“ミルフィーユ”────それが、フレイムチャーチの教会にいらっしゃる神官のミントさんにもらった自分の名前だった。
ふわふわ覚束なかった自分の足が、しっかりと地面を踏みしめる!……そんな感覚でいっぱいになる。
明るい葉っぱ色の服をもらう。ひらりとした長いスカートは淡い花の色だ。
靴はとても歩きやすくて、大聖堂の外を思いきり走りたくなった。
「外ではこの頭巾をかぶってくださいね」
テメノス様の手に白い布の固まりが。ムギュッと何かで頭を覆われる。
「ふぎゅう」
苦しくて目を回す中、テメノス様が首もとでボタンをパチンパチンとめていく。
両手をパッと開き、美しい笑顔でニコニコしながら離れていく。
「完成です。鏡を見ますか?」
「はい!」
大聖堂の洗面室で自分の姿を見る。
ぴかぴかに磨かれた鏡には、白い頭巾に頭を覆われて難しい顔でこっちを見る自分と、ジィッと見つめてくれるテメノス様の顔が────
「────好きです……!!!!」
抑えきれない熱い気持ちを口走っていた。
「私ではなく自分を見てくださいね~」
「……ごめんなさい」
頭巾をもふもふ触る。気持ちいい手触りだけど、頭がだんだん重くなっていく気がする。
頭をブンブンして振り落としたくなった。
「おや。お気に召しませんでしたか?」
「ううう……なんだか……何も見えなくなるような感じがして……」
「そうですか? とっても似合いますよ、ミルフィーユ君」
『嬉し』と思って、心の中に明るい花がパッと咲いた気持ちになる。
「えへへ! ありがとうございますテメノス様!! 大事にします! 外では絶対にかぶります!!」
「そうしてくださいね。建物の中だけ外していいですから。
それでは私は教皇のところに行きます。本日はサーシャさんと散歩です。一緒に息抜きしたいと言っていました。何か必要ものがあればアルバさんに声をかけてください」
「はい! テメノス様!!」
帰っていく後ろ姿をずーっと見送り、その背中が小さくなってから、私は廊下の木製ベンチに腰掛けた。
差し込む太陽の光は白い。優しく包みこまれているみたいになる。
大聖堂の扉が開かれたようで、町の人や狩人さん、男の人だったり女の人だったり、何人ものひとが礼拝しに来る。
「おはよう、ミルちゃん」
「サーシャさん!」
パッと立ち上がる。来てくれた神官のサーシャさんにペコッとお辞儀した。
「おはようございます、サーシャさん! 本日はよろしくお願いします!」
「ふふふ。ミルちゃんは今日も元気ねぇ。それじゃあ行きましょうか」
ふたりで外に出る。
聖火の広場には町の人が何人も祈りを捧げていて、自分も同じように祈ってから、書庫の家を目指して歩いていく。
サーシャさんは良いことがあったみたいなウキウキ顔でそわそわしていた。
「ねぇねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど良いかしら?」
「はい、なんですか」
サーシャさんは書庫の家に入らず、石の階段を下りていく。
目の前に見えるのは大自然の景色だ。ずっとずっと下のほうでフレイムチャーチの町が広がっている。
カサカサと葉が揺れる音が聞こえた。
サーシャさんはナイショ話するみたいに歩み寄ってくる。
「ろ、ローズさんから聞いたんだけど。テメノス様が好きって、本当?」
「はい、本当ですよ。私、テメノス様のこと好きです」
「きゃ~っ」
「サーシャさんもテメノス様のこと好きですか?」
「え」
満面の笑みがビシッと固まる。そして、サーシャさんは困った顔で微笑んだ。
「え、え……どうなのかしら……テメノス様のことはすごい方だなって思うけど。異端審問官をされていて、素晴らしい方だとは思うけど。私の好みのタイプは……筋骨隆々の方かしらねぇ。片手で重いものを持ち上げてくださったら最高」
サーシャさんは頬を染め、「はぁ~」とため息をこぼす。
すぐにハッとした。
「あ、違う違う、そうじゃないわ。私が聞きたいのはね、テメノス様のどこが好き?って話なの」
「どこが……」
「いろいろあるでしょう? 私はね、あなたが思う『テメノス様のここが好き!』を聞きたいの!!」
「テメノス様の、ここが好き……!?」
うきうきしている言葉に私もハッとする。
「7日間、だったかしら……。テメノス様とずっとふたりで過ごしていたでしょう? どこが好きなのかなぁ~って気になっちゃって!」
「どこが好き……?」
そこで私はムムムと悩んだ。『私はテメノス様のどこが好きなの?』と考える。
好きだと思ったのは、初めてお会いしたあの日の夜だ。
私を見つめてくださったあの瞳! 心がギュンとくるあの声!
