8人の旅人と、赤い髪の娘たち   作:遠野ハネ

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【6話 追憶④】「私は、あの子が一番欲しかったんだ」

 

 我が家での穏やかで幸福な日々と、

 大図書館で多くを学ぶ日々。

 ヴェリテと出会ってから……2ヶ月が過ぎた。

 

 リタとエレナが待つ家に、ヴェリテと共に帰宅した日の夜11時、子供達が眠ってから、リタはやっと胸の内を明かしてくれた。

 

「……あなた。エレナがね、この前言ったの。

『おねえちゃんはヴェリテおねえちゃんがいい』って」

 

 俺を見つめる瞳に嬉し泣きの涙が浮かぶ。

 愛しいと思える頬をそっと撫でる。

 

「ソリスティアのどこかに、ヴェリテちゃんの家族がいる。それは分かってるの。

ずっと一緒にいられないのも分かっている。

お父さんとお母さんが見つかるまで……ヴェリテちゃんを私達の養子に……。

ヴェリテちゃんがこの家に来てくれた時に……家族として『お帰りなさい』を言いたいの」

 

 リタの願いに、抱きしめて応えた。

 

「俺も同じことを思っていた。

明日、ヴェリテに話そう」

「ありがとう、あなた」

 

 空に雲ひとつない、とても晴れた日に。

 ブランコに乗る背を押しながら、俺は言葉を選びながら話した。

 言い終わってすぐに、

 

「ブランコを止めてください」

 

 ヴェリテの声に俺は手を止める。

 彼女は大きく動揺していた。赤い瞳は俺を一切見ようとしない。

 

「……考えさせてください」

 

 返答は貰えなかった。

 リタは「またご飯を作るわ。いつもと同じようにここで過ごして、納得できるまで考えて、ゆっくり決めてね」と声を掛け、ヴェリテは困惑した顔で頷いた。

 

 大図書館に戻る。

 養子の件はアンとホリーとハーヴェイにも打ち明け、ヴェリテにはその話題を一切出さないように配慮した。

 講義を受けるヴェリテはいつも上の空で、大勢の学者と学徒達を心配させた。

 ヴェリテは常に難しい顔をして、女史2人に話しかけられても、返答が遅れてばかりだった。

 

 大きく変わったのはヴェリテとハーヴェイだ。たまに見せていた微笑みを、ハーヴェイには一切向けなくなった。

「何を言われたんだ」とヴェリテに問い詰めても「なにもありません」と拒絶された。

 ハーヴェイにも問い詰めた。

 厳しい顔で「お前が原因だ。自分で言ったことを、まさか忘れてしまうとは」と冷たく言い捨てられた。

 ヴェリテを散歩に誘っても断られるようになった。

 ホリーとアンに密かに聞けば首を振られ、

 レディ・クラリッサに相談すれば「ヴェリテさんと2人で話してください」と言われた。

 

 大図書館の心苦しい日々が過ぎ、リタとエレナのもとに帰る日がやって来る。

 女史2人とハーヴェイとレディ・クラリッサに見送られ、俺とヴェリテは出発した。

 

 帰りの船で、酒場の席にヴェリテと座る。

 ブドウを食べる。赤い瞳は俺を見ようとしない。

 

「……養子の話をしてからだ。

なぜ、そこまで大きく態度を変えてしまった」

 

 不満そうな顔で黙々と食べる。

 

「俺には隠さず話せと言ったはずだ。

話してくれなければ分からない。理解もできない。それでいいのか、ヴェリテ」

 

 赤い瞳がやっと俺を見た。

 心を閉ざした無表情の仮面だ。

 

「……ソリスティアのどこかに私の家族がいます。私は、本当の家族のところに帰らないといけません」

「養子はヴェリテの家族が見つかるまでだ。

書類をしかるところに届ければすぐに取り消すこともできる。

エレナの“お姉ちゃん”になりたいと言っていただろう。

リタもエレナも、ヴェリテが家族になることを望んでいる」

「オズバルド先生はどうなんですか!?」

 

 突然の剣幕に、俺は言葉を失った。

 

「私の家族になってくださいと!」

 

 ヴェリテはいきなり立ち上がる。

 椅子が勢いよく倒れた。

 

「私は! オズバルド先生にお願いしました!!」

 

 赤い瞳に涙が浮かんでいた。

 ぼろ、とこぼれ落ちる。

 

「オズバルド先生は断りました!

