町の人達が私達の汚れた服を洗濯をしてくれて、
その間に着る服も貸してもらって、
果物を受け取った家族の人達がお返しの品を届けてくれて、
大衆食堂の店主が“病原”解決のお礼にと朝食をごちそうしてくれる。
『因果応報』────その言葉が頭に浮かぶ。
客のいない貸し切りの食堂内はとても穏やかだ。
青年店員は大きなテーブルを三つ並べてくれて、申し訳なさそうな顔でお辞儀をする。
謝りたい顔をしていたが、ミルフィーユ君が困るから口止めをお願いしていた。
運ばれてくる朝食を各自で取って食べていく。残ったものはお弁当として包んでくれるそうだ。口々に「いただきます」を言い、朝食を食べる。
乾いた服に着替えたら出発だ。
「私の話をしてもいいかしら」
そう切り出したのはキャスティだ。
私達は頷き、彼女はホッと息をこぼしてから続ける。
「実は私……記憶を失くしているの。自分が何者で、どこから来たのか、何も思い出せなくて。憶えていなくて……」
「わ! 私もそうです!!」
今にも立ち上がりそうな顔をしたミルフィーユ君は、朝食の途中だとハッと思い出す。
「おんなじですねっ」
立ち上がらずに、にこ!と喜びに笑う。キャスティにとっては嬉しくないですよ。
「あなたも……!?」と驚きの声を上げた。
「記憶喪失仲間だね」とソローネ君がいつもの声音で言う。
オズバルドは難しい顔で朝食を上品に食べ、
パルテティオとミルディア君とアグネア君は『何か自分にできることはあるか』と悩む顔をした。
「ミルフィーユ君はこの前の冬、フレイムチャーチの大聖堂・聖火の前で保護しました。全てを忘れていましたよ」
「私、名前も思い出せなくて。テメノス様が私に“ミルフィーユ”と名を贈ってくださったんです」
姉が『そうなの!!!?』と特大に驚いた顔をして私を凝視する。
私は彼女に『名付け親です!』の顔をしてパチッとウインクしておいた。
「キャスティさんの“名付け親”はどなたですか? 気になります」
「私の名前は、着ていた服に縫ってあったの」
「良かったです! 私の着ていたものには書いてなくて……脱いで確認したけど見つかりませんでした……」
私は表情をそのままに、内心ひやりとした。
ここでミルフィーユ君が『テメノス様も同じ部屋にいたんですよ! 脱いだところを見守ってくれてたんです!』とか話したら最悪だ。
姉に鉄拳制裁されるかもしれない。
バレたらもちろん懺悔して無抵抗で受け入れますが、どうか何も言わないでくださいねミルフィーユ君……!
「キャスティさんは腕にあるキラキラの他に、何か持ってましたか?」
私は表情をそのままに、内心ホッとした。
キャスティはごそごそと動き、鞄をテーブルに置く。
「私の所持品はこの鞄だけよ。中には薬を練るための鉢と棒、薬草と白い花があって。それで……自分が薬師だと思い至ったの」
キャスティは誇らしげに微笑み、鞄を身に付けた。
「……ここに来る前、私は小舟で海を漂っていた。潮の流れと、自分の症状から推測して……東大陸を出て数日間は漂流して、カナルブラインの港行きの客船に救われた」
「潮の流れで分かるのか? すげぇな……!」
「すっごいです!!」
「ふふふ、ありがとう」
「カナルブラインに到着して、すぐに昨日のアレだったんですか? 薬の調合、感謝しますよ」
「この町に薬師は不在だった。キャスティが来なければ、もっと大きな騒乱に呑み込まれていたことだろう」
「あたしも皆も、水を飲んでいたかも……。そう思ったら本当に、キャスティさんが居てくれて良かった」
「あなた達もね。私ひとりでは“病原”を解決できなかったわ」
私達は目的も行く先も違う旅人だ。
しかし、大きな困難を、共に戦って乗り越えた。
