8人の旅人と、赤い髪の娘たち   作:遠野ハネ

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【1話】 テメノス、告白される。

 

 [夜10時 ☓☓☓編]

 

 

 夜の暗さと、青く燃え上がる大きな青い炎の色。

 どこか石段に、膝を抱えて座っている。

 つま先が冷えて痛い。裸足だった。

 鼓動を感じる。木と土の匂いがする。全身を冷気が包んでいる。

 身動きできない。石になっているみたいだ。

 話したいのに、口から出るのは小さな吐息ばかり。

 

 私は、行かなきゃ。行かなきゃいけないのに。

 捜さなければ、ならないのに。

 指先すら動かすことができなかった。

 

「(何を……私は、捜したいんだっけ……?)」

 

 思い浮かばないのに『捜さなければ』と思ってしまった。

 

「こんばんは」

 

 降ってきた声に。

 どくん、と心臓が脈打った。

 凍り付いた指先と、気力を失って微動だにしない全身が、自分の思う通りに動かせるようになった。

 

「迷子ですか? 私が導いてあげますよ」

 

 顔を上げ、振り返る。

 後ろに立っているのは美しいひとだった。

 さらりとした髪は新雪みたいに白くて、やわらかく細めた瞳は深い湖の色で。

 浮かべた微笑みは優しくて。

 

 真冬で凍った私の心に、一気に春が訪れた。

 白黒の世界が花畑に変わった。

 『捜さなければ』と焦っていた小さな心が『この方だ』と思って大きく膨らんで。

 

「──────好きです」

 

 つい言ってしまった。

 美しいひとは、微笑んでいた唇をわずかに開き、細めていた目を開く。

 私はなんてことを!!!! 全身がカッと熱くなる。

 

「ごごごごめんなさい!! いきなりすみませんっっっ!!!!」

 

 今すぐどこかに行きたい!! 逃げたい!!の気持ちになったけど、うまく立ち上がれなくてひっくり返って。

 石段を踏み外して落ちそうになって。

 でも落ちなかった。美しいひとが支えてくれた。

 きれいな顔がすぐ目の前にあって、全身が燃えるように熱くなる。

 

「冷え切った身体で無理に動こうとすればそうなりますよ」

 

 優しい声に胸がギュンと苦しくなる。

 

「失礼、運びますよ」

 

 さらにヒョイと抱き上げてくれた。

 歩いて運んでくれる。

 自分の土汚れが美しいひとの衣服についてしまって、すっごく悪いことをした気持ちになる。

 

「わ、私、あの、ごめんなさい……っ」

「結構です。謝罪は十分にいただきました。今宵はこちらで身を休めてください」

 

 美しいひとは私を暗い外から明るい建物の中に運ぶ。

 石造りの廊下、大きい石柱があって、天井に吊るされたピカピカの灯り、白い像も飾ってある────ここはどこ?

 

「ここは大聖堂ですよ」

 

 ドキドキして返事ができない。ぎこちなく頷いた。

 

「……あら、テメノス審問官」

「まぁ。怪我人ですか?」

 

 廊下には同じ服を着た女の人がふたりいる。心配そうに見つめてくる。

 

「外で膝を抱えて動けずにいました。寝台をひとつお借りします」

「なんて痛ましい……!

テメノス様、どうぞこちらへ!」

「私は着替えと……必要なものをお持ちします!!」

 

 ぱたぱたと走り、動いてくれる。

 “テメノス様”────美しいひとの名前を忘れないよう、心の中でしっかり呟いた。

 ベッドが6台並ぶ部屋に運び込まれ、左奥のベッドの端に下ろしてもらう。

 足元が冷たくない。座っているところが柔らかい。外の石段と全然違ってホッとした。

 

「アルバさんのところに行きます。用意してから戻りますね」

「ありがとう。お願いします」

 

 女の人が行ってしまった。

 テメノス様のそばで、テメノス様の背丈と同じ長さの杖が宙に浮いている。すごく特別そうな金の杖だ。

 とても不思議な光景だった。

 

「気になりますか?」

「はい。持ってないのに浮いてるの、どうしてだろうなって」

「これは“断罪の杖”────教皇イェルク様から賜ったものです。手が塞がっている時は、このように私の傍らにいてくれます」

 

 にっこり笑ってくれる。

 胸の奥の花畑がまた広がった。そんな気持ちになった。

 

