走って走ってニューデルスタへ。
「私は……もう……走りたく、ない」
「……俺もだ」
何回か魔物と遭遇して、けれど戦闘にはならなかった。ミルフィーユ君がひたすら先頭を走っていたからだ。
走りすぎて全身が悲鳴を上げている。オズバルドの眼鏡も温度差で曇っていた。
ニューデルスタに入ってすぐのところで呼吸を整える。
ミルフィーユ君はピカピカの笑顔だ。少しも息切れしていない。ここからフレイムチャーチまで止まらずに走っていけそうな顔だ。
“若いから”という理由だけじゃない。この子個人の体力が凄まじいことになっている。
ミルフィーユ君は私のそばで落ち着き無くキョロキョロしている。緊張というよりもワクワクだ。
「ここ……フレイムチャーチと全然違いますね……!
お家が全部おっきいです……!」
1年ぶりに訪れたが、やはりここが一番栄えている。住民も旅人も観光客も大勢だ。
宿屋も大きく、酒場も広く、店も多い。
夜も灯りが輝き、眠らない街とも言われている。
今は曇り空で、景色はほんの少しだけ重い色をしていた。
私は観光したそうにワクワクする彼女に顔を寄せる。
「ミルフィーユ君」
「は、はいっ」
「……お店の中でも宿屋に行っても、船に乗るまで頭巾を外さないでください」
「お、お家の中でも、ですか?」
「名乗ってもダメです。相手の名前を聞くのもダメですよ」
「だ……だめですか……?」
「必要なことです。私の“お願い”を聞いてくれますか?」
「は、はい……ききましゅ……」
ぽわぽわした乙女の顔で了承した。
オズバルドは街を眺めている。眼鏡の奥の瞳は警戒で鋭く、接近する人間にすぐ気づく。
相手はにこやかに笑った男だ。
色とりどりの花がたくさん入ったカゴを持ち、首元には鮮やかな赤色のスカーフを巻いている。
「こんにちは、旅の人! ニューデルスタへようこそ!」
「こんにちは!!」
彼女の笑顔は花よりかわいい。
歓迎した男は微笑み、カゴから花を一輪出す。
フィルドの花だ……色は青。この街の花屋で売っている、どの季節にも咲く花だ。
「元気なお嬢さん、お花をどうぞ!
今日が良い日になりますように」
渡された花を彼女は反射的に受け取る。
離れようとした男に「ありがとうございます! あ、あのお金……!」とカバンを探ろうとする。
男は手を振りながら「ああ良いよお金なんて。挨拶してくれた子には皆配ってるから! この街を楽しんでいってね~!」と言いながら去っていった。
ミルフィーユ君は渡された花を両手で握る。まるで宝物をもらったような笑顔だ。面白くありませんね。
「きれいな青い花ですねっ」
顔を近づけて匂いを嗅ぐ。
「……ふふ。甘くて良い匂いがします」
「俺にもそれを」
『貸してくれ』と言いたげに手を差し出してくる。彼女はパァッと笑い、両手で渡した。
オズバルドはスンと嗅ぎ、花を握ったままの手を下ろす。笑みの無い顔だ。
「コロンの実を絞った時の香りがわずかにする。上手く紛れ込ませたな」
「その実は知っています。催眠効果のあるものですね」
「実から抽出した成分を花に少量かけている。
この花を長時間嗅いでいると、ゆっくりと自然に眠くなる。
そんな細工が施されている」
オズバルドの魔法が花を凍らせる。一種の芸術品と化したそれを地面に投げ捨てた。
「わぁ! もっときれいな花になりましたっ」
「『なりました』じゃありませんよ……。
花を持ってきたあの男、悪意を持って君に眠くなる花を渡したんですよ……」
にこやかな胡散臭い男とオズバルド。
