翌朝。
大型台風は完全に消滅し、空は澄み渡っていた。
そして、マジックシアターのダイニングホールには、朝から異様な光景が広がっていた。
長いテーブルの上に並ぶ料理の山。
ご飯は大盛りが三杯分ずつ。
焼き魚、卵焼き、煮物、肉料理、サラダ、パン、果物。
さらにスープや味噌汁まで湯気を立てている。
そして、その中央で......
「いただきます」
結絆が箸を持ち、勢いよく食べ始めた。
普段からよく食べる方ではあるが、今日も結絆は絶好調だ。
ご飯をかき込み、魚をほぐし、味噌汁をすすり、間髪入れずに次の皿へ。
周囲で見守る面々が思わず目を丸くする。
「相変わらず......すごい量ですわね」
弓箭入鹿が小声で呟く。
「昨日あれだけ動けば、当然です」
猟虎は腕を組みながらも、どこか満足そうだ。
「身体がエネルギーを欲しているのでしょう」
白羽は穏やかに微笑んでいる。
結絆は一息ついて、満足そうに息を吐いた。
「やっぱり朝ごはんは大事だねえ。昨日はカロリー消費が激しかったから尚更だよお」
そう言いながら、次の茶碗に手を伸ばす。
一方で、テレビ画面に映るニュース映像に、美琴は眉をひそめていた。
『昨夜未明、学園都市にて大規模な暴風被害が発生――』
「なによ、これ......」
画面には、倒れた街灯、割れた窓、抉れたアスファルト。
「台風という規模ではありませんの」
白井黒子も画面を覗き込む。
「でも、気象データは異常なしって言ってるわよ?」
美琴は腕を組み、少し考える。
学園都市内部で、これだけの被害。
しかも情報規制が妙に早い。
「......まさか」
「お姉様、わかってますわよ」
美琴のつぶやきを聞いた黒子が目を細める。
「......そうね」
「こういう事件に対応して、なおかつ街を守れるのは......あいつくらいでしょ」
「結絆さん、また無茶を......」
「うーん、やっぱり美琴と黒子にはすぐばれちゃったねえ」
結絆は特に気にする様子もなく満足そうな表情で主菜を食べ終え、湯気の立つ味噌汁に手を伸ばす。
「いただきまあす」
一口。
ふわりと広がる出汁の香り。
優しい塩味。
豆腐とわかめの柔らかな食感。
結絆は目を細めた。
「......潤子の作った味噌汁を飲むと、日常に戻ってきた感じがするねえ。毎日飲みたいよお」
一瞬、空気が止まる。
テーブルの向こう側で、帆風潤子が固まった。
「はうぅ......」
じわじわと。
顔が赤くなる。
首まで、耳まで、ついには全身が真っ赤になる勢いだ。
「ま、毎日って......!」
手にしていたお盆をぎゅっと握る。
「そんな......そんなの......!」
言葉にならない。
「嬉しいのですね」
白羽が微笑む。
「は、はい......!」
帆風の視線は定まらず、明らかに照れているのがわかる。
結絆はきょとんとしながら首を傾げる。
「本気で美味しいと思ってるよお。出汁の取り方、前より上手くなってるし」
「そ、そんな......」
潤子は両手で顔を覆う。
「そ、そんなに褒められると......!」
「潤子ちゃんは本当に結絆さんのことが大好きですよね」
入鹿が帆風の隣でそうつぶやく。
「平和が戻ってきたってことです」
猟虎も味噌汁を飲んで幸せそうな顔をしている。
「はい。頑張った甲斐がありますね」
白羽は静かに頷いた。
その後、結絆は味噌汁を飲み干し満足そうに息を吐く。
「よし、今日も頑張れそうだねえ」
窓の外には、穏やかな青空。
昨日の嵐が嘘のようだ。
ニュースでは被害の復旧作業が進められていると報じられている。
だが、今はテーブルの上にある温かな朝食と、仲間たちの笑顔を満喫すべきだ。
結絆はもう一度茶碗を持ち上げる。
「潤子、お味噌汁おかわりだよお」
潤子が慌てて立ち上がる。
「はい、すぐに用意します!」
嬉しそうな表情で味噌汁を用意する帆風を見て、皆が笑う。
戦いの夜は終わった。
日常は、ちゃんと戻ってきている。
少なくとも、この場所では。
場面は変わって最近出番の少ない二人へ......
