夏休みも終わりに差し掛かっていた頃、結絆は、美琴に呼び出されて待ち合わせ場所に向かっていた。
暑さをしのぐために自販機でアイスコーヒーを買い、一口飲んだところで、見慣れた茶髪の少女が近づいてくるのが目に入った。
「結絆、ちょっといい?」
美琴の表情はどこか曇っている。
「どうしたんだい、美琴?」
「......実はさ、最近ちょっと困ってることがあって」
美琴は周囲を気にしながら、小さな声で話し始めた。
「最近、海原光貴って人にやたらと付きまとわれてる気がするのよ」
「......海原かい?」
結絆は、海原とは知り合いである。
学園都市の名門、常盤台中学の理事長の孫。
「ほう、あいつが美琴にねえ......」
「そう。前に何度か話したことはあるし、もともと紳士的な人だと思ってたんだけど......最近のアイツは、なんか違和感があるのよ。雰囲気が違うっていうか、なんていうか......気味が悪いのよね」
「なるほどねえ......」
美琴は言葉を選びながらも、確かな不安を滲ませていた。
普段ならこんなことで誰かに相談するような性格ではないが、それだけ違和感を覚えているということなのだろう。
「そうだねえ、じゃあ、俺が直接海原に話を聞いてみるよお」
「えっ、いいの?」
「海原とは、知り合いだからねえ。何か事情があるのかもしれないし、ちょっと確かめてみるよお」
結絆の言葉に、美琴は少しホッとしたような顔を見せた。
「ありがと。なんか嫌な予感がしてたから、結絆の力を借りれるなら、心強いわ」
「まっ、俺に任せておきなよお」
そうして、結絆は美琴からの相談を受け、海原光貴本人に話を聞くために動くことにした。
美琴からの相談を受けた翌日、結絆はさっそく海原光貴に連絡を取ってみた。
結絆は、海原とは何度か顔を合わせたことがあり、連絡先も知っている。
美琴の話が本当なら、まずは本人に事情を聞くのが一番手っ取り早い。
スマートフォンのコール音が数回鳴った後、通話が繋がった。
しかし、応答したのは海原本人ではなく、別の男性の声だった。
『もしもし。海原君の携帯にかけてきてくれたようだが、君は?』
「俺は食蜂結絆。本人に代わってもらえるかなあ?」
『申し訳ないが、それは難しい。彼は現在、入院中だ。それに、まだ彼は、意識が戻っていないからね。』
入院?
思わぬ言葉に、結絆は眉をひそめた。
「それはまた......何があったんだい?」
『詳しくはわかっていないが、先日、何者かに襲撃されたらしい。幸い命に別状はないが、しばらく安静が必要だ』
「そうかい......」
美琴が言っていた「海原光貴」の行動に違和感があったという話。
もし彼が本当に襲撃を受けたのなら、美琴の周囲に現れていた「海原光貴」は一体誰なのか。
「入院先は?」
『〇〇病院だ』
「わかった、今から見舞いに行くことにするよお」
通話を終えると、結絆はすぐに病院へ向かうことにした。
海原の受けた襲撃と美琴に相談された件は、無関係とは思えない。
直接、本人から話を聞く必要がありそうだ。
結絆は、学園都市のとある病院の廊下を歩いていた。
無機質な白い壁が続く中、看護師や患者達が行き交う。
目当ての病室を見つけると、彼は軽くノックをしてからドアを開けた。
病室のベッドには、包帯を巻かれた海原光貴が横たわっていた。
腕や肩に巻かれた包帯が痛々しく、顔色も優れない。
それでも、彼は結絆の姿を認めると、かすかに微笑んだ。
「......わざわざ来てくれたんですね、結絆さん」
「まったく、派手にやられたみたいだねえ」
結絆は軽く肩をすくめながら、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「何があったのか、聞かせてもらえるかい?」
海原は少し考え込むように視線を落とし、やがて重い口を開いた。
「......突然でした。夜道を歩いていたら、気配もなく後ろから襲われたんです」
彼の声には微かな震えが混じっている。
それだけ恐ろしい体験だったのだろう。
「相手の姿は?」
「よく見えませんでした。ただ......異様でした。科学では説明できない力を使って、しかも......」
海原は包帯に覆われた自分の腕を見つめた。
