8人の旅人と、赤い髪の娘たち   作:遠野ハネ

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【6話 追憶③】「ハーヴェイさん? ああ、あの人には話したくないです」

 

 大図書館を出て、街の穏やかな道を歩く。いつもと同じ晴れた空。

 以前、ヴェリテはこの街に雨が降るかどうか気にしていたが、ここは降雨が無い地方だ。

 街の端、木が生えて緑が多い、誰もいないところでヴェリテと座る。

 

「オズバルド先生」

「どうした?」

「オズバルド先生の上着を貸してください」

「なぜだ」

「……着たいと思ったんです」

 

 仮面の表情。凪いだ瞳。その声も普段通りだ。

 

「俺に説明を。ただ何となくではいけない。

なぜ着たいのか、それを俺に話しなさい。

ヴェリテは前に……服が破れた、と理由を言ってくれた。その時と同じ事がなぜ出来ない」

 

 俺を一心に見つめていた瞳が別のところを向いた。いつも見る空ではなく、地面に視線を落とす。

 

「……頭から被りたいんです。髪を、隠したくて」

 

 その声は震えていた。

 小さな横顔を見る。仮面が外れていた。

 ヴェリテの、今の心がよく分かった。

 

「本を読んでる時に……ハーヴェイさんが。

あの人が……私の、私の髪を……触ってきて……。

ずっと……触ってて……。

それで、オズバルド先生の上着で、髪を……隠したくなったんです……」

 

 言うべき言葉を俺は失った。

 ヴェリテはまた無表情の仮面をかぶる。

 

「……すみません、オズバルド先生。

わがままを言いました。

お風呂の時に使うタオルをアンフェミーさんから借りて、それで頭を隠します」

 

 俺は無言で上着を脱いだ。ヴェリテの頭にふわりと被せてやる。

 

「話しづらかったな。よく打ち明けてくれた。

ヴェリテ、俺には全てを話していい。隠さずに」

「はい、オズバルド先生。ありがとうございます」

 

 上着で全身が隠れたヴェリテは両手を外に出し、少しの隙間も空けないように前を閉じてしまう。

 

「オズバルド先生」

 

 上着の内側でもごもごと言う。

 

「ああ、どうした」

「頭を撫でてください」

「……いいのか?」

「はい、お願いします」

 

 片手でゆっくりと、位置を確認しながら、頭部のあるところを撫でる。

 上着がずり落ち、赤い髪が現れ、俺はとっさに手を引いた。

 

「オズバルド先生」

 

 ヴェリテの顔には、やわらかい微笑み。

 

「オズバルド先生……私の髪を撫でてください。

撫でてほしいと思いました」

「……ヴェリテがそう思うなら。

分かった。撫でてやる」

 

 怖がらせないように注意しながら手を動かす。

 日差しに照らされた長髪は宝石みたいに輝き、その手触りは心地良い。

 

「撫でるのは1分でいいか」

「はい。オズバルド先生の手が疲れるので」

「ヴェリテは何分撫でてほしい?」

「……1分じゃなくて、もっと撫でてほしいです」

 

 言われた通りにする。

 ヴェリテの髪を撫でながら、俺は……ハーヴェイを思い出した。

 寒いものを感じた、あの満面の笑みを。

 

 その後、散歩を終えて大図書館に戻る。

 食事の誘いをヴェリテは快諾し、アンとホリーも喜んでくれた。

 彼女達が出掛ける準備をしている間、俺は別の場所にハーヴェイを呼び出した。

 相変わらずの軽薄な笑みだ。

 

「どうした? オズバルド。

そんなに怖い顔をして」

「読書中に、ヴェリテの髪を触ったそうだな」

「なぜそれを」

「ヴェリテが話してくれた」

 

 ハーヴェイの笑顔が曇る。

 後悔が大きく浮かび、謝罪したそうな顔をする。

 

