オズバルドの研究室は家の近く、洞窟の中にあった。
「薄暗いお部屋ですね」と頭をブンブン振るミルフィーユ君に、私がスッと頭巾を外す。
片腕で抱え、ミルフィーユ君に右手を差し出した。
「私の手を握って。足を踏み外さないように気を付けて」
「私……よごれてますから……」
「平気です。ほら、危ないから」
手を繋いで、ゆっくりと。
階段を下りた先は広い空間だ。
天井が高く、研究の道具が並んでいる。
中心には物書き机が設置され、柔らかい絨毯も敷かれている。
「すごいですねぇ、オズバルド」
「……ここは焼けなかったようだな」
オズバルドは端から端まで歩いていく。
物資を保管する木箱、がら空きの本棚、何も貼っていない黒板、薬品が並ぶ机を。
ソローネ君は物書き机を触り、キャスティは吊り棚に並ぶ瓶達を見上げ、ミルフィーユ君は「秘密の場所みたいでワクワクしますね」と無邪気に笑った。
「盗まれてます? 不自然に空いてるところが目立つので」
「ああ。やはり……“方程式”の記録が漏れなく盗まれている。通常の魔法であれば問題ないが、究極魔法は複雑かつ膨大な計算が必要となる。
俺はその方程式を構築したのだ。……最後の1ピースを除いて」
「ひどいです! 誰が盗んだんですか!?」
怒りにカッと目を見開いた。
「ハーヴェイだ」とオズバルドが教える。
「だが、奴は俺と異なるアプローチをしていたはず。なぜ俺の方程式を奪ったのだ……?」
「オズバルドから全てを奪いたい、かしら。歪んだ羨望を抱え、実行した」
「恨みを持たれるような何かをしなくても逆恨みする奴はいるからね」
「それで……盗んだんですか? 知ってます!! 本で読みました!! “窃盗罪”です!!」
「ヴェリテさん……?」
階段の上から聞こえたのは女性の声だ。
ミルフィーユ君はドキッとした顔をして、私の後ろにビャッと隠れた。
階段を下りる足音が近づいてくる。
現れたのは厳格そうな女性だ。
金色の引詰め髪。詰襟の服は緑色で、足首まで隠す長いスカート。
「たくさんいらっしゃいますね。どちら様で?」
威厳のある声だ。
オズバルドがすぐに前へ出た。
「レディ・クラリッサ! おお、我が助手よ!」
驚くほど声が明るい。オズバルドと知己の者か。
キャスティとソローネ君が私の隣に並ぶ。見守る眼差しで、私と同じく、口出しは一切しない。
「久しいな。俺だ、オズバルドだ。俺が不在の間も、研究室の面倒を見てくれていたのか」
親しげに話すオズバルドに、彼女は怪訝そうな顔で後ずさる。不審者を見る眼差しだ。
5年前と今とでは風貌が違いすぎる。
彼女はオズバルドがオズバルドだと気付いていないようだ。
私は後ろでしゃがむミルフィーユ君に「いいと言うまで出てはなりませんよ」と小声で伝えた。
「オズバルド様? はて……それは可笑しな話です。あの方は、監獄島に収監されておられます。妻子を殺したという罪で」
「俺はここにいる。この通り、脱獄してきたのだ」
厳格な顔付きがさらに厳しくなる。オズバルドを見据える眼差しは鋭い。
「信じるに足る根拠は?」
「ほう……俺が偽者だとでも疑っているのか」
「見かけの姿形など、信じるには足りませんわ。ここにある研究は、界隈の者には、まさに宝の山。盗みたがる輩もいるでしょう。その主を偽ってでも」
取り付く島もなさそうだ。
己がオズバルド・V・ヴァンシュタイン本人であると、どうやって彼女に証明するのか。
髪はボサボサに伸び、口元を隠す髭も伸び放題だ。
復讐心は目付きを変え、収監されていた1879日もの月日は顔付きも変えた。
どう乗り切るのか、見届けたくなった。
オズバルドはニッと笑う。強気の表情だ。
「……ユニークな推論だ。“あらゆる可能性を考えねば、真の解は出ない”」
厳格な表情がハッと崩れる。