ミルフィーユ君、きみは私に聞きました。『もし出会うなら、テメノス様はどんな旅人さんがいいですか?』と。
私は『強い方ならどなたでも』と答えた。
彼らはみな強い。頼りになるし、背中を預けられる。
そしてミルフィーユ君は願った。『テメノス様が安心して眠れる人がいいです』と。
安心して眠れます。昨晩もそうでした。これがきっと“仲間”なんでしょうね。
「……昨日、この町で出会った人がいるの。名はマレーヤ。ある薬の調合方法を探し求めて旅をしている薬師で……彼女は、私の記憶が戻ることを願っていた」
キャスティは鞄を探る。取り出したのは小さな手記だ。
「これは、私が記したと思われる“医療の記録”よ」
「手掛かりですね。キャスティ、その本にはどんな記録が?」
「2つの町の名前が書かれていたわ。“サイの街”と“ウィンターブルーム”」
「むむむ……両方東大陸にありますか?」
「“サイの街”は西大陸、“ウィンターブルーム”は東大陸ですよ」
「ありがとうございますテメノス様。キャスティさん、あのあの、その本には他に何か書いてますか?」
手記を閉じる彼女の顔色は悪い。
「キャスティ……ジュース飲む?」とソローネ君が声を掛ける。
「平気よ。後でいただくわね」とキャスティはわずかに微笑む。
「何かは書いていたはずよ。でも、血が付いていて読めなかった」
穏やかな食事の席に緊張が走る。
「……キャスティはどこか怪我してた?」とミルディア君が確認し、
「いいえ。私は無傷だった」とキャスティが答える。
「それなら、別の誰かの血か」と硬い表情でパルテティオが呟いた。
「……私は旅立ちたい。“サイの街”か“ウィンターブルーム”に。手掛かりは、この医療日誌だけ。私は思い出したい、自分が何を忘れてしまったかを……! だから、行ってみるしかないわ。ここに書かれた2つの町に」
「一緒に行きましょう!!」
元気に言ったミルフィーユ君はバッと挙手した。
「テメノス様はーい!! 私、“サイの街”に行きたいです!」
朝日よりまぶしい笑顔だ。フ、とつられて微笑んでしまう。
「“サイの街”がどこにあるか知ってますか?」
「たぶん北のほうです。アグネアさんの村よりもず〜っと北!」
ミルフィーユ君……きみ、自分のリュックに魔法の地図があるのを忘れてますね……。
キャスティは嬉しそうに目を細めて「ありがとう」と伝え、次に私に全身を向ける。
「……よかったら、私も同行させてもらえないかしら」
「喜んで。歓迎しますよ」
「薬師がいるのは安心。私も大歓迎」
「反対する理由がない」
「わ〜い!!」
次の話題は、全員の行き先の確認だ。
「俺とディアは、ブライトランド地方の“クロックバンク”」
「東大陸だよ。ここの停泊所の出港、何時だったかな……わたし、後で確認するね」
「ミルディアさん、あたしも東大陸! ニューデルスタに」
「仲間だな。一緒に行こうぜ」
「あ! ニューデルスタは気を付けてくださいね! ヤバい花をどうぞする悪い人がいるんです! 嗅いだら眠くなっちゃう花なんですよ!」
ソローネ君が「そいつ……“フィルドのハイド”って呼ばれてる男だよ……」と呆れた声で言った。
私もニコ!と微笑んで「安心してくださいね! この前その男を、どなたかがお仕置きしてましたから」と明るい声で付け加えた。
「護衛はわたしとパルテティオがするから!」
「助けるからな」
「嬉しい! ミルディアさん、パルテティオ、ありがとう!」
ミルフィーユ君は笑顔でうんうん頷いた。アグネア君に心強い護衛がついて喜んでいますね。
「私とミルフィーユ君は“クラックレッジ”でオズバルドは“コニングクリーク”で、ソローネ君の次の目的地は……」