ここで!この席で! お前の家族にはなれないって!!」

 

 ヴェリテは走って甲板に飛び出して行った。

 全身が重い。すぐに追いかけることができない。

 

「ああ……」

 

 己の心に、後悔だけが浮かぶ。

 思い出した。確かに言った。ヴェリテと初めて会った日に。

 間違いなくこの席で。

 

「……ずっと覚えていたのか」

 

 ハーヴェイの言い捨てた『お前が原因だ』をやっと理解した。

 重い足を引きずりながら追いかける。

 無人の広い甲板に、どしゃ降りの大雨が降っていた。

 

「……ヴェリテ!」

 

 甲板へ出ていったのを確かに見た。出入り口はここしかない。

 この大雨の中にヴェリテがいる。

 

「どこだ! ヴェリテ!!

ヴェリテ!!」

 

 腕で顔を守りながら、大雨に打たれながら前へ進む。視界が悪い。ヴェリテがどこにいるか発見できない。あの子の鮮やかな赤い髪が見えない。

 

「ヴェリテ!! 俺の名を呼べ!!」

 

 腹の底から大声を出す。

 どしゃ降りのうるさい雨音の中、とても小さな声が聞こえた。

 ヴェリテが俺の名を呼んでくれた。

 声を頼りに走り、発見できた。

 大雨に打たれながら、ずぶ濡れになりながら、膝を抱えて座っていた。

 

「ヴェリテ……風邪を引く……。

話さなくていい……中へ戻るぞ……」

 

 小さな手を握る。ヴェリテも握り返してくれた。

 2人で酒場に戻る。

 床を広く濡らしてしまい、酒場の店主には謝罪した。

 店主は俺とヴェリテの口論を聞いてしまっていたようで、申し訳なさそうに大きなタオルを貸してくれた。

 先にヴェリテを拭いてやる。この後は入浴だ。

これがエレナなら一緒に風呂に入ってやるところだが、相手はヴェリテだ。

 ひとりで入浴させるしかない。

 ヴェリテはまだ泣いていた。

 年相応の顔で、ぼろぼろと涙をこぼしていた。

 

「ごめんなさい……オズバルド先生……。

私、養子の話、すごく嬉しかったんです。

エレナちゃんの“お姉ちゃん”になりたい……。

でも私は……本当の家族のところに帰らないといけないんです……」

「帰っていい。本当の家族も俺が探す。背中の文字も解読してみせる。

ヴェリテ、本当の家族を見つけるまでだ。リタとエレナと俺の家族になってくれ」

 

 ヴェリテは泣きながらくしゃりと笑う。

 嬉しそうな満面の笑みだった。

 

「はい、オズバルド先生……!」

 

 どしゃ降りの雨は、いつの間にか止んでいた。

 

 下船した後は、2人でまた帰路を歩く。

 ヴェリテに笑顔が戻った。

 帰宅して出迎えてくれたリタとエレナを抱きしめる。

 

 どしゃ降りの中を歩いたせいか、帰宅してすぐ、俺は高熱に倒れてしまった。

 ベッドの中で苦しむ俺をリタが手厚く看病してくれて、エレナとヴェリテの励ましの声を聞きながら安静にして、2日後に全快した。

 

「ヴェリテも大雨に打たれていた……。

……なぜ平気なんだ」

「子供だからですか?」

「免疫力は子供のほうが低い」

「なら、私が特に健康なんでしょうね」

 

 ヴェリテは平然と言った。

 

 翌日、エレナは近所の仲良し3兄妹のところに遊びに行った。

 リタと手を繋ぐ小さな背中を見送るヴェリテは嬉しそうだ。やわらかく微笑んでいる。

 

「寂しくないか?」

「いいえ。エレナちゃんとはずっと一緒にいましたから。たまにはこういうのもいいです。

森へ行きましょう、オズバルド先生」

 

 俺とヴェリテの外出先はリタに事前に伝えている。

 大不死鳥について書かれた本を手に、俺とヴェリテは近くの森へ出かけた。

 俺は読書、ヴェリテは発見した植物を手記に描き写す。お互いに好きなことをする時間だ。

 初めて読む本に、のめり込むように熱中して読んでしまった。

 

 ────ハッと我に返り、顔を上げる。

 空は夕暮れになっていた。もう日没だ。

 退屈したヴェリテは散歩しているのか、発声練習の声が遠く聞こえる。

 

「……詠唱の練習か? 

