駅前の商業ビル裏、倉庫街の薄暗い路地。
黒子は、目の前でうずくまる男を見下ろしていた。
犯人の片腕には黒子の投げたワイヤーが巻き付いており、もがくたびにきつく締まる。
周囲には倒れた男の仲間達が転がっている。
「......これで終わりですの」
黒子は冷静にスーツケースを拾い上げる。
中身は不明だが、これが今回の強盗事件の鍵を握っているのは間違いない。
初春に連絡を取って、支部に持ち帰るべきだ。
黒子は犯人達を念のため更にワイヤーで縛り、風紀委員の支部へ戻るために路地を抜けようとした。
しかし、次の瞬間——
「っ......!?」
鋭い痛みが肩に走った。
「!?」
黒子はとっさに身を低くする。
背中にも、チクリとした衝撃。
視線を下げると、地面に何かが落ちた。
(コルク抜き......?)
肩に手を当てると、そこにはコルク抜きが刺さっていた。
血が滲んでいる。
痛みで顔が歪むが、すぐに状況を理解した。
(これは......まさか空間移動!?)
この攻撃方法、まさしく自分のものと同じ原理であり、対象物を特定の座標へ移動させる能力。
黒子はすぐに臨戦態勢に入る。
「誰ですの......!」
鋭い視線で周囲を見渡すと、倉庫の陰から一人の少女が姿を現した。
高校生くらいの風貌でさらしを巻いた女。
だが、目には強い敵意が宿っている。
女は手に持った懐中電灯を動かす。
その瞬間、黒子は嫌な予感がした。
「っ......!」
黒子は即座に側転し、地面を転がる。
その直後、さっきまでいた場所に再びコルク抜きが突き刺さった。
「鋭いわね......今のでやれたと思ったんだけど」
少女は不敵な笑みを浮かべながら、黒子をじっと見つめる。
「おもしろいですわね......やってみましょうか、どちらの空間移動が上か」
黒子は、スーツケースを持つ手に力を込めながら、深く息を吸った。
(結絆さんから教わったことを試すいい機会ですわね......望むところですの!)
こうして、二人の空間移動能力者による戦いが始まる。
黒子は、目の前の少女を鋭く睨みつけた。
自身は、先ほどの攻撃で肩と背中を負傷している。
だが、今のところ動けないほどではない。
(こちらの攻撃を無効化するつもりならば......速攻で決めるしかありませんの!)
黒子は一瞬で戦闘プランを組み立て、勝負を決めにかかった。
「はあっ!!」
一瞬のうちに十本以上の金属矢を空間移動で射出する。
相手の少女は冷静に指を弾くような仕草を見せた。
次の瞬間、金属矢は空中で消失し、まったく別の方向に出現した。
「っ......!?」
黒子は驚き、身を低くする。
その直後、自分が投げたはずの金属矢が後方から襲いかかってきた。
紙一重でかわしたものの、頬に一筋の傷ができる。
「......これは厄介ですの」
少女は薄く笑った。
「驚いた? 私の『座標移動』は、手に触れているものだけじゃないの。ある程度場所を把握していれば、どんなものでも移動させられるのよ」
(やはり......!)
黒子は舌打ちする。
自分と同じ空間移動能力だと思っていたが、相手の能力はその範囲をはるかに超えていた。
「さて......次は、どう避けるのかしら?」
少女が指を弾く。
「ぐっ......!」
突如、黒子の足元が空間ごと歪んだ。
その場に立っていることすらできず、黒子はバランスを崩す。
そこへ、容赦のない攻撃が飛んできた。
「......がはっ!」
強烈な衝撃が黒子の腹部を直撃する。
壁に叩きつけられ、崩れ落ちた。
視界が揺れる。
息が苦しく、体が動かない。
(まずい......このままでは......!)
少女がゆっくりと歩み寄る。
片手には、黒子が持っていたはずのスーツケースが握られていた。
「終わりね」
少女は指を鳴らした。
次の瞬間、黒子の周囲に無数のコルク抜きが出現する。
「......っ!!」
このままでは、回避は不可能。
黒子は覚悟を決め、歯を食いしばった——その時。
ズガァンッ!!