「私は“ウェルグローブ”」
「ミルフィーユ君。地図を出しますか?」
「あ! そうでした! 地図を見ればいいんですね!」
ミルフィーユ君はうきうきの顔でリュックから地図を出し、広げる。
アグネア君、パルテティオ、ミルディア君、キャスティは初めてこの地図を見る。目が釘付けだ。
「これって……地図!?」
「なんだ、この、キレイなのは……」
「きききキラッキラしてる!」
「美しいわね……」
カナルブラインに光る字が並ぶ……その数は、前に確認した時よりも増えていた。
キャスティに改めて“魔女”について説明する。
彼女は真剣な顔で聞いてくれた。
「この地図を、その魔女さんが贈りました」
「コッココッコッコレを!!?」
「鶏みたいですねぇ」
ミルディア君は大興奮で息が荒い。
パルテティオは商人の顔でジッと見つめている。
「す……すげぇ……。なんだコレ……すげぇ……。すげぇとしか言えなくなっちまった」
「地図に文字が増えているな」
「やっぱり気づきますよね、オズバルドも」
ソローネ君は目を細めて「CとPとA」と読み上げ、
ミルフィーユ君が「キャスティさんのCとパルテティオさんのPとアグネアさんのAですね!」と自信満々に答えた。
青色、明るい紫色、白色、黄色、橙色、青空色────その順番で。
CTOPAT────その並びで、字は光っている。
「私達と同じ顔の人がこれを贈ったの……?」
「特別なプレゼントね!」
「はい! そうなんですアグネアさん!」
「どんな人が贈ったの? 気になるわね」
私とオズバルドとソローネ君の表情は暗い。とてつもない温度差を感じる。
「心証が良い方に傾いてしまいましたね……」
「……今だけだ」
「アイツに会ったら悪い方に傾く。うさん……苦手だと思うわよどうせ」
「(今胡散臭いって言いそうになった。ミルフィーユ君に配慮して言葉を濁しましたね)」
魔女の地図に、初見の仲間達が集まった。
代わる代わる触って歓声を上げている。
パルテティオとミルディア君が輪から外れてこちらに来た。
「テメノス。アレ……魔法で作られたのか……?」
「はい、おそらく。破れないし、折り目も消えます」
「よし! わたし、魔女のお姉さんといつか話す時にこの地図のことも聞く!!」
「こんにちは」
わいわい賑やかな空気が凍り付いた。
ソローネが「ゲッ」と低く呻き、私は「出た……」と呟いた。
黒いベールで素顔を隠した魔女が、数メートル離れたところに立っている。
扉が開いた音は聞こえなかった。
どこから入ってきたんだこの魔女は……!
「ライトさんこんにちは!!」
「はい、こんにちは。美しい髪のかわいいあなた」
黒ずくめの姿をした不吉の象徴は丁寧に一礼する。
「この人が……?」
「ええ。ミルフィーユ君に地図を贈った魔女です」
ミルディア君は焦りを顔に浮かべている。
心の準備が出来ていない状態での対面だから仕方ない。
魔女はミルディア君に向けて微笑んだ。
「初めまして、美しい髪の快活なあなた」
「こ……こんにち、は」
「そう緊張なさらないで。贈ればすぐに帰りますから」
「え……?」
ツカツカ歩いて接近してくる。
「わぁっ」とミルフィーユ君は明るい歓迎の声を出すものの、私達は魔女の急接近にビクッとした。
食事の席目前でピタリと止まり、食堂が一気に暗くなったように見えた。
まるでおぞましい害虫が飛んできたような。
嫌悪感が全身を走り、食欲が消えて吐き気がしてくる。
魔女はテーブルに手を置いた。やめてほしい触らないでほしい帰ってほしい。
「どうぞ」
クルッと踵を返し、帰っていく。
正方形の紙に赤いリボン……これは、同じ地図をミルディア君にも?