「……そうか。悪かったな。

あの子の髪に……大きな虫の死骸が絡まっていて……。

気味の悪い虫でな、教えたら怯えさせると思って、黙って取ったんだ。死骸がバラバラにならないように、慎重に取って……」

「……そうだったのか」

「気を悪くしてしまったな。

無断で触ったことは、あの子にも後で謝りたい」

「……分かった。それならヴェリテも納得するだろう」

「許してくれるか?」

「理由を知ればな。ヴェリテは謝罪を受け入れる」

 

 2人でヴェリテのもとへ戻り、ハーヴェイは誠心誠意謝った。

 ホリーとアンは一瞬だけ不快そうに顔を歪めるも、ハーヴェイを許すヴェリテの姿にまた微笑みが戻る。

 出発の準備を終え、大図書館の外に出た。

 

「いってらっしゃい、ヴェリテさん」

「気を付けてね」

「楽しんでくるといい」

 

 借りた本と筆記用具と大冊を入れたカバンを背負い、見送る眼差しに一礼する。

 

「ホリーさん、アンフェミーさん、……ハーヴェイさん。

数日したら帰ります。戻ってきたら、またよろしくお願いします」

 

 そして、俺とヴェリテは出発した。

 帰路はゆっくりで、しかし、話しかけてくれるヴェリテの声に俺は安堵する。

 魔物を魔法で一掃し、並んで歩く。

 

 乗船した後、酒場の席でヴェリテは大冊を開いて白紙のページを大きく破った。

 大事にしていた唯一の所持品を3枚も破いてしまう。

 

「……何を」

「エレナさんに見せる絵を描きます。

犬と猫が天気について語る短い話です」

 

 まばたきせずに、ひたすらペンを動かして、下船する前に完成させた。

 

「……オズバルド先生。

私の話を、エレナさんは聞いてくれますか……?」

 

 自信の無い声に微笑みが浮かぶ。

 

「ヴェリテの講義なら、エレナはきっと聞く。

目と耳を向けてくれるはずだ」

 

 夕方になり、我が家に着いて。

 リタとエレナが笑顔で迎えてくれた。

 テーブルにたくさんのごちそうを用意している。

 ヴェリテはリタに丁寧にお辞儀して、エレナの前にしゃがみ、小さくなって挨拶をする。

 

「エレナさん、こんにちは。

私の名前はヴェリテです。オズバルド先生の生徒です」

「うん!」

「リタさんも、こんにちは。

本日はありがとうございます。ご飯に誘ってくださって……」

「おねえちゃん、いっしょにすわろう」

 

 挨拶の途中でエレナが動き、ヴェリテの手を引っ張ってしまう。

 

「ヴェリテちゃん、来てくれてありがとう。たくさん食べてね」

 

 全員で食卓につき、夕食を食べた。

 ヴェリテは言われた通りにもりもり食べる。

 瞳を輝かせ、エレナと話しながら、会話を楽しみながら完食する。

 

 食事の後、ヴェリテは描いたものをテーブルに広げてエレナに語る。

 笑みのない表情だ。しかし、犬と猫とで声色を変え、分かりやすく話す。

 エレナは夢中で聞き、話が終われば、大喜びの笑顔で拍手した。

 

「おねえちゃんありがとう!

ねこといぬ、かわいかった!」

「楽しかったですか?」

「うん!!」

「良かったです」

 

 目を細め、やわらかく微笑んだ。

 ヴェリテは顔を上げ、時計を確認する。表情がスンと戻った。

 

「オズバルド先生、そろそろエレナさんが寝る時間です。

私、この町の宿屋に泊まりますね」

「えっ!?」

「おねえちゃん……?」

「何を言っている」

「つい先日、館長さんから報奨金を頂きました。私の話した“第8の根源”が素晴らしいと」

 

 カバンを背負う。

 離れようとしたヴェリテの手をエレナが両手で握った。

 

「おねえちゃん、もっとおはなしききたい……」

「あなた。エレナとお昼に話してたの。

お友達になりたいと思ったら、夜も一緒に寝ましょうね、って」

「そうなのか? エレナ……」

「うん。おねえちゃんと、おなじおふとんで」

「私とあなた、エレナとヴェリテちゃんでね」

 

 ホッとする。まさかエレナが、ここまでヴェリテに気を許すとは。

 

「……ああ。みんなで眠ろう」

 