ミルフィーユ君はオズバルドを信じた。
「そうだったんですね……。
オズバルドさん、ありがとうございます。
あの花は受け取っちゃダメな花だったんですね……」
すごく残念そうな顔をするミルフィーユ君に「花なら私がプレゼントしますよ」と伝えれば、大満開の笑顔を見せた。
ふと感じたのは誰かの視線。私は表情を一切変えずにさりげなく周囲を確認する。
「(……誰か見ているな。しかも、ひとりではない)」
オズバルドが眼鏡を指先で押し上げた。
「“見知らぬ者から物をもらってはならない”だ。覚えておきなさい」
「はい。オズバルドさん」
「用事が済んだらこの街を出ましょう。
私が思うよりも、ここは悪意を上手に隠す者が増えている」
ミルフィーユ君を中心に固まって道を歩く。
宿屋でオズバルドだけを入浴させ、武器屋で装備を新調する。
道具屋で不要な“獲得品”を全て売却し、必要なアイテムを購入し、残ったたくさんのリーフは3人で分けて内ポケットに入れた。スリ対策だ。
外に出る。
ここは1年前よりも居心地が悪くなっている。どこにいても誰かの視線を感じてしまう。
「2人ですか?」
「3人……いや、4人だ」
「ううう」
小声で話し合う。
私とオズバルドの警戒にミルフィーユ君はギクシャクしていた。
治安が悪い。
特にそう思ったのは、通り道の狭い路地。白い子犬を二人の男が囲んでいる。
弱々しく鳴く小動物に、人相の悪い男が「へへ……そのまま大人しくしてろよ」とにやつき、
怪しい顔をした男が「殺しゃしねえさ、ナイフの切れ味を試してぇだけだ」とナイフを出す。
断罪の杖を握りながら前へ出たら……
「ウウウウウわんわんわんッ!!!!」
ミルフィーユ君がいきなり吠えた。
隣にいるオズバルドがビクッとして、怪しい男と人相の悪い男もビクッとする。
男2人がこちらに気づいた。
「わんわんワンワンワン!!」
「な、なんだあのガキ……!」
「あ! あのガキの目……ありゃ魔女の娘だ!!」
怯える子犬に手を出すことなく、男達は血相を変えて逃走しようとする。
「“聖なる光”よ!!」
断罪の光は男ひとりしか直撃しない。私は内心オズバルドみたいな全体攻撃を羨ましく思った。
悲鳴を上げる残党が逃走してすぐ、刃物で切りつける音と「ぐえっ!?」の絶叫と、バタッと倒れる音が聞こえてくる。
私達は子犬のところに行く。
尻尾をぱたぱたさせて近づく子犬に、ミルフィーユ君はしゃがんで両手を広げて出迎えた。
泥汚れの足が彼女の外套とフードを汚す。小さな足跡のスタンプだ。
「かわいい犬ちゃんですね!」と喜ぶミルフィーユ君の頬を子犬はペロペロ舐める。
「ああ……洗濯が必要です……」
「威嚇する犬の鳴き真似、見事だった」
「ありがとうございますオズバルドさん!」
子犬はミルフィーユ君が大好きですねぇ。
キャッキャと喜ぶ彼女は「犬ちゃん、テメノス様が助けてくれました! お友達になりましょうね!」と明るい声を上げている。
「……視線、感じますね」
「ひとりだ。しかし、今までと違って嫌な視線ではない」
残党の悲鳴が聞こえた方向から、ひとりの女性が現れる。
ミルフィーユ君より背が高い人だ。
身体のラインが出た濃紫色のドレスを着た女性。
髪は黒、切れ長の瞳は感情が読めず、整った美しい顔立ちをしていた。
首には宝石が輝くチョーカー、太ももに巻いたベルトの鞘にはナイフ。
「きれいなお姉さんです!」とミルフィーユ君はぼそぼそ言った。
子犬はピョンと飛びのき、尻尾をブンブンさせながら細身の女性へ。
「キャン! キャンキャン!」
