夜の帳が降りた頃、食蜂結絆は学園都市の外れにある廃工場へと足を踏み入れた。
ここで、何者かが悪魔召喚の儀式を行っているとの情報を受け、彼は単身で現場に向かったのだった。
工場内に足を踏み入れた途端、空気が異様に重くなる。
魔術的な痕跡が周囲に漂い、床には血のような液体で描かれた魔法陣が広がっている。
その中心には、十数人の魔術師がいた。
彼らは黒いローブをまとい、怯えた表情で後ずさっている。
そして、その視線の先にいたのは――
「変わった姿をした悪魔だねえ......」
魔法陣の中心には、巨大なグリフォンにまたがる戦士の姿をした異形の存在が立っていた。
その体は古代の甲冑に包まれ、表情は見えない。
彼の周囲には無数の鎖が浮遊し、禍々しい気配を放っていた。
『フフ......お前たちが私を召喚したのか?』
一人の魔術師が震えながら口を開いた。
「そ、そうだ! 我らは偉大なる悪魔ムルムルを召喚し、その力を借りるために――」
その瞬間、ムルムルの指が軽く動いた。
次の瞬間、魔術師の体がまるで見えない鎖に引き裂かれるように四散した。
『ふざけるなよ。お前たちのような愚か者が、私の主になれると思うな』
残された魔術師たちは恐怖に慄き、一斉に逃げ出そうとした。
しかし、ムルムルの鎖が音もなく宙を舞い、彼らの足を絡め取る。
結絆はその光景を見つめながら、静かに息を吐いた。
「なるほどねえ......はあ、魔術師ども、アンタら自分で呼び出したもんの扱いもできないのかい?」
結絆の声に反応したムルムルは、興味深そうに彼の方へ視線を向けた。
『ほう......? 貴様は何者だ?』
結絆はポケットに手を突っ込みながら、ムルムルの視線を真正面から受け止める。
「さて、どうしたもんかねえ。俺はこいつらを片付けに来ただけなんだけど......どうやら、それも必要なさそうだねえ」
彼の視線の先では、まだ生き残った魔術師たちが必死にムルムルの鎖から逃れようともがいていた。
しかし、その努力が無駄であることは明白だった。
ムルムルは口元を歪め、楽しそうに笑った。
『ククク......どうする? 貴様も私と遊ぶか?』
結絆は軽く首を鳴らし、ゆっくりと構えを取った。
「いいねえ......ちょっとばかし、付き合ってやろうか」
しかし、ムルムルは戦闘態勢を取る結絆をしばし見つめると、不意に興味深そうな表情を浮かべた。
『......いや、貴様、なかなか面白いな』
「んん?」
『私を従えようとせず、それでいて逃げることもない......それに、貴様は何かに囚われているな。気に入ったぞ、貴様の力となってやろう』
ムルムルがそう言った瞬間、彼の体が霧のように崩れ、その気配が結絆の体へと流れ込んでいった。
結絆の周囲を霊的な鎖が蠢き、まるで新たな力を得たかのように空気が変わる。
「......ふうん、俺に憑くってわけかい? ま、悪くないねえ」
こうして、食蜂結絆は新たな異形の力をその身に宿し、魔術師たちを討伐するために動き出したのだった。
魔術師達を皆殺しにした結絆は、人気のない路地裏に佇み、静かに目を閉じた。
体内に宿った異質な気配――ムルムルの存在を確かめるように意識を集中させる。
『フフ......どうした? まさか、もう私を持て余しているのか?』
ムルムルの声が頭の中に響く。
その口調は軽妙で余裕に満ちていたが、結絆はただ微笑を浮かべたまま答えなかった。
代わりに、自らの能力――自己制御(セルフマスター)を用い、ムルムルの思考を探る。
霊的存在であるムルムルの精神は、人間とは異なる構造をしている。
しかし、結絆の能力はあらゆる自己の状態を制御し、己にとりついているムルムルの思考をも、自分のもののように知覚することができる。
(さて......お前さんの本音、ちょいと覗かせてもらおうかねえ)
意識を深く沈めると、ムルムルの内側に潜む真の意図がゆっくりと浮かび上がってきた。
『――いずれ、この男の肉体を完全に掌握する。人間とは比較にならぬ力を持つこの器を奪えば、私の力はさらに増し、かつての栄光を取り戻すことができる。焦ることはない。この男が弱った時を見計らって、完全に同化した瞬間、私はこの世に顕現するのだ』
結絆はその考えを読み取りながらも、表情を変えずに小さく息を吐いた。
(やっぱり、そうくるよねえ......だが、だまそうとしているのはお前だけじゃないんだよねえ)
ムルムルが無償で協力を申し出た時点で、何か裏があるとは思っていた。
