食蜂操祈のお兄様   作:とんこつスープ

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今回と次回でアイテム編はおしまいです。


麦野とのデート

 昼下がり。

 

マジックシアター居住エリアのラウンジで、麦野沈利はソファに座りながら雑誌をめくっていた。

 

内容は高級ファッション誌。

 

いつもの麦野らしく、モデルの着こなしに対して「この配色は悪くない」「でも靴が微妙ね」などと内心で辛口評価をしていた、その時だった。

 

「麦野、ちょっといいかい?」

 

聞き慣れた、どこか気の抜けるようでいて妙に耳に残る声。

 

顔を上げると、ラウンジの入口に食蜂結絆が立っていた。

 

今日は珍しく、いつもの制服やラフな私服ではなく、黒を基調にしたシンプルなシャツと細身のパンツという大人っぽい格好だ。

 

肩の力は抜けているのに、それだけでやたら絵になるのが腹立たしい。

 

麦野は雑誌を閉じ、片眉を上げる。

 

「なによ」

 

結絆はにこっと笑った。

 

「今からデートしない?」

 

「............は?」

 

一瞬、時間が止まった。

 

麦野の脳内で、その言葉が何度も反響する。

 

デート。

 

今から。

 

デート!?

 

「............」

 

「麦野?」

 

「な、ななな、何をいきなり言ってんのよあんたは!!」

 

思わず声が裏返った。

 

結絆はきょとんとした顔をする。

 

「え?いやあ、ちょっと嫉妬してたっぽかったし、折角だから麦野ともゆっくり出かけようかなって」

 

「だ、誰が嫉妬したっていうのよ!?」

 

「してたでしょお」

 

「してないわよ!!」

 

即答しながらも、耳が熱い。

 

朝、滝壺と一緒に結絆が部屋から出てきたのを見た時の、あの胸のざわつき。

 

あれを“嫉妬”と呼ばれると、全力で否定したくなる。

 

だが同時に、今こうして真正面からデートと言われて、心臓がやたらうるさいのも事実だった。

 

結絆はそんな麦野を見て、楽しそうに笑う。

 

「で、どうかなあ?嫌なら別に......」

 

「......行くわよ」

 

「お」

 

「別に、嫌とは言ってないでしょ」

 

麦野は腕を組み、なるべく平静を装って鼻を鳴らした。

 

「変なところに連れてったらぶっ飛ばすわよ」

 

「じゃあ、今日はマジックシアターのショッピングフロアに行こうかあ。高級ブランドの店、いくつか新しいのが入ったんだよねえ」

 

「......服を買いに?」

 

「うん。せっかくだし、お互いに似合う服を選び合うデートとか楽しそうかなって思ってねえ」

 

その一言で、麦野の心臓がまた跳ねた。

 

お互いに、似合う服を選び合う。

 

ただ買い物するだけじゃない。

 

“二人で相手を着飾る”みたいな響きが、妙にくすぐったい。

 

「......ふん。まあ、悪くないんじゃない」

 

そう言いながら立ち上がる麦野は、表情こそいつも通りを保っていたが、内心はまるで落ち着いていなかった。

 

(なによそれ......普通に、ちゃんとデートじゃない......!)

 

ラウンジを出て、二人はマジックシアターのショッピングフロアへ向かうのだった。

 

 

 

 この巨大複合施設には水族館や劇場だけでなく、上流階級向けの高級ブランド街まで併設されている。

 

大理石の床、ガラス張りの壁面、柔らかな照明、上品な香り。

 

まるで海外の高級モールを丸ごと移築したような空間だ。

 

通路を並んで歩きながら、麦野はちらりと隣を見る。

 

結絆はいつも通り自然体だが、隣にいるだけで妙に目立つ。

 

すれ違う客たちも、男女問わずちらちらとこちらを見ている。

 

(......ほんと、こういうのだけは無駄に絵になるのよね)

 

「ん?どうかしたかなあ?」

 

「別に。あんた、こういう場所でもやたら馴染んでるわねって思っただけよ」

 

「そりゃあ、ここは俺の家だからねえ」

 

「それもそうね」

 

そんなよくわからないやり取り?をしながら、二人は最初の高級ブランドショップへ入った。

 

黒と白を基調にしたシックな内装。

 

