オズバルドの生徒・ヴェリテは10歳くらいの少女だった。
背中に謎の文字が刻まれている。
5年前に離ればなれになり、彼女の所在をオズバルドは知らない。
そして、私が冬に保護したミルフィーユ君の背中にも謎の文字がある。
精神は幼いが、外見年齢は10代半ばの娘だ。
保護した時、彼女が着ていたのは薄い布を1枚だけ。裸足で、聖火の前に座っていた。
全てを忘れて、唯一覚えていたのは……
『私、どこかに「行かなきゃ」って思ったんです! 「捜さなきゃ」って!!』
……誰を捜しているか分からずに、それだけを強く思ったようだ。
オズバルドから話を聞いて『ミルフィーユ君はヴェリテだ』と私は考えた。
忘れた記憶を思い出したら“テメノス様”と呼んでくれる君が消える。
そう思って、覚悟していたのに。
オアーズラッシュでミルフィーユ君と瓜二つの娘・ミルディア君と出会った。
『ミルフィーユは“お姉ちゃん”欲しい? わたし、あなたがいいなら“お姉ちゃん”になりたいな』
『っ!! ほほほ欲しいです!』
『やったぁ! それじゃあ今からわたしがミルフィーユのお姉ちゃんね!』
『わぁ~い!!』
……そんなやり取りで姉妹になり、そして今日、カナルブラインで。
男性用の浴場で、私とパルテティオとオズバルドで大事な話をしている時に。
別の浴場で、君達は背中を確認し合っていた。
風呂上がりで戻って来た君の言葉に、私はひどく動揺した。
『私とミルディアお姉ちゃん! 背中が同じでした!!』
確認したのはソローネ君とアグネア君。
ソローネ君が『知らない文字がたくさん書かれていたよ。字の形も並びも、2人とも同じだった』と教えてくれた。
ミルフィーユ君の背中の文字は姉(自称)と同じ。
“ミルフィーユ君とヴェリテは同一人物”と、断定できなくなった。
オズバルドの帰りを待つ赤い髪の娘が、今もソリスティアのどこかで暮らしているかもしれない。
私と神官達で懸命に育てた一人娘が、これからも元気いっぱいに、変わらずに生き続けるかもしれない。淡い喜びが湧き上がる。
諦めた願いが、心にまた浮かんだ。
深く深く集中していた。
意識がぼんやりと、感覚がだんだんと戻ってくる。
誰かが私の両手をグイグイ引っ張り、背中を熱い両手が押している。
「……は?」
夜の町中で、私は無理やり歩かされていた。
「あ! ミルディアお姉ちゃん! テメノス様の考えごとが終わりました!」
私を引っ張っているのは姉だ。
「よかった! テメノスずっとずっと考えていたから!!」と明るく笑う。
彼女のさらに前方、歩く仲間達の背中が見える。あっちの方向は……大衆食堂ですね。
いい大人が若い娘2人に迷惑をかけている。
「……すみません。自分で歩きますから」
「やでーす! ふっふふ! テメノス様は私とお姉ちゃんが連れて行きま~す!」
「食堂到着までこのままで〜す! あっはははっ!!」
生き生きした笑い声で却下された。
前方を歩く仲間達が時々こっちを振り返り見て、微笑ましそうな顔をしている。
何も知らない町人にクスクス笑われてる。やめてくださいよもう……。
「テメノス様~! 私ずっとこうしてたいで〜す!」
ここに来てから、幾度もこの子を事件現場には連れて行かなかった。泣きそうな顔ばかりさせていた。
今やっと、心の底から楽しそうに笑っている。元気と笑顔をやっと取り戻してくれた。
胸を撫で下ろしたくなるほどホッとする。
「あ! ミルフィーユ大変! もうすぐでゴールしちゃう!」
「ふふ、到着したら離れてくださいね」
熱い手が離れてしまうのは名残惜しいが、いつまでも子ども達に迷惑は掛けたくない。
大衆食堂に着き、仲良し姉妹が離れてくれた。
全員で中に入れば、客の賑やかな声を最初に聞いた。
ここは食堂兼酒場の店だ。料理の他に様々な飲み物も注文できる。
中々珍しい。町に2つも酒場があるなんて。
店主の男が厨房から顔を出して私達に「いらっしゃい!!」と威勢の良い挨拶をしてくる。
席がけっこう埋まっている。空いているのは手前の数席だけだ。
「い、いらっしゃいませ……」と近づくのは緊張した顔の青年店員で、彼の案内に従い、空いている席へ。
大きな円形のテーブルに椅子が4脚。
私とミルフィーユ君とオズバルドとソローネ君、アグネア君とパルテティオとミルディア君でそれぞれ着席する。
最初に飲み物を頼んだ。
ソローネ君と私は紅茶、オズバルドはコーヒー、ミルフィーユ君はオレンジジュース。
アグネア君の「ブドウ!」という声も聞こえて、パルテティオとミルディア君は同じものを頼んだようだ。
