キッチンの空気はまだどこか甘く、からかい半分の笑いが残っていた。
そんな中、ミサカがふと、口元をわずかに緩める。
「そういえば」
「......何よ、その顔」
美琴は嫌な予感しかしないという表情でミサカを見る。
「結絆が任務終わりの部下とうさ耳バニーの良さについて話していましたね、とミサカは結絆がうさ耳バニーを求めていることをお姉様に伝えます」
ぴしり、と空気が凍った。
「......は?」
ゆっくりと、美琴の視線が結絆へ向く。
「本当なの?結絆」
じと目。
明らかに疑いと呆れが混ざっている。
結絆は一瞬だけ目を瞬かせ、それから苦笑した。
「いやいや、求めてるっていうか、雑談だよお?世の中にはいろんな衣装があるよねえ、って話をしてただけで......」
「へえ、うさ耳バニーの良さを語る雑談?」
「文化論だよ文化論」
「どんな文化よ!」
美琴の頬がうっすら赤いのは、怒りか、それとも別の感情か。
結絆は肩をすくめる。
「無理に着なくても大丈夫だよお。俺は嫌がられるようなことをするつもりはないからねえ」
そう言いながら、ちらりとミサカへ視線を送る。
ほんの一瞬のアイコンタクト。
ミサカは小さく頷いた。
「お姉様が着ないならミサカが着るので問題はありません」
「はあ!?」
美琴が勢いよく振り向く。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!何勝手に......」
「その場合は、結絆の評価対象がミサカのみになる可能性があります、とミサカは事実を述べます」
「ぐっ......」
その言い方はずるい。
結絆はあくまで穏やかに微笑むだけだ。
「本当に無理しなくていいからねえ?」
その余裕が、また火に油を注ぐ。
「......別に、無理なんてしてないわよ」
「では着用可能と判断します、とミサカは結論づけます」
「だから勝手に決めてんじゃないわよ!」
しかし数分後......
「......なんでこうなるのよ」
鏡の前で、美琴は頭を抱えていた。
黒を基調にしたバニー衣装。
ぴんと立ったうさ耳カチューシャ。
タイツにハイヒール。
隣には、同じ衣装を完璧に着こなすミサカ。
「サイズは問題ありません、とミサカは確認します」
「サイズの問題じゃない!」
だが鏡に映る二人は、思った以上に様になっている。
スタイルの良さが強調され、妙に大人びて見える。
「......変じゃない?」
「客観的に見て、非常に良好です」
「自信満々ね」
「結絆の反応が楽しみです」
「あんたは......なんか余裕そうよね」
とはいえ、ここまで来たら引き返せない。
二人は深呼吸し、結絆の部屋へ戻る。
「お、戻ってきたかなあ?」
二人がドアを開けた瞬間、時間が止まった。
結絆の視線が、ゆっくりと二人を捉える。
数秒の沈黙。
そして。
「......これは、似合いすぎじゃないかなあ」
心からの感嘆だった。
「な、何その間!」
「美琴はスタイルがいいからねえ。ミサカも完璧。これは反則だよお」
珍しく本気で見惚れている様子に、美琴の心臓が跳ねる。
「べ、別にあんたのためじゃないんだから!」
「はいはい」
結絆は立ち上がり、少し距離を取って二人を見比べる。
「二人とも綺麗だよお。こんなに似合うとはねえ」
「評価ありがとうございます、とミサカは素直に受け取ります」
美琴は腕を組もうとして、衣装のせいで少しぎこちなくなる。
「......どう?満足した?」
「大満足だねえ」
即答だった。
「でもね」
結絆は柔らかく続ける。
「衣装も素敵だけど、俺が嬉しいのは、二人がこうやって付き合ってくれることだよお」
その言葉に、美琴は一瞬言葉を失う。
「......もう」
頬が熱い。
「次はあっさり着たりしないから」
「また次がある前提なんだねえ」
「ない!」
ミサカはそんな二人を見て、わずかに微笑む。
「お姉様も結絆も、楽しそうです」
「楽しんでない!」
即座に否定しつつも、美琴の表情はどこか柔らかい。
結局、うさ耳バニー姿はそのまましばらくお披露目状態となり、結絆は終始ご満悦だった。
「ああ、俺の恋人たちが可愛すぎるよお」
「......ほんと調子いいんだから」
そう言いながらも、美琴はほんの少しだけ背筋を伸ばす。