「待って!!」
姉がすぐに動いた。
「わたくし、行かなければなりません」
「ほんとに待って! 1リーフも払わずに受け取るなんてできない!」
追いかけようとしたミルディア君に、魔女はベールを外してふわりと放り投げてくる。
黒いベールは無音で床に落ち、魔女の姿は消えていた。
「今のが……ディアとミルフィーユと同じ顔の……?」
「全身真っ黒だったね、キャスティさん……」
「……突風みたいな方」
ミルディア君はベールを拾い上げる。元気のない後ろ姿だった。
「お姉ちゃん……大丈夫ですか……?」
ミルディア君が戻って来る。
タダでは物を貰えない性分なのか、悔しそうに眉間を寄せていた。
「……ごめん。大丈夫」
力なく呟き、ミルディア君は着席する。
彼女は震えていた。苦しそうに息を吐く。
「……パルテティオ、あの人が渡してきたもの、開いて」
「お、おう……」
笑顔がない。真剣な表情のミルディア君に、パルテティオは頷いた。
リボンをほどき、正方形の紙を開いていく。
やはり同じ地図だった。
「わぁ~!! おんなじ地図です!!」
「なんで……アイツはこれを……?」
指先でつまみ、パルテティオは品定めをする。裏返したり、透かして見たり。
「……“欲しい物”を聞かずに寄越してきたな」
「先生はどう思う? アイツの行動の理由」
「判断材料が不足している。考えるだけ時間の無駄だ」
「私もそれには賛成です。もっと対話を重ね、情報を得てから考えましょう。今はあの方のことで貴重な時間を割きたくありません」
「ねぇキャスティさん……。テメノスさん、ちょっとトゲトゲしてる……?」
「苦手意識があるのかしら」
分析しないでください、と思いつつ、キャスティのそれを聞かなかったことにした。
ミルフィーユ君がミルディア君の頭をなでなでしている。
妹に撫でてもらっていることにも気付かず、彼女は深刻そうな顔で魔法の地図を睨んでいた。
「ミルディア君」
声をかけても反応無し。肩をボンボンッ、と叩けばビクッとした。
見上げる赤い瞳はわずかに怯えている。
「あ、ごめん……何かあった?」
「何かあるのは君のほうですよ。妹さんが心配していることにも気付かない。なにか気になることが?」
全員の視線が集中している。
「ごめん……」と呟き、ミルディア君は両手で顔を覆った。
「あの人を見た時に、ちょっと“視えた”の。あの胸のブローチ……あの宝石がね」
反応したのは私、オズバルド、ソローネ君、ミルフィーユ君だ。
「ブローチ……あの黒い宝石か?」
「そんなもの、付けてたんだ……」
「顔ばかり見ていたわ」
パルテティオはいつもの表情。
アグネア君とキャスティはピンときていない様子だ。あの魔女は全身胡散臭いから、胸元の宝石は逆に霞んで見えるのかもしれない。
苦しそうに呼吸する姉を妹は心配して、後ろからギュッと抱きしめた。
「……とても静かだった。でも、アレは……見ちゃいけないヤツ……」
『禍々しいですよねあの宝石。不吉と凶兆と災いと禍根をひとつにまとめた塊ですよアレ』と言いたくなったものの、ミルフィーユ君に怒られるから黙っておく。
「……ミルディア君は、アレを見てどう思いました?」
「アレは……うう……。“入ったら二度と外に出られない洞窟”、“不滅の篝火が存在しない夜の道”……。黒よりも……真っ暗な黒……」
パルテティオが歩み寄る。ミルディア君の傍らに寄り添った。
「……アレは、ダメ。あんなの……身につけて良いものじゃない……。外してあげなきゃ……」
「ミルディアお姉ちゃん……あの宝石、ライトさん、大事な物って言ってました……」
ビクッと震え、両手を下ろして「嘘でしょ……?」と呟いた。