料理は後でゆっくり考えることにして、青年店員にその旨を伝え、注文を厨房に通してもらう。
働き始めたばかりの人かな? 表情にずっと落ち着きがなかった。
店主は料理を作って飲み物を用意して、青年店員がそれを配膳する。
二人三脚で運営している大衆食堂だ。
青年店員が先にパルテティオ達のテーブルに飲み物を運び、ビクビクしながら厨房へ戻る。
次の配膳にまた出てきた。
飲み物を運ぶ青年店員は、運ぶ飲み物を落とさないことだけを意識している顔だ。
「お、お待たせしました……」
「ありがとうございます!!」
ミルフィーユ君の声に、青年店員はホッと表情を和らげ、緊張した手つきで私達の前に飲み物を置いていく。
紅茶のカップが2つ、コーヒー、桃色のジュースのグラス。
私とソローネ君は目で会話する。『注文したのはオレンジですよね』『間違えて持ってきたね』と。
「わぁ! きれいな色のジュースです!!」
「注文したものはオレンジだ」
青年店員はビクッとした。オズバルドの声は普段から気迫があるから。
「あ! も、申し訳ありません……!」と泣きそうな顔で返事をする。
「すぐお持ちします……」
「私これがいいです!!」
満面の笑みでミルフィーユ君は手を伸ばす。グラスを大事そうに両手で囲った。
「ミルフィーユ君。頼んでいない品はお店の方に返すんですよ」
「これがいいです! このジュースを飲みたくなりました!」
ぷぅ!と頬を膨らませ、ミルフィーユ君はひと口飲んでしまう。
パァッと顔を輝かせ「元気になるプラムの味がします!」と言った。
遠くのほうで「なんかあったか!?」と店主が声を飛ばしてきて、青年店員はビクッとした。
店主は他の客の注文品をせっせと準備している。忙しそうだ。
ミルフィーユ君はもう口をつけてしまった。
配膳する者をここのテーブルで足止めさせるわけにはいかない。
「君」
「は、はい!」
「私達はこれでいいです。行ってください」
「はい! すみませんでした!!」
店主に急かされるのも緊張の原因なのか、青年店員は慌ただしく行ってしまった。
私はミルフィーユ君をチラリと見る。早い……もう半分は飲んでいる。
ソローネ君とオズバルドは心配する保護者の眼差しで彼女を見つめていた。
「ミルフィーユ君、そのジュース、私にもひと口ください」
メニューにプラムのジュースは載っていなかった。別の飲み物だ。確かめなければ。
ミルフィーユ君は私をジロリと睨む。
「やです! テメノス様はご自分の注文したものを飲んでください!」
「なんでそんな怒ってるんですか……」
「テメノスに飲み干されると思っているのか?」
「ちがいます! ソローネさんだったら、すぐにコップをどうぞします!」
「……これ、別のことで怒ってるよ。
テメノスに何ムカついてんの? ソローネお姉さんに話しな」
「聞いてくださいよソローネさん! テメノス様ね! ちゃんとお返事してくれないんです!!」
怒った瞳のまま、ボロボロッと涙をこぼした。いつもと様子が違う。
離れたテーブルにいる姉がガタッと席を立つ。パルテティオ達と話しながらずっと妹を見守っていたんですかあなた。
パルテティオが『お、落ち着けよディア』と言いたそうな顔をする。
「お返事してくれないんですよ!! 私言ったのに! 言ったのに!!」
ミルフィーユ君は桃色のグラスを片手に泣く。オズバルドはそれを軽々と奪い取った。
「オズバルドさん返してください! まだのみたいです!」
「ひと口試飲したら返してやる。待っていなさい」
「はぁい!!」
ミルフィーユ君の手が届かないよう、彼女の頭巾を撫でながらオズバルドはグラスを手に立ち上がる。
「おまえ!! 9番テーブルのやつを1番テーブルに持ってったのか!!」
厨房から店主の怒鳴り声が聞こえた。
「オレンジ持ってくのは後だ! グラス下げて来い!! アレにはラム玉入ってんだぞ!!」
「ラムぅ!?」
「今すぐ行け!!」
「はいいい!!!!」
オズバルドは試飲しようとする手をピタリと止める。
「すみません1番テーブルのお客様ーー!!」
青年店員は今にも倒れそうな顔色で走ってきた。
厨房から店主が顔を出し、青年店員の対応に目を光らせている。
「お酒ですソレーー!!」
思わずガタッと立ち上がってしまった。
「は!?」
「飲んだよ、この子……!」
「うへへへへへへへ」
ミルフィーユ君は真っ赤な顔で泣きながら笑っていた。
「店長ぉおおおお!!」
「なにやってんだお前バカ野郎! 薬!