一週間のイタリア旅行を終え、スーツケースを引きながら学園都市へ戻ってきた当麻と操祈は、空港の改札を抜けた瞬間に足を止めた。
ちなみに原作と違って、ビアージオとの戦いで当麻は重傷を負っていないので、二人はしっかりとイタリア観光を楽しんでいる。
「な、なあ......操祈」
当麻がぽつりと呟く。
「俺の目がおかしいのか?」
操祈はサングラスを外し、ゆっくりと周囲を見渡す。
「当麻の目は正常よぉ。街のほうが異常だわぁ」
視界に広がるのは、足場に囲まれたビル群。
ブルーシートで覆われた建物に抉れた道路。
辺りではクレーン車と作業員が至るところで動いている。
つい一週間前まで見慣れていた景色とは、明らかに違っていた。
「......デカい戦いでもあったのかよ?」
「その可能性を否定できないのが怖いわぁ」
二人は顔を見合わせる。
ヴェネツィアの運河やローマのコロッセオなどの多数の観光地を満喫して帰ってきたら、自分たちの街が半壊している。
現実逃避をしてしまうのも無理はない。
マジックシアターへ向かう途中、被害はさらに顕著になる。
近くのビルの上半分が消え、信号機がねじ曲がり、舗装が剥がれている。
「操祈、これ保険おりるレベルか?」
「保険会社のビルも壊れてて同じことを考えてるんじゃなぁい?」
そんな軽口を叩きつつも、二人の足取りは自然と早くなる。
そして、マジックシアターの前。
「お、帰ってきたねえ」
軽やかな声が飛ぶ。
瓦礫の脇に立っていたのは、結絆だった。
「結絆!」
当麻がその存在に気付く。
「何があったんだよ!?俺たちは一週間いなかっただけだぞ!?」
操祈も腕を組む。
「お兄様、何があったのよぉ?」
結絆は悪びれもなく肩をすくめた。
「ちょっと大きめの戦いがあってねえ。侵入者とか魔術師とかが来ちゃって......」
「......は?」
「......はあ?」
声が重なる。
「まあ、なんとか退けたよお。街はこの通りだけど......あ、マジックシアターの被害は0だよお」
さらりと言う。
当麻は、ひとまずほっとしながら周囲を見回し、そしてふと気づく。
「......なあ」
指差す先。
骨組みだけになった建物の残骸。
「俺たちの高校、なくなってないか?」
結絆はあっさり頷いた。
「常盤台中学は無事だけど、俺たちの通ってる高校は吹っ飛んだよお」
沈黙。
風が吹き抜ける。
「............」
当麻の思考が止まる。
「......操祈」
「どうしたの、当麻?」
「今、すごいこと聞いたよな?」
「ええ。高校が吹き飛んだって言ってたわねぇ」
「物理的に?」
「物理的に」
「............」
当麻は真顔になった。
「よし、考えてもしょうがねえな」
「早いわねぇ、スルー力が高いわぁ」
「だって処理できねえだろ!?俺たちの教室どこ行った!?」
操祈は小さく笑う。
「仮設校舎になるんじゃなぁい?」
「プレハブか......」
遠い目。
結絆は手をひらひら振る。
「まあまあ。復旧作業は順調だよお。今日はどの学校も休校だし、安全確認優先」
「......休校?」
当麻が反応する。
「うん。復旧のため。今日は完全オフ」
一拍。
「助かったああああ!流石にこの状況で授業は無理だよな」
当麻がほっと息を吐いた。
「不幸のあとにこれか。操祈、今日はもう何もしないぞ!」
「賛成。旅の疲れを癒したいわぁ」
二人は同時にうなずいた。
マジックシアターは幸い被害を免れている。
自分たちの帰る場所は、ちゃんと残っていた。
中へ入ると、いつもの匂いと空気が迎えてくれる。
「......なんかここに戻ってくると安心するよな」
当麻がぽつりと呟く。
「そうねぇ。ここが無事でよかったわぁ」
結絆が振り返る。
「とりあえず荷物置いてさあ、のんびりしようよ。潤子の味噌汁もあるし」
「それは魅力的だな」
「当麻、食べ物に釣られてるわよぉ」
「大体一週間ぶりぐらいの和食だから楽しみなんだよ!」
窓の外ではクレーンが動き、作業員が行き交う。
街はまだ傷だらけだ。
高校も消えた。
けれど。
「まあ、生きて帰ってこれたしな」
当麻がソファに倒れ込みながら言う。
「ええ。それが一番よぉ」
操祈も隣に腰を下ろす。
「今日はくつろいだらいいよお。」
結絆はそんな二人を見て、柔らかく笑った。
ボロボロの学園都市の真ん中で。
マジックシアターだけは、いつも通りの空気に包まれていた。
マジックシアターの近くにある天然温泉。
結絆が以前に美琴と一緒に入った温泉とは別の場所である。