「ええ。一度だけ欲しい物を聞かれて試しにあの宝石を指定しました」
「嘘でしょ!?」
「くれるかどうか試しただけです。渡されたら困るから、遠回しに言葉を選びました」
「怒ったよ、あの女。絶対に渡せないって言ってた」
「すごく大切なのね……。あたしも……思い出の物だったら断っちゃう……」
「急に近づいてきて驚いてしまったわ。笑顔なんだけど、何を考えてるか読めない人ね」
「キャスティは知りませんでしたね。あの方、ソローネ君が幼い頃からずっと付き纏ってるそうです」
「ずっと……!?」
衝撃を受けた顔で「何歳……なのかしら……?」と疑問を呟いた。
「あの黒い方は今後も突然やってきます。おそらく、ソローネ君のいるところに現れる」
「次に出現するならウェルグローブだ」
「その通りになったら怖ぇな……」
はは、と苦笑するパルテティオ。
「……本当に追っ払えるの?」とソローネ君が静かに問えば、笑顔がギクリと硬直した。
「そ、そりゃあな……困ってんだったら……助けるぜ……」
ここで地図の話題は終わっていいだろう。
私は勝手に判断して、パルテティオから地図を奪ってベキベキに小さく折り畳んだ。
「おわっ!? そんなベッキベキに……!!」
「小さくしたほうが持ち運びやすいでしょう?」
最初の正方形よりも小さく折りたたみ、赤いリボンでキュッと結ぶ。
「あの方はこれをミルディア君に贈りました。……一方的に押し付けてきましたが」
「ミルディアお姉ちゃん良かったですね。この地図があればすっごく旅しやすくなりますよ!」
ふっ、と息をこぼし、姉は微笑んだ。妹の笑顔を嬉しそうに見つめながら。
「……そうね。実はわたしとパルテティオ、地図を持ってなかったの」
「買わなきゃいけない、ってのは思ってたんだ」
「えへへ……実はあたしも」
「一緒に使おう。アグネアも東大陸を旅する仲間だから」
「素晴らしい贈り物ね」
キャスティは純粋な声で言う。
ミルフィーユ君は喜びに溢れた笑顔で頷いた。
「はい! そうなんです!! ライトさん、すっごく良い物をプレゼントしてくれたんですよ!!」
無駄に話すことなく、一方的に押し付けて帰って行った。何なんでしょうあの魔女は。
あの微笑みを思い出しただけで嫌な汗がブワッと浮かんでくる。
恩を売って……今後、大きな何かを取り立てに来るのでは……?
そこで会食はおひらきとなった。
地図はミルディア君が所持し、店主と青年店員に改めて朝食の礼を伝えて、私達は外に出る。
出港までの自由時間を各々過ごすことで、一時解散となった。
「私は回診に行ってくるわね」とキャスティが最初に動いた。
「いってらっしゃいキャスティさん、お熱出た皆さんをお願いしますね〜」とミルフィーユ君が見送った。
「俺は……店でも覗くか……?」
「あたしもそうしようかな……」
「先生はどうする?」
「……ふむ」
「ミルフィーユ君、せっかくだからお姉さんとお散歩に……」
「はい! テメノスはわたしの妹とデートに行ってください!!」
“デート”……聞き捨てならないことを言われた。
止めてくださいそういうの。この子は私とフレイムチャーチの皆さんで育てた一人娘なんですよ。
「……ミルディア君。出港したら、妹に会いたくても会えないんですよ。妹との時間を満喫するなら今だけだ。あなたがミルフィーユ君とデートなさい」
「わたしはいいの! それよりも安心したいの! 昨日のアレコレがまだ何にも解決してないんだから!」
「ミルディア君。昨日はたくさんありがとうございました」
「どういたしまして!」
赤い瞳が義憤で燃え上がっている。やりづらいですねぇ。
「ミルフィーユ! テメノス様とふたりっきりでデートしたいよね!?」
