■ ■
―――勇者ヒンメルの死から5年。中央諸国・東側高原。
ヒンメルの死を切っ掛けとして、人間の事を知ろうという目的の下に旅をする事となったフリーレンは、そのヒンメルの遺言として彼の忘れ形見であるフェルゼと共に、その旅を歩む事となった。
あれから5年という長い様で短い月日が経ったお陰か、フェルゼもようやく少年と言うに相応しい体格へと成長しつつあり、かつての様なあどけなさは何処か影を潜めつつあった。
「じゃあ、そろそろ行こっか。目的地まであとちょっとだし」
「分かった」
緑に埋め尽くされた草原の真ん中に生えた大きな木の下、影に寝そべる様にしていたフリーレンが起き上がると同時に、10歳になったフェルゼはせっせと準備を終わらせる。
彼女達は今、中央諸国の王都からかなり離れた東側の高原まで遥々足を運んでいた。
この高原の入る前の村で足を休めていた所、その村の村長から頼み事をされたのが事の発端だった。
「此処から1kmくらいかな。そこに魔物が居るって村長が言ってたけど、本当みたいだね。しかも結構大きそう」
この東側高原には魔族も寄り付かず、豊かで平和な土地だったのだが、何処か別の地方から逃げてきた魔獣によって高原を占領されてしまい、難儀していたらしい。
この高原は子供達の遊び場であると同時に放牧場所でもあった為、動物達も困っているそうだ。そこで、丁度滞在中だったフリーレン達に村長がお願いをしてきたという訳である。
「植物系かな?」
「そこまでは分からない。けど、多分動物系だと思う。群れで眠ってるって所かな?」
「群れか……《
「確かに一気に焼き払えるけど……それだとこの高原が焼け野原になっちゃうから、却下かな。それに、元々これはフェルゼに解決してもらおうと思ってた事だし」
「僕に?」
首を傾げながらも、フェルゼは己の右手を、背中に担った身の丈より少し大きな剣の柄へと走らせる。
フェルゼはまだ10歳という年齢。旅をした当時は5歳という非常に幼い年齢だったが、フリーレンは彼を置いて行く事なく今日まで連れて来た。
それは決してヒンメルの遺言に従ったというだけの話ではない。寧ろ、最初はヒンメルとフェルゼを想って彼を置いていこうと決めていたくらいだ。
しかし、それはハイターとアイゼンの言によって覆され、まず試用期間を設けてそれから決めれば良いという話になったのだ。
それから5年が経過して、旅に同行させている。それが何を意味するのかは、もうお分かりだろう。
そう―――
「―――これが初陣だ。危ない時は援護するから、頑張ってね」
「……分かった。行ってくる」
初陣である!
5年も経っている? んな事は知らん。だってエルフなのだから。フェルゼが本当にこの人訳分からんという顔を浮かべても、しかし当のフリーレンは知らん顔である。
10年という長い時間をたった10年とか言ってのける彼女からしてみれば、5年なんてぶっちゃけ一週間が経過したかなー?程度の認識に届くかもかなり怪しい部分だ。
つまりは未だ試用期間の真っ最中。この初陣で彼がどう活躍するかによって、これから彼を本格的の旅に同行させるか否かが決まってくる訳だ。
まぁ、
「――――――すぅ」
短く息を吸って、背負った直剣を鞘から引き抜いて―――疾走した。
「……そこから行くんだ」
その行動は、流石にフリーレンも予測していなかった。
距離にして1km。確かに眠っている今であれば、この距離からなら勘づかれる事なく接近する事が出来るだろうが、それにしたって遠過ぎる。
子供が全力疾走した所でそう簡単に縮まる距離などではないそれを、しかし―――フェルゼは一瞬にして縮めてみせた。
「フッ!」
『――――――――――――!?!?!?!?!?!?』
振り抜かれた直剣が、草原に眠っていた魔物の硬い獣皮を容易く斬り裂く。
突如として襲い掛かる激痛に声も