しかし、今のヴェリテでは……」

 

 口上の指導を受けて魔法を発現できる者が大半だが、ごくまれに、己が決めた言葉を唱えないと魔法を使えない者もいる。

 ヴェリテは後者だ。長い月日を費やし、研鑽を積むしかない。

 今も発声練習の声が遠く聞こえる。

 間もなく夜だ。帰らなければ。

 ヴェリテを呼ぼうと顔を向け、絶句した。

 声が聞こえる方向、森の木々の奥で、魔法の光が炸裂している。

 

「ヴェリテ!!」

 

 地を駆け、木々の間をすり抜ける。

 枝で頬を切りながらも、すぐにたどり着いた。

 ヴェリテは鳥の魔物・ウミスズメと戦っている。

 発声練習の声で魔法を発動し、素早く襲いかかる魔物とやり合っている。

 小さい身体で攻撃を避け、火炎と雷撃の魔法を同時に放つも、魔物には一切当てられない。

 

「“氷よ……切り裂け”!!」

 

 魔物を瞬時に滅した。

 ヴェリテは立てなくなり、尻もちをつく。

 肩を大きく上下させ、荒く呼吸を繰り返す。服はボロボロになっていた。

 

「ヴェリテ……!」

 

 俺の呼吸も不規則だ。心が騒々しく荒立っている。早足で歩み寄った。

 

「私は近くにいた。呼べばすぐに駆けつけた……!」

 

 心が震える。ヴェリテの危機に気付かなかった自分自身に怒っていた。

 

「なぜ俺を呼ばなかった!

己ひとりで挑まずとも私に助けを求めろ!!」

 

 心が震えるままに言う。荒らげる声のまま言ってしまう。

 

「習得した魔法を魔物に試したかったか? 己ひとりで戦えると思ったか? 傲慢も甚だしい!!」

 

 ヴェリテは泣き出し、俺は声を詰まらせた。

 子供相手に……怒鳴ってしまった……。

 悔恨の念で胸がいっぱいになる。

 荒立つ心を深呼吸で鎮め、ゆっくりとしゃがみ込む。ヴェリテと同じ目線になる。

 

「……どうして、ひとりで戦った」

 

 全身を震わせて泣いている。

 魔物か怒鳴る俺か、どちらに恐怖したのか分からなかった。

 穏やかな顔を意識する。ヴェリテの返答を静かに待つ。

 ひく、とヴェリテは小さく声を漏らした。

 

「まもの、が、急に……出てきて……」

 

 極寒に震えるような声だった。

 

「ひと、ひとりの時に。

オズ、バルド、先生が、前に……い、言いました……」

 

 私はすぐに思い出す。

 

「“ひとりの時に魔物と遭遇したらどうすればいいか”?」

 

 ガクガクと頷いた。話せる状態じゃない。

 ここからは俺が代弁したほうがいい。

 

「俺は……逃げるしかない、と答えたな」

 

 ヴェリテはまた頷く。

 

「ヴェリテは俺のところに逃げようとした。

しかし、魔物のほうが速かった。

逃げ道を塞がれ、別の道から逃げようとして、結果、俺から遠ざかってしまった」

 

 恐怖する顔つきが、徐々にやわらかくなっていく。

 

「なぜ魔法を使えたかは分からないが……ヴェリテは、当てられずとも牽制する為に、魔法を使った」

 

 右手を差し出す。ヴェリテは両手で握った。

 震える全身を抱きしめる。

 なぜ、俺の名を呼べなかったのか。

 どうして助けを求められなかったのか。

 それも問い詰めたかったが、今のヴェリテには、我が家に連れて帰るのが一番だと思った。

 

「オズバルド先生は……」

 

 落ち着きを取り戻した声に、ヴェリテを少しだけ離した。

 

「『私に助けを求めろ』と言いました。

でも、あの……どんなことを言えばいいんですか……?」

 

 俺は、頭を殴られたような衝撃を受けた。

 

「私……どう言えばいいか分からなくて……。

オズバルド先生の名前も、喉が詰まって、呼べなくて……」

 

