8人の旅人と、赤い髪の娘たち   作:遠野ハネ

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【9話⑥】「パルテティオ、知っていることを打ち明けなさい。“暴き”ますよ……!」「こ、怖ッ!! 顔見てねぇけど怖!」「加減しなよ、テメノス父さん」

 走って走って、走り続けて。

 

 ────時刻は10時45分、カナルブラインに到着する。

 多くの人達が、町に入ってすぐのところでキャスティの帰りを待っていた。ミルフィーユ君達はいない。

 

「おや! 帰ってきたよ!」

「ありがとう!!」

「みんな無事だな!」

 

 町人全員が安心した笑顔を見せる。

 ひとりの若者が鼻を塞いだ。

 

「うっ……ひ、ひでえ臭いだ……」

「やはりそうなりますよね」

「……ごめんなさいね。“病原”を駆除して、水は浄化したわ。もう少しすれば、元の綺麗な水に戻るはずよ。念のため、しばらくは水の煮沸を続けてちょうだい」

「お、おお……!!」

 

 キャスティと町人の輪を離れ、近くの娘に「失礼、お聞きしたいことが」と声を掛ける。

 娘は「あなたは“テメノス様”ね!」とパッと微笑む。

 

「はい、そうですが」

「赤い髪の子はお姉さんとお兄さんと宿屋で待ってるわ! 早く行ってあげて!」

「は、はい」

「ご飯ちゃんと食べてたぜ! 行ってやってくれ!!」

 

 なぜか町人達が急かしてくる。

 キャスティは帽子をかぶった青年と話していて、一声かけてから離脱した。

 私の後ろにはソローネ君達もいる。

 

 宿屋に入る。店主の男が一番に迎えた。

 

「“テメノス様”だ! 帰ってきたよ! ミルちゃん!!」

 

 奥に声をかける。

 宿泊部屋の扉は開けっ放しなのか、扉の開閉音もしないでバタバタと走ってきた。

 

「テメノス様!!」

 

 寝間着姿だ。寝る準備を済ませて待ってくれていた。

 

「止まってくださいミルフィーユ君!」

「えぇっ!?」

 

 ミルフィーユ君の後ろで姉が「なんで!」と声を荒らげ、パルテティオが「なんか問題か!?」と言う。

 

「“病原”は駆除しました。水源も浄化しています。しかし私は、オズバルド達には汚染された空気が染み付いています。今から入浴し、衣服も全て洗濯します」

 

 私を見つめる赤い瞳が曇っていく。

 

「ミルフィーユ君を撫でて労をねぎらいたいですが……間もなく夜の11時です。今は寝台で眠ってください」

「お、おふろですか……!」

 

 ガーーーーーーン!!の顔をする。赤い瞳が一気に潤む。

 

「は、はい……。時間になったら寝ます……。あのあの……テメノス様、ソローネさん、オズバルドさん、アグネアさん……えっとキャスティさんがいないです」

「今町の人と話してます。みんな無事です」

「お、おかえりなさい……!」

「はい、戻りました。ただいま、ミルフィーユ君」

 

 後ろでみんなが口々に『ただいま』を言う。

「みんなありがとう!」とミルディア君が言い、

「お疲れ! ありがとさん!」とパルテティオが言う。

 

「お、おやすみなさいテメノスさま……! ゆっ……ゆっくり……あったかくして……休んでくださいね……」

 

 赤い瞳がうるうる揺らめく。目が熱で溶けそうだ。罪悪感が私の心をめった刺しにする。

 

「ソローネさんも……オズバルドさんも……アグネアさんも……お風呂であったまってから……ぐっすり……寝てくださいね……。おやすみ……なさいです……」

 

 姉と手を繋ぎ、肩を落として部屋に帰る。

 心苦しい、胸が痛くなる空気に私達は沈黙する。

 店主は今にも泣きそうな顔でミルフィーユ君達を見送った。

 扉がゆっくり、ぱたんと閉まる。

 あと数分で夜の11時だ。

 入浴しなければいけないのに、私は一歩も動けない。

 

「……テメノス、風呂に行くぞ」

「後でたくさん撫でてあげて」

 

 ソローネ君とオズバルドは冷静だ。

 アグネア君は泣きそうだ。

 行かなければいけない、と思って、重い足を動かそうとして……

 

「ええええん、うぇえええええ」

 

 聞いてしまった。扉の向こう、部屋の奥。

 ミルフィーユ君の泣き声が小さく聞こえた。

 

「テメノス様も、みんなも、無事でよかったですううううううう」

 

 店主がその場で膝をついた。両手で顔を覆っている。

 

「ミルフィーユ君……」

 

 悔恨の念に苛まれる。

 この身とこの手が汚れていなければ、ミルフィーユ君をたくさん撫でてあげられたのに!