「私はテメノス・ミストラル。聖火教会の異端審問官です。君のことを聞かせていただきますよ」

 

 その声に、全部ぜんぶ打ち明けたくなった。

 

「はい! なんでもお答えします!」

「よろしい。それでは、まずは君の名前から」

「なまえ」

 

 ぜんぶ答える!と決意したのにつまずいた。

 

「……えっと」

 

 頭の中は真っ白だった。

 

「ごめんなさい……待ってくださいね……」

「はい。待ちますよ」

 

 おでこに手を当て、頭を抱え、自分のことを深く深く思い出す。

 なんだろう、分かんない。

 今までどこを歩いていたのか、何をしていたのか、どこで暮らしていたか……全部分からなかった。

 切り取られたみたいに、少しも思い出せない。

 どうしよう……! 答えなきゃいけないのに。

 震える手をギュッと握り、私は着ている布をガバッと脱いだ。

 

「おや」

 

 上半身が涼しくなる。

 服とは呼べない布をひっくり返し、隅々まで目を凝らす。

 名前が書いてあると思ったんだけど。無地の布には一文字も書いていなかった。

 

「きゃあっ!」

 

 着替えと何かの箱を持ってきた女の人が悲鳴を上げ、慌てた顔でこっちに来た。

 

「男性がいる前で脱いではいけませんよ!!」

 

 大きな声で怒られた。

 文字を発見できなかった悲しみと、その強い声に、私の気持ちは潰されたみたいに小さくなる。

 

「すみません……」

 

 もぞもぞ、と。頭から被って服を着る。

 

「いいのよ。ごめんなさい大きな声を出してしまって……」

 

優しい声で言った後、女の人は怒った顔でテメノス様を見た。

 

「テメノス審問官! 女性の肌をそんなジロジロ見て!! 見てはなりませんよ!!」

「失敬。目を離しても問題ないと判断できずにいたものですから」

 

 テメノス様は今も私をジーッと見つめてくれる。

 不思議と『見て欲しいな』『嬉しいな』の気持ちがふわふわ湧き上がった。

 水の入った桶とタオルを持った女の人も部屋に来る。

 

「私達がちゃんと見守りますから。テメノス審問官はここを出てください。出てくださいね!」

「はい、すぐに出ますから」

 

 テメノス様は宙に浮いていた杖を手に取り、歩いていく。

 

「あとは頼みましたよ。背中も拭いてあげてくださいね。アルバさん、ローズさん、それではまた後ほど、何か気づいたことがあれば相談してください」

 

 そう言って、いなくなった。

 胸の奥が苦しくなる。よく分からず寂しくなる。離れたくないと思ってしまった。

 

「もう大丈夫ですよ」

「水を飲んで。後で食事も持ってくるわね」

 

 渡してもらった水をごくごく飲む。

 ホカホカしたタオルで拭いてもらう。

 全身温かくなってから、自分がいた外はすごく寒かったことに気づく。

 さらに柔らかい服も着せてもらった。

 

「……ありがとうございます」

 

宝物をもらった気持ちになる。

柱時計が鳴って、その音が聞こえて、私はストンと眠ってしまった。

 

 

◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆

 

 

 [夜10時 テメノス編]

 

 

 間もなく就寝の時間が訪れる。

 窓の汚れを拭きながら『明日は雪が降りそうだ』と思った。

 外では今日も変わらず聖火が夜を照らしている。その青い色が、突如として真紅に変色した。

 

「────ッ!?」

 

 一瞬の出来事だった。

 聖火はいつもの色を取り戻す。

 揺らぐことなく燃えている。

 聖火が揺れたら凶兆、それが全ての神官の共通認識。だからこそ、今のは起こってはならない異常事態だった。

 

“断罪の杖”を握り、一目散に現場へ向かう。

 冬の冷気を一身に受けながら外へ飛び出した。

 聖火台がよく見える石段に、人間がひとり、座っているのがよく見えた。

 全身が総毛立ち、断罪の杖を握り直して構える。

 深呼吸する。速くなる鼓動を意識して落ち着かせる。

 

「(……あれは、誰だ)」

 

 得体のしれない魔物と遭遇した気分だ。

 それは死体のように動かない。

 足音を立てないようにゆっくりと接近する。青い炎に照らされてよく見えた。

 性別は女性。髪は地面につくほど長く、色は赤。

 近づいても私に一切気づかない。

 服装はワンピースに似た肌着のみ。裸足だ。

 これは事件だと鋭く思った。安心させる微笑みを浮かべ、

 