「犬ちゃんとお友達のお姉さんなんですね!」
ミルフィーユ君も上機嫌で子犬の後をついて行く。私とオズバルドも追いかける。
女性はしゃがんで子犬を迎え、「よかったね。……怪我はない?」と優しい声をかける。
ミルフィーユ君もそばでしゃがんだ。
「……お腹減ってるんでしょ。ほら、食べな」
「キャン!」
曇り空が晴れていく。
太陽の光が降り注ぎ、この場を照らす。
子犬に微笑みかけながらご飯をあげる女性の顔がよく見えた。優しい表情だ。
食べている姿を一瞥し、女性は立ち上がる。子犬は元気に走っていった。
「……あの子、友達なんだ」
「やっぱりそうですよね!」
「助けてくれて、ありがとう」
ミルフィーユ君の満面の笑みに女性も笑みを返す。そして次に、私達にも微笑みを向ける。
「私はソローネ。これから人捜しに行くところ。あんた達、旅人?」
「そうですよ。西大陸に行く旅人です」
「じゃあ……連れとか、要る?」
「一緒に来てくださるんですか!」
ミルフィーユ君がソローネ君にグイグイ近寄る。
「あんた達が良いならね」
ミルフィーユ君がチラッチラッと熱い眼差しを私に向けてくる。
『テメノスさまお願いします! はいって言ってください!!』の顔だ。
『このお姉さんと一緒にいきたいです!!』の目だ。
「いいですよ、歓迎します」
「わぁ~い!! テメノス様ありがとうございます!!」
「よろしくね」
「私はテメノスです」
「オズバルドだ」
「そして私はミルフィーユです!!」
元気いっぱいの彼女をソローネ君はチラリと見る。
「テメノス……」
「はい、なんでしょうか」
「……この子、子犬が人間になった子?」
「あなた特大に失礼なことを言いましたね」
「そんなわけない。違うぞ」
「わかってる」
「気持ちは分かりますが……」
全員でミルフィーユ君を見る。
嬉しそうな顔をして、よく分かってない目で私達を見つめている。
「……申し訳ありません。
私も時々、たまーにですが、ブンブンしてる尻尾が見える時があるんです……」
「言ってはならないぞ」
「かわいい子ね。アイツと全然違う……」
「アイツ、ですか?」
私とオズバルドは同時に目を細めた。
ソローネ君は空を仰ぐ。すぐ近くにそびえる長方形の建物を睨んだ。
ハシゴがついた建物は、屋上に登れるようだった。
全員がソローネ君の視線の先を見る。屋上には誰もいない。
「見てるんでしょ? 出てきな」
静かな鋭い呼びかけ。すると、
「こんにちは」
背後でにこやかな声がした。私とオズバルドが反射的に動く。
声の主に私は断罪の杖を、オズバルドは右手を突きつけた。
いるのは真っ黒なベールをかぶった女だ。
「いつの間に……!」
「……居なかったはずだ」
黒い手袋と黒いブーツと黒いドレス。
そして胸元を飾るのは、どす黒い宝石のブローチ。
ソローネ君と違い、目の前の女は全身を隠している装いだった。
唯一見える肌はベールの下で少し見える口元だけ。
「……アンタ、本当に人を驚かせるのが好きね」
「ええ。わたくし、びっくりさせるのが大好きなの」
落ち着いた微笑みの声。
私もオズバルドもすぐに気づいた。その声がミルフィーユ君によく似ていることに。
黒ずくめの女はドレスの裾をつまみ、貴族の令嬢のように一礼する。
「テメノス・ミストラルさん、オズバルド・V・ヴァンシュタインさん。
はじめまして」
警戒で肌が一気に粟立つ。
この街では一切名乗っていないフルネームを、目の前の女は口にした。
「え? え? なんで知ってるんですか!?」