たった一歩の踏み込みから解き放たれた瞬速は留まる事を知らず、風に乗るがままに少年は身の丈以上の直剣を木の枝の如く振るってみせる。
「――――――」
一閃から二閃、二閃から四閃。四閃からさらに十一閃。
まだ子供であるが故に粗さが目立つものの、しかしその剣技には僅かな冴えが見て取れた。一振りで幾つもの斬撃を叩き込む、なんて芸当には至っていないが、それでも子供が撃っていい威力の剣戟ではない。
脳裏にあるのは、愛しき父の技。老年となって尚も衰える事のなかった勇者の剣技。
速く、柔らかく、強く、鋭く、正確。自分を拾い、自分を育て、自分に剣を教えてくれたあの父との僅かな稽古を思い出す。
「……」
想起。間もなく終了。
「右の踏み込みは足首から爪先に掛けて一瞬――――――剣は振り下ろす際に左手を引いてより斬れるように――――――腰は浅く肩は深く、回転をイメージ――――――」
分析と解析。間もなく終了。
「今の
理論展開と理解。間もなく終了。
「……今のぼくじゃ、これが限界だ。まだ
敢えて大きく距離を取り、直剣を構え直す。
群れは減った。だが、全てを殺し切れた訳ではない。他の子分は兎も角として―――一匹、巨躯を誇る親らしきものが未だ残っている。
何度も連撃を叩き込み、身体の至る所に切り傷を刻み込まれて血潮を噴き出しているというにも関わらず、未だ雄々しく地に立っている。
この魔物―――魔獣が純粋に一匹の獣として強大であるというのも理由ではあるが、フェルゼが未熟であるのもまた理由だった。
しかし、その剣戟をしかとその目で見たフリーレンは、王都でフェルゼを初めて見た時の様な驚愕の表情を浮かべていた。
「……驚いた。ヒンメルの言ってる事は本当だったんだ。本当に凄い」
驚嘆も驚嘆。もはやある種の感動すら抱いていた。
まだ10歳程度の子供でありながら剣をマトモに振るえるというだけでも十分過ぎるというのに、あろう事か―――
「確かに、これはすぐ追い抜かれる。剣を抜いた状態での近距離なら、私も危ないかもしれない。そういえば、アイゼンもやけに肩を持ってたけど……そういう事か」
ハイターにフェルゼを頼まれながらも、それを承諾しようとはしなかったフリーレン。そんな彼女に、アイゼンもまた進言したのだ。
『フリーレン。彼奴はお前が思っている以上に強い奴だ。そして、これからさらに強くなる』
『アイゼンまで……何を根拠にそんな事言ってるのさ』
『まぁ、ヒンメルの言葉を信じているってのもあるが……一番は勘だ。戦士としてのな。アレは――――――あっという間に誰も彼もを超える剣士になるぞ』
「あの時は信じてなかったけど……これじゃ、馬鹿には出来そうにないね」
ヒンメルはとんでもない子供を持ったね―――フリーレンは何処か嬉しそうに笑って、フェルゼの観戦へと意識を戻す。
「っ、」
『Gbraaaaaaaaaaaa――――――――――!!!!!!!!!!!!!!』
鋭く、空気を破裂させんばかりの咆哮に、フェルゼはつい耳を塞ぐ。
緊張も恐怖も此処にある。初陣でそれら全てを脱ぎ去る事が出来る程、フェルゼはまだ大人ではないし戦い慣れもしていなかった。
自分より何十倍も大きな肉体を持った獣。その牙も爪も全てが必殺、ただ踏みつけられるだけで蟻の如く潰される。
それでも、退くという選択肢は無かった。そんな選択肢が、ある筈も無かった。
模倣とは言えども、大好きな父の剣技。それを用いて敵から逃亡するなど、この手で倒し切れないなど、それはヒンメルへの侮辱でしかない。
「そんな事、許せる訳がないだろっ…!」
恐怖も緊張も、その侮辱に比べれば如何に軽いものか。
抑えろ。飲み込め。消しされ。
ただ敵を倒す事だけを考えろ。それだけに全てを注ぎ込め。そうすれば―――見えるものがある。
剣を握り、真っ直ぐに敵を捉える。
あまりに大きな体。その皮膚は硬く、何度斬撃を叩き込んでも一向に断ち切れる様子がない。
だが―――それがどうしたというのだ?