「こんばんは」

 

 友好的に声を掛ける。

 

「迷子ですか? 私が導いてあげますよ」

 

 不詳の女は顔を上げる。私をしかと見る。

 顔立ちは成熟した女性ではなく、10代半ばの娘だった。

 彼女の瞠目する瞳にきらりと光が宿り、小さな口が驚愕に開く。

 

「──────好きです」

 

 いきなりの告白だった。

 私は微笑みを維持できなくなり、不覚にも声を失ってしまう。

 

「ごごごごめんなさい!! いきなりすみませんっっっ!!!!」

 

 不詳の娘は立ち上がろうとして、逃走しようと急に動き、そして勢いよく石段を踏み外しそうになる。

 両手はがら空き、凶器を隠せない薄布の服、隙だらけだ。

 すぐに動き、落ちないように背中を支える。

 吐く息が白い。中で審問しましょうか。

 

「冷え切った身体で無理に動こうとすればそうなりますよ」

 

 断罪の杖から手を離し、傍らに待機させる。

“聖なる光”をいつでも発動できるようにしておく。

 

「失礼、運びますよ」

 

 抱き上げる。

 あまり食べていないのか、予想していたよりも軽かった。

 娘の顔つきが変わる。親に叱られた子どものような表情になった。

 

「わ、私、あの、ごめんなさい……っ」

「結構です。謝罪は十分にいただきました。今宵はこちらで身を休めてください」

 

 中に入り、廊下を進む。

 しきりに周囲を見る娘に「ここは大聖堂ですよ」と教えれば、緊張した顔でわずかに頷いた。

 寝所に向かう途中、ローズさんとアルバさんと出会った。

 

「……あら、テメノス審問官」

「まぁ。怪我人ですか?」

「外で膝を抱えて動けずにいました。寝台をひとつお借りします」

「なんて痛ましい……! テメノス様、どうぞこちらへ!」

「私は着替えと……必要なものをお持ちします!!」

 

 二人は迅速に動く。

 抱き上げている娘が、私の名をかすかに呟くのが聞こえた。

 寝所に運び入れ、寝台に座らせる。

 彼女の顔つきが安心したように和らいだ。

 

「アルバさんのところに行きます。用意してから戻りますね」

「ありがとう。お願いしますね」

 

 娘はローズさんを見送り、そして次にこちらを……“断罪の杖”のほうをジッと見つめた。

 

「気になりますか?」

「はい。持ってないのに浮いてるの、どうしてだろうなって」

「これは“断罪の杖”────教皇イェルク様から賜ったものです。手が塞がっている時は、このように私の傍らにいてくれます」

 

 子どもみたいにジッと見つめて話を聞く。寒さで白かった頬がほんのり赤くなった。

 

「私はテメノス・ミストラル。聖火教会の異端審問官です。君のことを聞かせていただきますよ」

「はい! なんでもお答えします!」

 

元気いっぱいの返事だ。

害する人間か、無辜の子羊か。私が見定めましょう。

 

「よろしい。それでは、まずは君の名前から」

「なまえ」

 

 赤い瞳をまん丸とさせる。

 

「……えっと」

 

 真剣な眼差しが消える。

 困惑の声で呟き、どこか弱々しくなった。

 

「えっと、ごめんなさい……待ってくださいね……」

「はい。待ちますよ」

 

 白い手を額に伸ばし、次に頭を触る。森で迷子になった子どもの顔つきだ。

 様子がおかしい。すぐ名乗れない理由でもあるのか。

 注視していれば、彼女はいきなり動いて。

 自分の服をいきなり脱いだ。

 素っ裸になる。へそまで見える。あられもない姿だ。

 

「おや」

 

 彼女はなにを。いったい何をしているんだ。

 薄いぼろ布を隅々まで凝視して。素っ裸で。

 私は何を見せつけられているんだ。ローブの下で嫌な汗をかく。

 彼女は泣きそうな表情で、途方に暮れた顔をして。

 

「きゃあっ!」

 

 アルバさんの悲鳴にハッとする。着替えを持ってきてくれて、救いが現れた気分になった。

 

「男性がいる前で脱いではいけませんよ!!」

 

