勇者ヒンメルの子供   作:全智一皆

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第六話 旅立ちは近く

 

■  ■

「フェルン、フェルゼ。修行は中止だ、ハイターが倒れた」

「―――」

 

 息が止まった。心臓の鼓動が早くなる。

 分かっていた。知っていた。気付いていた。けれど、それが実際に訪れて、そして聞かされたとなると、フェルゼと言えども動揺せざるを得なかった。

 ハイターはもう長くない。彼は人間にしてはかなり長く生きた方だが、それももう限界だ。

 ハイターは、父であるヒンメルよりも長く生きていた。もう彼に残された時間は、あと僅かしかない。

 

「ハイターの傍に居てあげて、フェルン」

「……まだあの岩を撃ち抜けていません」

「フェルン。それはいつか出来る事だ。今はハイターさんの傍に……」

「いつかではダメなのです…!」

「……」

 

 荒らげた声には、焦燥と不安があった。

 ハイターが倒れた。寿命がもう間もなくして尽きる。

 そう聞かされて尚、フェルンは魔法の修行を決して止めようとはしなかった。

 フェルゼにとってそれは、予想外の事で。言い方を変えれば、到底信じられるものではなかった。

 ハイターとフェルンの関係は養父と養子というもので、自分とよく似ていると何度も思ってきた。

 彼女は孤児になった所をハイターに拾われ、自分は孤児だった所をヒンメルに拾われた。似た境遇で、同じ遭遇をして、お互いが幸せを確かに掴んでいた。

 フェルンはハイターの事を愛していた筈だ。自分を拾って育ててくれた事への感謝、尊敬は自分でも計り知れない。それが分かるのは本人だけだ。

 だが、それでも―――彼女にとってハイターが大切な人である事は確かだった。だからこそ、彼女にとった大切なハイターが倒れたにも関わらず、今も魔法の修行をしている。

 何がそこまで彼女を駆り立てる……?

 

「いつかでは……ダメなのです」

「フェルン…」

「いつかでは、ハイター様が死んでしまいます。それでは……私は大丈夫だと、あの人に胸を張って言えなくなってしまいます」

「―――」

 

 そこまで言われて、やっと気が付く。

 このまま傍に居れば、ハイターと共に居られる。残り少ない時間しかないハイターを看取る事が出来る。

 だが―――それでは、ダメだ。フェルンがそれを良しとしない。

 自分はもう大丈夫だと。自分は立派になったのだと。そう言えなくなってしまう。伝えられなくなってしまう。

 ハイターに―――悔いを残させてしまう。

 

「私はあの人に命を救われました。あの人に不安を残したくありません。私はもう大丈夫だと胸を張って言って、最期を心残りなく迎えられるように―――」

「……そう、か。そうだな―――早く立派にならないとな」

「フェルゼ?」

 

 なんて強い子だ。託された筈の自分が、逆に気付かされてしまうなんて、笑い話にもなりはしない。

 覚悟も決意も既に決まっている。彼女は既に立派な心意気を持っている。自分を拾ってくれた人の為に、物事に打ち込む事が出来る心がある。

 なら、自分もまたそれに応えなければならない。他でもないハイターから託されたのだ、あの子を頼むと。

 それに応えなければ―――自分はハイターからの信頼を裏切る事になる。そんな事は、断じて許されるものではない。

 

「俺が見ておく。フリーレンはハイターさんを頼む」

「……分かった。魔導書の解読もしないとだしね。フェルゼ、フェルンのこと頼むよ」

「了解した」

 

 フリーレンはあっさりと、フェルンをフェルゼに任せた。

 フリーレンからしてみれば、たった数十年程度の付き合いではあるが、それでもフェルゼは大切な仲間であり信頼出来る家族だ。

 フェルゼにはフェルゼの考えがある。それを信頼して、フリーレンは任せた。

 

 ざっ、ざっ、と、泥濘になりつつある地面を踏んで家の方へと去っていくフリーレンを横目に見ながら、その足音が完全に消えるのを待つ。

 フェルンを任せられた。託された。なら、もうこれまでの様な距離感ではいられない。

 預かった者として―――彼女の意思を尊重し、これからは本格的に介入しなければならない。

 

「…フェルン」

「はい」

「少し前に……ハイターさんから、君の事を頼まれた。自分でも、きっと分かっていたんだろう」

「……」

「俺もまだ未熟の身だ。知らない事も、気付かない事も多い。だが―――あの人から君を託された。その信頼を裏切る事は出来ないし、裏切りたくない」

 

 ハイターの進言が無ければ、フリーレンはフェルゼを旅に連れて行こうとはしなかった。

 ハイターの助言が無ければ、ヒンメルはフリーレンにフェルゼを託そうとはしなかった。

 ハイターが居たからこそ―――今の自分が居る。彼には自分の知らない所で、何度も何度も助けられていた。

 そんな彼から、彼にとってきっと最も大切なものであろう彼女を託されたのだ。

 

「俺なりにはなるが、君の修行を手伝わせてくれ。フリーレンと一緒に、ハイターさんが亡くなってしまう前に―――ハイターさんに胸を張って誇れる様な、一人前の魔法使いになろう」