突如として、凄まじい衝撃波が炸裂した。
少女の攻撃が途切れる。
「何......?」
少女が警戒したように顔を上げた先に。
紫色の長髪をなびかせ、堂々と立つ帆風の姿があった。
「......白井さん、無事ですか?」
「帆風......先輩......!」
黒子は思わず声を上げる。
帆風潤子、常盤台中学の先輩であり、学園都市屈指の実力を持つ女子生徒。
少女は帆風を見据え、数秒沈黙した後——
「......相手が悪いわね」
そう呟くと、スーツケースをしっかりと抱え、空間移動で消え去った。
「......っ!」
帆風が動こうとしたが、すでに相手の姿はどこにもなかった。
「......逃げられましたか」
帆風はわずかに眉を寄せながら、黒子へと目を向けた。
「もう大丈夫ですよ、白井さん」
その言葉に、黒子は安堵しながらも悔しさを滲ませた。
(......まだまだ、ですの......!)
黒子は帆風の肩を借りながら、常盤台の寮へ戻ってきた。
「......大丈夫ですか?」
帆風が優しく声をかける。
「ええ、なんとか......」
とはいえ、負傷した肩や背中がズキズキと痛む。
椅子に座ると、帆風はすぐに救急箱を取り出し、手当てを始めた。
「ひゃうっ......っ、す、少し優しくお願いしますの......!」
「すみません、でも傷口をしっかり消毒しないと」
帆風の真剣な眼差しに、黒子は口をつぐむ。
その間に、黒子は携帯端末を取り出し、初春に連絡を取る。
『白井さん!?無事ですか!?』
「まあ、なんとか......。それより、さっきの相手の正体はわかりましたの?」
少しの間、初春は沈黙した後、低い声で答えた。
『......結標淡希(むすじめあわき)、です』
「結標......?」
『はい。白井さんと同じ空間移動能力者ですが、移動できる重量や距離は白井さんよりも上です』
「......やはり、そうでしたか......」
黒子は息をのんだ。
同じ空間移動能力者の中でも、自分はかなり上位に位置すると自負していた。
しかし、あの結標という女は自らの上をいく。
(......だから、あれほどの差がありましたのね......)
黒子は悔しさを噛み締めながら、結標の能力を思い返す。
「あの女......手に触れていないものも転移させていましたわ。そんな芸当、普通の空間移動能力者にはできませんの」
『はい、彼女の「座標移動」は、通常の瞬間移動とは異なるみたいです。しかも......』
「しかも?」
『結標淡希は、窓のないビルの案内人を務めているという噂があります』
初春の言葉に、黒子の背筋がぞくりとした。
「......窓のないビル、ですの......?」
『はい。学園都市の中心にして、統括理事長が存在すると言われる場所です。普通の人間は中に入ることすらできません。そんな場所に関与しているとなると......』
黒子は思わず帆風に視線を向けた。
帆風はしばらく沈黙していたが、やがて穏やかだが強い口調で言った。
「......初春さん、その件にはあまり深入りしないほうがいいと思いますよ」
『でも......』
「風紀委員の職務の範囲を超えています。あなた達が知るべき情報ではありませんよ」
『......わかりました』
初春の声は少し悔しそうだったが、帆風の忠告を受け入れたようだった。
黒子は、手当てを終えた帆風の手をそっと握った。
「......ありがとうございます、帆風先輩」
「いえ、私は当然のことをしたまでです」
だが、黒子の胸中にはまだ消えない疑念と、結標淡希への闘志が残っていた。
一方、黒子が結標と戦う少し前、結絆は、暗い部屋の中で通信機を耳に当てた。
『......結標淡希が、あなたの“自己制御”に関する研究データを運ぼうとしています、とミサカは報告します』
「あの博士の遺産か......どこへ運ぶつもりかなあ?」
『それは不明ですが、ミサカの推測では学園都市のどこかの研究機関に引き渡される可能性が高いです』
結絆は静かに息をついた。
自己制御——自らの生理・心理状態を完全に掌握する能力。
それに関する研究は、利用されるのを防ぐ目的で闇に葬ったはずだった。
だが、残党がまだデータを保管していたということか。
「......結標の捜索は任せてもいいかい?」
『現在、ミサカが監視カメラにハッキングを仕掛けて捜索中です』
「そのまま続けて。あと、今夜のうちに学園都市の監視システムに細工をしてほしい」
『了解、とミサカは即答します』
結絆は通信を切ると、手元の端末に視線を落とした。
すぐに仲間達への呼び出しをかける。
