「じゃあ、この分身体はしばらく美琴達の元に置いていくよお」
「えっ? いいの?」
美琴が驚いたように尋ねると、結絆は軽く頷いた。
「うん、俺はちょっと用事があるからねえ。まあ、分身体とはいえ、俺とほぼ同じだから、困ったことがあったら頼っていいよお」
「それはありがたいですわねぇ......お姉様?」
黒子が意味ありげに美琴を見つめる。
美琴は何かを察したのか、少し警戒しながら黒子を見返した。
「......何よ?」
「お姉様、これはチャンスではなくて? 分身体相手なら、普段はなかなか言えない感謝の気持ちを伝えたり、甘えたりすることができますのよ?」
「はぁ!?ちょっと、何言ってんのよ!?」
美琴が顔を真っ赤にして抗議するが、黒子は楽しげに微笑んでいる。
「ふふっ、お姉様は素直じゃありませんのねぇ。でも、よく考えてみてくださいまし。結絆さん本体には照れくさくてできないことも、分身体相手なら気軽にできますわよ?」
「そ、それは......」
美琴は少し考え込む。
確かに、結絆に直接甘えたり感謝を伝えたりするのは気恥ずかしい。
けれど、目の前にいるのは分身体、つまり本体ではない。
そう考えると、なんとなくハードルが低く感じられた。
「......別に、ちょっとくらいならいい......のかな......」
美琴は頬を染めながら、分身体の袖をそっと掴む。
「えっと......いつもありがとね。あんたには助けられてばっかりで......その......感謝してるわ」
ぽつりぽつりと紡がれる美琴の言葉に、分身体は優しく微笑んだ。
「どういたしまして、美琴」
その一言に、美琴はますます顔を赤くした。
「......もう、なんかこういうの慣れてないから、変な感じ......」
「お姉様、もっと素直に甘えてもいいのですわよ?」
「なっ、黒子!」
黒子がさらに煽るように囁くと、美琴はジト目を向けたが、ちらりと分身体を見て、思い切ったように小さく呟いた。
「ゆ、結絆......その、撫でて......」
「ふふ、いいよお」
分身体は優しく美琴の頭を撫でる。
その感触に、美琴は少しぎこちないながらも目を細めた。
「......ふぅ......」
それを見ていた黒子は満足げに頷く。
「お姉様、とても可愛らしいですわ......!」
「う、うるさい!」
美琴が黒子に向かって電撃をちらつかせるが、黒子はひらりとかわす。
その間も、分身体は静かに微笑んでいた。
そして、その様子は、結絆本体にもリアルタイムで伝わっていた。
「へぇ......美琴も俺に甘えてくれるようになったんだねえ......」
別の場所でそれを把握していた結絆は、くくっと小さく笑う。
「今度会ったとき、ちょっとからかってみようかなあ?」
そんなことを考えながら、結絆は次に美琴と会うのを楽しみにするのだった。
常盤台中学の寮の前、美琴と黒子は結絆の分身体と共に立っていた。
「さて、お姉様。結絆さんの分身体を寮の部屋に連れ込みますわよ」
「......その言い方、なんか引っかかるんだけど」
美琴が眉をひそめると、黒子はくすくすと笑った。
「しかし、問題はどうやって寮の規則を誤魔化すか、ですわね。いくら分身体とはいえ、男性を寮に入れるのは......」
「その点なら問題ないよお」
分身体が柔らかく微笑むと、次の瞬間——彼の体が波紋のように揺らぎ、さらさらと水へと変化していった。
「えっ?」
美琴と黒子は目の前の光景に思わず息を呑む。
ほんの数秒前まで確かにそこにいた結絆の分身体が、まるで水が流れるように地面へと溶けていった。
「なっ......!?消えた!?」
「お姉様、足元をご覧になってくださいまし」