スーツ、ジャケット、ワンピース、ドレス、アクセサリーまで、どれも一流の品ばかりだ。

 

「さてさて。じゃあまず、麦野が俺に選んでよ」

 

「は?先に私のを選んでくれるんじゃないの?」

 

「レディーファーストもいいけど、今日は“お互いに”だからねえ。まずは麦野のセンス、見せてほしいなあ」

 

挑発するように笑う結絆に、麦野はふっと口元を上げた。

 

「......いいわ。後悔させないから」

 

そこからの麦野は、さすがだった。

 

もともと美意識が高く、ファッションにもこだわりのある彼女だ。

 

ラックから次々に服を抜き出し、結絆の体格や雰囲気を見ながら瞬時に組み合わせていく。

 

「このジャケットは却下。肩のラインが硬すぎる。こっちの方があんたに合うわ」

 

「おお、仕事が早いねえ」

 

「ほらほら、黙って着なさい」

 

最終的に麦野が選んだのは、深いネイビーの細身ジャケットに、白の上質なシャツ、黒のスラックス、そして少しだけ光沢のある革靴。

 

派手さはないが、洗練された大人の色気を引き出す組み合わせだった。

 

「......よし。これ、着てきなさい」

 

「了解だよお」

 

結絆が試着室へ入る。

 

その背中を見送りながら、麦野は無意識に胸元を押さえた。

 

(落ち着きなさい、私......ただ服選んでるだけでしょ)

 

だが、数分後。

 

試着室のカーテンが開いた瞬間

 

「............」

 

麦野は、言葉を失った。

 

そこにいたのは、さっきまでの気の抜けた優男ではない。

 

ネイビーのジャケットが結絆の肩幅を美しく見せ、白シャツが清潔感と色気を両立させ、細身のシルエットが長い脚を際立たせる。

 

柔らかな金髪と整った顔立ちが、まるで海外映画の若き御曹司みたいな雰囲気を作り上げていた。

 

店員ですら、見惚れている。

 

「どうかなあ?」

 

「......っ」

 

麦野は一瞬遅れて顔をそむけた。

 

「......まあ、悪くないんじゃない」

 

「ふふ、顔赤いよお?」

 

「赤くない!!」

 

内心では、完全にやられていた。

 

(なによこれ......似合いすぎでしょ......!)

 

結絆はくすくす笑いながら、今度は麦野の方を見る。

 

「じゃあ次は、俺が麦野に選ぶ番だねえ」

 

「......ええ。変なの持ってきたら燃やすわよ」

 

「怖い怖い」

 

だが、結絆の目は本気だった。

 

彼は数歩離れて麦野をじっと見つめる。

 

少し赤みがかった茶髪、鋭い目元、モデル顔負けのスタイル、強気な雰囲気。

 

その全てをどう引き立てるか、真剣に考えているのが分かった。

 

やがて結絆は、数着を選んで持ってくる。

 

「これ、どうかなあ」

 

麦野が受け取ったのは、上品な黒のオフショルダートップス、身体のラインを美しく見せる白のタイトスカート、そして細いヒールのパンプス。

 

さらに、シンプルだが高級感のあるシルバーアクセサリーまで添えられていた。

 

「......へえ」

 

思わず感心する。

 

「意外とセンスあるじゃない」

 

「意外だったかなあ?」

 

「これは......」

 

麦野は服を胸元に当てて鏡を見る。

 

黒と白のコントラストが、自分の髪と白い肌を際立たせる。

 

露出は上品に抑えつつ、麦野の大人びた魅力を最大限に引き出す組み合わせだ。

 

「......悪くない」

 

「でしょお?」

 

「......ふん。着てくる」

 

麦野は試着室へ入った。

 

カーテンの向こうで着替えながら、妙に手元が落ち着かない。

 

だが、鏡に映った自分を見た瞬間、少しだけ息を呑んだ。

 

黒のトップスが肩と鎖骨を綺麗に見せ、白のスカートが脚線美を引き立てる。

 

強気な女王様のような雰囲気と、洗練された色気が見事に同居していた。

 

(......こいつ、分かってるじゃない)

 

麦野は一つ息を整え、カーテンを開いた。

 

その瞬間。

 

外にいた店員たちが、明らかに空気を変えた。

 

「......っ」

 

「まあ......」

 

誰もが一瞬、目を奪われる。

 

