俺はザギ様の中から飛び出した後、体の大きさを人間程度のサイズまで落とした上で、息だえだえに森の中を逃げ転げていた。
俺はザギ様の邪魔をし……、そしてザギ様の前から……逃げてしまった……。
次見付かってしまえば何をされるか……。そんなことは容易く想像できた。
「随分な怯えようだな」
その声に俺は振り返る。
「溝呂木……眞也…………」
「こっちのことは知っていやがるのか」
ダークメフィストへの変身を解き、人間と変わらぬ姿で奴は接触してきた。
「お前が早く折れてくれなかったせいで散々な目に遭ったぜ」
「悪かったな……」
溝呂木。俺は奴を観察する。俺と同じ姿をしたそれの中に、強大な何かの影がチラついていた。この世界におけるザギ様に相当する存在だろうか。
「似たにおいがするとは思っていたが、姿まで同じだとはな。お前は何者だ? お前も……メフィストなのか?」
溝呂木が問うてくる。
果たしてこいつは俺をどう見ているのだろうか。正解は……、どう対するのが正解だ……? 俺は考えた末に、変身を解くような素振りを見せながら、記憶に新しい人間の男─五十木煌悠─への擬態をした。
「ほう、お前も人間だったのか」
「元々はな……。最早俺はザギ様の道具。闇へと手を伸ばしたその時から、俺はザギ様がそのお力を取り戻すための道具だった。ザギ様の指先一つで俺の命は弄ばれてしまうのだ」
嘘と真実と、私の知る溝呂木の末路を混ぜて告げるが、今の奴に果たしてどこまで響くか。
「従順なふりして、お前、そいつに殺されるのが怖いんだろう?」
「………………」
「その恐怖から解き放たれ、自由になりたいとは思わねえのか」
溝呂木が両手を広げ近寄ってくる。
「俺と手を組め、五十木煌悠。そうすれば力をやる。それであいつを倒すといい」
こいつは何を馬鹿なことを言っている。俺と貴様程度の力でザギ様に適うはずが……。
「俺の闇は貴様の従う闇よりもさらに強い」
何故そう言い切れる。ザギ様はまだ本気を出していない……いや、出せていない。それを上限だと思っているのか? そんなはずがあるか。
俺は再び溝呂木を観察する。その背後の存在に目を向ける。強大な闇。こちらを呑み込み喰らわんとする程の。
自身の力への絶対的な信頼と陶酔。
この頃の溝呂木の思考がわからない身ではない。俺の知る溝呂木眞也をこうさせたのは私自身─メフィスト─だからだ。だから、この誘いに簡単に乗るわけにはいかないということも理解している。
「なぜ俺に力を与える。俺は貴様を痛め付けたアレの仲間だぞ?」
「奴をそんなに怖がっていて、仲間、ねえ。お前と同じ姿をした俺を、お前の目の前で、一切の躊躇無くあそこまで痛めつけるような奴だぜ? しかも愉しんでやがった。そんな奴をお前は仲間だと思うのか? お前は自分で言ったじゃねえか。『自分は道具』だって」
溝呂木が詰め寄ってくる。
「それは…………」
乗せられてはいけない。のに。
揺らぐ。
揺らぐ。
「なあ、手を組まねえか、五十木」
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「ファウスト、貴様何のつもりだ!」
「それはこちらの台詞です、ザギ様」
怪我から復帰したファウストが突然ザギを殴った。いや、そうなるトリガーはあった。
メフィストが居ないことを疑問に思った祈織につつかれ、ザギは言った、『知らん。奴が勝手に離れた』と。その原因を薄々察していたファウストが、ザギのその物言いに激昂したのだ。
「人間の記憶のせいだからと見逃してやっていれば……。ここまで歯向かうようになるとはな!」
「ローズがいる手前なので問い質したくはありませんが、ザギ様……ッ!」
ファウストがまた殴りかかる。それを祈織が押さえようとしがみつくが勢いは収まらない。
「メフィストがどれだけあなたのことを恐れていたか、分かっていなかったなどとは言わせませんよ」
「ぎぃっ…………」
ファウストに言われザギが嫌そうに唸る。
「(ザギ様、メフィストを怖がらせる様なことをしたんでしょうか。でもあそこにはビーストと、飛行機に乗った人間達しか……)」
ローズは先程の事を思い出す。
自分はビーストと戦った。紛れもなくビースト。けれどそれは自分達と似た形をしていたような。そして特に……メフィストに似ていたような……。
「ここにメフィストが居ないこと、私が戦ったビーストと関係があるんですか……? あれは……メフィストだったんですか?」
「っ……」
何かまずいことを言われたかのようにザギがローズへ顔を向ける。
「ニアもいましたよね……?」
祈織に完全に察されてしまった。ザギが額に手を当ててため息をつく。面倒なことになった、と。
「ザギ様、分が悪いって言って私のことを逃がしましたけど……」
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「しくじったな……」
選択を間違えた。
「ザギ様。あなたはこれ以上メフィストに手を出さないでください」
「なんだと?」
ファウストの言葉に俺はつい苛立ち混じりで返した。
「メフィストがあなたの元から逃げたのですよ!?」
「以前からそのような兆候はありました。そして奴は先日、我々に明確に漏らしたのです。『ザギ様のことが恐ろしい』と」
「メフィストは限界の縁で耐えておりました。そのメフィストの前であなたは何をした!」
これまでに溜めに溜めた鬱憤を晴らすかのようにファウストは捲し立ててくる。
「メフィストの片割れたるこの身として申し上げます」
「メフィストにふれないでください」
「私はこれ以上あなた様にメフィストを傷付けられたくはありません」
跪くでもなく面と向かい立って向けられたファウストからの明確な敵意。このザギの作った道具の分際で、それを俺に向けるのか。