何度も試した。それでも斬れない。ならば、斬れるまで何度も何度も連撃を叩き込むまでの事だ。
「――――――」
『Grrrrrrrr…………』
唸りを右から左へと聞き流す。
剣を握る直し、構えを取る。もはや恐怖も緊張も無い。今あるのは、愛する父の誇りを守る為の決意のみ。
―――先手はフェルゼが取った。
大きく、果敢な踏み込み。大地を踏みにじって真正面から堂々と、魔獣へと殺意を込めて斬り掛かる。
『Graaaaaaaaa――――――――――!!!!!!!!!!!!!!』
咆哮と共に、巨躯が宙を舞う。
有り余る膂力を足へと注ぎ、大きく跳躍する。天を背にし、影を作り出し、そのあまりに大きな腕に備わった絶爪を矮小なる存在へと穿つ。
「っ」
回避、反撃。回避、反撃。
フェルゼはひたすらに回避と反撃を繰り返す。
知性の無い獣だと侮れば、いざ蓋を開ければ其処には本能に従いながら随分と頭の回った動きをする魔獣だ。
攻撃の誘発。フェイント。回避。
獣にしてはやけに技の掛かった動きに翻弄されながらも、一撃も喰らわずにいるのはひとえにフェルゼの立ち回りの上手さにこそあった。
「シィッ…!」
『Gaaaa……!?』
繰り返される攻防に、逆転が見え始める。
この短い攻防の中でさえ、フェルゼは成長しつつあったのだろう。回避と反撃の中、今か今かと伺っていた機会の訪れを彼の慧眼は決して見逃しはしなかった。
フェルゼの剣戟から退く様に跳躍し、身体が僅かに硬直したその刹那、研ぎ澄まされた一閃が魔獣の双眸を斬り裂いたのだ。
視界は闇に。聴覚など備わっていないこの魔獣にとって、視覚とは即ち命綱。それが断ち切られたのだ。
これぞ好機。この瞬間に、己が全てを叩き込め―――!!!
「ハァァァァァァァッッッッッッ!!!!!!!!!!」
鼓舞する雄叫びと共に、斬撃が解き放たれる。
ブチっ、と筋繊維が千切れる。
ビキッ、と骨に罅が入る。
子供の身体ではどうしても耐えられない負荷。どんなに調整を重ねたとて、しかし今の彼の身体では勇者ヒンメルの剣技はあまりに重過ぎた。
けれど、もはや撤退はない。もう既に殺し切れる未来は目の前にあるのだから。
「これでっ……終わりだッッッ!!!!」
天地を割り立つ勢いで振り下ろされた直剣が、肉を切り裂き骨を断ち切り――――――遂に、魔獣の首を落としてみせた。
「はぁ、はぁ……」
だがそれと同時に、パキィンと、軽い音を立てて剣は根から折れてしまった。
まだ子分の魔物は残っている。根元から折れた剣、ボロボロの身体では一体倒す事すら難しい。どうやっても、この状態では手も足も出ない。
「そろそろか」
杖を取り出し、フリーレンは浮遊魔法を使って空高く舞い上がり、狙いを定める。
この程度の数であれば、大した事もない。陣を展開する手間を取る事もなく、杖から解き放たれる青白い閃光―――『一般攻撃魔法』で、片付けられる。
閃光は畝り、まるで意思を持つ蛇の如くに地を這い、数秒足らずで残った群れを全滅させた。
「はぁ、はぁ……ふりー、れん……」
「お疲れ様、フェルゼ。よくやった。正直、アレを倒し切るとは思ってなかったよ。凄い功績だ」
ぽんぽん、と膝から崩れ落ちたフェルゼの頭に手を置いて、正直に賞賛する。
フリーレンとしては、戦闘開始から間もなくして援護が必要になる展開を予想していたのだが、現実はそれとは全く別の方向へと向かった。
フェルゼに子分を一掃してもらうつもりだったが、逆に自分がそれをする事となってしまった。本当に予想外の事態だ。この場合は、嬉しい誤算と言うべきか。
どちらにせよ、フェルゼの実力が想像以上であったのは確かだった。
「……」
「あれ……褒めたつもりだったんだけど。言葉間違えた?」
「いや、そうじゃなくて。褒めてくれたのは、素直に嬉しいと思うけど……なんか、ザワザワしてて」
「ザワザワ?」
「うん。倒せたんだけど、スッキリしてないって言うか……」
「スッキリしない……もしかして、一人で全部倒したかった?」
「……多分、そうだと思う」
父であれば、勇者ヒンメルであれば、きっと一人で倒せた。