 なにがオズバルド“先生”だ。

 ヴェリテに、最も大切なことを教えていなかった。

 

「助けてほしい時は『助けて』だ。言いなさい」

 

 弱々しく揺れていた赤い瞳が輝いた。

 

「た……たす、たすけて……ですか?」

「たどたどしいな。もう一回だ」

「たすけて」

「そうだ、素晴らしい。

必ず俺に言え。俺じゃなくてもいい、相手は誰でもいい。

どんな困難でも、危機でも、苦しいことが起こっても『助けて』を言え。大きな声で叫べ。

ヴェリテの『助けて』を聞いた人間が、ヴェリテを必ず助けてくれる。

もちろん俺もだ。必ずヴェリテのところに行く」

 

 ヴェリテはホッと息を吐き、やっと笑ってくれた。守りたいと心から思える笑顔だった。

 

「はい、オズバルド先生」

「帰るぞ、ヴェリテ。

もう夜だ。リタとエレナが待ってる」

 

 頷くヴェリテの手を握る。

 家族の待つ家に2人で帰る。

 

 あともう少しで到着、というところで俺は足を止めた。

 

「……ヴェリテ。やはり今聞かせてくれ」

「魔法のことですか?」

「ああ。いつ使えるように」

「魔物と戦った時です。喉が詰まってうまく声が出せない時に偶然」

「発声練習の声だったな。

帰る前に見せてくれ」

「はい、オズバルド先生」

 

 ヴェリテは走って俺から離れる。

 くるりと向き直り、丁寧に一礼した。

 顔を上げて、堂々と立つ。講義の時の学徒の表情。

 それから、華やかに微笑んで発声練習の声を出す。

 高らかな声、鮮やかな炎が舞い上がった。

 次は低い声、宙に氷塊が現れ砕けた

 柔らかい声、夜空を雷撃が走った。

 

「単音か!!」

 

 ヴェリテはニッと笑んだ。

 発声練習を続ける。美しい声だった。

 魔法式が瞬時に構築され、少女を中心に発動していく。

 赤、青、黄、緑、光、紫────6つの根源の輝きを。

 

 魔法が消え、静かな夜に戻る。

 ヴェリテは誇らしげに微笑む。『どうですか?』と言っているような表情だ。

 走り寄り、小さな身体を抱き上げる。エレナによくやっている高い高いだ。

 

「素晴らしい!! 美しかったぞ! ヴェリテ!!」

 

 ヴェリテは子供らしく笑う。

 今日という日を、見せてもらった光景を、俺は生涯忘れない。

 心に深く残る1日になった。

 

 扉を開ける前に、ヴェリテが俺の名前を呼んだ。手を止める。

 

「どうした?」

「私の魔法はオズバルド先生だけの秘密にしてください。

アンフェミーさんにも、ホリーさんにも、クラリッサさんにも。……ハーヴェイさんにも。

誰にも言わないんでほしいんです」

 

 警戒している表情。緊張している赤い瞳。

「分かった。誰にも言わない。生涯沈黙する」と固く誓えば、ヴェリテは首を振った。

「あ、あの……やっぱり、言ってもいいです」と発言を撤回する。

 

「……数年後、オズバルド先生が信頼できる人にだけ、私の事、話していいです」

「承知した」

 

 ヴェリテは満足そうに目を細める。

 そして、帰宅した。

 

 それから先は、ずっと幸福に満ちていた。

 リタとエレナとヴェリテとの日々。

 ハーヴェイとホリーとアンフェミーとヴェリテとの日々。

 レディ・クラリッサはたまに立ち寄ってくれた。常に幸せに溢れていた。

『本当の家族のところに帰る』という願いの為に、ヴェリテは多くの事を大図書館で学んだ。

 

『オズバルド先生に、解読してほしい字があるんです』と、ヴェリテが俺に話しかけた日から1年が経った。

 もうすぐ家に帰る日……というタイミングで、館長からヴェリテ宛に手紙が届いた。

 