そして、その中心にいる結絆は......完全に見惚れていた。

 

「............」

 

「な、なによ」

 

麦野が少しだけ視線を逸らす。

 

結絆は数秒遅れて、ふっと笑った。

 

「......おおぉ!」

 

「は?」

 

「麦野、綺麗だよお」

 

真っ直ぐな感想だった。

 

変な冗談も、軽いからかいもない。

 

ただ、本心からそう思っていると分かる声。

 

「その服、想像以上に似合ってる。綺麗だし、格好いいし......なんていうか、誰もが目を離せなくなる感じかなあ」

 

「............っ」

 

麦野の心臓が、どくんと大きく跳ねた。

 

耳まで熱い。

 

頬もきっと赤い。

 

だが、そんなの認めたくなくて、麦野はぷいっと横を向く。

 

「......そ、そう。選んだあんたのセンスがよかったんじゃない」

 

「ありがとう、でも、それを着こなしてるのは麦野だからねえ」

 

「うっ......」

 

追撃が来た。

 

しかも、さらっと。

 

「そのままパーティー会場に行ったら、たぶん全員が麦野しか見なくなると思うよお」

 

「......あんた、そういうのずるいのよ」

 

麦野は顔を隠すように髪をかき上げるが、内心はもう大変だった。

 

(なによ、もう......!そんな真っ直ぐ褒められたら、落ち着けるわけないでしょ......!)

 

その後、二人は並んで鏡の前に立つ。

 

ネイビーと白黒のコントラスト。

 

洗練された高級感。

 

そして何より、二人とも元々の顔面偏差値とスタイルが異常に良い。

 

店内の誰もが思わず振り返る。

 

まさに、誰もが目を奪われるような美男美女コンビだった。

 

店員の一人など、思わず感嘆の声を漏らす。

 

「......まるで雑誌の表紙を彩るアイドルみたいです」

 

「ふふ、ありがとお」

 

結絆は楽しそうに笑い、隣の麦野を見る。

 

「こうして並ぶと、本当に絵になるねえ」

 

「......まあ、当然でしょ」

 

そう言いながらも、麦野の口元は少しだけ緩んでいた。

 

結絆はその表情を見て、さらに柔らかく笑う。

 

「今日は誘ってよかったなあ」

 

「......っ」

 

その一言が、また胸に刺さる。

 

悔しいが、たまらなく幸せだ。

 

麦野はそっと結絆の腕に近づき、ほんの少しだけ距離を詰める。

 

「......次の店、行くんでしょ」

 

「うん」

 

「だったら、さっさと案内しなさい。今日は......その......付き合ってあげるから」

 

「お任せあれ、お姫様」

 

結絆は自然にその歩幅を合わせ、二人は高級ブランド街の奥へ進んでいく。

 

すれ違う客たちが振り返り、視線を奪われる。

 

まるで映画のワンシーンみたいに、完璧に絵になる二人。

 

そして麦野は、そんな視線すらどうでもよくなるくらい、隣にいる男の存在を強く意識していた。

 

結絆に褒められた言葉が、何度も胸の中で反響する。

 

(......ほんと、ずるい)

 

そう思いながらも、麦野の足取りはいつもより少しだけ軽かった。

 

今日のデートは、まだ始まったばかり。

 

けれどその時点で、麦野沈利の心はもう、結絆に振り回されっぱなしだった。

 

 

 

 マジックシアターの高級ブランド街区を抜け、次の店へ向かおうとしたその時だった。

 

結絆はふと足を止めた。

 

隣を歩いていた麦野は、すぐにその変化に気付く。

 

「......どうしたのよ」

 

問いかける声は平静だったが、先ほどまで服を褒められて内心どきどきしていたせいか、ほんの少しだけ硬い。

 

結絆は、わずかに目を細めた。

 

普段の柔らかな笑みを残しながらも、その瞳の奥だけが鋭く研ぎ澄まされていく。

 

「んー......少し、嫌な気配を感じるねえ」

 

「敵襲?」

 

「うん。しかも、マジックシアターそのものを狙ってる感じかなあ。学園都市の混乱に乗じて、ここを落とそうって腹みたいだよお」

 

その言葉に、麦野の口元がぴくりと吊り上がった。

 

つい先日、自分はここで新たな力を手に入れた。

 

そして今は、結絆との大切なデートの真っ最中だ。

 