「襲われたとき、そいつはナイフを持っていました。そして、皮膚を......剥がされました」
結絆の眉がわずかに動く。
「皮膚を......剥がされた?」
「ええ、まるで剥ぎ取るように。しかも、相手はそれを見て笑っていた。心の底から楽しんでいるような笑みで......」
海原の表情が苦痛に歪む。あの時の恐怖が脳裏に焼き付いているのだろう。
「殺されるかと思いました。でも、僕は能力で体を固めていたので、相手は諦めて去っていきましたね」
「そいつの目的は分かるかい?」
「......分かりません。ただ、一つだけ言えるのは、奴は常人ではない、ということだけです」
結絆は黙って海原の話を聞きながら、心の中で思考を巡らせた。
常盤台の理事長の孫である海原を狙う理由、そして、美琴の周囲に現れた「海原光貴」の存在。
この二つが無関係であるはずがない。
「......なるほどねえ」
結絆は静かに息を吐いた。
この件、ただのストーカー騒ぎでは済まなそうだった。
夕暮れの学園都市。
オレンジ色の光が街並みに降り注ぐ中、結絆はとあるカフェのテラス席に腰掛けていた。
目の前には一人の青年――海原光貴を名乗る男が座っている。
「お初にお目にかかります、食蜂結絆さん」
青年は微笑みながら、上品な仕草で紅茶を一口飲んだ。
彼の動きには隙がなく、礼儀正しい雰囲気を醸し出している。
「おやあ、ずいぶんと丁寧だねえ」
結絆は表情を崩さずに相手を見つめた。
一見すれば礼儀正しく穏やかな人物に見えるが、結絆の目は騙されない。
「それで? 俺に何の用かい?」
結絆の問いかけに、“海原”は微笑を浮かべたまま答える。
「いえ、学園都市においてあなたほどの人物とお話しできる機会は貴重ですので。こうして一度ご挨拶を、と思いまして」
「へえ......でもねえ、そんな社交辞令はいらないよお」
結絆はカップを持ち上げ、軽く紅茶をすすった。
その視線は一切揺るがない。
「君が“海原光貴”を名乗ってるけど、俺の知ってる海原とは別人だねえ」
“海原”の指が、カップの取っ手を握る手にわずかに力を込める。
「......おや、何をおっしゃるのか」
「とぼけても、無駄だよお。本物の海原光貴なら、丁寧さの中に親しみやすさのある口調で話すし、こんなに丁寧な礼儀作法をわざわざ見せつけたりしない。第一、君は、立ち居振る舞いに隙がなさすぎるんだよねえ」
結絆は軽く微笑みながらも、その目は鋭く“海原”を見据えていた。
「君は本物の海原光貴じゃない。“誰か”が彼に成りすましているだけだろお?」
“海原”は数秒の沈黙の後、ふっと口角を上げた。
「......流石ですね。私を見抜くとは」
彼の声色が僅かに変わる。
「うちの情報部門に調べさせたら、君の情報くらいすぐにわかるよお? だから、正体を名乗るつもりがあるなら、今のうちだねえ」
結絆の言葉に、“海原”は微かに肩をすくめた。
「これは失礼しました。確かに私は“本物の”海原光貴ではありません。ですが、あなたと敵対するつもりはありませんよ」
「へえ、それはどうだかねえ」
結絆は不敵な笑みを浮かべながら、カップを静かに置いた。
――偽りの“海原光貴”。
その正体は、結絆にとって新たな問題となることは間違いなかった。
“海原光貴”を名乗る男、彼の本当の名はエツァリというらしい。
彼は、結絆や当麻が戦争の火種になりかねないと忠告に来たようだ。
「君が何者かはさておき、俺と当麻が戦争の火種になるって、どういう意味だい?」
結絆はカップを持ち上げ、ゆっくりと紅茶を口に含んだ。
対するエツァリは、どこか達観したような表情で夜空を見上げる。
「学園都市は科学の最先端を行く場所。しかし、あなたや上条当麻は、その枠を超えた存在だ」
「まあねえ」
結絆は肩をすくめながら答えた。
「君の言いたいことはわかるよお。能力者なのに魔術を使える俺、あらゆる異能を打ち消す幻想殺しの当麻。そんなやつが存在するってだけで、どこかの勢力が火種にしようとするかもしれないってのはねえ」
「その通りです」
エツァリは軽く指を鳴らしながら続ける。
「あなた方の存在は、学園都市と魔術サイドの均衡を崩す可能性がある。だからこそ、あなた達を消そうとする者もいる」
「それが君の役目ってわけかい?」
