ジェット機の機内に、軽やかなエンジン音が鳴り響いていた。
窓の外には、広がる雲海が白銀の絨毯のように続いている。
ファーストクラス席には、学園都市からアメリカへと向かうという特別な目的を持った二人のレベル5が座っていた。
「ねえ、結絆......」
隣の席から声がする。
振り向くと、御坂美琴が少し照れたような笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
普段の彼女からはあまり見られない、柔らかで親密な表情。
「二人っきりで海外に行けるなんて、ちょっと......嬉しい、かな」
ふふっと笑って、美琴は視線を窓の外に移す。
真面目な任務であることは分かっていても、その表情には少女らしい高揚と期待がにじんでいた。
「俺も......嬉しいよお」
結絆は頷き、穏やかな声音で応じた。
「こうやって、美琴と並んで飛行機に乗れて嬉しいねえ」
彼の言葉に、美琴の頬がわずかに赤く染まる。
そのまましばらく言葉もなく、ふたりは空を眺めていた。
やがて、美琴が小さく欠伸を漏らす。
「はぁ......さすがにちょっと、眠くなってきたかも」
「無理しないでいいよお。あと十時間ぐらいはあるし、ゆっくり休もうかあ」
「うん、ありがと......結絆の近くだと、なんか安心するわ」
そう言って美琴は、ヘッドレストに頭を預けて目を閉じた。
まつ毛が長くて、形の良い唇が少し開いている。
呼吸は規則正しく、ほどなくして寝息が聞こえてきた。
(本当に......可愛いよねえ、美琴って)
結絆は、ふと表情を緩めた。
普段はキリっとして元気溌剌な彼女が、こんなにも無防備な顔で眠っている。
そのギャップに、思わず胸がくすぐられる。
結絆はしばらく、美琴の寝顔を見つめていた。
窓の外の光がやわらかく差し込み、彼女の頬に薄く陰影を落としている。
時間がゆっくりと流れていくような感覚。
昨日の戦いを終えて掴み取ったこの静寂が、何よりも貴重に思えた。
(......こんな時間が、もっと続けばいいのになあ)
そう呟くように思いながら、結絆もゆっくりとシートを倒し、目を閉じた。
まだ目的地までは長い道のりだ。
美琴の穏やかな寝息を聞きながら、結絆は自然と夢の中へと引き込まれていった。
空の旅は続いている。
だが、二人にとっては、誰にも邪魔されない静かな時間が、ゆったりと流れていた。
結絆は美琴の寝顔を見ながら機内食(美琴は寝ていたので二人分食べている)を楽しんだりもしたが、機内アナウンスが二人を現実に引き戻す。
「皆様、まもなくロサンゼルス国際空港に到着いたします。機体が止まるまでは、シートベルトの着用をお願いします。」
その声に、結絆はゆっくりと目を開けた。
美琴も小さくあくびをしながら顔を起こす。
「......もう、着いたの?」
「みたいだねえ。......よく寝てたよお、美琴」
「そ、そう?そっちは?」
「そうだねえ......美琴の寝息が子守唄になったかなあ」
「なっ......!からかってるでしょ!」
ぷいっと顔を背ける美琴の様子に、結絆は小さく笑った。
窓の外にはロサンゼルスの広大な街並みが広がり、地平線から太陽が昇ってくるのが見えた。
飛行機が着陸し、入国手続きを済ませると、二人は空港内のレストランへと足を運んだ。
ガラス張りの壁越しに、アメリカの広大な空と、自由な空気を感じさせる街並みが広がっている。
「うわー、なんか......ほんとに外国って感じ」
「だねえ。人も景色も、何もかも違うよお」
美琴はアボカドが乗ったサンドイッチを一口かじり、結絆は豪快にハンバーガーにかぶりつく。
穏やかな時間が続く......しかし、それは唐突に破られた。
「動くな!」
鋭い声と共に、銃を構えた男たちがレストランに雪崩れ込んできた。
辺りの警備員たちはすでに床に倒れている。
男たちは黒いマスクをかぶり、胸には見覚えのない紋章。
空港内に緊張が走り、悲鳴が上がる。
客たちは次々に地面に伏せ、動きを止めた。