 

「てめ、テメノスさまをギュッてしたかったです! したかったですうううううう……。えええええん……!」

「しようね! 起きたらギュッてしようね!」

「ぜったいしようぜ……!!」

「うわああああん……!」

 

 小さな泣き声が聞こえる。

 夜11時になり、静かになって。

 

「風呂、行ける?」

 

 ソローネ君がわずかに辛そうな声で言ってきて。

 

「……行きます。ちょっと泣きたくなりました」

 

 目頭が熱いまま、私は大浴場に足を運んだ。

 汚れた服を袋に詰め、ギュッと袋を閉じる。

着替えは町に住む方の厚意で貸してもらった。

 

 熱い湯を頭からかぶる。オズバルドも身体を洗う。

 

「……辛かったな」

「ええ、本当に……。心が裂かれる思いです……。ああ……抱きしめてあげたかった……!」

「あの声を聞けば思ってしまうな」

 

 オズバルドがほんのわずか微笑んでいる。

 

「私、知りませんでした。あの子があんな……ああやって泣くなんて……」

「……今まで泣いたことはなかったのか?」

「ありましたよ。初めて泣いたのは最近です。大粒の涙をこぼして……しかし、今日のアレよりは静かで……」

「アレが本来の、あの子の泣き方かもしれないな」

「……不思議です。旅をするようになってから、ミルフィーユ君の言動が幼くなっています。なにかあったかな? そういう現象。オズバルドは知ってます?」

「聞いたことはある。相手への信頼が深まった時、安心した時……態度が変化する。本人に自覚はなく、無意識に。自己抑制……それが緩んでしまう」

「甘えちゃうんですね」

「雑にもなる。誰にでも起こり得る心の動きだ」

「なるほどなるほど。緩んでしまった。納得しました……ありがとうございます」

 

 髪と身体と、顔も丁寧に洗う。時間をかけて清めなければ。

 

「テメノス」

「はい」

「今後は……あの子をどこへでも連れて行け。行く先に危険があったとしても、何が待ち構えていようとも」

「“病原”が蔓延る洞窟みたいな場所でも、ですか?」

「ああ。大人が……俺達が守ってやればいい」

 

 毒にまみれた魔獣が4体蠢くあんな場所に。

 連れて行けませんよ、あんなところになんて。

 

 あとはルーチーが殺されていたあの部屋にも、あの子を連れて行けるわけがない。

 教皇の死を思い出してしまうような場所には。

 

「……そばにいてやれなかったことを後悔する。

そして、その後悔は死ぬまで消えない。

深い後悔が邪魔をして、忘たくない思い出を……追憶することを、難しくさせていく」

「………………」

 

 オズバルドは今、己の妻と子を想っている。

 その“後悔”はオズバルドの心にあるものだ。

 

「見せたくないものがあるならばその目を隠してやればいい。聞かせてはならぬことならその耳を塞いでやる。常に前に立ち、庇い、守ってやるといい」

 

 感情を一切隠さない、真摯な眼差し。

 初めて見た。オズバルドのそんな瞳は。

 

「……なぜ、そこまで」

「テメノスと“一緒にいたい”……それがおそらく、ミルフィーユの願いだ」

 

 その言葉だ。今、この瞬間、私の中の迷いが消えた。

 

「……そうですね。あの子ならきっと、そう思っている」

 

 同じだ。自分の心にもある。

 その願いを私は小さく小さく折り畳んで。

 それを心の奥の、二度と取り出せないところに押し込んだ。

 

「(ミルフィーユ君……)」

 

 “テメノス様”と呼んでくれるあの子を想う。

 私のことが大好きで、感情を隠さず、懸命によく動き、いつも心を向けてくれる。

 心身ともに熱く、ちいさいけれど、時々とても大きく見える。大切なあの子に……

 

「(……私も“大好き”だと伝えなければ)」

 

 記憶を失ったままにはしておけない。

 オズバルドの生徒を……ヴェリテを、オズバルドのもとへ、かえさなければ。

 

