変わってしまったのは 作:ロクデナシな文字書き
藤丸立香は変わっていない。
「あー、美味しかった」
「久しぶりに食べたけど、やっぱり変わらず美味しかったなぁ」
「ね、それな」
お腹をさすりながら、満足げに話して歩く私達は満面の笑みを浮かべている。けふ、とお腹いっぱいアピールをすると立香はきゃらきゃらと笑った。うん、やっぱり立香だ。
良く晴れ渡った碧天を見上げながら、ふと考える。
立香はいつまでここにいて、いつになったらあそこの仕事を辞めるのだろう。
今いるこの瞬間があまりにも心地よかったのか、はたまた再びあの疑念が湧き戻ってきたのかは分からないけれど、何故か嫌にその事が気になった。
気になるならば、聞いてみればいい。思い立ったが吉日だ。
『あのさ』
そう口に出掛かった瞬間、私達が歩くその直ぐ先で、ドカン、と聞いたこともないような爆音が鳴り響いた。
見慣れた筈の、キレイなエメラルドブルーの瞳がかつてないくらいに見開くその瞬間を、私は見てしまった。
その瞳は、とても、とても____
____見たことがないくらいに、静かで、時間が止まっているかのように凪いでいた。
「きゃぁぁぁぁ!!」
「火事だ!! 通報、誰か通報したのか?!」
「逃げろ、火ぃデカいぞ!! 巻き込まれる!!」
先程まで和やかだった街が、一度に地獄へと様変わりする。
ごぉごぉと燃える炎の音と、人々の多種多様な叫び声が、その地獄を更に助長させる。
赤、赤、赤。火が、炎が、私達の街を色濃く染め上げる。緑が赤に埋め尽くされる。白が、黒が、赤に包まれる。熱が、私の肌をチリチリと刺激する。呼吸をするたびに、喉が焼けるように痛む。鼓膜を劈くような叫び声と、何かが崩れ落ちる音が響いて、思わず耳を塞ぎ込む。人々の叫びが、あちらこちらであがる。
「火事?! どうして?!」
「知らん、二階のレストランかなんかだろ! いいから逃げるぞ!!」
「誰か火をつけたんじゃ?! あそこ、昔からの名店なのよ?! 今更火事だなんて!」
「ぅえーん!! 怖いよぉーっ!!」
____知らない、私の街は、こんなじゃない。立香も、変だ。なんで、どうして?
噎せ返ってしまいそうなくらいに濃い黒煙が、視界の先に揺らめくのを見て、ようやく私は正気に戻った。人々が此方に向かって走ってきている。よく見ると、その先に液体が流れていて、きっとその液体に火が付けば此方まで届いてしまうだろう。
あぁ、逃げないと……! はやく、逃げなくちゃ!!
「立香、立香!! ねぇ、逃げよう!! こっちまで火が来ちゃうよ!!」
ボーっと突き立つ、まるでつい先程の、のほほんとした柔らかなものとは違う冷たい雰囲気を纏った別人のような立香の袖を掴んで、必死に呼びかける。こんなところで死んじゃあ駄目だ! 立香には、私には未来があるんだから、逃げないと!
けれど立香は全く微動だにしなくて、どこか明日の方向を見ている。まるで誰かと会話をしているようで、そんな場合じゃないのに、と無意識に苛ついてしまう。
このままだと動いてくれない。そう判断した私が、無理やり立香の身体を引っ張ろうとすると、誰かの甲高い悲鳴が耳に入った。
「いやぁぁぁぁ!! まだ、まだっ!! うちの子がぁっ、中にっ!!」
「だめだ! アンタまで死んじまう!! もう間に合わねぇ!!」
あまりの悲痛な叫びに、思わず意識が逸れる。膝から崩れ落ちた女性が、燃え滾るビルに手を伸ばしている。それを男性が抑えて、避難させようと肩を掴んで訴えていた。
子どもが、まだあの中に?
そう思って顔を青くしていると、突然さっきまでボーっとしていた立香が走り出した。
____勢いよく燃え滾る、嫌に赤黒い大きな炎に向かって。
その表情は、まるで覚悟が決まった特攻隊員のようで、まるで死地に向かう兵士のようで、今までに見たことのない別人のようで、とても恐ろしかった。
立香は眩しげに、それでいて何かを見つけたように目を細めながらも、炎なぞ気にしまいと走り抜けている。
一瞬、こちらを振り向いた立香の口が開かれた。
『だ・い・じ・よ・う・ぶ』。
強い覚悟の光を瞳に宿しながら、燃え盛る炎に吸い込まれていく。そんな立香を見た私は、ようやくその恐怖から開放されて、我に返った。瞬間、全身から血が引くような気がした。
「立香っ?! 立香ぁっ?! 駄目っ、戻ってぇっ!! あなたまでっ!! だめっ!! 立香っ!! 立香ぁぁっ!!」
可能な限り喉を使って、叫ぶ。
今なお炎に向かって走る、変わってしまった幼馴染に。
死なないでほしいから、生きてほしいから。
手を伸ばして、身体を動かそうとして、しかし何故かぴしりと固まってしまう。立香が、あの地獄の中にいるというのに、私はなんで動けない?!