「オズバルド先生、とてもきれいな手紙です」

「手紙の内容は?」

「ストームヘイルに来てほしいと。

そこに今は滞在されていて、そこで情報を得たそうです。

赤い髪と赤い瞳の女性が、聖堂機関本部で活動していたと」

「ヴェリテさんと同じ特徴ね」

「オズバルド先生。

他には……その女性の活動の記録が、聖堂機関本部に保管されています。

持ち出しは不可で、本部内でしか閲覧できないそうです。

だから……私に、ストームヘイルに来てほしいと。

通行許可証も同封されていました」

「行くのか?」

「もしかしたら、私の母か……姉かもしれません。私はストームヘイルに行ってきます」

「俺も……」

「いいえ。オズバルド先生は家に帰ってください。エレナちゃんとリタさんが帰りを待っていますよ」

「ヴェリテの帰りも待っている」

 

 痛いところを突かれた顔を一瞬だけして、ヴェリテはニッと笑んだ。

 

「私は今回の帰宅を辞退します。

次回帰った時に、たくさんリタさん達を抱きしめますから」

「安心してね。私が一緒に行く」

「ホリー……」

「私もヴェリテちゃんに同行する。

ホリーと私と、私が雇った衛兵2人と護衛1人でストームヘイルに行く。

聖堂機関本部には聖火教会が押収した本がたくさんあるらしい。

うまいこと話して何冊か持って帰ってきてやろう」

 

 10冊ぐらい持って帰りそうな笑みをハーヴェイは浮かべた。

 ヴェリテがそれを横目に見ながら「大不死鳥についての本もお願いします。読みたいです」とほんの少しだけ笑って言う。

 ハーヴェイが調子よく得意げに笑った。

 

「任せろヴェリテちゃん! 私が30冊ほど持ち帰ってやろう!!」

「どう持ち帰る気だハーヴェイ……」

 

 ヴェリテと大人5名。

 それなら、ストームヘイルに行くのは問題ない。

 ヴェリテが出発する日、今度は俺が大図書館の外で見送った。

 その翌日、俺も1人で出発する。

 帰りの船は問題が発生したのか、乗船できるまでに3日を要した。

 船の近くで時間を潰すのは退屈だった。

 

「今頃、ヴェリテ達はストームヘイルか……」

 

 ホリーがいるなら安心だ。

 ハーヴェイがいるならきっと退屈しない。

 ヴェリテは本当の家族の手掛かりを得て、大図書館に戻って来る。

 

 そして俺は、エレナとリタを思った。

 残念がるだろうか。

 お姉ちゃんが帰って来ないと泣くだろうか。

 ……そんな事を思って。

 

 コニングクリークに帰り、エレナと仲良しの3人兄妹とその夫妻・フィール一家と出会った。

 いつもは俺と共に帰るヴェリテがここにいない。

 心配する夫妻に「大切な用事があって、大図書館に残っている」とだけ言ってごまかした。

「オズバルドさんこんにちは!」と挨拶する兄は、また身長が伸びたようだ。

「お帰りなさい、オズバルドさん」と姉も笑顔で話してくれた。

「あ! 空に黒いのあるよ!」と妹が空を指差した。夕暮れの空に一筋の黒い煙が上がっている。

 

「あっちの方角は……」

 

 ……我が家のある方だ。

 ざわりと総毛立ち、夫妻達に挨拶もしないで俺は走った。

 静かな墓地の横道を駆け抜け、荷物を放り捨ててひたすら走る。

 

「……!!」

 

 リタとエレナが俺の帰りを待っている。

 帰りたいと願った家が、業火に包まれていた。

 

「リタ!!」

 

 熱気が肌を焦がす。一歩も近づけない。

 

「エレナ!!」

 

 窓からは猛火が噴き出し、唯一の扉も炎に呑まれていた。

 中にいる、リタとエレナは、

 

「うおおおおおおおおおお……!!」

 

 膝をつく。両手が土で汚れる。

 

 近くで物音が聞こえた。何かを軽く踏みしめる音。

 燃える我が家と、燃えるブランコの間から、ハーヴェイが歩いて出てきた。

 

「ハーヴェイ……」

 

 目の奥が痛む。唖然とする。

 なぜお前がここに。お前はヴェリテと共にストームヘイルへ……

 

「私は……長く、その背中を追いかけて来た」

 

 その声に、それが幻ではないと理解する。

 噴き出す炎を背にハーヴェイは笑う。

 

「だが……私が、君の全てを奪ってやる」

 