「まさか......テロ?」
美琴が眉をひそめる。
結絆もすぐに状況を把握した。
「空港そのものを占拠する気だねえ。......美琴、準備はできてるかい?」
「もちろんよ。こういうの、放っておける性格じゃないから」
二人は立ち上がる。
テロリストたちの視線が結絆たちに集中する。
「俺たちの言っていることがわからないのか?早く伏せろ!」
「それはこっちのセリフよ」
美琴の足元に、パチパチと小さな火花が踊り出す。
瞬間、青白い電撃が床を走り、男たちの銃が弾かれる。
「ッ......電撃!?こいつ、武器を持っているのか!?」
「お前たち相手に武器を使う必要すらないよお」
結絆が一歩踏み出すと、空気が震える。
結絆が軽くデコピンを食らわせると、鈍い音と共に男が吹き飛び、壁に叩きつけられる。
「チッ、こいつら普通じゃねぇ!一旦退け——ぐわっ!」
美琴の手加減に手加減を重ねたレールガンが、鋭い音と共にテロリストのリーダー格を狙い撃つ。
閃光と共に床が抉れ、男はそのまま気絶した。
数分後、現場は沈黙に包まれていた。
倒れたテロリストたちの間を、結絆と美琴はゆっくりと歩いていく。
「まったく......せっかくの朝ごはんが台無しじゃない」
「まだ半分も食べてなかったのにねえ......」
ふたりは肩をすくめあいながら顔を見合わせ、同時に小さく笑った。
その直後、空港のスピーカーから警備隊の到着を告げる放送が流れ始める。
「......それにしても」
美琴がぽつりと呟いた。
「アメリカに来て早々こんなんじゃ、先が思いやられるわ......」
「まあ、それもまた“二人っきりの冒険”ってことで......ねえ?」
結絆の言葉に、美琴はふっと息を漏らして笑った。
非日常の始まりを感じながら、二人は再び歩き出した。
広いアメリカの大地で、待ち受ける未来に向かって。
ロサンゼルスの街並みを抜けて、黒塗りの送迎車に乗って、結絆と美琴は宿泊先へ向かった。
超能力の実演会場である国際スタジアムの近くにある五つ星ホテル。
外観からして荘厳な佇まいで、警備員たちが周囲に目を光らせていた。
「へえ、結構いいホテルじゃない」
車窓から見える大理石の噴水や真っ白なバルコニーを眺めて、美琴は思わずつぶやいた。
「まあ、世界的イベントだからねえ。扱いもそれなりってやつかなあ」
結絆がそう言って笑いながらドアを開けると、すぐにホテルのスタッフたちが駆け寄って頭を下げた。
そして、その中心に、ひときわ目立つ存在が立っていた。
野性味あふれる外見に、ぴっちりとしたスーツを着ており、年齢は四十代に見える。
その立ち姿には威厳があり、しかしどこか人懐っこい笑顔を浮かべている男。
「よう、結絆。元気そうで何よりだ」
「おおー、ロベルト。久しぶりだねえ」
結絆は気さくに笑いながら、その男と力強く握手を交わした。
互いに親しげな様子で短く言葉を交わす。
だがその光景に、美琴は呆然と立ち尽くした。
そして、じとっとした目で結絆を睨みつける。
「......ちょっと。なんであんたがアメリカの大統領と知り合いなのよ」
「ちょっと前に“いろいろ”あってねえ。まあ、気が合ったって感じかなあ」
にこにこしながら言う結絆に対し、美琴は思わず頭を抱えた。
彼の言う“いろいろ”が絶対“いろいろ”じゃ済まないことを、彼女はよく知っている。
「やれやれ、本当にお前さんはいつ会っても変わらんな」
ロベルト=カッツェは大きく笑いながら、結絆の肩を叩いた。
風格のある声だが、その口調には堅苦しさがまるでない。
「御坂美琴嬢。君のことも当然知ってる。学園都市のレベル5、電気の扱いに関しては右に出る者はいないと聞いてるからな」
「わ、私のことまで......!?」
思わず背筋を伸ばした美琴に対し、ロベルトは愉快そうに笑った。
「そりゃ当然さ。今回の実演は、うちの国としても大注目のイベントだからな。学園都市が世界に能力者を見せるってのは、単なるパフォーマンス以上の意味があるんだよ」