ミルフィーユ君の声に女は顔を上げる。背丈も同じだった。
「ふふ。よく知ってるからです」
「あぁなんだ! お知り合いの方だったんですね!」
「知らない女です。下がってください」
ミルフィーユ君は私のお願いにすぐ従った。後ろに隠れてくれる。
私の断罪の杖を黒ずくめの女は楽しそうに眺めている。
「誰だ、貴様は」
敵意に満ちたオズバルドの問いに、ベールの下の微笑みがさらに深まった。
「わたくしは輝石の魔女・ディエライト。欲しいと願う者に、欲しい物を贈る奇跡の魔女です」
「呪いの魔女……の間違いでしょ?」
「ご挨拶できて幸いです。わたくし、皆さんに贈り物をしたいんです。“欲しい物”を教えてください」
子犬を傷つけた悪党よりも怪しく、この街にいる誰よりも胡散臭い。
私達は少し後ずさった。
「あらあら、逃げないでくださいませ」
『なんでしょうこの方、わからなさすぎです』の顔でミルフィーユ君も下がっている。
ミントさん見てください、あのミルフィーユ君が珍しく警戒しています。
「みしらぬ人から物をもらってはいけないんです」
「素晴らしい。俺の教えを活かしてくれたな」
「はい。しっかり忘れません」
「ああそんな! 自己紹介しあった仲ではありませんか!」
「してませんよ私達は」
「……いつもと違ってしつこいね」
不審者の魔女は丸腰だと言いたげに両手を広げる。
何ですその胸元の宝石は。黒と紫が渦巻いた不吉の塊じゃないですか。
「わたくしには大不死鳥の加護が宿っています」
ぴくり、と。
私、ミルフィーユ君は思わず反応した。
「ミストラルさんはよくご存じのはずですよ。
“善人には望み欲するものを与える”」
「私知ってます! 良い子でいれば、不死鳥から贈り物がもらえるんです!」
「食いついてはいけないぞ」
目の前の魔女の胡散臭さがさらに濃厚になった。
「ミストラルさん、わたくしにお願いしてください。『白くて美しいものが欲しい』と」
軽々しい言葉に背筋が凍る。
それは……かつて私が教皇に言ったことだ。
ああ、ダメですねこの人。
一切気を許してはならない、明確な敵になった。
「ポンと出して差し上げます」
「結構です。いりません」
“聖なる光”を今すぐ放ちたくなった。
「あ、あのぉ……魔女さんは、本当に“良い子”に贈り物をされるんですか?」
「すみませんオズバルド。この子の口を塞いでください」
「できない。俺の手は大きすぎる。口を塞げば窒息するぞ」
「任せて。私が塞ぐ」
「ふぐぐう」
不吉の魔女はにんまり微笑んだ。
「もちろんですよ。美しい髪のかわいいあなた。わたくしは“良い子”に贈り物をします」
「むぐぐぐふぐ」
「静かに。テメノスだけを見ていろ」
「むふー」
「よし、見惚れてるわ」
暗い雲が太陽を隠し、黒ずくめの魔女がさらに黒く見える。
凶兆をそのまま人間にしたような魔女。
「もちろん贈りますよ。ミストラルさんとヴァンシュタインさんとソローネは“良い子”ですから」
「私は30歳の大人です。性格も“良い子”ではありません」
「俺は38歳だ。条件に全て該当しない」
「私が“良い子”じゃないのはアンタが一番知ってるでしょ」
「むん!」
スポッとミルフィーユ君がソローネ君の腕から抜け出す。なんて器用な。
外れた頭巾だけソローネ君の手に残る。
「皆さん“良い子”ですよ!!」
プンプン怒って私達に向き直る。まるで地団駄を踏んでいる幼子だ。
「ソローネさんは犬ちゃんのお友達です! 犬ちゃんにひどいことをしようとした悪い人をこらしめました! だからとっても“良い子”です!」