結絆の言葉に、エツァリはゆっくりと立ち上がった。
「......やりたくてやっているわけではありませんが」
次の瞬間、エツァリの手には黒曜石のナイフが握られていた。
空に見える金星の光がわずかに反射し、ナイフを中心に不気味な輝きを帯びている。
聖人である結絆の眼は、能力によって研ぎ澄まされた第六感も組み合わせることで、金星の光の反射であっても感知できるのである。
「トラウィスカルパンテクウトリの槍――」
エツァリが低く呟くと、金星の光がナイフの刃を滑り、結絆のもとへ向かって一直線に伸びた。
「ッ!」
瞬間、結絆は横へと飛び退る。
光が当たったテーブルが一瞬にして粉々に砕け散る。
「......分解の魔術、かねえ」
結絆は冷静に周囲を見渡す。
光はナイフの刃を通じて反射し、当たったものを分解する性質を持っている。
「確かに厄介な魔術だねえ。でも、仕組みがわかれば対処はできるよお?」
結絆は能力を発動させ、周囲の光の流れを、更に読み取る。
エツァリが狙いを定めているのは、金星の光を反射させて放つ軌道。
「光のルートを歪めれば、狙いが逸れるってことだねえ」
結絆は指を軽く弾く。
結絆は、エツァリの攻撃に合わせて、周囲の水分量を操り、光を屈折させた。
「......なるほど、これは予想以上に手強い」
エツァリは小さく呟きながら、結絆を見据えた。
戦いの均衡が崩れるのは、次の一手次第だった――。
黄昏時の静寂を切り裂くように、結絆とエツァリは対峙していた。
黒曜石のナイフが金星の光をまとい、エツァリの手元で妖しく輝く。
「......最初の一撃で決めるつもりでしたが、やはりあなたは化け物ですね」
エツァリは小さく息を吐きながら、戦況を見極めるように結絆を見つめる。
「そりゃあ光栄だねえ。でも、あいにく俺は"まだ"人間だよお?」
結絆は不敵に笑いながら、一歩前へ踏み出した。
その瞬間、空気が震える。
ゴッ
ほんの一歩。
それだけで大気が爆ぜ、地面が抉れた。
エツァリの表情がわずかに揺らぐ。
彼の知る“能力者”とは、物理法則の範疇で異能を振るう存在だった。
だが、目の前の男は違う。
食蜂結絆は、常軌を逸した身体能力を持つ“聖人”であった。
「まずいッ!」
エツァリがナイフを構えた瞬間、結絆の姿が消えた。
否、目が追いつかないだけだった。
「!?」
反射的にエツァリは後方へ跳ぶ。
しかし、それよりも速く――
ズンッ!!
地響きを伴って、結絆の拳が空間を切り裂くように振り抜かれる。
エツァリのいた場所が一瞬にして陥没し、瓦礫が宙を舞う。
「ッ、避けられ......」
ガッ!
次の瞬間、結絆の膝蹴りがエツァリの腹部を撃ち抜いた。
意識が一瞬飛ぶほどの衝撃。
エツァリの体が弾かれ、数メートル先の壁へと叩きつけられる。
「......くっ......は、はは......」
崩れ落ちながら、エツァリは微笑を浮かべた。
「これは、敵に回したくない相手だ......」
「加減してるとはいえ、君もなかなか粘るねえ。でも、もう終わりだよお」
結絆は淡々と言い放ち、エツァリへと歩み寄る。
戦意は削ぎ落とされ、もはや戦いは決したも同然だった。
エツァリは苦しげに息を整えながら、結絆を見上げる。
「......一つ、頼みがあります」
「頼み?」
「御坂美琴を......彼女を守ってください」
その言葉に、結絆は少し驚いたように目を細めた。
「......君がそんなことを言うとはねえ。まさか、美琴に惚れているのかい?」
結絆は冗談を言うが、エツァリの顔は真剣である。
「......彼女は......僕が関わっていい存在じゃない。だが、だからこそ......あなたに任せたいんです。」
エツァリの瞳には、真剣な思いが宿っていた。
結絆はしばし沈黙し、やがて肩をすくめて微笑む。
「そんなの、言われなくてもやるよお」
かつて助けられなかった少女と瓜二つな美琴
結絆にとって、そんな彼女を守るのは、当然のことだった。
「......そうですか」
エツァリは小さく笑うと、静かに意識を手放した。
夜の闇の中、戦いの幕は静かに閉じたのだった。
結絆がかつて助けられなかった少女についての話は、過去編で書くつもりです。
次は、ドリームのメンバーの話です。