 就寝の時間になり、寝間着に着替え、全員で寝床に入る。

 

「おやすみ、エレナ」

「ヴェリテちゃんも、おやすみなさい」

「おやすみなさ~い」

「はい。リタさん、エレナさん、オズバルド先生、おやすみなさい」

「おねえちゃん。

“エレナちゃん”っていって」

「うん、わかった。

エレナちゃん、おやすみなさい」

「おやすみなさい!」

 

 夜の9時だ。ヴェリテはエレナと共に目を閉じた。眠れないのに寝たフリをしている。

 エレナはすぐに眠り、ヴェリテはそっとまぶたを開いた。

 

「ヴェリテちゃん、エレナと一緒の布団で眠ってくれてありがとう。

早起きしなくていいからゆっくり休んでね」

「ありがとうございます、リタさん」

 

 ヴェリテはまた目を閉じた。

 リタに気を遣わせないように寝たフリを続ける気か。

 夜11時ちょうどになり、穏やかな寝息が聞こえてくる。

 

「ヴェリテちゃん、やっと眠ったわね」

「気付いていたのか」

「あなたが少しだけ落ち着かない顔をしていたから。

初めて会う人と同じ家で眠るのは緊張するわ」

「黙っていたが、俺の生徒は夜11時にならないと眠れない体質なんだ」

「まぁ」

「黙っていてすまなかった」

「そう。私のことを思ってくれたのね。

明日の夜は、温めたミルクを飲ませてあげて、ヴェリテちゃんの話を聞きたいわ」

「……いいのか」

「もちろんよ。エレナ、明日はお兄さん達に自慢しに行くかもね。『おねえちゃんができた』って。

おやすみなさい、あなた」

「……おやすみ、リタ」

 

 布団に潜り込む妻の頬を撫で、俺も横になる。

 リタと2人で同じベッドで眠るのは久しぶりだ。

 ヴェリテに感謝しながら、まぶたを閉じた。

 

 

 ────かすかな扉の開閉音に、俺はハッと目を覚ました。

 深夜の暗がりで目を凝らし、時計を見る。今は1時10分だ。

 エレナとヴェリテのベッドを見た。

 ふくらみがふたつ。こんな時間だ。今もぐっすりと眠っている。

 ほんの少し、わずかな違和感に気付いた。

 ベッドを抜け出し、そっと近づき、子供達の布団をわずかにめくる。

 

「……ヴェリテ」

 

 布団の下には、エレナの隣には、脱いだ服が丸めて置いてあった。寝間着のまま外に行ったのか……!

 物音を立てないように急いで家を出る。

 ヴェリテはいた。夜空の下で、ブランコに座っていた。

 

「オズバルド先生」

 

 驚いて立ち上がる。

 痛い失敗を隠そうとする顔で頭を下げた。

 

「ごめんなさい。ここに来た時、座ってみたいと思ったんです」

 

 何も言えない。言いたいことが全て喉で詰まってしまった。

 歩み寄る。小さな肩は緊張で強張っていた。

 目の前でしゃがむ。ヴェリテの背より、俺のほうが低くなる。

 

「……楽しかったか?」

 

 ヴェリテは赤い瞳を丸くさせ、しばし時間をおいてから首を振った。

 

「よく……分からなくて。

椅子だと思いますが……足元が不安定で落ち着きません」

 

 この子は今まで、一度もブランコをしたことがない。

 家族に……ブランコで背を押してもらったことがない。

 目の奥がほんの少しだけ熱くなる。

 

「……ヴェリテ。ブランコは明日教えてやる。

今は寝る時間だ。真夜中に目が覚めても、外には出ずに布団でまた眠るんだ」

「オズバルド先生……」

「目を閉じていたら、そのうちまた眠れる」

「……オズバルド先生」

 

 ヴェリテはまた無表情になる。わずかにうつむき、まぶたを閉じた。

 

「私……オズバルド先生、私は……。

ホリーさんにも、アンフェミーさんにも、オズバルド先生にも……黙っていたことがあります」

「それは……ハーヴェイには話したのか?」

 

 赤い瞳がぱっちり開く。眠そうに目を細めた。

 

「……ハーヴェイさん?