 叱責する声に「すみません……」と小さく返事をする。

 上体を前に倒し、脱いだものを着ようとする。

 散らばる赤い長髪の隙間に白い背中が見えて、なにかの入れ墨がちらりと見えた。

 

「いいのよ。ごめんなさい大きな声を出してしまって……」

 

 落ち着かせる声を掛けた後、アルバさんに睨まれた。

 

「テメノス審問官! 女性の肌をそんなジロジロ見て!! 見てはなりませんよ!!」

「失敬。目を離しても問題ないと判断できずにいたものですから」

 

 白い肌に不釣り合いな入れ墨。

 あれは何だ? 無性に気になり、彼女から視線は外さない。

 お湯と清潔な布を持ったローズさんも戻って来る。

 

「私達がちゃんと見守りますから。テメノス審問官はここを出てください。出てくださいね!」

「はい、すぐに出ますから」

 

 睨む目に追いやられる。待機中の“断罪の杖”を握った。

 

「あとは頼みましたよ。背中も拭いてあげてくださいね。アルバさん、ローズさん、それではまた後ほど、何か気づいたことがあれば相談(報告)してください」

 

 言いながら、廊下に出て扉を閉めた。

 

「(何も聞き出せなかった……)」

 

 返答しないのであれば別の質問を。矢継ぎ早に問い詰めるべきだった。

 アルバさんが来るまで数分はあったのに。異端審問官にあるまじき失態だ。

 

「(……いや、収穫はあった)」

 

 脱いでまで何を確認していたのか。

 あの顔は、探しているものが見つからなかった人間の表情だ。

 

「(自分の名前が分からない? また後で審問するか)」

 

 寝所の前に飾られた絵画がわずかに傾いている。

 指先で直していたら扉がすぐ開いた。

 ローズさんの持つ桶には彼女が着ていた布が入っている。

 

「テメノス様」

「おや、ローズさん」

 

 柱時計の音が小さく聞こえる。

 

「水を飲みましたよ。清拭と着替えの後、すぐに眠ってしまいました」

「そうですか。ありがとうございます。後は私が近くで見守ります。お二人は就寝してください。明日は聖火のロウソクを配る日ですから」

「ありがとうございます。先に休ませていただきますが、何かあればお呼びくださいね」

「ええ。清拭の際、気になるところはありましたか?」

「はい、背中に……」

 

 ローズさんは寝所のほうを見る。アルバさんが出てきた。

 

「テメノス審問官。記録を残しました」

 

 アルバさんが手帳を差し出してくる。受け取り、一瞥した。

 見たものを書き写してくれたようだが、あるのは不可解な記号の連なりだ。

 

「感謝します。預かってもいいですか?」

「もちろんです」

 

 二人と挨拶を交わし、見送った後で寝所に入る。

 明後日には巡礼を終えた神官達が戻って来る。ここも、もっと賑やかになる。

 娘は無害な子羊か、秘密を抱えた人間か。処遇はどうなるのか。

 彼女は安心しきった顔ですやすやと眠っている。

 

 手帳を片付け、寝所の灯りを消す。カーテンを開けて月明かりを入れる。

 わざと足音を立てて扉を開け、一度廊下に出る。

“夜に紛れる術”をかけた装飾品を胸元に着け、寝所内に忍び足で入ってから、静かに扉を閉める。退室したフリをする。

 無音で寝所の椅子に腰掛けた。

 

「(……何か目的があるなら、寝台を抜け出て行動するはず)」

 

 目を凝らして、ひと時も視線は外さない。

 

 ─────柱時計から1時を知らせる音が鳴った時、彼女がむくりと上半身を起こす。

 

「(動きましたね)」

 

 両の手のひらを見下ろし、思案している。

 瞳の赤色と、赤い長髪の色は、夜の暗さでもしっかり見えた。

 どう動くか、と思ったら、いつまで経っても動かない。長時間考え込んでいる。

 きっちり30分待って、胸元の装飾品を外した。

 これで私に気づくはず……と思っていたのに、彼女は己のことに集中している。

 

「目が覚めましたか?」

「わっ」

 

 ビクッとする。目をまん丸と見開き、驚きの顔でこちらを向く。

 

「わ……あ、テメノス様……!」

 

 いたんですか!?と言いたげな表情だ。

 寝所の灯りをつける。彼女は飛び起き、寝台の上で正座した。

 さらに勢いよく頭を下げる。長髪がブンッと動いた。

 