 身を清めた後、オズバルドと浴場を出る。

 大きな布で身体を拭き、手早く着替えた。

 

「……オズバルド。その首のやつを、私が必ず解錠します」

「フリジット監獄島に行くつもりか」

「ええ。まずは無罪の証拠をかき集め、裁判所に乗り込みます。判決を覆したら次は監獄島です。鍵を入手します。10万リーフでしたっけ?  買った船に乗って堂々と訪問します。看守が鍵を差し出さなければ“聖なる光”で一網打尽です。ソローネ君にも手伝ってもらいましょう」

「……ふ、心強いな」

「やるべき事を全て片付けた後、あなたはヴェリテと共に生きてください」

 

 オズバルドは沈黙する。眼鏡の奥の瞳が困惑している。

 

「ミルフィーユ君は……そのうち全てを思い出します。その時、きっとあの子は“ヴェリテ”になる。やることは同じです。助けて支えて見守りますよ」

 

 天井に待機させている断罪の杖を手中に戻す。

 迷いは消えた。覚悟を決めた。後悔はしない。

 私は、ミルフィーユ君と共に生きた記憶と、忘れたくない思い出を抱えて、老いて死ぬまで生き続ける。

 

 

 ────夜11時40分。

 良い匂いのする私達は宿屋1階の大部屋に集まった。

 姉と妹はひとつのベッドでくっついて眠っている。

 私達の手には店主がくれたブドウがある。糖分と水分を摂取するのにちょうどいい。

 

「甘いですね」

「……おいしい」

「あの……私も同じ部屋で良いのかしら……」

 

 髪を下ろしたキャスティは浮かない顔をしている。どこか肩身が狭そうだ。

 

「テメノス、先生。“エイル薬師団”って聞いたことある?」

 

 いつもの調子でソローネ君が言う。

 キャスティの顔つきが明らかに変わる。彼女の全身は緊張で強張っていそうだ。

 

「……俺は、知らない」

「ああ……あの青い服の。知っていますよ。人づてにしか聞いたことはありませんが。教皇も存じていました」

 

 “エイル薬師団”────両大陸を渡り歩く、無償で活動する薬師集団だ。

 そして今日、男が話していた。“大勢の患者を殺している”と。

 

「……私は異端審問官です。自分の眼で見たものしか信じません。扇動はされたくありませんから」

「仔細知らぬが、この町を救った薬師がどのような人間かはよく分かった。ゆるりと休め」

「ソローネさんの言った通りね」

「気にしないで寝な。大丈夫だから」

「……ありがとう」

 

 キャスティはやわらかく微笑んだ。緊張も消えたようだ。

 

「気になってたんだが……“病原”はどうだった? 全員服がボロボロでよ、ヤバい魔物と戦ってたのか?」

 

 パルテティオの質問に私達は目配せし合う。

 詳しく話したいけど夜ももう遅い。ざっくり省略しましょう。

 

「暴れる“病原”を駆除しました。パルテティオが託してくれた精霊石……アレがとても役に立ちましたよ」

「いっぱい投げちゃった。ありがとう。コレが無かったらもっと大変だった……」

「ええ、本当に。助かったわ」

「困難な戦いになるところだった。礼を言う」

「使った分は買って返すから。テメノスが」

「……ええ、闇市で買い漁ります」

「いいや、返さなくていい。俺がその場にいたら俺が使ってたヤツだ。気にしないでくれ。役立ったみたいで良かったぜ。きっとこの日の為に、俺は精霊石を買い集めていたんだ」

 

 パルテティオは明るく笑う。見ていると気持ちが澄んでくる青年だ。

 

「感謝します。私達が洞窟にいる間、そちらはどうでしたか?」

「そう。私もそれを聞きたかったの。赤い髪のお姉さんと妹さんと黄色コートのお兄さんが、高熱に倒れた人の家に訪問して果物を渡してくれた……と、みんながお礼の言葉を言っていたわ」

「それならミルフィーユだな。リュックから果物をたくさん出して、病人に配り歩いたんだ。

俺とミルディアは声を掛けたり様子を見たり、だな」

「……え? ミルちゃん、お店で買ったものを?」

「お代を渡そうとしたやつには断っていた。

『困ってる方は助けるんです』って。テメノスに教わった通りに、な。あとはミントさん?だったか。『熱ある時に果物を食べるのが良いんです』ってミントさんのことを言いながら、どんどん渡していったんだ」