それを邪魔されるなど、面白いはずがない。

 

結絆は耳元の通信機に指を伸ばし、部下へ指示を出そうとする。

 

だが、その手首を麦野がすっと掴んだ。

 

「待ちなさいよ」

 

麦野はにやりと笑った。

 

その笑みには、アイテムのリーダーらしい獰猛さと、先ほどまでの乙女じみた緊張を吹き飛ばすような戦意が滲んでいる。

 

「せっかくのデートに水を差されたのよ?部下に任せるなんて、もったいないじゃない」

 

「おやおやあ?」

 

「私たちでサクッと消しちゃおうじゃないの」

 

あまりにも物騒な提案なのに、彼女はまるで、ちょっと寄り道をしようとでも言うような軽い口調だった。

 

結絆は一瞬だけ目を丸くし、それから楽しそうに笑った。

 

「ふふ、いいねえ。麦野のそういうところ、俺は好きだよお」

 

「っ......!」

 

不意打ちの一言に、麦野の頬がわずかに熱を帯びる。

 

だが今は照れている場合ではない。

 

「さっさと片付けるわよ、結絆」

 

「了解だよお」

 

二人はそのまま人気の少ない通路へと進み、マジックシアターの外縁部へ向かった。

 

 

 

 敵は、廃ビル群の陰に潜んでいた。

 

マジックシアターから少し離れた高所や崩れかけた建造物の内部に、五十人規模の武装集団が散開している。

 

重火器、狙撃銃、爆薬。

 

どうやら正面から乗り込むのではなく、外壁や要所を同時破壊し、混乱に乗じて内部へ雪崩れ込む算段らしい。

 

「へえ。思ったより数はいるのね」

 

麦野が鼻を鳴らす。

 

結絆は物陰から敵の配置を一瞥しただけで、全体像を把握していた。

 

「暗部組織にしては、少し雑かなあ。烏合の衆を寄せ集めた感じだねえ」

 

「ならなおさら、秒で終わるわね」

 

麦野がそう言った直後だった。

 

結絆が、すっと近くに転がっていた瓦礫を拾い上げた。

 

「......何する気?」

 

「俺なりの挨拶だよお」

 

次の瞬間。

 

結絆の腕がぶれたかと思うと、握っていた瓦礫が砲弾のような速度で射出された。

 

ドガァッ!!

 

離れたビルの窓枠が粉砕され、潜んでいた敵狙撃手が悲鳴を上げる間もなく真っ二つになる。

 

「はぁ?」

 

麦野が思わず素の声を漏らした。

 

しかし結絆は止まらない。

 

足元の瓦礫、鉄骨片、崩れた外壁の破片を手当たり次第に拾い、次々と投げつけていく。

 

まるで人間投石機だ。

 

いや、それどころではない。

 

一つ一つが狙撃と呼ぶべき精度と威力を持ち、遮蔽物ごと敵を叩き潰していく。

 

ガガガガガガッ!!

 

「な、何だ!?どこからだ!?」

 

「瓦礫!?瓦礫が飛んで、ぎゃああっ!!」

 

「上じゃない、横だ!いや、下からかっ!?」

 

遠距離から突然降り注ぐ瓦礫の雨に、敵は完全に混乱していた。

 

狙撃を仕掛けるつもりだった側が、逆に見えない超精密砲撃を浴びているのだ。

 

しかも丁寧に一人ずつ潰しに来るという徹底っぷり。

 

結絆はにこにこと笑いながら、ひょいひょいと瓦礫を投げ続ける。

 

「うんうん、いい感じに混乱してるねえ。これでまとめやすいよお」

 

麦野はその言葉を聞き、口角を上げた。

 

「任せなさい」

 

彼女の周囲に、淡い光が幾筋も走る。

 

今の麦野は、以前とは違う。

 

原子崩しによって空間を何度か切るように照射し、そこに生まれた見えない裂け目の中から、0次元の極点を手元に固定する。

 

広がりも厚みも長さも持たない、絶対的な一点。

 

その一点を経由すれば、三次元空間の任意の点へ干渉できる。

 

麦野は両手を軽く広げた。

 

「さて......散らばってるゴミは、一か所に集めないとね?」

 

その声と同時に、敵たちの周囲の空間がぐにゃりと歪んだ。

 