数分後、マジックシアターの奥にある作戦会議室には「ドリーム」の主力メンバーが集結していた。
「結絆さん、これってまずいんじゃないの!?」
警策看取が腕を組みながら尋ねる。
「結標淡希ってやつが、俺の能力に関する研究データをどこかに運ぼうとしている。放っておけば、またロクでもない実験が始まるかもしれないねえ」
「なら、さっさと止めちゃえばいいんじゃなあい?」
蜜蟻愛愉がニヤリと笑う。
「そうだねえ。そのために、監視カメラに細工をするようミサカに頼んだ。一般人を巻き込みたくないからねえ」
「結標淡希......」
帆風潤子が低く呟いた。
「情報では、彼女はレベル4の空間移動能力者。通常の空間移動能力者とは異なり、触れていないものでも移動できるらしいですね」
「これは少し厄介そうですね」
弓箭入鹿が冷静に言う。
「まずは位置を特定する。ミサカがハッキングを仕掛けて調べてくれてるから、それを待とう。それから......奇襲を仕掛ける。できるだけ短時間で、確実に仕留めるよお」
結絆の言葉に、メンバー達は頷いた。
「じゃあ、それまで準備しておきますね。武器の点検とかも」
弓箭猟虎が言う。
「そっちは頼むよお。俺はもう少し情報を集めておく」
結絆は椅子から立ち上がり、モニターに映る学園都市の地図を見つめた。
結標淡希、その名を再び心の中で呟く。
(......このデータ、絶対に回収する)
結絆の瞳には、冷たく鋭い光が宿っていた。
一方、夜の学園都市。
通りにはほとんど人影がなく、街灯の淡い光が舗道を照らしている。
応急処置を終えた白井黒子は、結標淡希の逃走ルートを割り出し、静かにその背後に現れた。
「どこへ行くつもりですの?」
黒子の声に、結標はゆっくりと振り返る。手にはまだスーツケースを握っている。
「しつこいわね......さっきの戦いで大人しくしていればよかったのに」
「申し訳ありませんが、そういうわけにはいきませんの。あなたがそのスーツケースを持ち去ろうとしている以上、見逃すわけにはいきませんわ」
黒子は鋭く睨みながら結標の手元を見た。
「あれの中身、何に使うつもりですの?」
結標は少しだけ目を細め、黒子の問いに答える。
「これはね、食蜂結絆の“自己制御”に関する研究データよ。これを使えば、多重能力者を生み出すことができるかもしれないわ」
「多重能力者......?」
黒子は驚愕した。学園都市の能力開発は、一人一つの能力を伸ばすのが原則だ。
それを覆すような研究が行われていたとは。
「そんなことをすれば、また新たな犠牲が生まれますわよ」
「犠牲?」結標は鼻で笑った。
「そんなもの、知ったことじゃないわ」
「......っ!」
黒子は奥歯を噛み締めた。
どれだけの苦しみを生むかも考えず、ただ自分の目的のために動く——その考えが許せなかった。
「これ以上、あなたの好きにはさせませんの!」
黒子は結標との再戦に向けて身構えた。
結標もまた、静かに戦闘態勢に入る。
「......いいわ。相手してあげる」
再び、二人の戦いが始まる——。
学園都市の夜空を見上げながら、食蜂結絆は通信デバイスに指を滑らせた。
マジックシアターの一角で、ドリームのメンバーが待機している。
彼は冷静な表情を装っていたが、その指先にはわずかな焦りが滲んでいた。
「ミサカ、進捗は?」
ノイズ混じりの音声が返ってくる。
「ターゲットの結標淡希は現在、白井黒子と交戦中とミサカは報告します」
結絆の表情が一瞬強張る。
「黒子が......?まさか、初春に頼んで......」
ミサカのハッキングに対抗できるのは、同じ能力者である美琴と、守護神(ゴールキーパー)と呼ばれるほどの天才ハッカーである初春しかいない。
美琴がこの件に関与していないのは知っているので、結絆はすぐに真実にたどり着く。
そして、黒子が相手取るには、結標はあまりにも強すぎる。
彼女はただの空間移動能力者ではなく、物体の触れずに移動させることができる特異な存在だ。
「他の風紀委員は?」
「現場にはまだ到着しておらず、白井黒子は単独で対応中とミサカは報告します」
結絆は舌打ちをし、すぐにミサカへ指示を出した。
「結標の居場所を特定しろ。今すぐだ」
「了解、ミサカは監視カメラをハッキングして情報を取得中です......ターゲットは第七学区倉庫街に位置すると推測されます」
「そこか......!」
結絆はすぐさま動き出した。ドリームのメンバーが彼の後を追う。
「行くぞ。結標淡希を止める」
結絆は、目的地に向かう。
黒子が無事であることを願いながら。
結絆が動くことになったので、結標の企みはもうおしまいですね。