「あの物音を聞いて察したのか……素晴らしい……」
「オズバルドさんも“良い子”です! ヤバい花をピキンと凍らせ、とってもキレイな花にしてくださいました! テメノス様を魔物から助けてくれるとっても“良い子”です!」
「……へぇ。先生、この子をスマートに助けたんだ」
「テメノス様も、もちろん“良い子”です!! 強いし、かっこいいし、優しくて、すごく美しくて、とっても強いから!!」
「……“強い”を2回言ってますよ」
ミルフィーユ君は必死な顔で一生懸命だ。
魔女は微笑んでそれを聞いている。
「だから! だから!! 皆さん“良い子”なんですっ!!」
大声で言って、はぁはぁ息切れしながら魔女に向き直る。
「“良い子”なんですっ!!!!」
「美しい髪のかわいいあなた。
……あなたに“欲しい物”はありますか?」
「あります! そりゃもうたっくさん!!」
「ミルフィーユ君……っ!」
「言っちゃダメだよ」
「欲しい物はたくさんあるけど、全部自分で買いたいです! ぜんぶ自分で手に入れて、テメノス様にプレゼントします!!」
曇天の空がまた晴れていく。太陽の光が降り注ぐ。
ミルフィーユ君を照らし、彼女の長髪を輝かせる。その赤は心を奪われる色をしていた。
日差しは黒ずくめの魔女にも降り注ぐ。浮かべるのは胡散臭い笑み。
魔女が動いた。黒い両手でベールを外す。
「えぇっ!?」
驚く声が大きく響いた。
赤い髪と赤い瞳────黒ずくめの魔女はミルフィーユ君と同じ顔だ。やはりそうか。
悪党が逃げる時に『あのガキの目……ありゃ魔女の娘だ』と言い捨てていた。ソローネ君の『アイツと全然違う』も。
ソローネ君は不機嫌な顔で魔女を睨んでいる。
「テメノス様! 私と同じ顔をしています! あの方、私のお姉さんですか!?」
魔女に歩み寄ろうとするミルフィーユ君の手を握る。あの魔女にこの子を近づけさせてはならない。
オズバルドが前に出る。彼も同じ気持ちだ。
「……絶対違う。あの女は17年前からあの姿だった。不老の魔女だよ」
「そう。わたくしとても長生きなの。たくさん生きてきました。何をされても死にません。刺されても魔法を撃たれても全て癒える体質なんですよ。“欲しいもの”を教えてください」
何故そんなにも“欲しいもの”を知りたがるのか。
私は断罪の杖を輝かせながらミルフィーユ君の前に出る。
「分かりました。私の“欲しいもの”を話しましょう」
「ありがとう、ミストラルさん」
「ただし、受け取るか否かは後で私が決めます。押し付けないと誓いますか?」
「はい。誓います。押し付けませんし、勝手に与えたりもしません。受け取った後、お好きに燃やしたり捨てたりしてください。
不要になったら返していただいてもいいです。わたくしが処分します」
嬉しそうな笑顔だ。不愉快と嫌悪が膨らんでいく。
ミルフィーユ君と同じ顔だが、湧き上がる感情は全く違う。
魔女を睨んでいたソローネ君の顔が苦しげに歪んだ。
「それでは言いますよ。私の望む“欲しいもの”を」
「はい」
「……ミルフィーユ君が何を忘れたか教えてください。私だけにこっそりと」
シンと静まりかえる。
魔女の表情は変わらない。不吉を予感させる満面の微笑みだ。
「……それは、ごめんなさい。わたくしには出せないわ」
「おやおやそうですか。あれだけしつこく聞いてきたのに、いざお願いすれば『出せない』と。
ああとっても残念です。奇跡の魔女さんにポンと出していただきたかったのに!