「―――はい。改めて、宜しくお願いします、フェルゼ様」

 

 ハイターは言った。

 

『フェルゼはきっとフェルンを、そしてフェルンはフェルゼを、大きく成長させてくれると私は思っています。フェルゼにあってフェルンには無いものが、フェルンにあってフェルゼに無いものが、きっとお互いの事を良くしてくれる』

 

 フェルゼとフェルンはお互いに似ていて、しかし決定的に違う。

 フェルゼにあってフェルンに無いもの、フェルンにあってフェルゼに無いもの。互いが互いを補い、成長させてくれる。

 それが確かなのかは、まだ分からない。

 これが始まりで、ここが最初だ。ここからがスタートなのだ。

 

「ところで、フェルゼ様は魔法は使われるのですか? フリーレン様からは、何も聞いていませんが…」

「……内緒だ」

「え」

 

 つい腑抜けた声が漏れた。

 内緒って。修行する為に必要な事、というか不可欠な事なのに内緒って。いったい何を言ってるんだこの天才は。

 

「内緒だ」

「えぇ……では、どうやって修行を手伝うのですか…?」

「俺なりにだ」

「……フェルゼ様は隠し事を押し通すのが苦手なのですね。意外です」

「苦手な事くらい俺にもある。それに、嘘は吐きたくない」

 

 秘密は隠し通すからこそ秘密なのだ。

 誰かに察せられたり、知られてしまったりしては意味がない。隠された刃は、隠されているからこそ研ぎ澄まされる。

 フリーレンにだって秘密にしている事だ、フェルンにも明かす事は出来ない。とは言え、だからと嘘を吐くのもフェルゼとしては心苦しくはあった。

 だからゴリ押す事にした。内緒は内緒だ。内緒ったら内緒だ。

 

「でも誤魔化してますよね」

「教えたくない事もある。人間だからな」

「ふふ。では、そういう事にしておきます」

「…あぁ、そうしてくれ」

 

 ハイターは、フェルンにとって自分は良い兄貴分の様に見えているらしいけれど。

 だとしたら、まぁ……随分と意地の悪い妹になりそうだ。

 

 

 

 

 フェルゼには悪いことをしてしまった。ハイターはそう思わずにはいられなかった。

 あの子はとても才能に溢れた子だ。ヒンメルが亡くなってからそれなりの時間を、様々な場所に赴く事に費やしたハイターだ、才能がある子を全く見なかった訳じゃない。

 だが、フェルゼはこれまで出会ってきたどの人間よりも才能に溢れていた。女神様からの恩寵を一身に受けているのではないか、そう錯覚してしまう程だ。

 だからこそ、ハイターは自身の不調は簡単に悟られてしまうだろうと予知していた。

 才能があるからこそ。

 才能に溢れているからこそ。

 才能に恵まれているからこそ。

 フェルゼは他の誰よりも強く、他の誰よりも聡く、それ故に孤独である筈だ。

 自分達は、決して完璧とは言えなかった。ヒンメルは勿論、アイゼンにも、フリーレンにも、自分にも欠点はあった。

 それを互いに補い合って、協力し合って、そうやって漸く魔王を倒す事が出来た。誰かの欠点を誰かの長所で支え合う関係があったからこそ、それを果たした。

 だが、フェルゼはどうだ?

 彼には相手が居ない。隣に立つ者が居ない。支えられる者が居ない。

 あのフリーレンですら、

 

「1kmもあればフェルゼには絶対勝てないよ。呆気なく殺される」

 

 そう言ってのけたのだ。時間帯が夜ならば、そもそも勝負が成立する事すらもないと。

 彼は独りだ。本人はまだそれには気付いていないが、きっといつかそれに気付く時が来る。残酷な時が訪れてしまう。

 なまじ才能に囲まれているが故に、誰よりも人の事を知れてしまう。気付いて欲しくない事だって分かってしまう。

 だから―――フェルゼは、あんな表情を浮かべたのだ。

 

『あ、っ―――』

 

 自分の才能を恨めしいと思わせてしまった。何故気付いてしまったんだと、自分を責めてしまう様な展開を作ってしまった。

 あんなにも優しい子だ、きっと深く背負ってしまっているだろう。自分がフェルンを託した事も含めて、重く。

 だからこそ、申し訳なさが浮かんでしまう。これではまるで呪いを込めてしまった様だと、思えてしまった。

 

「フェルゼには、本当に悪いことをしてしまいましたね。私もまだ、気遣いが足りない様です」

 

 ヒンメルなら、きっと上手くやれたのだろう。

 仲間内でもナルシストな面が本当によく目立つ奴だったが―――彼は他人への気遣いも距離の掴み方も上手かった。心の底からの善意が、それを成していた。

 その優しさが、よく似ている。けれど、ヒンメルのそれとは僅かばかり異なるのは―――本当に息子の様だった。

 人間にしては、かなり長く生きた自覚はあるのだが、それでもまだまだ足りないか。

 