黒子に促されて美琴が下を見ると、そこには水たまりが広がっていた。
透明で澄んだ水の中には、かすかに結絆の意識を感じるような気がした。
「すごい......本当に水になってる......」
「流石ですわね。これなら誰かに見られても問題はありませんわ」
黒子が感心したように頷くと、水たまりは静かに動き出し、美琴達の足元を滑るように流れ、寮の中へと向かっていく。
「......こんな便利な能力、私も欲しいわね」
美琴がぽつりと呟くと、黒子も同意するように頷いた。
「ええ、これがあれば私もお姉様のベッドに気兼ねなく」
「それ以上言ったら感電させるわよ」
黒子が言い終わる前に、美琴が軽く指を鳴らすと、黒子は慌てて口をつぐんだ。
その間に水たまりは、まるで意志を持っているかのように廊下を進み、二人の部屋の前で止まった。
そして——
「ふぅ......」
水がゆっくりと集まり、人の形へと変わる。
やがて、それは結絆の分身体の姿へと戻った。
「お邪魔するよお」
「......うん、これ本当に便利ね」
「まったくですわ。これなら誰にも気付かれずに寮に入れますし」
「だから言い方!」
美琴がジト目で黒子を睨むが、黒子は悪びれた様子もなく微笑んでいた。
「まあまあ、それより早く部屋に入りましょう」
「......そうね」
三人はそっと部屋に入り、静かにドアを閉めた。
分身体が常盤台の寮に入り込んだという事実に、美琴は不思議な感覚を覚えながらも、どこか嬉しそうにしていた。
常盤台中学の寮の一室。
美琴は結絆の分身体を見つめながら、ふと思いついた。
「ねえ、せっかくだし掃除手伝ってくれない?」
「掃除かあ......いいよお」
分身体は優しく微笑むと、美琴の指示を待つように構えた。
「じゃあ、まずは床の掃除からお願い。黒子が髪の毛とか落としまくるから、すぐに汚くなるのよね」
「お姉様、何か言いましたの?」
「別に!」
美琴がそっぽを向くと、分身体は軽く肩をすくめた。
分身体が手をかざすと、水が床に広がり、瞬く間にホコリやゴミを絡め取っていく。
水はまるで意志を持つかのように部屋の隅々を這い回り、汚れを落とすとすぐに霧散した。
「すごい......」
美琴は目を丸くした。
床はピカピカになり、まるで清掃業者が磨き上げたかのような仕上がりだった。
「こんなに便利なら、毎日お願いしたいくらいね」
「俺の本体は、そんなにマメじゃないだけどねえ」
分身体が冗談めかして言うと、美琴は苦笑した。
「まあ、それはそうね。じゃあ次は机の上の整理をお願い」
「了解だよお」
分身体はテキパキと動き、机の上に散らばった教科書やノートを綺麗に並べ、文房具も整理していく。
その手際の良さに、美琴は感心するばかりだった。
「......おぉ、これなら黒子より頼りになるわね」
「ひどいですの......」
それから、分身体は黙々と作業を続けた。
そして、クローゼットの整理をしている途中
「ん? これは......?」
分身体が棚の奥から小さな瓶を取り出した。
ラベルには、怪しげな文字が書かれている。
美琴はその文字を見た瞬間、顔を引きつらせた。
「黒子ぉ......」
「な、なんですの、お姉様?」
黒子が振り向くが、美琴の顔は完全に怒りモードになっている。
「これ、何?」
「そ、それは......ええと、元気になるドリンクですの......?」
「どこで買ったの?」
「えっと、その......ええと......」
「まさか、また変なルートから手に入れたんじゃないでしょうね......?」
黒子が目を泳がせているのを見て、美琴は確信した。
そして
「黒子ォ!!」
バシッ!!