模倣であるとは言え、父の剣を使ったのだ。それを使って、全てを倒し切れなかった。
要するに―――悔しいのだ。あと一歩届かなかった、完璧にこなせなかった、自分の未熟さに腹が立って仕方ないのだ。
「ヒンメルなら全部倒せた。そう思ってる?」
「……うん。父さんなら、一人で仕留められた」
「そうだね。確かに、ヒンメルなら一人でも倒せていた。けど、ヒンメルはいつも一人で戦ってた訳じゃないよ」
「……そうなの?」
確かに、勇者ヒンメルは強かった。だが、その旅の道中での戦闘で彼だけが前衛を張っていたという訳ではなかった。
前衛はヒンメルとアイゼン。後衛はハイターとフリーレン。二人の援護は勿論、同じ前衛であるアイゼンとの協力だって沢山だった。
勇者パーティ一行は、確かに強かった。一人一人が特筆すべき点を有し、其々に卓越した長所があった。けれど―――一度だって、一人で全てを片付けた事はない。
「ヒンメルに憧れるのは良いけど、勘違いしちゃダメだよ。ヒンメル一人じゃ、魔王討伐は出来なかった。誰が欠けても、成し得なかったんだ」
「……協力する事は、弱さじゃないって事?」
「察しが良いね。そういう事」
どれだけ強くても、一人で何か大きな事を成すのは決して簡単じゃない。それはヒンメルも、フリーレンでさえも同じだ。
それを弱さと言うのはそうなのだろう。だが、それは決して悪い弱さではない。その弱さがあるからこそ、人は誰かと協力し合い、大きな事を成し遂げる事が出来るのだから。
「……分かった。ありがとう、フリーレンさん。少し、成長出来た気がする」
「別に感謝される様な事は言ってないけどね。……よし、魔物も討伐したし、村に戻ろうか。報酬が楽しみだ」
「そういえば、報酬は何だったの?」
「聞きたい? 報酬はね、『部屋のゴミを集める魔法』だよ」
「…………それ、魔法を使う必要ある?」
わりと危険な目にあったのに、報酬がそれとは如何なものか。
いや、危険な目にあったのはひとえに己の力不足である事は自覚しているのだけれど、それはそれとして不満は不満であった。
「趣味で集めてるんだから良いじゃん…それに私、掃除得意じゃないし」
「くだらない理由だった……ん?」
「どうしたの、フェルゼ?」
ふと、目の端に何かが映る。
ついさっき、フェルゼが自ら手に掛けた魔物が斃れていた場所に、無かった筈の物が落ちていた。
「……剣?」
痛む身体を何とか動かして、それを手に取ってみる。
白い布が巻かれた、やや太い柄。直剣と言うよりは曲剣に近く、しかし曲剣と言うには真っ直ぐな反った剣身とそれを納める鞘。
根に付けられた円の様なものを親指で押し、鞘から剣身を抜き出してみれば、日に当たっているにも関わらず光を放たない流麗な銀色の刃が、ひょっこりと顔を見せた。
「あぁ、『カタナ』だね」
「『カタナ』?」
「東側諸国の一部の土地で普及してる武器だ。折れず曲がらずよく斬れる、がコンセプトらしいよ」
「らしいって……」
まるで他人事の様な物言いに、つい呆れてしまう。
信憑性のある話が聞けると思ったのだが、それを思いっ切り裏切られた気分である。
「私も聞いただけなんだよね。昔、ルフトっていう剣士と一緒に戦った事があってさ。丁度その人が使ってたんだよ」
「へぇ……」
「剣も折れちゃったし、それ使えば? 見た感じだけど、結構な代物だよ。多分だけど、加工された封魔鉱で鍛えられてる。なんだっけ……確か、こういうのは―――『名刀』って言うんだったかな」
それはきっと、ある種の褒美の様なものだろう。
まだ幼い身でありながら、一人で大きな魔物を倒した彼への。
かくして―――フェルゼは、その手に一振りの愛刀を手に入れたのだった。
東側諸国の山岳地帯、その村の刀匠によって鍛えられた刀剣。その一振り。
特殊な加工法によって加工された封魔鉱と、村に代々受け継がれてきた隕鉄によって刀身が鍛えられており、その刃で斬られた相手の魔力操作を一時的に阻害する機能を有している。
ただ月に照らされてのみ、その刃は光を放つ。厭な夜に、その身を断つは、我が月照。