ああ、あの人には話したくないです」

 

 ヴェリテのことがやっと分かった。この子はハーヴェイのことを良く思っていない。

 

「そうか……。

……ヴェリテは俺に何を黙っていた」

「睡眠時間です。

私は夜11時になったら急に眠くなります。落ちるように就寝します。

でも、2時間後……目を覚ますんです。毎日そうでした」

 

 実験の記録を話すような声だった。

 “毎日”───その言葉に、背筋がゾッと寒くなる。

 

「私はアンフェミーさんやホリーさんみたいに長く眠れません。

子供の成長に必要な睡眠は10時間だと本で読みました。

2時間しか寝ていないのに、日中少しも眠くならないんです。

たくさん本を読んで、講義を受けて、いろんな方と話して、ご飯を食べて……何をしても、私は睡魔を感じたことがありません」

 

 無感情に話す。

 子供でも大人でも、たった2時間眠っただけで日中活動し続けることはできない。

 昼寝か仮眠か、寝なければ生活に支障が必ず出る。

 薬師に相談しなければならないことをヴェリテはずっと抱えていた。

 だから女史達は“早起きしてる”と。

 俺にも、誰にも打ち明けることなく、真夜中から夜明けまで、たったひとりで。

 

「いつからそうなっていた」

「最初からです。私が“私”を自覚してから。

オズバルド先生と出会った後も毎日ずっと」

「……起きてから夜明けまで、いつも何をしていた」

「灯りをつけたら起こしちゃいます。

真っ暗な部屋で、頭の中でずっと考えてました。

『明日何をしようか』『どんな本を読もうか』

読んだ本を思い出したり、たくさん考えたり、オズバルド先生の話を思い返したり」

 

 毎晩、俺も寝ている時間に、ホリー達が眠る真っ暗な部屋で、ベッドの上で動かずに、夜明けまで。

 それはどれほどの孤独なのか。

 

「夜の時間を有意義に使えて良いんですけど、筆記帳に書けないのが難点ですね。

外が明るくなってから、急いで全部書いてます。

楽しいですよ、オズバルド先生。たくさん考えることができるので」

 

 ヴェリテは独りの夜を心から楽しんでいる。

 それが俺には痛ましかった。

 

「灯りをつけていい。眠っている者はそう簡単には起きない」

「そうですか?」

「ああ。アンとホリーに話せば、俺と同じことを必ず言う」

「そうですか……」

 

 俺は立ち上がり、ヴェリテの後ろに回った。

 

「ブランコに座りなさい。押してやろう」

「オズバルド先生……」

「夜と昼とでは景色が違う。よく観察するといい」

 

 ヴェリテを座らせ、ブランコをする際の注意点を伝える。

 俺の話を聞き、ヴェリテは両手でしっかり握った。

 

「押すぞ、ヴェリテ。

止めてほしかったら『止めろ』とすぐに言え。即座に止める」

「はい。お願いします」

 

 大実験に立ち会う学徒の顔つきだ。

 小さな背をゆっくりと押してやれば、ヴェリテは子供らしい声を上げる。

 声を掛けながら、押す力をわずかに強める。

 空へと送り出すように手を動かしてやる。

 

「あははっ」

 

 年相応の声で笑ってくれた。

 

「すごいですオズバルド先生!

動いてないのに勝手に動きます!」

「俺が押しているからな」

「風がビュンビュン吹いてきます!

気持ちいいですっ」

「もっと早くするか?」

「お願いします!」

 

 心から楽しみ、喜んでいる。

 いつもの無感情の仮面は遠い空に飛んでいったようで、ブランコが終わった後のヴェリテの顔つきは、大図書館にいる時と大きく違っていた。

 

「ありがとうございます、オズバルド先生。

ブランコって楽しいものだったんですね」

「そうだ。ひとりでもできるが、2人でやるともっと楽しくなる」

「明日、エレナちゃんの背中を私、押したいです」

「ああ。そうしてくれ。きっと喜ぶ」

「ゆっくり押します。怖がらせないように」

「エレナは『もっと押せ』と言う。声を掛け、気にせず押してやってくれ」

「はい!」

 