「生臭坊主の癖に大人ぶろうとするからでしょ」

「はっはっは。老人に対して手厳しいですね、フリーレン」

 

 がちゃ、と扉が開かれると、少しばかり肩が濡れたフリーレンが入ってきた。

 外は雨が降っている。フェルンとフェルゼを呼び戻しに行った筈だが、その二人の姿は見えない。

 

「二人は……修行を続けていますか?」

「うん。フェルゼも本格的に協力してるよ」

「そうですか……フリーレン。貴方から見て、今のフェルンは如何ですか?」

「……フェルゼが修行に付き合ってた事もあって、想定していたより早く成長してるよ。まだ荒い所はあるけど、1人前と言っても遜色はないと思う」

「そうですか。それは良かった」

「嘘つけ」

「え?」

 

 咎める様な声色に、つい声を漏らした。

 

「それ、何か含んでる。……フェルゼが教えてくれた」

「…そうですか。本当、フェルゼは先がよく見えていますね」

「私が足でまといになるからって言ったから、でしょ。その為に、魔法書の解析まで頼み込んだ」

「そこまで見破られましたか」

 

 流石に驚かざるを得なかった。

 察知されているとは思っていたものの、まさかそこまで見破られてしまうとは。そこまでは想定していなかった。

 不老不死について記された魔法書は、偽物だった。そんなものは何一つとして書かれてはいなかったのだ。

 いつだって人の想定を軽々と越えていく―――本当に、才能に溢れた子だ。アイゼンがフェルゼを『あっという間に、誰も彼もを超える剣士になる』と言っていたのも頷ける。

 

「見抜いたのはフェルゼだよ。……あの子、私が寝てる間に魔法書を勝手に読んで突き止めてたんだ。とんでもないネタバレを隠されてた気分だったよ」

「本当に凄い子ですね、フェルゼは。……だからこそ、私はあの子にフェルンを託したいと思ったのです」

 

 誰よりも凄いから。

 けれど、優しいから。

 それでも足りないものがあるから。

 だから、フェルンを託したいと思った。

 きっとこの子なら、フェルンを良い道へと導いてくれると。そしてフェルンなら、フェルゼに足りないものを教えてくれると。そう信じたから。そう信じたいと思ったから。

 

「……私はもう、あの子に誰かを失う悲しみを背負わせたくないのです。ですから、今夜には此処を立ってください」

「…そうやって、自分はまたカッコつけるのか?」

「…!」

「フェルンは、とっくに別れの準備は出来ている。フェルゼは、特にそうだ。あの子が1番最初に気付いたんだから。お前から託されたって、預かったって、重く受け止めていた…!」

「フリーレン…」

「今、お前に出来ることはっ…! なるべく長く、いきてっ、……あの子達との時間を、少しでも長くっ…! なるべく沢山の思い出をっ、作ってやることだっ……」

 

 震えた声で、必死に言葉を繋いだ。

 ぽたぽたと零れ落ちる涙。ヒンメルを見送って以来、流す事がなかった涙。現れる事のなかった感情が、再び発露した。

 もう会えなくなる。もう話せなくなる。そう思えば思う程に、かつての記憶が蘇って、鮮明になって、フリーレンの胸を苦しめた。

 生臭坊主というイジリすら言えなくなる。それを笑うハイターを見ることも―――出来なくなってしまう。

 人間の寿命は短いと、ヒンメルの時に知った筈なのに。

 結局、また―――自分は、遅くなってしまった。

 

「フリーレン……やはり、貴方は優しい子ですね」

「うっ、ひっくっ……あたま、なでんなよぉ……」

 

 まだ暖かい手が、優しくフリーレンの頭を撫でた。

 まだ生きている。此処に居る。ハイターは、まだこうして目の前に居る。

 自分も一緒だ。フェルンとフェルゼと一緒に、あと少しでも―――かつての仲間との日々を、過ごすんだ。

 

「……ねぇ、ハイター」

「はい?」

「どうして、フェルンを拾ったの?」

 

 思いの外、早くに泣き止んだフリーレンは、部屋を出る前にそう尋ねた。

 かつてのハイターなら、きっとそんな事はしなかった。助ける事こそすれど、決して自分の家族として迎え入れる様な事はしなかった筈だ。

 フリーレンから投げられた問いに、ハイターは暫く考えた後に、

 

「貴方と同じですよ、フリーレン」

 

 そう答えた。

 

「私と同じ? 何が?」

「貴方はきっと、私やアイゼンがそう言ったからフェルゼを連れて行く事にしたと、そう思っているでしょう」

「……まるで違うみたいな言い方だな」

「きっと、あの時から貴方にはあったのだと思います―――ヒンメルの姿が」

 

 もし、親を無くした子供が居たとして。

 その子には、もう何も残されていないとして。

 けれど、その子には強さと優しさがあったとして。

 誰かを助けたいと願う想いがあったとして。

 ヒンメル()がその場に居たならば、きっと。

 

「―――そう、だね。そっか、そういうことか」

「えぇ、そういうことです」

 

『勇者ヒンメルなら、そうしたから』

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