薬だ!」
「はいぃいいいい!!」
「俺が薬持ってくるからお前余計なコトすんじゃねぇぞ!! 今お客様に出していいのは水だけだからな!!」
「ハイイイイいいい!!」
店主がバタバタと店を出ようとする。食事中の客達も戸惑いで少しざわついていた。
「すまないお客さんすぐ薬持ってくるからな!!」
バタバタと大騒ぎで出ていった。
青年店員は「申し訳……! 申し訳ありませ……ッ!!」と息もできない顔で頭を下げる。
ミルフィーユ君は「おほほほほほほほ!!」と上機嫌に笑いながら頭巾をグルングルン回す。
「店員、水を」
「はいぃ!!」
オズバルドから桃色のグラスを受け取り、青年店員は脱兎のごとく走っていった。
「ああああ……! お酒、お酒飲んじゃったの……!?」と姉は大きく動揺し、
「大丈夫だディア。そばにテメノス達がいるんだから」とパルテティオが朗らかに言い、
「心配だけど、あたし達はここで座ってましょ」とアグネア君は落ち着いている。
そんな会話を聞きながら、私はミルフィーユ君をジッと見つめる。
「わぁい! わぁい! たのしいですねぇ!」
真っ赤な顔でピョコピョコ跳ねるのを、オズバルドが優しく着席させた。
「ずっと座っていなさい」
「ぬん! すわりましゅ!!」
「へぇ……酔ったらそうなるんだ」
「……ソローネ君はずいぶんと冷静ですね」
「飲んだ後だから。せっかくだから詳しく聞く? この子がテメノスになんで怒っているか」
「……明日ちゃんと聞きますよ」
「そろーねしゃん! そろーねしゃん! かんぱいしましょ! かんぱい!」
ミルフィーユ君はオズバルドのカップを奪い、ソローネ君に乾杯を求める。
彼女は自分のカップで乾杯に応じた。
真っ赤な酔っ払いは、次はオズバルドのほうを向く。
「おずばるどしゃんも!!」
オズバルドは無言で右手を差し出した。
「てめのすさまも!」
「ハイハイ」
私も右手を差し出す。ガシィッと掴まれた。
「てめのすさまだいじょうぶですか!?」
「君が大丈夫ですか」
「私はだいじょぶです! たのしいので!!」
見守るソローネ君の目はどこか楽しそうだ。青年店員が水を4つ持ってくる。
「感謝します。もういいですよ」と伝えれば、彼は頷いて他のテーブルに走っていった。
ミルフィーユ君は、とろん……とした赤い瞳で私をジッと見つめてくる。
酒に酔い、さらに興奮しているから、顔は鮮やかな赤色だ。
「わぁあああうつくしいおかお!」
「落ち着いてください」
「皆さん聞いてください! この方が! ソリスティアいちカッコいい方です!!」
「いきなりハッキリ話すね」
「水を飲みなさい」
「あとで飲みましゅ!」
渡そうとした水をミルフィーユ君は受け取り拒否して、明るい真っ赤な顔で席を立つ。
「テメノス様はお優しくてお強くて、全ての魔物をボコォッと撃退します! わたしのおなまえよんでくれる声と、ぶらぼー!って言うお声が特に好きで!! だいすきです! 大好きなんです私はテメノス様が!! だいしゅきなのです!!」
大演説だ。
食事中の客達が大盛り上がりで口笛を吹いたり手を叩いたりしている。
本当にやめてください。私の顔も熱くなる。
「君……明日恥ずかしくなってカナルブラインを歩けないですよ……」
「あるきます! テメノス様とずーっとあるきたいです!! 頭なでてください!!」
頭巾で私の胸元あたりをドン!とする。頭突きだ。
一刻も早く納得させて水を飲ませなければ。私は頭巾を手早くさすった。
