マジックシアターの地下研究エリアは、地上の華やかさとはまるで別世界だった。
白い照明に照らされた長い通路。
壁際には分析機器や冷却装置が整然と並び、研究室では白衣姿のスタッフたちが忙しなく動いている。
学園都市最先端の技術が集まるその空間は、風紀委員支部とは比較にならないほどの規模と設備を誇っていた。
「こ、こんな本格的な研究施設まであるんですね......」
初春が思わず感嘆の声を漏らす。
「マジックシアターは遊び場であると同時に、学園都市屈指の研究機関でもありますものね......」
黒子も周囲を見回しながら、小さくつぶやいた。
その前を歩く結絆は、上着のポケットを軽く叩いた。
「まあねえ。うちはいろいろ抱えてるから、こういう設備も必要なんだよお」
やがて四人は、最奥の解析室へと案内された。
そこで待っていたのは、白衣を纏った橘沙羅だった。
普段通りの落ち着いた表情で、彼女は結絆たちを迎える。
「おかえりなさい、結絆君。連絡は受けているわ。問題の“恐竜”を見せてくれる?」
「はいはい、沙羅。びっくりしないでねえ」
結絆はポケットから、小さくなった肉食恐竜をつまみ上げた。
黒子と初春は、改めてその光景に複雑な顔をする。
ぬいぐるみのようなサイズになった恐竜は、まだ気絶したままぐったりしていたが、皮膚の質感や鋭い牙は妙に生々しい。
「解析用ケージを持ってきて頂戴」
沙羅が指示すると、スタッフが特殊ガラス製の透明ケースを運んでくる。
結絆はその中へ恐竜を入れ、指先で空間を軽く弾いた。
すると、恐竜の体が再びゆらりと歪み、元のサイズへと戻っていく。
ケースの中で巨体が膨らみ、ぎりぎり収まるところで停止した。
「......やっぱり何度見ても慣れないですわね、その技術」
黒子が頬を引きつらせる。
「ふふ、結絆君は昔から規格外だから、結絆君と付き合うなら慣れないとだめよ」
沙羅はごく自然にそう言いながら、端末を操作し、解析装置を起動した。
青白い光がケースの中を走り、スキャンが始まる。
骨格、筋肉、血流、神経反応、細胞組成などの複数のデータが次々と大型モニターに表示されていった。
初春は思わず前のめりになる。
「す、すごい......本当に生体反応が......」
「しかも、ただの動物じゃありませんのね。筋肉の密度が異様に高いですの......」
黒子もモニターを凝視する。
しばらくして、沙羅は結果をまとめた表示を確認し、静かに息をついた。
「結論から言うわ」
その声音に、室内の空気が引き締まる。
「この肉食恐竜は、本物よ」
「......!」
黒子と初春が同時に息を呑んだ。
「遺伝子構造は現代の生物と完全には一致しない。そして、単純な幻覚によるものでもない。骨格、筋肉、内臓、血液、すべてが“生きた個体”として成立しているわ」
沙羅はモニターを切り替える。
「加えて、細胞の劣化具合や代謝パターンも自然。急造のクローンやバイオ兵器にしては、あまりに完成度が高すぎるわ」
結絆が腕を組んだ。
「つまり......誰かが、本物の恐竜を学園都市に持ち込んだ可能性が高いってことだよねえ」
沙羅はうなずく。
「ええ。能力者か、あるいは――」
そこで、沙羅はほんの一瞬だけ言葉を切り、黒子と初春に視線を向けた。
結絆もその意図を察したように、すぐに話を引き取る。
「学園都市の外の“特殊な技術”を持った連中、ってところかなあ」
黒子が眉をひそめる。
「特殊な技術、ですの?」
「学園都市の外にも、こっちの常識じゃ測れない変わり種はいるってことだよお。テレビでも海外の超人の映像が放送されてたりするよねえ?」
結絆はいつもの軽い口調を崩さない。
「超高度なバイオ技術、空間圧縮輸送、認識攪乱系の装置......まあ、そういうのを組み合わせれば、不可能じゃないかしら」