 ヴェリテと家に戻る。

 テーブルには灯りのついたランタンが置かれ、温かいミルクと温かいコーヒーが。

 リタは布団の中で眠っている。……いや、寝たフリか。

 

「ありがとうございます、リタさん」

 

 小さな声でお礼を言い、ヴェリテはミルクが置いてある席に座る。

 俺も着席し、コーヒーを口に運んだ。

 

「……オズバルド先生、私も同じのを飲みたいです」

「これは子供には飲めないものだ。成長を妨げる成分が含まれている。大人になってからだ」

 

 とても小さな声で会話する。

 ヴェリテはミルクをゆっくり飲み、ホッとした息を吐いた。

 

「ミルクと砂糖を混ぜたら飲めませんか?」

「……素晴らしい。良く気付いたな。

そうやって飲む者もいる。しかし、子供には有毒だ。大人になってから飲みなさい」

「はい、オズバルド先生。

私……早く大人になりたいです」

「あと7年、いや6年か……。

それぐらいの年月が過ぎれば、ヴェリテの望む大人になれる」

「魔法も使えるようになりますか?」

「修練を積めばな。次に大図書館に戻った時に基礎から教えてやる」

「ありがとうございます」

 

 お互いに飲む。沈黙の時間だ。

 しかし、心が落ち着く静寂だった。

 俺はやっと気付いた。ヴェリテが常に微笑んでいることに。

 無表情の仮面は外れたままだった。

 

 夜明けが訪れる。ヴェリテの世界は変わったようだ。

 嬉しい時、楽しい時、ヴェリテはよく笑うようになった。

 まるで、蕾のまま枯れそうになった花が奇跡的に咲いたような。そんな気持ちになってしまう。

 ヴェリテはエレナのブランコを押す。それを俺とリタは寄り添って見守った。

 清々しい風が吹いてくる。子供達の楽しげな声が聞こえてくる。

 

「……ねぇ、あなた」

「リタ、どうした?」

 

 リタは息をこぼして小さく笑う。

 

「ううん。なんでもない。

エレナとヴェリテちゃん、とても楽しそうだなって」

「ああ。俺もそう思う」

 

 リタが何を言いたいのか。

 俺は薄々気付いていたが、明言はしなかった。

 

 それから2日、心温まる時間が過ぎた。

 エレナはヴェリテをあちこち連れ回し、いつも手を繋いでいた。

 ヴェリテはエレナの話をたくさん聞き、花ひらく笑顔を見せてくれる。

 すぐに旅立ちの日がやってきた。

 

「おねえちゃん……」

「ありがとう、エレナちゃん。

共に時間を過ごせて、一緒に遊べて、とても嬉しかったです」

「どこいくの……?」

「本がたくさんあるところに行きます。たくさんのことをお勉強するんですよ」

「あのね……」

 

 エレナはモジモジして、リタの後ろに隠れてしまった。小さな顔を少しだけ表に出す。

 

「……おねえちゃん、またきてね」

「はい!!」

 

 ヴェリテは元気よく返事をする。

 エレナとリタがそれぞれヴェリテを抱きしめ、

 そして次に俺も抱きしめてくれて。

 俺とヴェリテは、優しい声に見送られて出発した。

 

「……よかったな」

「はい、とても。

とても……幸せです、オズバルド先生」

 

 微笑んでいる。声と表情が一致していた。

 

「エレナは、ヴェリテのことを『好き』だと言っていた」

「はい。ブランコの後、そう言ってくれました。

オズバルド先生。私、エレナちゃんが大好きです。リタさんのことも……とても好きです」

「俺もそうだ。

……いや、少し違うな。大好きではなく、愛しているだ。

俺はリタとエレナを愛している」

 

 生き生きとした赤い瞳を大きく見開き、ヴェリテは俺を一心に見上げてくる。

 