「あの子は……」

「……まっすぐに、育ったんだね」

 

 胸が熱くなる。

 ミントさんと私の教えを、心に大事に持っていてくれた。

 

「泣きはしなかったか?」

 

 オズバルドの心配する声に、パルテティオはギクッとした。

 私達を見つめていた目が違う方を向く。

 

「ど……どうだったかな……?」

「……顔に全部出てるよ。正直だね、アンタ」

「な、泣いちゃったんだ……!」

 

 アグネア君の顔が今にも泣きそうにくしゃりとする。

「ごめんなさい……!」とキャスティも頭を下げた。

 

「……宿屋の、あんな感じで泣いたんですか?」

 

 私の重い問いかけに、パルテティオは目だけじゃなく顔までそらす。すごいそっぽを向いている。

 

「ち、ちょっとだけな……」

 

 私は静かに寝台から立ち上がった。

 

「“ちょっと”じゃないですよね。パルテティオ、知っていることを打ち明けなさい。“暴き”ますよ……!」

「こ、怖ッ!! 顔見てねぇけど怖!」

「加減しなよ、テメノス父さん」

 

 スッと寝台に座り、胸に渦巻く感情をため息にして全て吐き出す。

 

「……失礼。我を忘れるところでした」

「言いづらいことよ。問い詰めないであげて」

「ミルディアさんに口止めされてる、とか?」

 

 そっぽを向いていたパルテティオはゆっくりとうなだれた。

 

「……いや、なんも口止めされてねぇ。たんに俺が言っちゃならねーって思ってるだけだ」

「隠さないでくださいね。私は把握したいんです。深夜1時にミルフィーユ君が起きた時に正しい対応をする為に」

「正しい対応、を……うーん……」

 

 口を閉じて苦しそうに呻く。

 私達の知らぬところであの子が泣いた。

 パルテティオが言いづらいと思い、言ってはならないと判断した出来事。

 深呼吸して心を落ち着かせる。

 パルテティオは覚悟を決めた顔でブドウを完食した。

 

「……分かった。正しい対応はな、ギュッとした後、あの子に『おやすみなさい』を言って眠ることだ」

「は」

 

 短く息を吐く。

 今、パルテティオは何を言ったのか。

 

「……失礼、詳細を。知っていることを打ち明けて頂きたかったんですが」

「悪い。全部は言えねぇんだ……」

「何があったんだ」

 

 アグネア君とキャスティは気になる顔で、ソローネ君は目を細め、パルテティオをジッと見つめている。

 彼は大きな手で顔を覆い、ため息をこぼした。

 

「高熱で倒れた人のところに果物を届けて……3軒目の後だ。水路がよく見えるベンチのところで……暗いところで隠れるようにしてな……大泣きしたんだ。

『テメノス様と一緒に行きたかった』って……『さびしい』って……。『テメノス様達頑張ってるから頑張る』って、自分に言い聞かせてよ……」

 

 ぐす……と小さい音がパルテティオから聞こえてくる。

 誰も、何も言えなかった。

 

「泣いてもな……すぐ、立ち上がったんだ。『熱で苦しんでる人のお家に行きましょう』って。気持ちを切り替える為の大泣きだったみたいなんだ。その後はもう、一切泣かなかった。果物をまた配り歩いて……。それで、ご飯を食べて、みんなの帰りを待って、宿屋のアレだ」

 

 言葉も、息も、全て喉で詰まっている。

 重い重い沈黙に、パルテティオは布団をバサッとして寝台に潜り込む。

 

「テメノス頼む! ミルフィーユをギュッとした後、『おやすみなさい』を言って眠ってくれ! もうそれしか言えねぇ! おやすみ!」

「あ、あれこれ話さずに……!?」

「テメノス。言われた通りにしな」

 

 よく分からない。しかし、ソローネ君の言う通り、パルテティオの助言に従ったほうがいい予感がした。

 

「……分かりました。その通りにします。必ず明日話します。夜も遅いです。皆さん、今日はお疲れ様でした。それでは各々、就寝しましょう」

「ミルちゃんは……あたしも朝に、ギュッてしたいな……。おやすみなさーい……」

「おやすみなさい。良い夢を見られますように」

「……おやすみ。私も寝る。もうクタクタ」

「テメノス、気に病むなよ」

 

 みんながそれぞれ布団に入る。

 私は等間隔で設置されたランプをほとんど消し、大部屋を薄暗くした。

 