「ふぎゃあ!!」
美琴の手刀が黒子の頭に炸裂し、黒子はその場に崩れ落ちた。
「なぜですの!?まだお姉様に飲ませてませんのに!!」
「やっぱりそうだったのね!あぁ、油断も隙もない」
「ぐぬぬ......お姉様の鬼ぃ......」
涙目でうずくまる黒子を横目に、分身体は瓶をそっと棚に戻し、肩をすくめた。
「まあ、整理は終わったよお」
「ありがとう、助かったわ。......あとは黒子の頭の整理が必要だけど」
「お姉様、ひどいですのぉ......」
結絆の分身体は、そんな二人のやり取りを見て微笑んでいた。
夜の帳が下りた常盤台中学の寮の一室。
美琴はベッドの上で軽く伸びをしながら、結絆の分身体に視線を向けた。
「ねえ、結絆......じゃなくて、分身体だったっけ。今日は一緒に寝てくれない?」
「添い寝かあ......いいよお」
分身体は柔らかく微笑みながら、美琴の隣に腰を下ろした。
「ありがと......」
美琴は少し照れくさそうにしながらも、分身体の腕に軽く寄りかかる。
彼の体は水からできているはずなのに、不思議と人肌の温もりがあった。
「......なんか、安心するわね」
「それはよかったよお」
美琴は小さく息をつき、心地よさそうに目を閉じた。
すると——
「お姉様ァァァァ!!」
黒子の叫び声が部屋に響き渡った。
「な、なに!?」
美琴が驚いて身を起こすと、黒子はギリギリと歯を噛みしめながら分身体を睨みつけていた。
「なぜですの!? なぜお姉様はこの分身体と添い寝することになっているのですの!?わたくしも二人と寝たいですの!!」
「いや、そんなに怒ること?」
美琴が呆れたように言うが、黒子の嫉妬の炎は収まらない。
「まったく、不公平ですの! これは抗議せざるを得ませんわ!」
「そんなに言うなら......」
分身体は困ったように笑うと、ゆっくりと手をかざした。
すると、彼の体からもう一人の分身体が生み出される。
「これでいいかなあ?」
黒子は目を輝かせ、すぐさま新たに生み出された分身体の腕に飛びついた。
「なんと素晴らしい采配! これでわたくしも心置きなく眠れますの!」
「......いや、そもそもそんなに騒ぐこと?」
美琴は半ば呆れながらも、結絆の分身体に再び寄り添った。
「まあ、これで問題なしってことでいいかなあ?」
「そうね......おやすみ、結絆」
「おやすみ、美琴」
「おやすみなさい、お姉様!」
そんなやり取りの後、美琴と黒子はそれぞれ分身体に寄り添いながら、静かに眠りについた。
翌朝、朝の空気を吸いながら、美琴と黒子はゆっくりと登校の準備をしていた。
そこへ、結絆が現れた。
「おはよう、二人とも」
「あ、結絆......おはよう」
「おはようございますですの」
美琴と黒子が挨拶を返したその瞬間、結絆がにやりと笑った。
「それにしてもさあ......昨日は随分と甘えてたみたいだねえ?」
「......は?」
美琴は一瞬、結絆の言葉の意味を理解できなかった。
しかし、彼の目がどこか楽しげで、からかうような色を帯びていることに気付き、瞬時に顔が赤くなった。
「ちょ、ちょっと待って、何の話!?」
「何ってえ、昨日の夜、俺の分身体と添い寝してたでしょお? それも、けっこうべったりと」
「————っ!!?」
美琴の脳内に、昨夜の出来事が一瞬でフラッシュバックする。
『......なんか、安心するわね』
そう呟いて、分身体の腕にぎゅっとしがみついた自分の姿——。
「う、うそ......それ、見てたの!?」
「見てたっていうか、俺の分身体は俺自身でもあるからねえ。ちゃんと情報共有してるよお」
「ちょ、ちょっと待てぇぇぇぇぇぇ!!!」
美琴は真っ赤になりながら頭を抱え、結絆の方を睨みつけた。
「そ、そんなのずるいでしょ!? それなら最初に言っときなさいよ!!」
「いやいや、そんなこと言ったら、昨日みたいに素直に甘えられなかったんじゃないかい?」
「うぐっ......」
美琴は言葉に詰まり、顔をさらに真っ赤にする。