「助けてくださってありがとうございます!! 名前、言わなきゃいけないのに……言えなくてごめんなさい!!」

「もういいですよ。顔を上げてください。謝罪も感謝もたくさんいただきました」

 

 恐る恐る頭を上げる。また土下座しそうな顔だ。赤い瞳に涙が浮かぶ。

 

「ぜんぶ……言いたいんです。名前も、住んでいたところも、家族も、全てテメノス様に話したい……。でも、自分のことがひとつも分からなくて。思い出せなくて……」

「……記憶を失っているようですね。服の他に何か身につけている物は?」

「いいえ、何も。どうして私……裸足だったんだろ……。なんであんな……薄い布1枚だけ着て……」

「それはそうですね」

 

 野盗に身ぐるみを剥がされ、命からがら逃げてきた?

 眉間をギュッと寄せている彼女は、何かに気づいたように「あ」と呟いた。

 

「ひとつ思い出しましたか?」

「はいテメノス様! 私、どこかに『行かなきゃ』って思ったんです!『捜さなきゃ』って!!」

「人を、ですか」

「はい! 誰かは分からないけど、それだけを強く思って……。

……あー……でも……」

 

 頬を染め、もじもじし始める。

 私を見つめる瞳は恋する乙女だった。

 

「テメノス様に声を掛けていただいて、私、よく分からないんですけど、『この方だ』って思ったんです……。な、なんででしょうね……」

 

 恥ずかしそうに照れてれと笑う。

 

「どうしてでしょうねぇ」

 

 さっぱり分からない顔をしながらも「(一目惚れですね)」とすぐに分かった。

 しかし、それを馬鹿正直には伝えられない。

 彼女の中に芽生えている私への恋愛感情を排除しなければ、後々必ず面倒になる。私の直感がそう告げていた。

 

「ああ、思い出しました。君のそれは“刷り込み”というものなんですよ」

「すりこみ?」

「卵から孵ったばかりの雛が、一番最初に見た者を親と思う……それを“刷り込み”と言います。記憶を失っている君の感情はまさしくそれです」

 

 きっぱりと言い切る。彼女は託宣を受ける信者の顔で真剣に聞き入っている。

 

「あとは冬の厳しい寒さで動けずにいたところを救出してもらった恩義ですね。就寝時間も間際、たまたま私が外に出ましたが、通常なら一人も外には出ない時間帯です。夜明けまで誰にも気付かれることなく凍死するところだった」

 

 こくり!と彼女は真摯に頷く。私の言葉をまるっと信じてくれる瞳だ。

 

「安心と安堵で君の心はいっぱいなんです。全身全霊をもって受けた恩を返したいと思っている。その気持ちは尊いですが、けして私ひとりに気持ちを向けないでくださいね。

私はこの聖火教会の神官。死に瀕する無辜の者に手を差し伸べるのは当然です。誰だって同じことを……君を助けます。

ですから、私に向ける感謝は聖火教会と、教皇イェルク様に捧げてくださいね」

「はい、テメノス様……!!」

 

 ふわりと微笑む。春を迎えた華やかな笑顔だ。

 全てを信じ切っている瞳は、歓喜に満ちている。

 

「(完璧に軌道修正できました。これで彼女は明日から大聖堂で祈りを捧げる信者になった)」

 

 神聖な笑みを浮かべながら、私は内心しめしめと微笑んだ。

 彼女は胸の前で手を組む。礼拝で祈りを捧げる所作だ。

 

「命を救っていただいた感謝……ですか。テメノス様、私もそう思います。それしかないです」

「(潤んだ瞳……思慕に溢れた眼差し……。恋する乙女の顔だ……!)」

「テメノス様の声を聞けて、お話できて、私……幸せです。

とても幸せなんです。好きだと思う気持ちがいっぱいになって、心も身体もすごく熱くなってしまって……」

「風邪の引き始めですねそれは。間違いなく。君、ずっと寒いところにいたんですから。一刻も早く眠らなければ」

「はいテメノス様!」

「君の『ありがとう』を私は確かに受け取りました。十二分にいただきました。ですので、明日からはその幸せな気持ちと感謝の念は聖火教会に捧げてくださいね。大聖堂は朝9時から夕日が沈むまで開かれていますから」