「テメノス様、“でーと”ってなんですか?」
止めてくださいこっちを見ないでください。
私がどう答えるか仲間達は興味津々なのか、全員の視線をグサグサ感じた。
私は遠い目をしたい気持ちを抱えながら、先生としての笑みをミルフィーユ君に向けた。
「……仲良し同士で行きたいところに行く。それを“デート”と言うんですよ」
アグネア君とパルテティオが苦笑し、
ソローネ君は『つまんない返答だね』と言いたげな顔をして、
オズバルドは『及第点だな』と言ってるような顔をして、
姉は大満足の笑みでニッコニコして、ミルフィーユ君はパァッと明るく笑った。
「なるほどですね! ありがとうございますテメノス様! 私、テメノス様とデートしたいですっ」
「はい……行きましょう……」
仲間達に見送られ、ミルフィーユ君とお出かけに出発です。
「行きたいところはありますか?」
「座ってゆっくりできるところがいいです」
「景色がきれいなところを知ってますよ。空いてたらいいですねぇ」
歩き始めて、尾行してくる仲間達の存在を察知した。
見晴らしの良いところに行きましょう。
ミルフィーユ君には近くのベンチを案内した。先に座ってもらい、人ひとり分の間を空けて座る。
全身を私に向け、嬉しそうな顔でもじもじしていて……少しは景色も見てほしいな。
「ミルフィーユ君、昨日はたくさん頑張りましたね」
「はい。テメノス様達いっぱい頑張ったので、私も……」
一瞬、遠い目をして、少しだけうつむいた。
「……頑張れない時があったんですけど、たくさんたくさん頑張りました」
「(これは……思い出してますね。大泣きしたことを……)」
できれば笑顔でいてほしい。しかし、無理して笑ってほしくない。
「ミルフィーユ君は憶えてますか? 昨日、きれいな色のジュースを飲んだことを」
「はい! 元気になるプラムの味がしました!」
パッと笑顔が戻る。しかしすぐに難しい表情をして「えっと……おいしいなぁ、楽しいなぁって思ったんですけど、でも、ぜんぜん思い出せなくて……」と苦しい声で話してくれた。
「『テメノス様、ちゃんとお返事してくれないんです。私、言ったのに』」
「え!? なんで知ってるんですか!?」
「教えてくれたんですよ、ミルフィーユ君が私に」
「私が……テメノス様に……? いつ言いました? ううん、わかんないです。心の声がぼろぼろ出ちゃってました? テメノス様の背中を押してたので……思ったことが……こう、手からじわぁっとテメノス様に伝わりました……?」
「はいそうなんですよ。私、異端審問官なので。ミルフィーユ君の考えがジワッと伝わってキタンデスヨ」
「す! すごいですテメノス様!!」
訂正するのも真実を話すのも面倒くさい。そういう事にしておきましょう。
見晴らしの良いところだから、他の町人や旅人も景色を眺めたりしている。
「『ちゃんとお返事してくれない』……それを、私はずっと考えていました。解に気付いたので、答え合わせをさせてください」
ミルフィーユ君は緊張した顔で、真剣な眼差しを向けてくる。
「君は昨日、私に言いました。『ずっとこうしていたい』と。その言葉に私は……『着いたら離れてください』と、そう言いました」
周りの目もあったし、ミルディア君も話していたから、意識が分散されていた。
「君の言う通り、ちゃんと返事をしていなかった。あの時の私はダメダメでした。すみません……ミルフィーユ君。あの時、私が言わなきゃいけなかった返事はこうです。『私も同じことを思いました。これから先もずっとミルフィーユ君と楽しいことをしていたい。ですが、このまま押していただくのは恥ずかしいので、着いたら離れてくださいね』です」