「今日は暖かいわ。ゆっくり考えてね。すぐ言葉にできなくてもまた別の日に……」
「サーシャさん! 分かりました!! 私、テメノス様の、顔と声が好きなんです!!」
上のほうでガサガサッと聞こえ、ふたりして顔を上げる。
階段をのぼった上のほうで、男の人とか、おじいちゃんとか、少年少女とか、お姉さんとかが並んでこっちを見守っていた。
視線がぶつかり、みんな慌てて逃げていく。
「う、うそ……いつの間にあんな集まってたの……?」
恥ずかしそうなサーシャさんはちいさくなりながら書庫の家へ歩いていく。
階段をのぼった後、唯一残っていたおじいちゃんがホッホッホッと笑う。
「お若いの、頑張りなさい」
「はい! がんばります!!」
応援が嬉しくて、にっこり!と笑いながら書庫の家に入った。
「ご、ごめんねミルちゃん……。誰もいないところで話したらよかった……」
「大丈夫ですよ。話すのすごく好きなので」
家の中には席に座って本を読む人、真剣な顔で本棚に向き合う人もいる。
「今日は何を借りようかしらね……」
サーシャさんはぶつぶつ呟きながら左端の本棚へ歩いていく。私は一番右奥の本棚へ行った。
頭がなんだかズシリと重い。頭巾を外し、改めて本棚を見上げる。テメノス様の背より高い本棚だ。
昨日見せてもらった絵に描かれた8柱の神々について書かれた本……それを読みたいけど、下の段に置いていない。
「あ」
見つけた。一番上だ。濃い茶色で、ぶ厚くて、色んなことがたくさん載ってそうな本。
背伸びして取ろうとして、だけど指先があと少し届かない。
「これが読みたいの?」
初めて聞く男の人の声が頭上から。取りたい本を軽々と取ってくれた。
ぶ厚い本を片手で差し出すのは、前髪がクルンとした金髪の人だ。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
本を受け取ったのに、男の人は離れない。
すぐ目の前に立っている。距離がとても近い。
「君、最近ここに来た子だよね。どんな本好きなの?」
「あ。私、えっと」
「ここ、葉っぱついてるよ」
答えようとした私に、男の人は耳元のあたりをちょいちょいしてくる。
「ミルちゃんっ!!」
小さい踏み台を両手で持ったサーシャさんが走ってくる。
遠く離れた受付台の神官さんも、なぜか立ち上がってこっちを怖い顔で見ていた。
「うちの子に何かご用ですか!?」
よく分からないけどすごく怒ってる。
「本を取ってあげたんだよ。届かないところにあったから」
「はい。取ろうとしたら取ってくださったんです」
「踏み台! 踏み台持ってきたから!」
ケンカする猫ちゃんみたいな迫力でサーシャさんはぐいぐい間に入ってくる。
男の人は楽しそうに微笑んでちょっと下がった。
「わぁありがとう、心優しいお姉さん。本を借りたら3人で読書しない? すごく静かな森の中で」
「行きません!」
「そう? それは残念。それじゃあ後ろの子は? 知りたいこと俺が全部教えてあげるよ」
にこにこしてる。
知りたいことはたくさんあるけど、教えてもらうならテメノス様が良かった。
「それはとてもいいですねぇ」
扉のほうから声が聞こえた。心がパァッ!と明るくなる。
「テメノス様!」
「テメノス様ぁ……!!」
サーシャさんの表情もパァッ!!と輝いた。
「知りたいことを全部。それはすごい。どう教えてくださるか興味があります。ぜひご教授ください」
男の人は『ギャアアア!!』の顔をした。一歩ずつ歩み寄ってくるテメノス様に、すごい勢いで離れていく。
「おや、どうしたんです。顔色が悪いですよ」
「い、いや、あの……俺は……」
「どこか具合が悪いなら私が治してあげましょうか?」
断罪の杖を見せて優しく微笑む。ううう! 美しいお顔!!
「す、すみませんでしたーーーーー!!!!」
男の人はすごく速く走って出て行った。
サーシャさんは疲れた顔で、持っていた踏み台を床に置く。
「テメノス様ぁ、すみません! 助かりました! ありがとうございます!!」
今にも泣きそうな声だ。私は心の中でソワソワする。でもすぐに『テメノス様がいるからだいじょうぶ!』といっぱい安心した。
テメノス様は受付台の神官さんに「お騒がせしてすみません」と謝った。
本を借りて書庫の家を出る。忘れず白い頭巾をかぶった。
外は穏やかな空気に包まれていた。
出てすぐの場所で、私達は景色がよく見える右側にずれた。
「あの男の顔は覚えました。特徴を周知して注意を促します」
「はい! 私はフレイムチャーチのみんなにも声を掛けますね!!」
テメノス様にいつもの微笑みがない。ジッと見つめてくる。
「ミルフィーユ君、ご無事でしたか?」
「はい。びっくりしたけど大丈夫です」
「テメノス様! あの男、ミルちゃんのこと触ったんですよ! 勝手に!!」
サーシャさんはプンプンした。あ、だからさっき踏み台を手に駆けつけてくれたのか。
テメノス様の眉が少し寄る。怒った空気をわずかに感じた。
「触られた? どこをですか」
近づいてくれた。心の中で花がポポポン!と咲いた気持ちになる。
「わ、分かんないです! すごい急接近してたんですよ!! あ、あの男なんなんですか! 神聖なみんなの書庫で!!」
ムキー!!と怒ってる。
私はあまりピンと来ない。すごく近かったけど、驚きの感情でちょっとビックリしただけだ。
でも、テメノスも怒っているみたいだった。ほんの少し。
「ミルフィーユ君。どこを、触られましたか?」
「あ、あの、このあたりを」
頭巾をグイッと下げ、耳のあたりをよく見えるようにテメノス様に向け、ちょいちょいされたところを指差した。
そこにテメノス様は手を当てる。
大きな手が、長い指が、私の首の後ろまで届いてしまった。
全身がざわざわして熱くなる。
「ん……っ」
「……失礼」
テメノス様はすぐに手を離した。
「いつもより熱いですね。帰りましょう」
「はい」
「すみませんテメノス様、私……近くにいたのに、あの男の接近にすぐ気づけなくて……」
「……気に病まないでください。サーシャさんがいたから、今日の散歩は楽しいものになったんです。そうでしょう? ミルフィーユ君?」
「はい! すっごく楽しかったです! またお話ししましょうね!」
サーシャさんはホッとした顔で笑って頷いた。
帰るとき、離れたところで少年少女、お兄さんお姉さんがまたこちらを見ている。
あいさつしようかな?と思ったら、みんな慌てて逃げていった。