「はい。大聖堂で毎日祈ります。毎日必ず!」

「そうしてください。君に、聖火の加護があらんことを。それではおやすみなさい。朝になったら声を掛けますから」

「はい、テメノス様。おやすみなさいです」

 

 灯りを消す。

 彼女は寝台に横になり、安らかな顔で目を閉じる。言われた通りに眠ってくれる。とても扱いやすい娘だ。

 

 わざと足音を立てて退室し、“夜に紛れる術”をかけた装飾品を胸元に着ける。

 寝所内にそろりと入ってから、静かに扉を閉める。先ほどと同じように隠れ潜み、彼女の眠りを見届ける。念の為だ。

 目を閉じているものの、呼吸の仕方が先ほどの安眠と違う。これは起きているな。

 彼女は起き上がることなく、静かに横たわっている。

 柱時計から2時を知らせる音が鳴り、ぱちりと赤い瞳が開く。

眠れないのかごろんと寝返りを打ち、困っている表情がよく見えた。

 まぶたを閉じ、眉間をぎゅうう……と寄せる。

 私にはその姿が、頑張って眠ろうとしている幼子に見えた。

 思わず声を掛けたくなる表情。しかし私は口を閉ざしたまま、一切動きはしなかった。

 

「(私は行きませんよ。先ほど『おやすみなさい』を言いましたからね。頑張っていたらその内、きっところんと落ちるように入眠できるはず)」

 

 ずっと動かず隠れ潜み、数時間。

 彼女は頑張って寝ようとして、だけど眠れないようで。

 柱時計が幾度も鳴り、窓の外がだんだんと薄く明るくなっていき。

 とうとう朝だ。

 

「(結局……眠らなかった……)」

 

 ずっと同じ姿勢で隠れ潜み、ずっと注視していた。そのせいか、ひたすら背中と腰が痛い。

 仰向けで動かない彼女はまぶたを閉じたまま、未だ眠ろうと頑張っている。

 そろりそろりと寝所を出る私に気付かないほど集中している。

 扉の開閉に気を配り、私の存在を悟らせないように気をつけながら退室する。

 

「(7日後に、一部始終を説明しなければ……)」

 

 教皇に報告して、処遇を決めていただいて、世話はミントさんにお願いすれば快く引き受けてくれるはず。

 

「(……それに、ああ……声を掛けなければ)」

 

 絶対に放置してはならない。私は彼女に『朝になったら声を掛けますから』と確かに言っていたから。

 

「(放置したらどうなるんだ? さすがに昼まであのまま、なんてことはないですよね)」

 

 ちょっとだけ試してみたくなって、けれど己の理性が却下した。

 寝所の扉をガチャリと開く。

 

「おはよう。良き朝ですね」

「おはようございますテメノス様!!」

 

 軽やかに飛び起き、ビシリと正座する。

 赤い長髪はツヤツヤして、満開の笑顔はぴかぴかしていた。

 

「(人間、に見えるが……)」

 

 “尻尾をブンブン振って喜ぶ子犬”そんなイメージが頭をよぎった。

 

「……とてもお元気ですね」

「はい! 嬉しくていっぱいドキドキしちゃって!!」

「(昨晩、寒空の下にいたのに……2時間しか眠っていないのに……。その元気を少し分けていだきたい……)」

 

 彼女のにっこり顔が急に曇った。

 

「……テメノス様は、大丈夫ですか……? お顔が……あまり元気ではないような……」

「よく分かりましたね。実はあまり眠れなくて」

「そうなんですか!」

 

 驚き、へにゃ、と微笑む。表情豊かな娘だ。

 

「へへ……。実は私も、テメノス様におやすみなさいしてから、その後はずっと眠れなくて。あ、でも! 着替えた時はぐっすり眠れました!! 今日は1日ずーっと働けます!! テメノス様! 私、たくさんお手伝いします!! なんでもお申し付けくださいね!!」

「(ぐっすり……?)」

 

 夜中の11時から深夜の1時……120分だ。たったそれだけしか眠っていないのに。

 

「(……若いってすごいですねぇ)」

 

 29歳の冬。背中と腰の痛みを感じながら、遠くを見つめてしみじみ思った。

 

 彼女はその日、宣言した通りに働いた。朝8時から夜10時まで。

 休むのを嫌がる彼女に休息を命令して、強制的に休ませて。

 背中と腰の痛みは時間の経過と共に引いていった。

 おやすみと声を掛けた後、彼女はきっちり夜11時に眠りについて。

 深夜1時にパッチリ起きて。

 