心を向けるような、そんな眼差しで聞いていたミルフィーユ君の瞳に涙がにじみ出た。
ぼろぼろっと涙がこぼれ落ちる。
「……昨日、たくさん泣いちゃったんです」
あ。言うんですね。
「ごめんなさい……。昨日はずっと変だったんです……。さびしくなって、離れたくないって思っちゃって……。そばにいたくて……わがままを言ってしまいました……」
「そう思う時もありますよ。“わがまま”なんて思ってはいけません。昨日は……本当に、そばにいてもらうわけにはいかなかったんです」
もし連れて行ったら。
ミルフィーユ君はルーチーの遺体と、血痕が飛び散ったあの室内を見てしまっていた。
もう二度と、人の死は見せたくない。教皇の死を最後にしたかった。
「……でも、痛感したんです。離れてはならなかったと。酒場の2階でミルフィーユ君の隣にヴァドスが座っていると気付いた時、全身の血が凍りました。やはり、一緒にいたほうがいい。今ではそう思います」
ミルフィーユ君は涙をぐしぐし拭う。そんな乱暴にしたらダメですよ。
私は服と共に貸してもらったハンカチを出し、ミルフィーユ君の頬を優しくて撫でた。
「これから先、何が起こるか本当に分かりません。安全だと思っていた場所で危険に巻き込まれたり、安心できる場所でとんでもない災難に襲われたり。やはり……君のほうが正しいです。ミルフィーユ君、私のそばにいてください」
断罪の杖から手を離し、傍らで待機させる。膝の上に置いてる小さな手を握った。
「私が君の目を塞ぎます。君の前に立ち、全ての脅威を退ける。ずっとそばにいますから」
「いいんですか……?」
いつもなら大喜びで『大好きです!』と言うはずなのに、今の君は笑うことなく震えていた。
自信を失っている瞳から、大粒の涙がまたこぼれ落ちる。
「はい。私がミルフィーユ君を守ります。この先もずっとです。約束します」
涙で濡れた瞳のまま、頬を薔薇色に染めて乙女は微笑んだ。
晴天の空がよく似合う笑顔だった。
「……はい。大好きです、テメノス様……!」
ぎゅっと抱きついてくる。よしよし、ポンポンと背を撫でる。
視線をあちこちから感じた。
左斜め後ろから「うっうっうっ……幸せになってほしいぜ……」と「ありゃもう結婚だろ……」と男達のヒソヒソ声が────食堂で野次を送ってた男達か。
結婚も恋仲も有り得ない。根気強く育てた我が子なんですよ。自慢の愛娘なんです。
ミルフィーユ君は晴れやかにピカピカと笑い、これで大丈夫ですと私も微笑み、仲間達のもとへ戻る。
見守る保護者の輪になぜかキャスティも参加していた。
姉はしゃがんで号泣していて、パルテティオが嬉しそうな顔で彼女を支えていた。
乾いた服を届けてくれた町人達に全員でお礼を伝え、宿屋で着替えをする。
その間、ミルフィーユ君とミルディア君はぴったりとくっついて仲良く話していた。
私とソローネ君とオズバルドは、アグネア君とパルテティオに東大陸の情報を伝えた。
話していたらあっという間に時間が経ち、あと10分ほどで出港になる。
みんなで走って停泊所に行き、パルテティオ達は急いで乗船した。
この客船はトト・ハハ島を経由してニューデルスタ港へ行く。
姉がすぐに下船し、バタバタ走って戻って来る。
「忘れ物ですか?」
ミルディア君は私に一切目もくれず、ミルフィーユ君を抱きしめた。
とても小さな声で何かを伝えて、すぐに離れた。
「テメノス! 手ぇ上げて!」
私は反射的に右手を上げる。
その手に、ミルディア君はパァン!とハイタッチした。
姉は「いってきます!!」と元気に言いながら走る。
「お姉ちゃあああああん! いってらっしゃ〜い!!」とミルフィーユ君が言ってる間に乗船していった。
「賑やかだね」とソローネ君は小さく笑い、