沙羅もすぐに合わせる。
「今話した通り、“能力だけで恐竜の幻覚を見せていた”ということではないのは確かね。」
「そんな......本当に恐竜が街にいるなんて......」
初春は青ざめた顔でモニターを見つめた。
「しかも、証言によれば、複数体いるとのことですわね」
黒子が低く言う。
「そうだねえ。もしこれで事態が収束しなければ、もっといる可能性は高い」
結絆の言葉に、場の空気がさらに重くなる。
そのときだった。
研究室の端で端末を借りていた初春が、突然「あっ!」と大きな声を上げた。
「どうしましたの、初春?」
黒子が駆け寄る。
初春は顔色を変えたまま、端末の画面を高速で切り替えていた。
「追加の目撃情報です!いま、この数分で何件も......!」
「何ですって!?」
黒子も画面を覗き込む。
そこには、風紀委員や警備員、一般通報窓口に送られてきた新規報告が次々と表示されていた。
第七学区、商店街裏路地で大型草食恐竜らしき個体出現。
第十七学区、工場地帯で小型恐竜の群れが走行。
第十一学区、工事現場の上空で翼竜型の飛翔生物確認。
第十三学区、河川沿いで大型肉食恐竜らしき咆哮との通報。
「増えすぎですわ......!」
黒子が歯を食いしばる。
「さっきまでは点在する程度だったのに、急に一斉に......」
初春の指が止まらない。
「まだあります!警備員から緊急回線――」
次の瞬間、端末から警告音が鳴り響いた。
『第十一学区南部、警備員より応援要請!不明大型生物と交戦中!繰り返す、不明大型生物と交戦中!』
機械音声混じりの緊迫した報告が、研究室に響く。
「交戦......!」
初春が思わず口元を押さえた。
『対象は複数。通常装備で牽制中だが、突進により車両一台が横転。負傷者あり』
「負傷者まで......!」
黒子の表情が一気に険しくなる。
これはもう、珍事件でも悪戯でもない。
都市機能に直接被害を及ぼす、明確な危機だ。
蜜蟻が静かに言う。
「どうやら、犯人は“お披露目”を終えたみたいねえ」
「本格的に仕掛けてきた、ってことかあ」
結絆の声は軽いままだが、その目はまったく笑っていなかった。
沙羅はすでに別端末で周辺マップを開き、各地の通報位置を表示している。
「出現地点が散らばりすぎている。すぐに犯人を絞り込むのは困難ね......複数人による犯行ならなおさらね」
「黒子ちゃん、初春ちゃん」
蜜蟻が二人を振り返る。
「ここから先は、さっきまでの調査とは別物よお」
黒子は唇を引き結び、強くうなずいた。
「ええ......よくわかっていますの」
初春も端末を抱きしめるように持ちながら、小さく息を呑む。
黒子は、モニターに映る無数の警告マークを見つめながら、重く実感した。
(......私たちは、とんでもなく大変な事件に巻き込まれてしまいましたの)
初春もまた、同じ思いを抱いていた。
(これ、もう普通の風紀委員の案件じゃ......でも、逃げるわけにはいきません)
地下研究室の白い光の中、緊急回線の警告音だけが鳴り続ける。
学園都市に放たれた“本物の恐竜”たち。
その脅威は、今まさに街全体へと広がり始めていた。
その夜。
マジックシアター地下研究エリアで緊迫したやり取りが続く中、館内全域に設置された緊急通信端末から、鋭い警報音が鳴り響いた。
『緊急連絡、緊急連絡。動物園エリア西区画にて、不明大型生物複数出現。繰り返す、動物園エリア西区画にて不明大型生物複数出現』
「動物園エリア!?」
初春が顔を上げる。
黒子の表情も一瞬で変わった。
「よりによって、マジックシアターの内部ですの!?」
結絆は端末をひったくるように受け取ると、すぐに表示された監視映像を確認した。
そこに映っていたのは、夜の照明に照らされた広い飼育区画。