「はい、おやすみなさい」

 

 寝台に座り、白い表紙の手記を開く。

 明日見せてあげましょう、と私はミルフィーユ君の絵を描いた。小さい小さいぷにぷにの顔を。

 

 ────そして深夜1時、姉と妹は一緒に起床した。

 

「ほんとだ……同じ時間に起きた……」

「いっしょだぁ……」

 

 小さな声で話している。

 寝台に座る2人は私にまだ気づかない。

 

「あら? パルテティオ寝てるわね……。いつもは起きてるんだけど……」

 

ふ、と息をこぼしてミルディア君は微笑む。その表情が、ランプに照らされてよく見えた。

 

「……やっと寝てくれた。『眠れない』って言って、いつも起きてくれているの」

「眠れないのつらいですね。ぐっすり寝てほしいです……」

「そうそう。わたしもそう思う。でもね、“眠れない”じゃなくて“寝ない”かな。ちいさい頃に『俺がディアのお月様になる』って言ってくれて、それから今まで、夜はずっと」

 

 声を潜めて話している。

 耳を澄ませると、小声の会話がよく聞こえた。

 

「……本当はね、町のみんなと同じように、朝までずっと寝てほしいの。寂しくないから嬉しいよ。でも、眠い日も疲れてる時も、ぜんぶ……無理させてたんじゃないかなって……」

「お姉ちゃん……」

「ずっと思ってた。お月様が昇らない夜があってもいいんじゃないかって。『おやすみなさい』を言って、朝まで寝てほしかったの……」

「私も同じです。テメノス様にね、たくさんぐっすり寝てほしいんです」

「うん……テメノスに……」

 

 姉と視線がぶつかった。

 

「み、ミルフィーユ……! テメノス起きてる……!(小声)」

「えっ!?(そこそこ大きい声)」

「みんな寝てる、静かにね!(小声)」

「ごめんなしゃい……!(とても小さな声)」

「おはようございます(小声)」

 

 ミルフィーユ君は静かに寝台を降り、足音を忍ばせて俊敏に私の寝台へ近づいてくる。

 今にも泣きそうな、安心した微笑みを浮かべる。

 

「テメノス様……」

 

 とても小さな声で名を呼んでくれる。私も周りに配慮した小さな声を意識する。

 

「……お風呂に入ってきれいになりました。これでギュッとできます」

 

 立ち上がろうとする前に、ミルフィーユ君が抱きしめてくる。

 私の肩の上に彼女の腕がある。小さな顔で大人の顔をグリグリしてくる。

 今までにない抱きしめ方だ。子猫みたいだ。

 よしよし、と背を撫でる。赤い長髪がさらさらと手の甲を流れていく。

 

「テメノス様を……ギュッとしたかったんです」

 

 幸せに溢れた声で呟いた。

 

「はい。私も」

 

 自分の声もふんわりしていた。

 

「ミルフィーユ君も、ミルディア君も、頑張りましたね」

「えへへ。パルテティオさんもがんばりました」

「パルテティオは寝る前に労をねぎらってます」

「そうなんですね」

 

 満足したのか、離れてしまった。

 もういいんですか? 思わず手を伸ばしそうになる。

 

「はい。ギュッてできたから。テメノス様、今から寝てください。『おやすみなさい』を言いたいです」

「私に寝てほしいんですか?」

「はい。お願いします」

 

 パルテティオの助言を思い出す。

 なるほどなるほど、“私にぐっすり寝てほしい”……それがこの子の願いか。

 

「いいですよ。今からぐっすり寝ます」

「うふふ、ありがとうございますテメノス様」

「はい。おやすみなさい、ミルフィーユ君」

「おやすみなさいです」

 

 見守られながら寝台に横になる。

 よほど寝てほしいのか、布団を肩の辺りまで引っ張ってくれた。ジィッと見てくる。

 寝れませんよ……と思いながらも、私はまぶたを閉じた。

 なんでしょう。何か他に目的があるような気がする。

 寝息を立て、寝たフリをすることにした。

 強い強い視線を感じながら、数分。

 

「テメノス様寝ました(小声)」

 

 静かな足音が姉のほうに戻っていく。

「ちゃんと寝た?(小声)」「ぐっすりです。スースーしてました(小声)」とコソコソくすくす笑い合っている。

 何かを企んでいる。意識を姉妹に集中させた。

 