「いつか会えたらいいわね」とキャスティは目を細め、
「……近い内に会えるはずだ」とオズバルドは呟き、
「手がジンジンします」と私は右手を揉んだ。
客船が出港する。ゆっくりと停泊所を離れていく。
「ミルフィーユ君、お姉さんは何て言ってました?」
「『わたしにはパルテティオがいる。ミルフィーユにはテメノス様がいる。だから、何があっても大丈夫だよ』って、お姉ちゃん言ってました」
「……嬉しいですね」
「はいっ!!」
遠ざかる船から何か声が聞こえて、私達は一斉に顔を向けた。
ミルディア君が身を乗り出している。
「なんて危ない……落ちちゃいますよ……」
ミルディア君が声を張り上げてる。一生懸命に何かを伝えようとしている。
「お姉ちゃん大きい声です」
落ちないように引っ張ってるパルテティオの腕が見える。本当にお疲れ様です。
彼女の声がやっと聞こえた。
『いたの』『船に』『もうひとり』『わたしの』『妹が』
「は?」
さらにもうひとり、身を乗り出してきた。
小さくて視認が難しい。ここはソローネ君だ。
「見えます?」
「……同じ顔だよ。赤い長髪をひとつに結んでいる。服装は……男みたいな服着てる。困った時のミルフィーユと同じ顔してる」
ミルフィーユ君もダッと動き、海に落ちるギリギリの場所まで走る。
私もすぐに追いかけた。パルテティオみたいなことをした。
「おねぇ!! ちゃあああああん!!!! いつかどこかでええええええ!!! みんなでえええええええ!!! 集まりましょうねええええええ!!!!」
「うるさ……」
耳がキーンとした。
客船は離れ、ソローネ君も見えないほど小さくなる。
私とミルフィーユ君は仲間達のところに戻った。
「テメノス、お疲れ」
「とても大きな声だったわ。きっとお姉さんにも届いたはずよ」
「はい。お姉ちゃん、腕でまるを作ってました」
「……よく見えましたね」
「赤い髪の娘はソリスティアに何人いるんだ……」
オズバルドが難しい顔で眉間にしわを寄せていた。
「全部で12人いたらどうします?」
「……大きな一族だな」
そして、私達もカナルブラインを出発する。
次の目的地はコニングクリークだ。
道中、ミルフィーユ君にお願いして魔法の地図を見せてもらった。
光る文字は海上にあり、PAHの並びで輝いている。
緋色のH───初めて見るそれに指先を伸ばしたのはミルフィーユ君だ。
チョン、と触れた瞬間、左側に“ヒカリ・ク”と、光る字が浮かび上がる。
「この人誰ですか?」
上から見守る私達は、誰も何も言えなかった。
動いたのはソローネ君で、輝く文字が4つ並んでいるところの“C”を指先で押す。“キャスティ”と光る字が浮かぶ。
ミルフィーユ君はムムムと軽く唸った。
「キャスティさんは名前だけですね。知らない人は誰でしょう? わかんないです」
考えるのを放棄した明るい声だった。
「分からないですねぇ……」
精一杯、返事をした。それだけをやっと言えた。
妹と姉が持つ魔法の地図は繋がっている。
私達の居場所も、パルテティオ達は把握しているだろう。
「……これがあれば、会えますね」
PAHの光る字を辿れば必ず。
「なぜミルフィーユとミルディアの名前が無い?」
「そうね……私も、そう思ったわ」
「ここに浮かび上がっている人名は私達だけだよ」
「ライトさん、私とお姉ちゃんの名前を知らないんです。だからこの地図に出てこないんですよ」
『間違いないです!』の笑顔でひとり頷いた。
魔女を思う。嫌悪感の他に深い疑問が湧き上がる。“なぜ、あの魔女はミルフィーユ君とミルディア君の名前を呼ばないのか”
私は心に決めた。
魔女に遭遇した時、一番に問い詰めてやろうと。