 ハーヴェイが動く。足音を立てながら、私の前まで歩いてくる。

 

「君の代わりに……“究極”を完成させてやろう」

 

 遠く遠く離れたところ、墓地のあたりから「いたぞ! オズバルドだ!」と怒鳴る声が聞こえた。

 

「ヴェリテは……!!」

「ありがとう、オズバルド。

ヴェリテを置いて帰ってくれて」

 

 ハーヴェイは喜悦に溢れた笑みを浮かべる。

 その表情に、俺は寒いものを感じた。

 

「私は、あの子が一番欲しかったんだ」

 

 複数の足音が迫ってくる。

 息もできない間に、衛兵達は俺に飛びかかり、拘束してきた。

 全身が震える。目の奥から炎が噴き出すような、そんな怒りが湧き上がる。

 

「ハーヴェイ……貴様ッ!!」

 

 俺を拘束する衛兵達は俺しか睨んでいない。ハーヴェイが目の前に立っているのに。

 

「オズバルドよ。これが……私の解だ……!

フハハハハハハハハ!!」

 

 大口を開けて嘲笑っているのに。

 衛兵達は見向きもしない。

 

「ハーヴェイ!! 貴様は!!

……くそ!! 離せッ!!」

 

 拘束から逃れようとして、衛兵に顔と腹を蹴られた。

 目の前が暗くなって、何も見えなくなって……

 

『よくぞヴェリテを大図書館(ここ)に連れて来てくれた』

『ありがとう、オズバルド』

 

 あの時に寒いものを感じた。その理由を、なぜ深く考えなかった。

 

『面白いな。私はハーヴェイだ。君の名を聞かせてくれ』

 ハーヴェイと初めて会った時に、ヴェリテは眠そうに目を細めた。

『ああ、あの人には話したくないです』

 そう言った時も、眠そうに目を細めて。

 今思えば、あれは嫌悪の表情だった。

 ヴェリテは最初から、ハーヴェイを警戒していた。俺がそれに気付かなかった。  

 

『あの子の髪に……大きな虫の死骸が絡まっていて……。

気味の悪い虫でな、教えたら怯えさせると思って、黙って取ったんだ。死骸がバラバラにならないように、慎重に取って……』

 あれも嘘だ。触りたくて触った。ヴェリテが震えて嫌がるまで。

 あの密室で、ハーヴェイは執拗に髪を触ったんだ。

 アイツの理由を、俺は愚かにも信じてしまった。

 

 俺はハーヴェイに言った。

『苦手意識が消えなければ進展しない。誠実に生きろ』と。

 ヴェリテが警戒を解いたのは俺のせいだ。

 

『私は字の解読より、もっと心が踊るものを発見した。しばらくはそちらに専念にする』

『ひとりで楽しみたいんだ』

 今にも歌いそうなほどの上機嫌な笑み。あれは……分かった。

 ハーヴェイは最初から、ヴェリテを狙っていたんだ。

 

 あの子はもう、大図書館には戻ってこれない。

 ハーヴェイの手で別の場所に連れて行かれた。

 共に行ってくれたホリーも無事ではない。ハーヴェイは家を燃やすのと同じように、彼女も手に掛けた。

 俺から全てを奪うために、リタとエレナまで!!

 

「ハーヴェイ……!!」

 

 心に炎が湧き上がる。

 消えることなく燃えている。

 ずっと燃え盛り、心をずっと焦がしている。

 大切な思い出を少しずつ燃やして────

 

 

 燃やして────

 

 

 ────俺はそこで、追憶を止めた。

 真夜中の森の中で、祭り会場の賑やかな声が遠く聞こえている。

 

「……ぐ!!」

 

 強い吐き気が込み上げ、俺は夕食に食べたものを全て吐いた。

 何度も咳き込み、口内に残ったものも吐き出して。肩で息をして、汚れた口元を拭った。

 

「リタ……エレナ……!」

 

 俺のせいだ。俺が、ハーヴェイと関わらなければ!!

 

「ヴェリテ……!!」

 

 あの子を大図書館に連れて行かなければ。

 俺を先生と呼んでくれたあの子は、ハーヴェイに狙われることなく学び続けられた!!

 

「俺が、俺の、せいだ……!!

