やっちゃう?」

 

看取は両手を腰に当てる。

 

「いいねえ」

 

結絆は笑う。

 

「盛大にはできないけど、ささやかにねえ」

 

その言葉を合図に、ロビーの照明が少しだけ明るくなる。

 

遠くでスタッフたちの歓声が上がる。

 

誰も大きく騒がない。

 

だが確かな達成感が、空間を満たしている。

 

嵐は去り、脅威は退けた。

 

猟犬部隊も、神の右席も。

 

今夜、マジックシアターは守られ、学園都市も最悪の事態は免れた。

 

結絆は三人を見渡す。

 

「さあ、ひとまず休もうかあ」

 

看取が頷き、入鹿と猟虎は微笑んだ。

 

温かな光の中で、彼らは確かな勝利を分かち合った。

 

戦いは終わった。

 

少なくとも、今夜は......

 

 

 

 湯気の残る廊下を、結絆はゆっくりと歩いていた。

 

戦闘の緊張を洗い流すように、長めに浸かった風呂。

 

大浴場で看取や弓箭姉妹と過ごした時間は、極上のものだった。

 

身体の芯に残っていた疲労がようやく表に出てきた感覚がある。

 

「......ふう」

 

自室の扉を開ける。

 

柔らかな照明と、静かな空間。

 

窓の外では、嵐の名残の雨がしとしとと降っているだけだった。

 

軽く体をほぐしながらベッドへ向かい、腰を下ろす。

 

「今日は本当に長い一日だったねえ......」

 

そう呟いた瞬間。

 

コン、と控えめなノック。

 

「沙羅と白羽だねえ、開いてるよお」

 

扉が静かに開く。

 

そこに立っていたのは沙羅と白羽だった。

 

「起こしちゃったかしら?」

 

沙羅が柔らかく微笑む。

 

白羽はいつものように穏やかな瞳でこちらを見つめている。

 

「まだ寝てないよお。二人とも、どうしたんだい?」

 

「......少しだけ、お話をしたいと思いまして」

 

白羽が静かに言う。

 

結絆は苦笑しながらベッドの端を叩いた。

 

「二人とならいくらでも話していられるよお」

 

三人で並んで腰を下ろす。

 

部屋の空気が、ほんの少しだけ温かくなる。

 

「外は片付いたの?」

 

沙羅が問いかける。

 

「うん。ヴェントはオルウェルが連れて帰った。大きな火種は消えたよお」

 

「流石は結絆君ね」

 

彼女は小さく息を吐いた。

 

白羽が静かに続ける。

 

「猟犬部隊の件も、終わりました。動物たちも落ち着いています」

 

「ありがとう。白羽も沙羅も、本当に助かったよお」

 

素直な言葉。

 

二人は少しだけ視線を逸らす。

 

「結絆君のためなら何だってするわよ」

 

「嬉しいねえ、愛してるよお」

 

「このタイミングで言われると安っぽく聞こえるわね......」

 

結絆と沙羅のやり取りに、白羽がくすりと笑う。

 

しばし、静かな時間が流れる。

 

雨音が遠くで優しく響いている。

 

「......結絆様」

 

白羽が名を呼ぶ。

 

「今日は、無理をしましたね」

 

「してないよお」

 

「しました!」

 

きっぱりと言われると、結絆は白羽には勝てない。

 

「まあ、ちょっとだけねえ」

 

その優しい叱責に、結絆は観念したように笑う。

 

「こちらへ」

 

白羽はゆっくりと立ち上がり、ベッドの上で正座する。

 

「え?」

 

促されるまま、結絆が横になる。

 

次の瞬間。

 

ふわり、と柔らかな感触。

 

「おおぉ......膝枕だねえ」

 

「はい」

 

優しい声。

 

沙羅がその様子を見て、ほんの少しだけ口元を緩める。

 

「本当に子供みたいね」

 

「沙羅もやってくれるかい?」

 

「言ってくれたら好きなだけやってあげるわよ」

 

そう言いながらも、彼女はそっと結絆の頭に手を伸ばした。

 

指先が、髪をやさしく撫でる。

 

一定のリズム。

 

落ち着く動き。

 

「......気持ちいい」

 

結絆が目を閉じる。

 

白羽の膝は温かく沙羅の手は丁寧で、心が落ち着いていくのを結絆は感じていた。

 

「今日は本当に、ありがとうねえ」

 

小さな声。

 

「いえいえそんな、結絆様が無事でよかったです」

 

白羽が静かに答える。

 

「結絆君が怪我したら、相手を八つ裂きにしないと気が済まないから」

 

「うーん、愛されてるねえ」

 

沙羅の手が一瞬止まり、その後少しだけ強く撫でる。

 

白羽は結絆の額にかかる髪をそっと払う。

 

「お疲れさまでした」

 

その一言が、胸に染みる。

 

結絆はゆっくりと息を吐いた。

 

「......幸せだねえ」

 

「はい」

 

「......そうですね」

 

三人の間に、穏やかな静寂が広がる。

 

戦いも、嵐も、緊張も。

 

今はすべて遠い。

 

白羽の膝の上で、結絆の呼吸が次第にゆっくりになる。

 

沙羅は、最後まで優しく頭を撫で続けていた。

 

守るべき場所。

 

帰るべき場所。

 

マジックシアターの夜は、穏やかに更けていった。




0930事件自体の話はこれで終わりです。

次回からはその翌日の話になりますが、そこまでまとめて0930事件編とする予定です。
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