「ハイハイはいはい。今撫でているから水飲んでくださいね」
「雑だね、撫で方が」
「水を飲みなさい」
「はいオズバルドさん!!」
優しい声にミルフィーユ君は水をゴッゴッゴッと飲み干した。
力なくコップをテーブルに置く。
勢いが失せ、静かに着席した。
楽しそうな笑顔がだんだん曇り、えぐえぐ泣き始める。
「えええん、ええええ、うわああああん」
どこかのテーブルで「かわいそうだろ! 泣かせるんじゃねぇ!!」と見知らぬ男が涙声を上げる。
他のテーブルでも「あ……俺……チビだった頃の娘を思い出したよ……あんな感じで泣いてたんだ……」と言ってるのも聞こえた。
「えええ、ああああん、うわああああん」
見守っていたアグネア君達もさすがに近づいてきた。
「ミルちゃん。水、もう一杯飲もう」
「うっうっうっ……お姉ちゃんも辛くなってきた」
「もらい泣きしてやがる……」
アグネア君が両手でミルフィーユ君の手に水のグラスを持たせてあげる。
それを彼女はごっくんごっくん飲んだ。良い飲みっぷりです。
「うああん、たす、たすけてください」
「ほら、宿屋に行きますよ。支えてあげますから」
「テメノスは上半身お願い、私が下半身持つから。2人で運ぶよ」
「ソローネ君、かわいそうな運び方を提案しないでください。ひとりで運べますよ私」
ミルフィーユ君はテーブルにベチャッと倒れて泣く。
しかし、急に泣き声が止まり、静かになった。
「……大丈夫ですか?」
私達は、心配する保護者の目で彼女の様子を伺う。
「たすけて……」
苦しそうに呟いた。
「たすけて……せんせい……たすけて……」
「はい。ここにテメノス先生がいますよ。助けに来ました」
「……ルド……せんせい、たすけて……」
「オズバルド、お呼びですよ」
「俺が運べばいいのか?」
「“テメノス先生”ではダメなんです」
「やれやれ……仕方ない……」
オズバルドが重い腰を上げようとした時、
「エレナちゃんをたすけて……!」
苦しそうに、小さく呟いた。
オズバルドが椅子を倒して立ち上がる。
「その名は……」
オズバルドは青ざめ、その声は震えていた。
「オズバルド。今、この子が言った名は……」
「……俺の、娘の名だ」
周囲の音が遠ざかっていく。
「その名は、初めて聞きました……」
「ああ。俺は一度も言わなかった。娘の名前はこの子も知らない」
「でも、言ったよね、ミルフィーユは。なんで知ってるの?」
ミルフィーユ君は眠ってしまったのか、驚くほど静かになっていた。
「……ヴェリテだ。エレナの“お姉ちゃん”をしてくれていた。大好きだと言っていた……」
ああ。やっぱりそうですか。
淡い希望が、浮かんだ願いが、潰えてしまった。
「この子を……。宿屋に、運びましょう」
それしか言えなかった。
扉が大きく開き、店主が戻ってくる。
「お客さん方! 水飲んじゃダメだ!!」
事件が起きた顔だ。
私と仲間達、客達の表情が変わる。食堂は大きくどよめいた。
もう1人飛び込んでくる。青い制服を着た女性だ。
「煮沸していない水を飲んだら感染症にかかってしまう! 水源に“病原”があるの!!」
「水飲んだお客さんはいるか!? 白湯は大丈夫なんだが、いま町中で水飲んだやつが高熱で倒れてるんだ!!」
「水って……」
「……2杯飲んだよ、この子」
静かに眠っているように見えた。
動かない肩を触り、反射的に手を引っ込める。
燃えているのでは……と思える熱さだった。
・大衆食堂
全て捏造、独自設定です。