リタ!! エレナ!!」

 

 込み上げる涙は出てこない。

 心を焦がす炎で蒸発してしまう。

 荒い呼吸を繰り返す。肩で息をする。

 

「俺の、俺の……!」

 

 両手で顔を覆い隠そうとして、俺は両ポケットの特大の膨らみに気付いた。

 これを俺に贈ってくれたミルフィーユを思い出した。

 

「……でっかい岩です、か」

 

 ふ、と笑みが浮かび、ポケットからでっかい岩を出した。

 とても大きいのに驚くほど軽い。

 

「“説明を。ただ何となくではいけない”

“それを俺に話しなさい”……ヴェリテに向けた言葉を、俺は、ミルフィーユにも同じことを言っていた……」

 

 自然と笑みが浮かぶ。

 この大きな岩石に、ミルフィーユがやっていた事を思い出す。

 ふたつの大きな岩石を、俺も同じように抱きしめた。指先で優しく撫でてやる。

 

「“とても小さい”

“かわいい子がこちらを見ている気がする”

“守らなければいけない” “大事にしてあげたい”

あの子はそう言っていたな……。

……ならば俺も、そうしよう」

 

 心が不思議と穏やかになってくる。

 俺にはそれが、ただの岩石ではない気がしてきた。

 抱きしめたまま歩き、宿屋が遠く見えたあたりで、大きな岩石をポケットにしまいこんだ。

 

「……また明日だ。誰もいないところで抱きしめてやる」

 

 両ポケットに小さく声を掛ける。

 真夜中の宿屋、外に人影が……ソローネが立っていた。

 

「お帰り、先生」

 

 素っ気ない声で迎えてくれた。

 

「ずっと待っていたのか?」

「うん。ひとりで思い出していた。

戦っていると忘れるね。思い出そうとしてやっと、忘れていた過去を思い出した」

「ソローネもか。……俺もだ」

「先生も?」

「多くの事を思い出した」

 

 長い夢のようだった。

 大切なことを。忘れたくなかった記憶を。

 追憶することで、思い出せた。

 ソローネは微笑む。ニューデルスタで“友達”に向けていた時と同じ表情だ。

 

「俺の家族と、俺の生徒のことを、思い出した」

「先生の生徒……ミルフィーユと同じ顔の?」

「ああ。赤い髪と赤い瞳の。俺の……娘のことが大好きだった」

「……ふぅん。先生はどう思う?」

 

 ソローネの顔から笑みが消える。真剣に見つめてくる。

 

「先生の生徒とミルフィーユは、同一人物か……別の人間か」

「まだ分からない」

 

 ミルフィーユを見守り続けて。

『ヴェリテだ』と思えることが多くあった。

 

 別人なら、ヴェリテは今もハーヴェイに囚われている。

 同一人物なら、記憶を思い出せば“ミルフィーユ”と“ヴェリテ”が混ざる。

 テメノスを慕うあの子が、あの子ではなくなってしまう。

 

「先生が望むのはどっち?」

「……分からない」

 

 俺はハーヴェイを殺す。

 殺した手で、ヴェリテを抱きしめることはできない。

 

「分からないが。

幸せでいてほしい、と願っている」

「私も……そう思う」

 

 そして宿屋に帰り、寝たフリをして。

 深夜1時に起きたミルフィーユがテメノスを起こして、2人で夜の散歩に出かけていった。

 起き上がったソローネがすぐにベッドを離れる。

 

「行くよ、先生。

テメノス達を離れて見守ろう」

「とても楽しんでいるな」

 

 ソローネと静かに外へ出る。

 テメノスとミルフィーユが月明かりの下で話している。

 あの子の「好きです」はたくさん聞いた。いつか“大好きです”をたくさん言うようになるだろう。

 テメノスが両手を広げる。ミルフィーユが嬉しそうに飛び込むのが見える。

 

「幸せになってほしい。

俺が望むのはそれだけだ、ソローネ」

「……うん」

「帰るぞ。ここから先は2人きりにしてやれ」

 

 そして俺達は宿屋の、ベッドの中に戻った。

 ポケットから大きな岩石を出し、枕もとに並べる。

『おやすみ』の視線を送り、俺は就寝した。

 

 夢を見た。

 リタが「あなた」と。

 エレナが「パパ」と。

 ヴェリテが「オズバルド先生」と。

 俺を呼んでくれる夢を。

 

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