「この薬を飲んでいただきたいのですが……」

 

 睡眠不足で頭と目の奥が痛い私は、水と粉薬を彼女に与えた。

 「はい!!」と元気よく返事をする彼女は疑うこと無く元気に飲んで、パタッと倒れて二度寝してくれた。

 

「ふ、ふふ……これで私も……朝まで安心して眠れます……」

 

 いつもより重い体を引きずって、他のベッドに行こうとすれば。

 

「すみませんテメノス様!! 急に気が遠くなってしまって!!」

 

 飛び起きた彼女に、私ははるか遠くをジッと見て。

 書庫に行き、大量の本を寝所に運んで。

 

「朝まで一切話さず、静かに読書していてください」

 

 笑顔で指示を出し、椅子に座って朝まで寝た。

 

 

◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆

 

 

 教皇はひどく気落ちした顔で、私に憐れむ眼差しを向けていた。

 

「テメノス……私が留守にしていた間、ここを守ってくれてありがとう。赤い髪の娘の話をアルバさん達から聞いたのだが……怒涛の如き7日間だったようだな」

「……はい。報告することが多すぎて、文書を束でお渡しするのをお許しください」

「おお、こんなに……。しかと熟読しよう。赤い髪の娘はミントさん達にお願いするから、おぬしは教会外で休息を取りなさい」

「感謝いたします。半日だけ暇をいただきますね」

 

 教皇は文書に目を通す。やはり、はじまりの夜に起こった聖火の変色で目を見張った。

 

「これは……」

「……誰にも見られてはいませんでした。その紙は燃やして処分します」

「ああ。全てこの場で焼却しよう」

 

 穏やかな表情を歪めながら、1枚ずつ速読していく。

 私は渡される紙を無言で燃やした。

 

 次に読むのは……記憶と背中の入れ墨ついて記した紙。

 教皇も存じ上げないようで、目を凝らしてジッと見つめるものの、わずかに首を振ってから手元に置く。

 高名な学者に解読を求めるしかないようだ。

 

 次は彼女の睡眠時間について。

 “2時間”……それが彼女の睡眠時間だ。

 教皇は半信半疑の顔つきになる。

 柱時計の音で起きているのかと思い、物音が一切聞こえない個室で休ませても、深夜11時に寝て深夜1時に起きる。

 彼女の中に時計が組み込まれているが如く正確さだった。

 

「……むぅう……。テメノス……説明もしないで睡眠薬を……」

「きちんとお願いしましたよ」

 

 彼女には効果がない。おそらく、薬師の与える薬はどれも効かない。

 重苦しい空気を感じた。

 渡されるその紙を私は燃やす。紙をめくる音が聞こえて、そして。

 

「……おお……なんと痛ましい……」

 

 その一言でどの紙を読んでいるか察した。

 あれは調理の時間だった。芋の皮剥きを手伝いたがる彼女に、やり方を丁寧に教えて刃物を扱う際の注意点を伝え、慎重にゆっくり皮剥きに励んでいた時のこと。

 失敗してザックリと自分の手を刺してしまった大事件は、幸いなことに、私と彼女だけの大惨事だった。

 刺さったものを「ごめんなさいテメノス様」と謝りながら抜く姿は末恐ろしく。

 芋と調理台が血塗れになったあの時、私はすぐに“回復魔法”をかけようとした。

 教皇の目もとがぴくりとする。

 あの時を思い出せば、今も私の顔から微笑みが消えてしまう。

 彼女の血は全て蒸発して消え、手の外傷も消えてしまった。跡形もなく。

 彼女は刃物を使えない。何かを切ろうとすれば、“それ”を切らないように無意識に手が動くそうだ。

 結果、自分の手を傷つけてしまった。

 傷跡が消えても彼女は驚かない。当然のように受け入れ、皮剥きの手伝いができないことを謝っていた。

 

 私は受け取った紙を次々と燃やしていく。

 あの娘は常人ではない。大きな加護か、強い呪いか、彼女にはそのどちらかが宿っている。

 