「なっ!?」

 

「身体が......」

 

「う、うわあああああっ!?」

 

次々と、離れた位置にいた敵兵たちが、まるで見えない手に摘ままれたように一か所へと移動させられていく。

 

高所の狙撃手も。

 

ビルの陰の爆破担当も。

 

地下通路に潜んでいた予備戦力も。

 

距離も遮蔽物も関係ない。

 

0次元の極点を中継点として、空間上の座標そのものを強引に繋ぎ替える。

 

そして数秒後。

 

敵暗部の生き残りは、廃ビル前の広場にぎゅうぎゅう詰めで押し込まれていた。

 

「な、何だこの能力......!」

 

「ふざけ......」

 

「うるさいわね」

 

麦野の右手に、まばゆい光が集束する。

 

「まとめて、消えなさい」

 

ズドォォォォォンッ!!

 

放たれた原子崩しは、一直線の奔流となって敵集団を貫いた。

 

光の柱が通過した後には、焦げた地面だけが残る。

 

風が吹き抜け、粉塵が舞う。

 

あれほどいた敵暗部組織は、ものの数十秒で壊滅していた。

 

「......ふぅ」

 

麦野はゆっくりと息を吐いた。

 

その顔には、戦闘前までどこか残っていたわずかな硬さがもうない。

 

代わりにあるのは、獲物を狩り終えた猛獣のような、すっきりとした満足感だった。

 

結絆はそんな彼女の横顔を見て、くすりと笑う。

 

「やっと緊張がほぐれたねえ」

 

「は?」

 

「今日、デートに誘った時からちょっとだけ肩に力入ってたでしょお?」

 

ばれていたらしい。

 

麦野は一瞬だけ目を見開き、それからぷいっとそっぽを向く。

 

「......うっさいわね」

 

「ふふ、可愛いなあ」

 

「だからそういうことをさらっと言うんじゃないわよ!」

 

顔を赤くしながら怒鳴る麦野。

 

だが先ほどまでの緊張はもうない。

 

むしろ、戦って暴れて、そして結絆に見透かされて、変に張っていた意地や緊張が綺麗に抜けてしまったようだった。

 

結絆は彼女の頭をぽんぽんと軽く撫でる。

 

「でも、凄かったよお。0次元の極点、かなり馴染んできたねえ」

 

「当然でしょ。誰に強化してもらったと思ってんのよ」

 

「沙羅と俺、かなあ?」

 

「......その通りよ」

 

少しだけ素直に言ってから、麦野はふっと笑った。

 

かつて、自分の能力開発はもう頭打ちだと思っていた。

 

担当研究者を殺し、可能性の扉は閉ざされたと思っていた。

 

だが違った。

 

まだ、自分は先へ行ける。

 

その事実が、麦野にとってどれほど大きいか。

 

結絆も、沙羅も、麦野の気持ちはよく知っている。

 

「ありがと、結絆」

 

ぽつりと、麦野が言った。

 

「ん?」

 

「......今日のデートも、能力のことも。全部」

 

珍しく真っ直ぐな感謝に、結絆は少しだけ目を柔らかくした。

 

「どういたしまして。俺は、麦野が笑ってくれているのが一番嬉しいからねえ」

 

「......っ」

 

麦野は耳まで赤くなりながら、結絆の腕を乱暴に引っ張った。

 

「ほ、ほら!敵は片付いたんだから次の店行くわよ!」

 

「おや、そんなに急がなくても」

 

「うるさい!ほら、さっさと歩きなさい!」

 

ずんずん歩き出す麦野。

 

だがその手は、結絆の腕をしっかり掴んだままだ。

 

結絆は嬉しそうに笑い、そのまま彼女に引かれていく。

 

目の前では、マジックシアターのきらびやかな灯りが輝いていた。

 

暗部の襲撃など最初からなかったかのように、平和で華やかな時間が流れている。

 

その光景を見ながら、結絆は思う。

 

こうして守れる場所がある。

 

その隣に、守りたい相手がいる。

 

それはきっと、どんな戦いよりも価値のあることだった。

 

戦いの余韻もデートのときめきも全部ひっくるめて、今日はきっと忘れられない一日になる。

 

そう思いながら、二人は再びマジックシアターの賑わいの中へと戻っていった。

 

次なる店と、次なる時間を楽しむために。




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