涙が瞼から溢れる。チリチリと火が私の肌を刺激する。身体は変わらず動かなくて、心臓がバクバクとその鼓動を早める。
それでも私は叫んだ。戻ってきてほしいから。言いたいことが今、できたから。
「立香、立香っ!! 立香、立香ぁっ!!」
炎で熱くなった空気と、普段じゃ考えられないくらいの大声のせいで、喉が掠れる。肺いっぱいに、気分の悪くなるような黒煙が入り込んで、息が苦しくなる。頭が疑問で溢れる。
どうして、立香はあんなことを? どうして、立香はあんな目をしていたの? そもそも、どうして立香は変わってしまったの?
溢れる疑問は、胸で感じたことのない感情へと変換されて、そのまま頭へと送られ、瞼で液体となって滲み出る。
誰かが私の肩を掴んで、なにか必死に叫んでいる。
きっと、私もさっきのお母さんみたいに避難しようと言われているんだろう。
けれど、私はここを離れない。彼が再びここに戻ってくるまで。
彼が、帰って来るべき場所として、私は絶対に離れない。離れて、たまるものか。
「もどって……おねがいっ……」
燃え盛っているどことなく不気味な炎を、瞬き一つもせずにただ瞳に焼き付ける。乾燥した瞳には、とても強すぎる刺激だった。
それでも、私は見逃したく無い。
大切な友を、迎えるために。
沢山の疑惑と、謎を抱える幼馴染を問い詰めるために。
人知れず何かを背負い込んでいるであろう彼を、知るために。
「……ぅ、りつか……かえってきてっ……しなないでぇっ……」
そうして叫んで、待って、その果てに____
____夢で見た黒髪の人は、何故か目立った傷もなく、小さな命を抱えて嫌に赤黒い光から現れた。
***
燃え滾る炎から、なんとか無事に出てきた立香が、いろいろな取り調べを終えて帰ってきた。日がその顔の半分を隠しだした、夕刻の頃だった。
あの火事はガス漏れが原因だったらしい。立香が一瞬顔を顰めていたのは気になったけど、今はそれ以上にやるべきことがあった。
立香は気まずそうに頭を掻いて、視線を逸らして此方へと向かってきている。良くないことだという自覚があって、あんなことをしたのだろう。
以前なら、自分の命が危険になるようなところまで行って助けるような人じゃなかったのに。
私は、そんな立香に言いたいことがあった。
「立香」
「……はい」
完全に縮こまって申し訳無さげにする立香を見て、腹の奥底からふつふつと複雑な感情が湧き上がってくる。怒りとも、悲しみとも、不安とも、恐怖とも言えない。
ただただ、以前とは全く違った立香を、私はあの瞬間に見た。見てしまった。
「あのさ……」
「……はい」
「私、心配したんだよ」
「……うん」
「怖かったんだよ」
「……」
「立香が、死んじゃうかもって」
湧き上がる感情が、自然と瞼にやってきて、涙として私の首筋を伝う。どうしても、口が震えて、身体が震えて、息が震える。
目の前にいる立香に、どうしようもないくらいの安堵を覚えている自分がそこにいた。
それと同時に、変わってしまった立香を怖くも不安とも思う自分を、嫌にも自覚させられる。
暫くの沈黙。お互いの視線が、ぴしゃりとかち合った。
立香が、ゆっくりと口を開く。今私が合わせている目が、微かに淀んだ後に、強い光を宿した。
「……でも、死ななかった。こうして、今度は命を零さなかった」
今度って? それに何、その表情? 夕日のせいで逆光になった立香の瞳に、火事の時のような知らない光が宿っていた。知らない。こんなにも、冷たくて、熱くて、眩しくて……怖い瞳を、顔を。
けれど、それと共に、私の中でついさっき決めた覚悟が一層強くなった。
「……そう、そっか」
「立香」
「……はい」
覚悟を決めて、大切な幼馴染に、変わってしまった彼に、目を合わせてその名を語りかける。何かを察したらしい立香が、真剣な眼差しで見つめながら返事をした。
その瞳には、やはりこれまでにはなかったナニカが孕まれていて。
頭の中で、かつての疑問と今の覚悟が巡りだす。
__どうして立香は変わってしまったのか?
__いつからこうなってしまったのか?
__問い詰めるべき相手は、本当に彼なのか?
__なら私はどうすべきか?
やっぱり、腹を括るしかないな。
私は大きく息を吸って、口を開いた。
「……え?」
私は、あなたを知りたいんだ。
頑なに返事を待つ私の瞳には、目を揺らしながらもゆっくりと口を開くあなたがいた。
***
これでこの小噺は、本当におしまい。
____ええ? 結局ハッピーエンドじゃないか、って? それに彼女は最後になんて言ったのか、って?
ううん……それは君たちの解釈に任せるよ。そもそもハッピーエンドにならない、なんて明確には言っていないさ。
それに、なんせ僕にも彼女が最後になんと言ったかはわからないからねぇ。
それじゃあ、今度こそ____
結末は、彼女の台詞は、あなたの想像に委ねます。