 彼女は無垢で従順だ。

 私を敬い慕い、どんな時も恋する瞳を向けてくる。どのような命令・指示でも疑問を抱かず違和感を持たず、逡巡せずに実行する。

 しかし操り人形ではなく、自分の意思でやりたい事をやっている。読みたい本を自分で探して、大聖堂や聖火だけではなく高く昇る太陽にまで祈りを捧げて。

 熱心に学ぶし、質問はするし、好奇心は旺盛だ。

 聖火のそばでつまずいて転んで泣いている子どもに自分から声を掛けたり、腰を痛めて歩きづらそうな老人に気付けば私を置いて飛び出して支えに行く。

 よく笑い、よく話し、いつも楽しそうだった。

 

 そして彼女はよく歌う。

 昼食の後、散歩する時間にだけ、歌詞のないメロディーを口ずさんでいる。

 遠くさえずっていた小鳥が彼女に集まる光景を何度も見た。

 教皇はその紙を手元に置いた。全ての文書に目を通して、秘匿すべき情報を燃やした後。

 

「テメノス」

 

 教皇は悲しそうに呟いた。

 

「はい。なんでしょうか?」

「あの娘に……一刻も早く名前をつけてあげなさい……」

「承知しました」

 

 処遇が決まった。彼女は聖火教の庇護下におく。

 

「彼女の名前はミントさんに伝えてもらうようにします」

「直接言わないのか」

「はい。感涙にむせぶ姿が目に浮かびますから。面倒なことは避けたいんです。私に向けてくる情を、今以上に大きくしたくない」

「おお。珍しい。そなたにそこまで言わせるとは」

 

 教皇は朗らかに目を細め、楽しそうに微笑んだ。

 ため息をこぼしたくなる。

 

「テメノス。今朝初めてあの娘を遠くから見たのだが、日差しに照らされた長髪は……あの色はとても美しかった。

“大不死鳥・アグニスフォーチュン”の色合いはあの色ではないか、そんなことを思ってしまった」

「……はい。私も同じことを」

「春にはたくさんの民がここを訪れる。テメノスよ、あの娘に何かローブを買い与えてあげなさい」

 

 教皇は白い布の小さな包みを置く。チャリ、とわずかに聞こえた。

 

「それでしたら、すでに手配しております。彼女に似合う白い頭巾を」

「……おお、早いな。そなたの選んだものなら、あの娘も大層喜ぶであろう」

「サーシャさんに渡してもらいます。支給品と称して」

「ううむ……徹底しているな」

 

 教皇の苦笑に微笑みを返した。

 

「報告をありがとう、テメノス。あの娘のことは私も気に掛けておく」

「ありがとうございます。お手を煩わせることがないように指導します」

 

 一礼してから教皇の部屋を出る。

 この後は書庫に立ち寄り、新しい本を持ってあの娘のもとに顔を出さなければ。

 

「(名前、名前ですか……。動物が相手なら名付けも容易なのですが。人生なにがあるか分かりませんねぇ。まさか女性に名前を与えることになるとは……)」

 

 少し考えて、ひらめいた。

 以前、教皇のお遣いで行った街で食べせてもらった菓子はどうだろう。

 甘ったるくて、上に置かれた果実の色が赤々としていた。

 アルバさんから預かったままの手帳を開き、彼女に与える名を書いていく。

 

「……この紙は読んだらすぐに捨てるようお願いしなければ。

『テメノス様の字だ』とでも言われかねない。筆跡だけで私だとすぐ気づく」

 

 あの子は聡い。伸びしろがある。

 彼女の成長をそばで見届けたい気持ちはあった。

 

「(対面は……あまりしたくありませんね。『好きです』が『大好きです』になりますよ、きっと)」

 

 なんてことを考えながら、書庫を目指して歩を進めた。

 

 




 パーティーチャット

【お願いします(テメノス・ミント)】

「私が……赤い髪の子のお世話を、ですか?」
「はい。ローズさん達にもお願いしています。ミントさんにも頼みたくて」
「私でいいのかしら……」
「ええ。教会に来る子ども達はミントさんが大好きですよ。あの子もあなたにきっと懐くと思います」
「わかりました。私もお世話、頑張りますね」
「お願いします」
「初めてですね。テメノスさんがお願いするの」 
「私も驚いてます。できることは全て自分でやっていたから。何かあればあの子を導きます。任せきりにはしませんから」
「はい。気付いたことがあればテメノスさんに伝えますね」
「感謝します」
「私、たくさん話します。あの子に『大好き』だと思ってもらえるように」
「(私への『好きです』がミントさんに向いたら好都合だな……)お願いします」
 
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