「オズバルド先生、“あいしている”とは?」

「心に深く抱えた“大好き”が幾重にも重なり、完成する感情だ。

大好きだと思える相手と長い年月を共に過ごす事で、己の心にある“大好き”が“愛している”に昇華される。

その感情を知らぬまま生を終える者もいるし、他者と関わっただけでは得られない。特別で尊い感情だ」

「特別で……尊い、感情」

 

 ヴェリテは小さな手を胸に当てる。

 

「オズバルド先生……。

私、“あいしている”を知りたいです。特別で尊いものを、私の心に抱えたい」

「ヴェリテなら必ず到達する」

「……大人になってからですか?」

「いいや。今のヴェリテでも得られる感情だ。

大人になる前に“愛している”を、その心に抱えることができる」

 

 リタとエレナと、ヴェリテが望むなら。

 ヴェリテを……家族として迎えたくなった。

 

 その後、大図書館へ続く道を歩くヴェリテの足はいつもより早かった。

 アンとホリーのところに帰りたいのだろう。

 

 女史2人とハーヴェイが大図書館の外で待っている。出迎えだ。

 

「アンフェミーさん! ホリーさん! 帰りました!!」

 

 明るく笑いながら走り寄るヴェリテに、出迎えた3人は大きく動揺した。

 

「お帰りなさい……ヴェリテさん……!」

「オズバルド……あちらで何があったの……!?」

「ブランコで遊んだ。心穏やかな時間を過ごして、笑えるようになったんだ」

 

 女史2人は感極まった顔で小さな身体を抱きしめる。

 ハーヴェイが満面の笑みでヴェリテに近づいた。

 

「お帰りなさい、ヴェリテちゃん。

ハーヴェイお兄さんもここにいるよ」

 

ヴェリテの視線が女史2人からハーヴェイへ移る。やわらかい笑顔がスンと無表情になった。

 

「ハーヴェイさんこんにちは。ただいま帰りました」

 

 感情を一切籠めない淡々とした声で言った。ハーヴェイの笑顔がピキリと引きつる。

 無表情の仮面のまま、ヴェリテは女史達の手を引いた。

 

「ホリーさん、アンフェミーさん。

私が不在だった時の講義内容は筆記書に書き残してくれましたか?」

「ええ、全部記録しているわ」

「ありがとうございます。確認させてください」

 

 アンフェミーと手を繋いで仲良く歩く。

 ハーヴェイは泣きそうな顔で俺のところに来た。

 

「うう……オズバルド……。

ヴェリテちゃんが私には笑ってくれない……」

「髪を無断で触った事で苦手意識が芽生えてしまったのだろう。

講義で取り戻すしかないぞ、ハーヴェイ」

 

 情けない顔がにやりとした笑みになる。

 ハーヴェイは隠し持っていたのか、一冊の薄い本を出してきた。

 

「あとはヴェリテちゃんの興味を引く本だな。

なぁオズバルド。君があっちに帰ってから今日に至るまで、私は面白そうな本を各地で入手していた」

「……おお、それは気になるな。俺にも読ませろ、ハーヴェイ」

「“お願いしますハーヴェイ様”と言ってくれたら見せてやろう」

「断る。お前の用意した本を俺は読まない」

「つれないな。

……まぁいい。オズバルド、君に客が来ているぞ」

「俺に?」

 

 ホリーが俺達を待っていた。

 

「オズバルド。

1人の女性が講義室であなたを待っているわ。ヴェリテと共に顔を出してね」

 

 “1人の女性”……俺の頭に浮かんだ人物は。

 

「……レディ・クラリッサか?」

 

 ヴェリテと女史2人とハーヴェイで講義室に顔を出す。

 無人の部屋で本を読むのは、やはりレディ・クラリッサだった。

 彼女は本を閉じて背筋を正す。

 

「御機嫌よう、オズバルド様」

「おお、久しいな。やはりレディ・クラリッサだった。

珍しいな。西大陸からわざわざ来たのか!」

 

 ヴェリテは繋いでいた手をほどき、レディ・クラリッサを見上げる。

 レディ・クラリッサは観察する目をヴェリテに向ける。

 先に動いたのはヴェリテだ。深々とお辞儀をする。

 

「こんにちは。

初めまして、私はヴェリテです。

大図書館で学ばせて頂いています」

「……まぁ、ふふ」

 