“全て”は出していただかなくていいんですよ。“ちょっとだけ”です。彼女が今までどこに住んでいたか、それだけでいいんですよ。
ダメですか? 出していただけない? ガッカリです。ご自分の名前に“奇跡”を付けないほうがいいですよ」
「テメノス様早口でたくさん言ってる! 意地悪言ったらダメなんですよ!! テメノス様ひどいなって私思いました」
「思ったことを言っちゃいました。まだまだ言いたいことたくさんあるけど我慢します。ごめんなさいミルフィーユ君。私のことを嫌いにならないでください」
「なりませんよ! 私はテメノス様のことが大大大好きです!!」
オズバルドは『あの魔女にもっと言ってやれテメノス』の顔をして、
ソローネ君は『なんなのこの時間は』と言いたそうな呆れ顔をして、
ミルフィーユ君が珍しく私を睨んでいる。
「魔女さんが贈るのは“物”ですよ! テメノス様がお願いしたのは“情報”です! 出せないものをお願いしたテメノス様がダメダメです」
「あー……もう……分かりましたよ。それなら“物”でお願いしてみます」
私はうんざり顔で魔女を見据える。
先ほどと同じ表情だ。張り付けた作り物の笑み。まばたきをしない赤い瞳は硝子細工のようだ。
「あなた“輝石の魔女”でしたね。どんな宝石でもくれるんですか?」
「ええもちろん。特大の精霊石でも、大粒のウルフダイヤモンドでも」
「それはすこい。どんな宝石でも?」
「わたくしは“輝石の魔女”ですから」
「いいですね。それは僥倖だ。今からお教えします、ちゃあんと聞いてくださいね。渡せるか否か、まずはそれを教えていただきたい。もらえると思ったのに断られたら残念ですから」
「教えてください、ミストラルさん」
「はい。私、ひとつだけあるんですよ。とっても気になる宝石が」
魔女から笑顔を消し去りたい。そんな気持ちで、私は口の端をつりあげて笑った。
ミルフィーユ君が『あ! テメノス様いじわるな顔してる!』という目で睨んでくる。
私はピッと指を差す。彼女の胸元のブローチを。紫と黒が渦巻いているそれを。
「……あなたのその宝石です」
魔女のほうから、皮膚を焦がすほどの熱が漂ってきた。
笑みを浮かべたまま、禍々しい宝石を両手で隠す。明らかな拒絶だ。
「ダメよ。これは……わたくしの物だから。絶対だれにも渡さない」
こちらを笑顔で凝視する瞳は濁った血の色だ。
「おやおや怖い。怒らせてしまいました。
ごめんなさい、私は嘘をつきました。本当は欲しくないですそんな禍々しい宝石は。なんですその色。邪神ヴィーデを彷彿とさせる色じゃないですか。不吉そのものですよ。持ち続けたら本当に呪われそうだ。命がいくつあっても足りません」
ぺらぺら早口で言う。
「テメノス様!」とミルフィーユ君が怒っても、私はそれを無視して、魔女にニコォ!と笑いかける。
「私に欲しいものはありません。お帰りください」
「テメノス様!!」
バシッ!と初めて叩かれた。
おや珍しい。私のことが大好きな君がここまで怒るなんて。
「魔女さんの大事なものをそんな風に言ったらダメですよ!!
意地悪なテメノス様とは、私、話したくないです!!」
とても怒りながら「1分間話しません!!」と怒鳴る。
オズバルドとソローネ君は『短いな』という顔をした。
魔女のほうから漂ってくる熱波が引いていく。
禍々しい瞳の色は、今にも消えそうな儚い赤色になる。張り付けた笑みはそのままだ。
「……そう。これはわたくしの大切な物。
これだけは……失いたくない大事なものなんです……」
「やっぱりそうですよね!
テメノス様が取ろうとしたら私が魔女さんの大事なものを守ります!
ダメですよ!!って絶対に怒りますから!」
魔女は変わらない笑みを浮かべたまま、ミルフィーユ君に向けて深々とお辞儀した。
感謝しているような、そんな仕草だった。
「ミストラルさん、ヴァンシュタインさん」
微笑みの声でぽつりと呟く。
私とオズバルドは警戒の眼差しを強めて魔女を見据えた。
「わたくしはミストラルさんの望むものも、ヴァンシュタインさんが得たい情報も、与えることができません。
ですが、船を購入する為の10万リーフでしたら、いつでもお渡しできますから。
それではまた次回、ここではない別の場所で」
頭を上げ、背筋を伸ばす。
笑みを浮かべる魔女はベールをかぶることなく跳躍して、地上から高い建物の屋上へひとっ飛びで移動した。
長い長い髪はぶわりと広がり、まるでそれは、羽ばたく翼のようだった。
不吉に感じた気配が消える。場の空気が元通りになる。
ソローネ君は疲れた顔をした。
「……アレは何なんですかソローネ君?」
「私にも分からない」
「付き合いが長いように思えたが」
「同じ顔なのに、私とぜんぜん違います」
「ミルフィーユ」
「あ、はい!」
「……あの魔女、怖い?」