「……貴様らは随分と面倒な道具になったものだ。人間の記憶など、残さずに消し去ってしまえばよかった」
「貴様あッ!!」
「ガ、ア゙っ…………!?」
「よくも! メフィストのみならずリコにまで!」
不意をつかれ、ファウストに押し倒されてしまった。そしてファウストは何度も、何度も、何度も、装甲など一切着いていないその拳で殴ってくる。自分に比べて随分と軽いその体を跳ね除けることなど簡単なはずだった。
だが俺はどういうわけかその拳を甘んじて受けていた。罪への罰として受け入れるかのように。
ファウストが放つ感情は強い怒りと、深い悲しみ。この悲しみは、以前ノアに向けられたものと似ていた。
ふと視線を横にずらせば祈織の黒い目と目が合う。人間に擬態した姿でなければ割って入っていたであろうに、今はそれが出来ずにオロオロとしている。祈織からも悲しみの感情が発されていた。なぜ、お前も悲しんでいる。
「ファウスト……、祈織……」
「っ…………!」
俺が静かに呼びかけると、ファウストは握りしめた拳を震わせ、最後に両の拳を俺の胸装甲に叩き付けた。そのまま蹲り、俺の胸に光のしずくを零す。
「やっと……ザギさんとも分かり合えたかもって……思ってたのに……。どうして……」
「どうして……、なぜ……。なぜこれほどまでに……あなた様の心は遠いのですか……」
[人間と同じ鳴き声をしているだけの『獣』か、それとも他者と心をも通わせ得る『人』か]
鹿角鋒人の言葉が想起される。
「俺は……獣……、か?」
俺は戸惑い、助けを求め祈織の方を見る。
「ザギ様が悪いです……」
祈織が泣いている。今まで、怒りはすれど泣くようなことはなかったはずのこいつまで、泣いている。なぜ……。
俺は思考を回す。ファウストの怒りは人間の心理パターンに当てはめれば順当だろう、だが、なぜ泣いている? なぜ二人とも?
「わからない。わからないのだ……。ファウスト、祈織、お前達がなぜ泣いているのか。俺にはわからない。ファウスト……、お前が俺に向けるその感情は、以前ノアが俺に向けたものと同じだ。なぜ…………」
俺の言葉にファウストは息をのみ、そして、言葉を紡ぎだす。
「我々との旅を楽しんで下さったザギ様は……、我々を励まして下さったザギ様は……、我々を大切にして下さったザギ様は……、全てまやかしだったのでしょうか……」
「私は……ただひたすらに悲しいのです。私のこの心を裏切られたから……、それだけではないでしょう……」
ファウストが俺の体を起こし、抱きしめてきた。ネビュラムの鎧に覆い隠されているエナジーコアが無性に痛む。
「あなた様に我々の心が届かぬこと……。あなた様がまだ……人の心を持てぬ怪物であること……。それが私の心を締め付けるのです」
「私はこれまで……あなた様にも光が宿ることを信じここまで旅を共にいたしました。時折それが瞬くことはありました。それでもまだ……あなた様は闇の底におられるのです……」
「我々だけではもう……あなた様に声を……光を届けられない……。限界なのです……」
「あなた様はやはり……、心など不要と、そうお考えなのでしょうか……」
「もし……、心を求め藻掻いていた最中だったのであれば……、ザギ様……我々の声に……我々の心にお応えください……」
「そうでなければ……、この時点を以て私はこの心と記憶を捨て……あなた様の傀儡と成り果てましょう…………」
震える声でファウストは言い切った。自らの意思で自己の放棄へと向かわせるまでに俺はファウストを追い詰めていたと知った。
「私が私達を捨てたとなれば、私の記憶のひとつを片割れに持つメフィストも、きっと同じ道を辿るでしょう」
「さすればあなたは本当に独りになってしまう……。私は……叶うならばそんなことはしたくありません……」
[あなたをあなたとして大切にしてくれる人を、これからも大切にするといいと思います]
手放してはいけない。だが……、俺にはわからない。
「ファウスト……、俺は……どうすればいい。どうすれば俺は……、お前達に応えられる」
「ザギ様……ッ!!」
「ノ゙ア゙ッ゙」
ファウストの絞め付けが強くなった。
「今は……そのお言葉を頂けただけでも充分でございます……!」
悲しみが歓喜の感情へと変わった。
「なぜ貴様らはそう、嬉しがると絞め付けてくるのだ!」
ローズにも以前同じようにされた、そんな記憶が蘇った。すると、
「っ、祈織! 貴様もか!!」
俺がぎぃぎぃともがいているところに祈織も加わり、俺は二人に揉みくちゃにされた。しかし不思議と痛みはないものだ。
「そのお言葉が本心であること、それを信じ私はまたあなた様と共に在りましょう。直ぐにとは申しません、少しずつで良いのです。少しずつ、知って、覚えて、応えて頂ければ良いのです。私も、お力添え致します」
応える……、返す……、か。
俺は宙ぶらにされたままの両手を見る。どうすればいいかわからない。だが、まねぶこと。このザギの奥深くに鎖されていた機能がこの手を動かす。
俺は二人の背に手を回し、ファウストの肩に顔をうずめた。
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あたたかい。
どれくらいの間俺はこうしていただろう。
ファウストにずっと撫でられていた頭もなんだか不思議な感覚に陥っている。
「ファウスト……、少しの間、祈織のことを頼めるか」
「はい。しかし何故……?」
「するべきことがある。…………いや、メフィストに接触するつもりはない、安心しろ……」
俺はまずこの世界のことを知らなければならない。決して忘れていたわけではない。そして可能であれば奴に接触し、交渉を持ち掛ける。
これらは今後の俺達の行動に大きく関わる。急がねば。