 顔を上げて凛と立つヴェリテに、レディ・クラリッサは優雅に笑い、丁寧に一礼した。

 

「クラリッサ・スワンプよ。

オズバルド様の助手を務めています。

カナルブラインに滞在していましたが、“第8の根源”の話を聞きつけ、駆け付けた次第です。

よろしくお願いしますね、ヴェリテさん」

「クラリッサさんは……オズバルド先生の助手……」

 

 赤い目が好奇心で輝く。レディ・クラリッサの話を聞きたいのか、ヴェリテはふわりと微笑んだ。

 

「私、オズバルド先生にまつわる話も聞きたいです。クラリッサさん、教えてください」

「えぇ、喜んで。

オズバルド様とは長年の付き合いよ。たくさん話すことができるわ」

「聞きたい! 聞きたいです!」

 

 女史2人は安心してニコニコしている。

 ハーヴェイがこちらに来た。

 

「フン、面白いなぁオズバルド。

私もヴェリテちゃんに『ハーヴェイさんの話を聞きたいです』と言ってもらいたい」

「苦手意識が消えなければ進展しない。

誠実に生きろ、ハーヴェイ」

 

 レディ・クラリッサとヴェリテは俺について話に花を咲かせ、10分ほど話して閉幕となった。

 ヴェリテがツヤツヤした笑顔で俺のところに戻って来る。

 

「オズバルド先生……とっても楽しかったです……」

「……良かったな」

「ヴェリテさん、私もオズバルドさんのことを話せるわよ」

「知ってることを言うわ」

「ありがとうございます! アンフェミーさんホリーさんお願いします!」

「ヴェリテちゃん、俺もオズバルドとはそれなりに付き合いがある。俺にも話せる事がたくさんあるぞ」

 

 笑顔がスンと無表情に戻った。

 

「聞かせてください、ハーヴェイさん」

「……クッ! 手強い!!」

 

 ハーヴェイは涙を飲んだ顔をする。

 しかし、気持ちの切り替えが早いのか、軽薄な笑みを浮かべ直して本を出した。

 

「それなら別の話をしてやろう。

ヴェリテちゃんは“大不死鳥・アグニスフォーチュン”は知っているか?」

 

 知りたがる眼差しを向ける。無表情だが、赤い瞳は力強い。

 

「ハーヴェイさん……なんですかその話聞きたいです。その装丁は大図書館にも無い本です」

「おおオズバルド、見たか。

ヴェリテちゃんが食いついてくれたぞ」

「大不死鳥なら俺もよく知っている」

「あ……オズバルド先生の話も聞きたいです……」

 

 ヴェリテがあっちこっちフラフラする。

 レディ・クラリッサが教壇に立った。

 

「わたくしが話しましょう」

 

 ヴェリテはバタバタと着席して「お願いします!」と学徒の顔をする。

 私と女史2人も席に座った。

 ハーヴェイが悔しそうに唇を噛みながら教壇に並び立つ。

 

「お先にどうぞ、スワンプ婦人」

「ええ。

ヴェリテさんは“ダーケストの大穴”は存じていますね?」

「はい。オズバルド先生から聞きました」

「その“ダーケストの大穴”と同じように、はるか昔から“大不死鳥・アグニスフォーチュン”は世に語り継がれています」

 

 レディ・クラリッサはチラリとハーヴェイに視線を送る。

 ハーヴェイは得意気な顔で、本を開くことなく教壇に片手をつく。

 

「ソリスティアに住まう人間なら誰もが知っている。

しかし、この大図書館には、大不死鳥について書かれた本は存在しない。

数年前に、聖火教に全て押収されてしまったからだ。保全・保管と称してな」

 

 ヴェリテは不満そうな顔をする。読みたいと思った本を全て持ち去られて悔しいのだろう。

 レディ・クラリッサは小さく片手を上げた。

 頷いたハーヴェイが「スワンプ婦人、“第8の根源”に繋げたい。件の話は最後に」と呟いた。

 レディ・クラリッサは微笑んで応じた。

 