「はあ......まあ、そりゃそうですよね」
「といっても、俺自身は固い話はあんまり好きじゃない。今のはあくまで歓迎の挨拶ってことでな。君たち、長旅で疲れてるだろ?まずは部屋でゆっくり休んでくれ」
そう言ってロベルトは、スタッフに指示を出す。
数人の案内係が現れ、二人を上階のスイートルームへと誘導しはじめた。
「じゃ、また後でゆっくり話そうか、結絆。お前とは、飲みながらいろいろ話をしたい」
「いいねえ!楽しみにしてるよお」
「ったく......どんだけ自由人なのよ、あんたは......」
美琴が呆れたようにぼやきながら歩き出す。
結絆は肩をすくめながらも、その背中を追いかけた。
重厚なドアが音を立てて開き、結絆と美琴がスイートルームの中へ足を踏み入れる。
室内は落ち着いたモダン調のインテリアでまとめられており、広々とした空間に白と深い青のコントラストが映える。
「想像以上の豪華さ......!」
美琴が小さく感嘆の声を漏らしながら、真っ直ぐに窓際へと向かう。
そこには一面ガラス張りの大きな窓。
カーテンが開かれると、ロサンゼルスの街並みが一望できた。
遠くには海がきらめき、陽光を受けてビル群が黄金色に染まっている。
「うわあ......この景色、写真で見るより全然すごいわね。なんか、映画の中に入り込んだみたい」
頬を紅潮させながら、美琴は夢中で景色を眺めている。
その様子を見て、結絆はふっと微笑んだ。
「気に入ったみたいだねえ。これでも、結構頑張って手配したんだよお?」
「え、まさか......この部屋、あんたが指定したの?」
「もちろん。美琴と一緒の旅だからねえ。何から何まで、いいものにしたいでしょお?」
さらりと、しかしどこか照れくさそうに言う結絆に、美琴は一瞬視線を逸らして頬を染める。
「......もう、そういうこと、さらっと言わないでよ......」
ふと、美琴がベッドの方へ視線を向ける。
そして、すぐに動きを止めた。
「......ねえ、結絆」
「どうしたんだい?」
「......ベッド、一つしかないんだけど」
「そうだねえ」
「ってことは......今晩は......一緒に、寝るってことなの?」
言いながら、美琴の顔が真っ赤になる。
目は泳ぎ、手は無意識に結絆の肩を掴んでいる。
結絆はそんな彼女を見ながら、肩をすくめた。
「美琴は、毎日俺の分身体と一緒に寝てるよねえ?同じようなことだよお」
「なっ、なによそれっ......!ああっ、思い返したら恥ずかしくなってきたぁ!!」
パチパチと火花が散りそうな勢いで抗議する美琴。
だが、怒っているというよりも、ただただ照れているようだった。
結絆は手を軽く上げて笑う。
「冗談だってばあ。ちゃんと追加のベッドも頼んであるから、安心してよお」
「......ほんと?」
「うん、ほんと。......でも、まあ、一緒に寝るのも悪くないって思ってくれたら、それはそれで嬉しいけどねえ」
美琴はさらに顔を真っ赤にして、何も言わずに窓の方へ背を向けてしまった。
結絆は、そんな彼女の後ろ姿を見て小さく笑った。
しばらくして、美琴がぽつりとつぶやく。
「......ねえ、少し散歩してみない?せっかくアメリカに来たんだし」
「もちろん。行こっか、美琴」
二人は部屋を出て、ロビーを抜けて街へと足を運んだ。
ロサンゼルスの街は賑やかで、陽気な音楽と笑い声が通りに響く。
ビルの壁にはカラフルなアートが描かれ、ストリートパフォーマンスがあちこちで人々を魅了していた。
結絆と美琴は、スムージーを飲んだり雑貨屋をひやかしたりしながら、肩を並べて歩いた。
「......なんか、不思議。こんなに遠くの国で、あんたと一緒に歩いてるって」
「俺はねえ、美琴となら、どこへでも行ける気がするよお」
「またそういうこと言う!」
笑い声が、ロサンゼルスの空に溶けていく。
華やかな街の中で、ふたりの距離は少しずつ、確かに近づいていた。
結絆は美琴の分も機内食を食べていますが、そのことを内緒にしています。