普段なら静かに休んでいるはずの芝地や林の間を、複数の巨大な影が暴れ回っていた。
角を持つ三本角の大型恐竜。
背中に板状の突起を並べた草食恐竜。
さらに、その間を縫うように、小型の肉食恐竜らしき個体が群れで走っている。
「うわ......本当に群れです......!」
初春が息を呑む。
「これは派手だねえ......」
結絆は口元こそ笑っていたが、その目は完全に戦闘時のものだった。
「沙羅、地下の解析は継続。愛愉はこっちに残って黒子たちの情報整理を手伝ってえ。俺は現場行ってくるよお」
「了解よ、結絆君」
「ふふっ、任せてえ。こっちは私がまとめるわ」
結絆はくるりと踵を返し、黒子と初春に向き直った。
「黒子、初春。君たちはそのまま追加の目撃情報と出現地点の洗い出しを続けて。こっちの“怪しい客”を探してほしい」
「承知しましたの!」
「はい!」
返事を聞くより早く、結絆の姿がふっと掻き消え、次の瞬間、彼は動物園エリア西区画の管理通路へと降り立っていた。
夜の動物園エリアは、普段なら幻想的な静けさに包まれている。
だが今は違った。
遠くで響く重い足音。
柵の向こうで揺れる木々。
草を踏み潰し、地面を抉る轟音。
そして、獣とも爬虫類ともつかない低い咆哮。
現場はすでに騒然としていたが、マジックシアターの従業員たちの動きは驚くほど迅速だった。
「ウサギ・モルモット区画、避難完了!」
「小型鳥類ケージ、予備保護室へ移送完了です!」
「夜行性展示エリア、シャッター閉鎖!ハムスター、フェレット、リス、全頭無事!」
インカム越しに飛び交う報告。
小動物の飼育担当たちは、普段の訓練のおかげでパニックになることなく、手際よくキャリーケースや緊急搬送用通路を使い、小型の動物たちを安全圏へ移していく。
結絆が管理室前に転移すると、責任者の女性スタッフが駆け寄ってきた。
「結絆様!小動物の避難はほぼ完了しました!」
「うん、さすがだねえ。怪我人は?」
「今のところゼロです!」
「偉い偉い。じゃあ次は......」
その瞬間、区画の向こう側で、ドゴンッと激しい衝撃音が響いた。
三本角の大型恐竜が、補強済みの仕切り柵に頭突きをかましている。
さらにその脇では、小型肉食恐竜の群れが、閉鎖された通路のシャッターに爪を立てていた。
「こりゃ、のんびりしてる暇はないねえ」
結絆は夜空を見上げるようにして、口笛を吹いた。
直後、低く地を震わせるような唸り声が返ってくる。
「グルルルルル......!」
闇の向こうから現れたのは、天衣装着を使う巨大なトラ――レグルスだった。
月光と照明を浴びて輝く縞模様の巨体。
鋭い大きな瞳。
その後ろには、同じく動物園エリアの戦力として待機していた猛獣たちが続く。
大型の肉食獣たち。
機動力に優れた中型の捕食者たち。
さらに、水辺側の区画からは、ワニの群れがプール越しに勢いよく跳ね、いつでも水路支援ができる位置に移動していた。
「レグルス、来たねえ」
結絆が笑いかけると、巨大なトラは喉を鳴らして一歩前に出る。
「結絆よ、こいつが今日の晩飯か?」
「今日はちょっと特別メニューだよお」
結絆は、暴れ回る恐竜の群れを指差した。
「今日の晩御飯は恐竜の肉みたいだねえ。そうだ、俺も食べたいからあ、ちょっと残しておいてよお」
その言葉を聞いた瞬間、レグルスの目がぎらりと輝いた。
「ガルァァァァァッ!!」
周囲の猛獣たちも、一斉に吠える。
従業員たちがごくりと息を呑む中、結絆はひらひらと手を振った。
「よーし、許可するよお。殲滅してきて」
その合図と同時に猛獣たちが、一斉に飛び出した。
最初に動いたのはレグルスだった。
巨体とは思えない加速で地面を蹴り、三本角の大型恐竜へ真正面から突っ込む。
恐竜が咆哮し、角を突き出して迎え撃つが......