「お姉様が昨晩、あれほどまでに安心しきった表情で分身体に寄り添っていたなんて、さすがの私も驚きでしたの......」
黒子もニヤニヤしながら合いの手を入れる。
「くっ......黒子、あんたまで......」
「まあまあ、そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない?俺の分身体は本体と変わらないし、美琴が俺に甘えたいって思ってくれたなら、素直にそう言ってくれた方が俺も嬉しいよお」
「そ、それは......っ!」
美琴はぐっと唇を噛む。
しかし、結絆のからかい混じりの言葉とは裏腹に、彼の表情はどこか優しげだった。
そのことに気づいた美琴は、ほんの少しだけ顔を伏せた後、小さく呟いた。
「......今度は、直接甘えるかもしれないから......覚悟しなさいよ」
「おお、それは楽しみだねえ」
「うぅぅ、やっぱり今のなし!!!」
恥ずかしさに耐えきれなくなった美琴は、その場から駆け出していく。
結絆と黒子はそんな彼女を見送ると、顔を見合わせて笑い合った。
「お姉様はやはり可愛らしいですの」
「ほんとだねえ」
そうして、朝の空気の中、結絆と黒子は軽やかに寮を後にしたのだった。
昼休み、結絆、黒子、美琴の三人は校舎裏のベンチに腰掛けていた。
黒子はふと思いついたように結絆を見上げる。
「ところで、結絆さんの分身体は、結絆さんだけではなく、他の人の姿にもできるのですの?」
「うーん、試したことはないけどお......理論的にはできると思うよお」
「なるほど......」
黒子の目が輝く。
その様子を見て、美琴が怪訝そうに眉をひそめた。
「ちょっと黒子、何を企んでるのよ」
「いえいえ、お姉様、私はただ少し興味が湧いただけですのよ。ねぇ、結絆さん、一度試してみてくださいませんこと?」
「まあ、面白そうだし、やってみようかあ」
結絆は軽く息を吸い込み、手を前に出した。
空間に波紋のようなものが広がり、水が湧き出す。
それが徐々に人の形を取り始めた。
輪郭が整い、肌の色が馴染み、髪や制服のしわまで精巧に再現される。
そして、目の前に現れたのは——。
「......えっ?」
美琴は目を見開いた。
そこには自分とまったく同じ姿の分身体が立っていた。
「こ、これ......私......?」
美琴そっくりの分身体は静かに微笑み、まるで本人がそこにいるかのような動きで軽く手を振った。
「おおおおっ!」
黒子は大興奮しながら、目の前の分身体をじっと見つめる。
「すごいですの! 姿はもちろん、声までそっくり......!」
「まあ、声もコピーしてるからねえ」
「こ、これは......夢のようですの!!」
黒子は勢いよく美琴そっくりの分身体に飛びついた。
「お姉様ぁぁぁ!!!」
「うわっ!?」
分身体が少しよろけるが、黒子の抱きつきをしっかり受け止める。
「お姉様ぁ......ずっとこうしたかったんですの......」
黒子は分身体の腕に頬をすり寄せ、幸せそうにため息をついた。
「ちょ、ちょっと黒子!? そいつは私じゃなくて結絆の分身体よ!?」
「そんなこと関係ありませんの! 見た目も声もお姉様なら、実質お姉様ですの!!」
「......あんたは、本当にブレないわね......」
美琴は呆れながらも、黒子の嬉しそうな顔を見てため息をつく。
「ふふ、こんなに喜んでもらえるなんて、作った甲斐があったねえ」
「結絆、あんたは余計なことをしすぎなの!!!」
「ええ~?でも黒子が頼んだことだからねえ」
「うぐ......それは......そうだけど......っ!」
美琴がジト目で睨む中、黒子は美琴そっくりの分身体にすっかり夢中になり、抱きついたまま離れようとしなかった。
「むふふ......お姉様の温もりをずっと感じていたいですの......」
「だから!そいつは私じゃないのよ!!」
美琴の叫びが校舎裏に響き渡った。
分身体と本体で情報共有ができるのは、とても便利ですね。
現実世界でも、それができればいいのですが......