「ここからは大不死鳥の特徴を。

その名に“鳥”を冠している通り、アグニスフォーチュンは鳥類、炎の鳥です。

夜空を飛べば、昼に変わったと思わせるほどのまばゆい輝きを放ちます。

西大陸を飛行する勇姿は、東大陸に住む者が視認できるほどに巨大。

何者とも争わず、善人には望み欲するものを与えたそうです。

ある家庭では、親が子に『良い子でいれば、いつか大不死鳥から贈り物がもらえますよ』と言い聞かせることでとても有名よ。

他に……大不死鳥は6つの魔力の根源を宿しています。全ての魔法を使えたそうです」

 

 ヴェリテの頬は紅潮し、「すごいです……」と感動の声をこぼす。

 レディ・クラリッサはハーヴェイに目配せする。彼は意気揚々と話を引き継いだ。

 

「とても巨大な鳥だ。遠く離れた輝きも見つけることができたそうだ。

……その“輝き”が何を指しているかは未だに不明だが。

そして、高らかな地鳴きは聞く者の心に安らぎを与える。

ヴェリテちゃんは“地鳴き”が何かは知っているかい?」

「はい。本で読みました。

さえずりとは違う、日常的・平常時の鳴き声のことです」

「そうだ。そして最大の特徴を言ってやろう。

大不死鳥は、己の傷と他者の傷を癒す」

 

 ヴェリテがガタッと席を立つ。

「“第8の根源”……!」と震える声で呟いた。

 

「ヴェリテちゃんの話した“第8の根源”をキッカケに、学者連中は大不死鳥を調べ始めている。

止まっていたものが動き出したんだ」

 

 ハーヴェイは笑みを消す。真剣な顔をヴェリテに向けた。

 

「君は素晴らしい。

始まりはアンフェミーの怪我だが、しかし、君はひとりでそこにたどり着いた」

 

 ハーヴェイは恭しく頭を下げた。

 

「ヴェリテ、私は君を誇らしく思う。

これからも……共に学びたい」

 

 誠実な声とその姿に、ヴェリテの無表情の仮面がぽろりと外れた。

 嬉しそうな顔でわずかに微笑む。

 

「……はい。

共に学びましょう、ハーヴェイさん」

 

 ハーヴェイは両腕を振り上げ、全身で喜んだ。

「よしッ!」と声を上げ、俺にビッと指を差す。

 

「見たかオズバルド!! ヴェリテちゃんが私を認めてくれた!!」

 

 わずかに微笑んでいた顔がスンと無表情に戻る。

 

「クラリッサさん、ハーヴェイさん。

大不死鳥の講義をありがとうございました」

「クッ! なぜ微笑みが消えるんだ……!」

 

 そして、大図書館の日々は過ぎていく。

 ヴェリテはアンとホリーにだけ、深夜1時に目覚めること、1日に2時間しか眠れないと伝えた。

 翌日、夜明けまで語り明かしたとヴェリテは嬉しそうに俺に話してくれた。

 

 講義室では魔法を学び始めた。

 俺の詠唱を真似するヴェリテは、一切変化が起こらず悔しそうに口を閉じる。

「基礎を磨き、多くの修練を積むのが大前提だ。大人になってからだぞ」と伝える俺に、ヴェリテは不満そうにそっぽを向く。

 俺を押しのけてハーヴェイは満面の笑みで助言する。学徒達も同様、ヴェリテに多くのことを話した。

 

 数日学んだ後、コニングクリークに帰る日。

 ヴェリテが強く望んだことで、俺は彼女を連れて帰宅した。

 

 リタとエレナは大喜びで迎えてくれた。

 優しく温かい、心地良い日々が過ぎていく。

 エレナはヴェリテを姉のように慕い、ヴェリテはエレナへの“大好き”を強くさせる。

 そばで見守るリタは幸せそうに目を細めた。

 

「……ねぇ、あなた」

「どうした?」

 

 リタは息をこぼして小さく笑う。

 

「ううん。なんでもないわ。

とても嬉しいと思ったの」

 

 リタが何を言いたいのか。

 俺は気付いていたが、明言はしなかった。

 

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