ソローネ君の淡々とした質問にミルフィーユ君の眉がググッと寄る。しわくちゃの顔で考える。
「うーん……怖いかどうか。
わかんないです。いらない物を渡してくるなら、ダメだなぁヤバいなぁって思うんですけど」
ソローネは手のひらを私達の前に差し出した。彼女の手には純白の宝玉がある。
「わぁ! 白くてきれいな物です!」
「分かりましたソローネ君。これが君の」
「魔女が贈ったものか」
「……そう。私がまだ幼い頃、あの魔女がこれをプレゼントしてきた。
私が願ったのは“誰にも取られない。盗まれても必ず戻ってくる物”だった。
この宝石には、私が願っていない効果も付与されている。痛みと傷の消失だ。
私は誰に何をされても痛いと思わない。
これを握っている間、傷跡が現れる。攻撃したヤツを騙すフェイクだね。
傷跡やアザは浮かび上がるけど、痛みを全く感じない。
時々……自分が本当に生きているか分からなくなる時がある。たまにだけどね」
ソローネ君は忌々しそうに顔を歪める。瞳は後悔と悲しみに満ちていた。
「砕こうとしても無駄だった。世界一硬い呪われた宝石だよ」
「なるほどなるほど。だから君は“呪いの魔女”と」
「ソローネさん……。
いらないですってお返ししましたか?」
「したわよ、いっぱいね。あの女に投げつけた日もあった。
あの笑顔で全て断られた。
捨てても暖炉で燃やしても、この石はいつの間にか私のポケットに戻ってくる」
「とんでもない呪いじゃないですか」
「俺が預かろうか? 所持していなければ、気持ちが幾分か軽くなる」
「……ありがとう。お願いしたいところだけど、そのうち先生のポケットから消えてなくなる」
「ソローネさんのポケットに戻るんですね!」
なにが『受け取った後、お好きに燃やしたり捨てたりしてください。不要になったら返していただいてもいいです。わたくしが処分します』だ。あの魔女……とんでもない大嘘つきだ。
私の脳内で胡散臭い笑顔でピースする魔女が浮かんだ。
「あの魔女さん、ずっとずーっとニコニコでしたね」
「そうですか? 途中から怒ってましたよ、あの魔女は」
「私も初めて見た、あんな姿。付き合いは長いけど、あれがあの女の“渡したくないもの”だとは知らなかった。
……すごいね、テメノス。会ったばかりでアイツにあんな顔させられるなんて」
「ふふ。相手の心を知りたい時は怒らせるのが一番です。あそこまで引き出せたのは予想外でしたが」
ミルフィーユ君がパッと私を見る。
君が怒った私の“意地悪”はそういう意図があるんですよ。
「あの魔女は常に笑っている。私はずっと、あの笑顔しか見ていない」
「あ、あの……魔女さんは、心が痛くなることはありますか……?」
「ならないならない。ずっと笑顔。何があっても、何を見ても、近くで誰かが傷ついても、知ってるやつが殺されても。
ずーっと笑ってる、だから気味が悪い。
私の知ってるヤツは全員アイツを内心恐れているよ。呪いを振りまくあの魔女を」
ミルフィーユ君はシュンと小さくなる。
今にも泣き出しそうな、頭を撫でてやりたくなる顔だ。
「……テメノス様。
魔女さんのそばに……クリックさんみたいな方はいたんでしょうか……」
「“クリック”とは?」
「私達を助けてくれた聖堂騎士です」
「クリックさんは、テメノス様と一緒に大きな魔獣と戦ってくれました。
私その時、とても大きな怪我をして」
オズバルドとソローネ君の顔つきがサッと変わる。説明を強く求める目だ。
「この子は私を守る為に、魔獣の前に飛び出したんです。
巨大なヴァルグ種の魔獣でした。
鋭い爪がこの子の頬を切り裂いた」
ソローネはバッと動いてミルフィーユ君を確認した。ぷにぷにの頬をムニッとする。
「大丈夫ですよソローネさん」と、アヒル口で彼女は続ける。
「私、傷ついてもすぐ治るんです。出てきた血もシュワッと消えます」
「アンタ……私と同じ……?」
「それで、わたし、痛くなかったんです。
クリックさんに平気だって言ったら、大丈夫じゃないですって言われました。
“心が痛い”って教えてくださったんです。
それで、私……“心が痛い”が分かりました」
ぽかぽか温かいミルフィーユ君の頬からソローネ君は手を離す。
「アンタ……風邪引いてる。顔、すごく熱いよ」
「体質です。この子の体温はとても高い」
「幼児の体温は成人よりも高いと言うが……」
幼子は悲しい顔をした。魔女が飛び去った屋上をジッと見上げる。
「魔女さんには叱ってくれる方も……教えてくれる方も、いなかったのかもしれません……」
あの胡散臭い魔女に近づきたい・話したいと思う人間は誰もいない。
私も心の底から思う。あの魔女とは関わりたくないと。
「……あ!!!!」
大きな声に私達はビクリとした。
見守る大人達に囲まれながら、ちいさな子どもはカバンを探る。
「私、前に思ったんです!