ズドォンッ
レグルスの前脚が横薙ぎに振り抜かれ、三本角の頭部を真正面から叩き潰すように弾き飛ばした。
大型恐竜はバランスを崩して横転し、そのまま地面を転がる。
「す、すご......」
近くで見ていた若い従業員が呆然とつぶやく。
だが感心している暇もない。
背中に板状の突起を持つ草食恐竜がレグルスへ尻尾を叩きつけようとした瞬間、別の猛獣が側面から飛びかかり、喉元に食らいついた。
さらに小型肉食恐竜の群れは、俊敏な中型捕食者たちが連携して次々に仕留めていく。
ギャアッ
グルルルッ
ドシャッ
咆哮、爪音、衝突音が夜の動物園エリアに響き渡る。
そして水辺側では、柵を越えようとした小型恐竜を、ワニの群れが水中に引きずり込む。
「皆、ナイスだよお!」
結絆は管理通路の上から、まるで猛獣ショーの監督のように状況を見渡していた。
最後に残った、やや大型の肉食恐竜がレグルスへ飛びかかる。
しかしレグルスは一歩踏み込み、首筋に牙を突き立てると、そのまま巨体ごと地面へねじ伏せた。
ズンッ
土煙が上がり、肉食恐竜は数秒もせず動かなくなる。
やがて、辺りは静かになった。
暴れていた恐竜たちはすべて地面に伏し、あるものは絶命し、あるものは瀕死。
猛獣たちは荒い息を吐きながらも、ほとんど無傷で立っていた。
「うん、完勝だねえ」
結絆が拍手する。
「グルルゥ!」
レグルスは誇らしげに胸を張った。
結絆は柵をひょいと越えて中へ入り、倒れた恐竜を見回した。
「よし、データ取りも兼ねて厨房経由で処理しようかあ。その後は、レグルスたちの晩御飯に回していいよお」
「は、はい!」
従業員たちが一斉に動き出す。
マジックシアターの動物園エリアでは、猛獣たちの餌の確保も一大仕事だ。
スタッフたちは戸惑いながらも、すでに食肉処理班へ連絡を飛ばしていた。
「恐竜を......本当に晩御飯にするんですね......」
アルバイトの一人が呟くと、ベテランが肩を叩く。
「結絆様が言うなら、そういうことだ。衛生面さえクリアできれば、レグルスたちにはご馳走だろ」
その間にも、レグルスは倒した大型恐竜を前に、実に満足そうに喉を鳴らしていたのだった。
ひとまず現場の安全が確保され、結絆が管理通路に戻ったそのとき。
携帯端末が震えた。
「ん?」
画面を見ると、黒子からの着信だった。
「もしもし、黒子?こっちは片付いたよお」
『こちらも進展がありましたの!』
黒子の声は、興奮と緊張が入り混じっている。
『恐竜の目撃情報があった場所の周辺カメラや、聞き込み対象の行動記録を初春が洗い直したところ、どの地点でも目撃時間の少し前に必ず現れている男がいることが判明しましたの!』
「ほお」
結絆の目が細くなる。
その横で、初春の声も聞こえた。
『帽子とマスクで顔を隠してるんですけど、体格と歩き方、それに右足を少し引きずる癖が一致してます!全部同じ人です!』
「なるほどねえ。いい仕事だよお、初春」
『まだありますの』
黒子が続ける。
『マジックシアター内部の監視カメラも確認したところ、つい先ほど動物園エリアの異常が起きる直前、同じ男がスタッフ用通路付近に侵入していましたわ!』
「......ビンゴだねえ」
結絆はすぐに近くの管理端末へ向かい、動物園エリア周辺の監視映像を呼び出した。
数分前の映像。
照明の影を縫うように歩く、帽子とマスクの男。
作業員に紛れるような服装をしているが、右足をわずかに引きずる癖は確かに一致している。
「......ふぅん」
結絆の口元に、静かな笑みが浮かんだ。
「やっと尻尾を出したねえ」
『結絆さん、犯人は......』
初春が息を呑む。
結絆はモニターに映る男を見据えたまま、はっきりと言った。
「この男で確定だよお」
黒子が低く問う。
『追えますの?』
「もちろん」
結絆の声音は、先ほどまで猛獣に晩御飯の許可を出していた時よりも、ずっと冷たかった。
「足取りも、出現地点も、侵入経路も揃った。これでただの“怪しい人物”じゃない。恐竜騒ぎの犯人そのものだ」
画面の中で、男は暗い通路の奥へ消えていく。
その背中を見つめながら、結絆は静かに目を細めた。
「さて......次は、こっちから会いに行こうかあ」
動物園エリアでは、レグルスたちが勝利の雄たけびをあげている。
その一方で、学園都市を混乱に陥れた犯人の姿は、ついに鮮明に浮かび上がった。
恐竜騒動は、いよいよ核心へと踏み込もうとしていた。
恐竜事件はもう少し続きます。