風呂好きの結絆は、マジックシアターの内外に多数の大浴場や温泉を持っているのだ。
湯気が立ちのぼるその空間は、外の喧騒とは切り離された別世界のようだった。
「今日は特別に貸し切りだよお」
結絆がにやりと笑いながら言う。
「当麻と操祈、旅行お疲れ様サービス」
「マジか!?」
当麻が目を輝かせる。
「太っ腹だな、結絆!」
「一週間ぶりの日本の温泉よぉ。ありがたく使わせてもらうわぁ」
操祈も満足げに微笑む。
「他のみんなには時間をずらしてもらってるから、ゆっくりしてきなよお」
結絆はひらひらと手を振った。
「それじゃ、ごゆっくり」
衣服を脱ぎ、かけ湯をしてから湯船へ足を入れる。
「......っはあああ......」
当麻が思わず声を漏らす。
「生き返る......」
操祈もゆっくりと肩まで浸かる。
「やっぱりここの温泉は最高だわぁ」
体を包む柔らかな熱。
石造りの浴槽に反射する湯の揺らめき。
学園都市に帰ってこれたという安心感が、じんわりと広がっていく。
「一週間、結構歩いたよな」
「ええ。特にヴェネツィアは歩きっぱなしだったわねぇ。疲労力で足が棒になったわぁ」
操祈がくすりと笑う。
「水の都って言えば聞こえはいいけどぉ、タクシーがなかったのは不便よねぇ」
「あの石畳、長時間歩いてると足にくるんだよな......」
当麻は湯に身を預けながら天井を見上げる。
「でもさ、ゴンドラはすごかったよな」
「そうよねぇ、運河をゆっくり進む感じ、まるで映画みたいだったわぁ」
「操祈は、結構はしゃいで写真撮りまくってたよな」
「当麻もでしょぉ?ゴンドラに乗ってる時に見つけた仮面屋さんの前で妙に真剣な顔してぇ」
「いや、あれは雰囲気に飲まれてだな......!」
二人の笑い声が湯気に溶ける。
しばしの沈黙のあと、当麻が思い出したように言う。
「ナポリも印象的だったな」
「ええ、あの博物館の像」
「アトラスのやつな」
当麻は身振りを交える。
「俺、最初はマジックシアターの水族館にいるイルカの像があると思ってさ」
「ふふ」
「行ってみたら、イルカどころか、筋肉ムキムキのおっさんが地球みたいなのを背負ってて」
「神話の巨人だものねえ」
「想像と違いすぎてびびったぞ」
「当麻、あのとき本気で『イルカはどこだ?』って探してたものねえ」
「だってアトラスって聞いたらそう思うだろ!」
結絆のネーミングセンスがおかしいだけである。
当麻の話を聞いて、操祈は楽しそうに肩を揺らす。
「でも、ああいう歴史のある街っていいわねぇ。人々の歩みが積み重なってる感じがして」
「学園都市とは真逆だよな」
当麻が湯面を見つめる。
「こっちは最新技術の塊だし」
「その代わり、壊れても直るのは早いわよぉ」
操祈が窓の外をちらりと見る。
遠くでクレーンが動く影が見える。
「今日見たでしょ?あの作業スピード」
「まあな......」
高校の残骸を思い出す。
「正直ショックだったけどさ」
「当麻、考えてもしょうがないわよぉ。先生もクラスメイトも無事ならなんとかなるじゃなぁい」
「そうだよな」
当麻は首まで湯に沈める。
「どうせすぐ仮設の教室ができて、気づいたら元通りなんだろ」
「学園都市の技術力は恐ろしいわねぇ」
操祈は穏やかに言う。
「それにさ」
当麻が目を閉じる。
「俺たちの帰る場所は残ってたからな」
「マジックシアターは無事でほっとしたわぁ」
「それだけで十分だな」
操祈は小さく頷く。
湯気の向こうで、当麻の表情はすっかり緩んでいる。
「旅行も楽しかったけどぉ、やっぱりここが一番落ち着くわぁ」
操祈がぽつりと呟く。
「だな!」
当麻が笑う。
「温泉もあるもんな!」
「お兄様に感謝ねぇ」
「あとでちゃんと礼言っとかないとな」
二人は肩を並べ、静かに湯に浸かる。
ヴェネツィアの運河。
ナポリでの思い出。
石畳の感触。
そして今、温泉のぬくもり。
時間がゆっくりと流れていく。
「......なあ、操祈」
「なぁに?」
「明日からまた色々あるんだろうな」
「ええ、きっとねぇ」
「でも今日は」
「今日は?」
「何も考えずにくつろぐ」
操祈は柔らかく微笑む。
「賛成よ、当麻」
学園都市は傷だらけだ。
けれど、その再生力を二人は知っている。
きっと、また元通りになる。
その過程で騒動も起きるだろう。
「はあ......極楽」
当麻が大きく息を吐く。
「本当、生き返るわぁ」
操祈も目を閉じる。
湯気に包まれながら、二人は旅の疲れをゆっくりと癒していった。
この温泉の中だけは、穏やかな時間が流れていたのだった。
次回からは、結絆視点に戻ります。