“自分の地図が欲しい”って!!
そしたら本当にこの地図が出てきました!」
あのよく分からない地図を、ミルフィーユ君はバッと広げた。
「これは……」
「……なに、これ?」
「よく分からない地図です」
地図の右半分、おそらくニューデルスタのあるところに。
まばゆい白色の“O”
青空色の“T”
明るい紫色の“T”
輝く文字が並んでいた。
ソローネ君の目は怪訝そうに細まり、オズバルドの目には探究心や好奇心。
「テメノス様、きらきらの字が増えてます!」
「誰も触っていないのに……」
私のイニシャルが出るのは理解できる。地図に触ってしまったから。
しかし、オズバルドとソローネ君はカバンにすら触れていない。
「テメノス、その絵画のような地図は」
「なんで字が光ってるの?」
「後でご説明します」
頭が痛くなってきた。
ミルフィーユ君は輝く字に負けないきらきらの笑みを浮かべた。
「テメノス様、私わかりました。
白色の“O”はオズバルドさん! 青空色の“T”はテメノス様! 明るい紫色の“T”は……ん? T?」
自信満々の笑顔が曇る。ミルフィーユ君は地図をジィッと見つめた。
「そ、ソローネさんだったら……“S”だと思ったんですけど……」
「ソローネ君の名はこう書くはずですよ」
私は手帳を出して手早く書く。“Throne”と。
「わ! わぁ! “T”ですテメノス様!」
その場でピョンピョン喜ぶ。
手帳を片付ける私にソローネ君とオズバルドが『早く説明しろ』の目を向けてくる。
「テメノス様!
私あの時、地図が欲しいと思いました! この地図はあの魔女さんの贈り物だと思うんです!
“欲しい物”をくれました!
あの魔女さんは私、怖くないです!」
私はミルフィーユ君の手からサッと地図を抜き取り、「あ! 地図がどっかいっちゃいました!」の声を聞きながら後ろを向き、ペキペキ折って畳んでいく。
「あ……あ……どこにいったんだろう……」の声を聞きながら、彼女のカバンにスッと戻す。
「この街を出ましょう」
「ああ。話すなら誰もいない旅路で、だな」
「それじゃ……行こうか」
ソローネ君がミルフィーユ君に手を伸ばす。
地図の所在をコロッと忘れた笑顔で、ミルフィーユ君は差し伸べた手を両手で握った。
保護者3人と元気な児童がひとり。
賑やかな旅になる、と思って微笑みながら、私はみんなの前を歩いた。
────ニューデルスタを出て、街の外へ。
ミルフィーユ君に最悪な花を渡した男が、赤いリボンでグルグル巻きにされて転がっていた。手酷くやられたのか昏倒している。
その姿を歩きながら眺めるミルフィーユ君は、ニコッと笑って大きく頷いた。
「あのリボン知ってます。地図を結んでいたステキなリボンです。魔女さんがこらしめましたね!」
「ええ。きっとそうでしょうね」
「私、分かりました!あの魔女さんもきっと“良い子”です!!」
ソローネ君も、オズバルドも、私の顔も一斉に曇る。
全員が『それは絶対に違う』と声に出さずに否定した。