悪魔が無条件で手を貸すことなどあり得ない。
いずれ乗っ取るつもりでいるのは、むしろ当然と言えた。
『ククク......貴様、何を考えている?』
ムルムルが問いかける。
しかし、結絆は何事もなかったかのように肩をすくめ、気だるげに答えた。
「いやあ、ちょっと考えごとをねえ。ムルムル、お前さんの力、やっぱり面白いねえ。せっかくだし、しばらく一緒にやっていこうじゃないかあ」
『ほう......随分と殊勝な心がけだな』
ムルムルは訝しむような気配を見せたが、すぐに楽しげな笑い声を響かせた。
『まあいい、貴様が望むなら、しばらく協力してやろう』
(フフ......やっぱり気づいてないか、しばらくは泳がそうかねえ)
結絆は心の中で微笑む。
ムルムルは自身の思考が読まれたことを知らない。
ならば、それを逆手に取るまでだ。
いずれムルムルが本格的に肉体を奪おうとする時が来るだろう。
その時は――
「裏切るなら、潰せばいいからねえ」
そう呟くと、結絆はゆっくりと路地を後にした。
ムルムルと共存する時間は、今始まったばかりだった。
結絆は、依頼を受けた暗部組織の情報を手にしながら夜の学園都市を歩いていた。
組織の名は『ナイトフォール』――情報の秘匿性を極限まで高めることを信条とし、自らの拠点の所在を徹底的に隠している。
目撃者は即座に処分され、痕跡すら残さないことで、その存在を都市伝説のようなものにしていた。
「目撃者を皆殺しねえ......随分と徹底してるじゃないかあ」
結絆は呟きながら、路地裏の一角に足を止めた。
ここは数日前、ナイトフォールに目をつけられた一般人が消えた場所。
血の痕跡すら残っていないが、彼の死は確実なものだった。
『さて、どうするつもりだ?』
ムルムルが問いかける。結絆は小さく笑い、地面に手をかざした。
「お前さんの力を借りるよお......魂を、この世に呼び戻す」
ムルムルの力を借り、結絆は死者の魂を引き寄せる。
空気が歪み、微かな霧が漂い始めた。
やがて、ぼんやりとした人影が浮かび上がる。
『......あ、あれは......』
「大丈夫だよお、もう怖がる必要はないよお」
結絆は穏やかな声で語りかける。
怯えていた魂が次第に落ち着き、静かに囁き始めた。
『......連れていかれたんだ......あの地下施設に......』
「教えてくれないかい? そいつらの拠点の場所をねえ」
魂は頷き、記憶の断片を結絆に伝えた。
学園都市第七学区の廃ビルの地下。
そこがナイトフォールの隠れ家だった。
『消してくれ......あんな奴ら......』
「安心してくれ、約束するよお」
結絆は魂を慰めながら、静かに送り出した。
そして、その後も何度かムルムルの力を利用しながら、標的のもとへ向かう。
廃ビルの地下に潜入すると、武装した構成員たちが待ち構えていた。
しかし、結絆は微塵も怯まず、ムルムルの力を解放する。
『ククク......殺し尽くすか?』
「いやあ、それじゃあ面白くないよお」
結絆は敵の意識を狂わせ、混乱に陥れる。
さらに、原典の力とムルムルの霊的な力を使い、亡者の幻影を見せる。
ナイトフォールの構成員たちは恐怖に支配され、次々と戦意を喪失していく。
その隙を突き、結絆は幹部たちを次々に制圧していった。
最後に残ったリーダー格の男が、震えながら銃を構える。
「お、お前......なんなんだ......!」
「悪いけどお、君達は、新しい力の実験台だからねえ......まあ、学園都市を乱す連中は、こうして片付けることになってるから丁度よかったんだけどねえ」
結絆は男の額に指を当て、意識を完全に掌握した。
ナイトフォールの全情報を引き出し、残党が逃げられないよう根こそぎ潰す手筈を整えた。
こうして、学園都市の暗部に巣食っていた『ナイトフォール』は完全に壊滅した。
『フフ......お前、やはり面白いな』
「お前さんのおかげでもあるよお......でも、忘れるなよお? お前が俺が利用してるんじゃなくて、お前さんが俺に利用されてるんだってねえ」
ムルムルは笑い、結絆もまた口元を歪める。
夜の闇に消えながら、彼らは新たな依頼へと向かうのだった。
結絆が、悪魔であるムルムルと契約する話を書いてみました。
結絆とムルムルは、お互いに利用する気満々ですね。
途中出てきた原典の話は、今後書こうと思ってます。(アウレオルスからもらった原典とは別物です。)