どうせなら、ちゃんと綺麗に見られたい。
その無意識の仕草に気づき、結絆はまた優しく笑った。
「やっぱり二人とも最高だよお」
その言葉に、赤い顔が二つ並ぶ。
うさ耳は、しばらく外されそうになかった。
うさ耳バニー姿のまま、三人は結絆の部屋でひとしきり騒いだ後、ようやくソファに腰を下ろした。
衣装の余韻か、空気はどこか浮き立っている。
そんな中、ミサカが静かに口を開いた。
「そういえば」
「......また何?」
美琴は警戒気味に視線を向ける。
今日はミサカに振り回されてばかりだ。
「お姉様は、数日後から結絆と一緒にアメリカに行くという話を、ここ最近何度もしています、とミサカは報告します」
「ちょ、ちょっとアンタ!」
美琴の顔が再び赤くなる。
結絆はきょとんと目を丸くした。
「何度も?」
「はい。三日前はラウンジで二回、本日は午前中にも一回、とミサカは正確に記録を提示します」
「細かいわよ!」
結絆はふっと頬を緩めた。
「そんなに楽しみにしてくれてたんだあ」
素直な声だった。
美琴は視線を逸らし、うさ耳の先をいじる。
「べ、別に......普通よ。普通。ちょっと海外に行くだけじゃない」
「でも“二人っきり”って言ってたよお?」
「......!」
完全に墓穴だった。
「......だって、いいじゃない。二人っきりで旅行って」
声が小さくなる。
「一緒に飛行機乗って、知らない街歩いて、向こうのご飯食べて......そういうの、ちょっと楽しそうって思っただけよ」
照れながらも、ちゃんと言葉にする。
結絆はその姿を見つめながら、内心で少しだけ苦笑する。
(名目は“超能力の実演”なんだけどねえ)
アメリカの研究機関からの招待や、大統領との会談。
学園都市の代表として、能力のデモンストレーションを行う予定だ。
形式上は公的な仕事。
だが。
(まあ、せっかくだからねえ)
本音を言えば、美琴と過ごす時間を楽しみたい気持ちの方が大きい。
任務の合間に街を歩き、夜景を見て、他愛ない話をする。
そんな光景を想像して、自然と口元が緩む。
「俺も楽しみだよお」
その一言に、美琴の胸が跳ねた。
「......ほんと?」
「うん。仕事は仕事だけど、美琴と一緒なら退屈しないからねえ」
「な、何よそれ。私が騒がしいって言いたいわけ?」
「そこがいいんだよお」
「......!」
また顔が熱くなる。
ミサカはそのやり取りを静かに見守っていたが、ふと視線を落とした。
「......ミサカも」
二人が同時に振り向く。
「ミサカも......結絆と海外旅行に行ってみたいです」
二人はミサカが少しだけしょんぼりしているのに気付いた。
美琴は一瞬驚いたが、すぐに表情を和らげた。
「そっか......アンタ、海外ってあんまり行ったことないわよね」
「任務以外ではありません、とミサカは答えます」
結絆は優しく笑う。
「もちろん連れていくよお。他のタイミングでアメリカに行くときにねえ」
「本当ですか?」
「約束だよお」
ミサカの瞳がわずかに輝く。
「では、その際はうさ耳バニーではなく、観光向けの衣装を選択します」
「あんたは早くうさ耳バニーから戻ってきなさい」
美琴が思わず突っ込む。
結絆は楽しそうに肩を揺らす。
「三人で行くのもいいねえ。世界は広いから退屈しないよお」
「......ふん」
美琴は腕を組み直すが、その表情はどこか嬉しそうだ。
「じゃあ今回は私の番ってことで」
「順番制なのですか、とミサカは確認します」
「ち、違うわよ!」
けれど心の奥では、少しだけ優越感が芽生えているのも事実だった。
アメリカ。
飛行機の窓から見える雲や見知らぬ街並み。
その隣に結絆がいる。
(......悪くないじゃない)
結絆はそんな美琴の横顔を見ながら思う。
忙しい旅になるとは思うが、それでも美琴と一緒ならきっと楽しい。
「お土産、期待しててねえ」
「たくさん買って帰りましょ!」
「ミサカの分もお願いします、とミサカは忘れずに付け加えます」
「もちろんだよお」
三人の間に、穏やかな未来の約束が交わされる。
数日後の空の向こうへ。
それぞれの想いを乗せて、時間は静かに進んでいくのだった。
次回からは、能力実演編です。