「先にお姉ちゃんと夜の散歩する?」

「んー……散歩したい。でも今はベッドでごろんしたいです」

 

 とても小さな声でヒソヒソ話す。

 

「今日は私いっぱいがんばったので、ごろんしたいです」

「いいよ。お姉ちゃんが許す。他のヤツだったら絶対ダメって言うけど」

「うふふ。お姉ちゃんおやすみなさい」

「ふふ、おやすみ」

 

 静かな足音が……ミルフィーユ君だ。近づいてくる。

 布団がふわりと上がり、ぬくぬくの温かいのが私のところに、布団に入ってきた。

 ぴたりとくっついてくる……添い寝だ。

 ガバァッッッッッッと飛び退いた。

 

「あ、テメノスさま、起きちゃった(小声)」

 

『なにをやってるんですか君は!』と言いたかったのに。私は一言も喋れなかった。

 

「……何をしているのかと思えば(小声)」

「へぇ……大胆じゃん、ミルフィーユ(小声)」

 

 オズバルドとソローネ君が布団から顔を上げている。

 

「私、テメノス様と一緒にごろんしたいです……(小声)」

 

 赤い瞳が涙でうるうるしている。そんな目で見ないでください……!

 姉までこっちに来た。

 

「テメノス……頼む、わたしの妹と一緒に寝てくれ!(小声)」

「なんて切実な……なんでそんな必死なんですか……(小声)」

「わたしの妹はね、病人さんに果物届ける合間に、外で寂しくて泣いてたんだ。帰りを待ってる間、ずっとずっと頑張ってたんだ……!(小声)」

「離ればなれになっていた反動だね。寝てやりな、テメノス(小声)」

 

 ソローネ君はざっくり言って布団に潜る。

 

「我が子と同じ布団で眠れるのは今だけだぞ。寝てやれ、テメノス(小声)」

 

 オズバルドが父親の声で言って布団に潜った。

 幼子が両手を合わせてお願いしてくる。

 

「“うでまくら”してください(小声)」

「き、君、お姉さんに何を教わったんですか……!(小声)」

「くっついてごろんしたいです(小声)」

「~~~~甘えんぼうになりましたね……!(小声)」

「寝てやって、テメノス。あとで絶対、後悔するよ(小声)」

 

 赤い瞳が一切まばたきすることなく姉は言う。

 私は降参した。両手を小さく上げる。

 

「分かりました、今日だけですよ(小声)」

「ありがとうございますテメノス様!(とても小声)」

「いいですか? 本当に今回だけです。明日からは別々の寝台ですよ(小声)」

「はいっ!!(とても小声)」

 

 一緒に同じ寝台で横になる

 人生初めての腕まくらだ。どうやるんだ……?

 遠い目をしながら、左腕をピンと伸ばした。

 もぞもぞ近づき、かわいい頭をのせてくる。

 さっぱり分からない……私はこの後どうすれば……?

 腕まくらで密着するのに、そこからさらにくっついてくる。細い腕が私のお腹あたりに。

 やわらかい。さらに……ふんわりと良い匂いも。

 なぜかドキドキしてきて……

 

「むん!!(とても小声)」

「あっテメノス様じぶんの顔を叩きました(とても小声)」

「ふふふふふふ(とても小声)」

「ソローネ君! 笑わないでくださいっ(とても小声)」

 

 私の気持ちが保たないので少しだけ離れた。

 

「すみません……やっぱり落ち着かないのでくっついて眠れそうにないです……(とても小声)

私が寝たら好きにしてください……(とても小声)」

「テメノスよ……とんでもないことを言ってるぞ……(とても小声)」

「んふふふふふふふ(とても小声)」

「だから笑わないでくださいソローネ君(ものすごく小声)」

 

 罰を受けてるような心地だ。

 そばでごろんするミルフィーユ君は嬉しそうにニコニコしている。

 

「夜の散歩は無しか……どうしようかな。わたしもパルテティオのところで寝ようかな……(とても小声)」

「あっ目ぇ覚めちまった!!(とても小声)」

「起きたの? もっと寝てたら良かったのに……(とても小声)」

 

 背中を向けて寝てしまいたくなったけど。

 私は改めてミルフィーユ君を見つめた。

 この子はいつか“ヴェリテ”になる。それはもしかしたら、明日かもしれない。

 

「やっぱりします、腕まくら」

「わぁい!!(とても小声)」

 

 ずっと忘れない、忘れたくない一夜になった。

 

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