不審者を見る眼差しが大きく揺らいだ。
「その言葉は……わたくしが知るオズバルド様の言葉です……!」
彼女は余裕のない顔で杖を出し、構えた。
「本物のオズバルド様なら、わたくしの魔法ごとき捌けるはず! その結果をもって、真偽を判定いたしましょう!!」
「ふむ……助手よ。君は一度考えた仮説を試さずにはいられない性質だったな」
オズバルドも構える。余裕に溢れた微笑みを浮かべながら。
「納得させるには検証に付き合う他ない。……解を与えてやろう」
そして、証明する為の戦いが始まった。
オズバルド……どうするんでしょう。室内で火炎魔法や氷結魔法をするんですか? あんな威力の高い魔法を……。
キャスティはオズバルドを信頼している顔だ。
ソローネ君は『先生なら大丈夫でしょ』と言いたそうないつもの顔だ。
私は後ろ手にミルフィーユ君をポンと撫でて『少しだけ顔を出して見て良いですよ』と促せば、ピョコッとわずかに顔を出す。
私は視線を前に戻す。
鋭い杖裁きで放つ魔法は光の根源だ。オズバルドはわずかに右手を動かす。輝く光をまばゆい炎が打ち消していく。
「おお、ブラヴォー」
勝負は早々に決した。
「お見事……!」と悔しそうに言い、杖を下ろした。
「気は済んだか、助手よ?」
厳格な表情を綻ばせ、彼女は笑う。
「はい。そのお強さ……間違いございません。お帰りなさいませ、オズバルド様」
ふわりと表情が変わる。優しい顔付きになった。オズバルドも嬉しそうに微笑んだ。
「うむ。怪我はないか」
「ありません。貴方様は、わたくしに怪我もさせなかった。証明できる魔法はもっと他にもあったのに……」
「研究室の面倒を見てくれていた助手を、傷つけたくはなかったからな」
「……お変わり、ありませんわね」
オズバルドに歩み寄る。彼女の瞳は少し潤んでいた。
「わたくしは信じておりました。貴方様が無実であると……」
「ほう、根拠は?」
「それは、貴方様がオズバルド様だからでございます」
「……意味がわからん」
オズバルドのそれは、心の底から困惑している声だ。
私の後ろでミルフィーユ君が小さく笑い、ソローネ君達も笑顔を見せる。
「変わりませんこと。そういう面白みのないところも」
ふふふ、と彼女は笑う。
私はソローネ君に『そろそろ話しかけます?』の視線を送る。
ソローネ君は『もう少し見守るよ』の顔をした。
「オズバルド様は、なぜお戻りに?」
「ハーヴェイの居場所を探るためだ。……が、ここに痕跡はないな」
「ハーヴェイ、ですか……」
優しげな面差しがわずかに曇る。その表情の変化をオズバルドは見逃さない。
「“現場にはオズバルドの他に魔法学者はいなかった”────俺が有罪とされた根拠だ。
だがあの時、ハーヴェイは確かに俺の前にいた。それが……“いなかった”とされている」
ソローネ君が一歩前に出た。
「先生、その証言は確かなの?」
助手さんは『この方は……?』とオズバルドに目を向ける。
「俺と旅をしている仲間達だ」と紹介した。
嬉しいですねぇ。オズバルドもそう思ってくれている。
クラリッサさんに「私はテメノス。旅の神官です」とにこやかに名乗った。
「証言は確かなのか、どうでしょうね。大勢の者が同じように証言したなら間違いはありません。ですが、悪意を持って偽りを述べたら、その証言は塵も同然です」
「他に疑うべきは……俺を拘束した衛兵隊だ。燃える我が家の前で動けずにいた俺を、駆け付けた衛兵隊は問答することなく捕らえた。ハーヴェイとの繋がりを探らねば」
「探るなら、その衛兵隊ね。正直に話してくれたらいいのだけれど……」
オズバルドはクラリッサさんに視線を向ける。彼女は目を伏せて「わたくしの夫は衛兵隊の一員でした」と答えた。
「何か知らないか?」
彼女は沈黙する。
しばし、間をあけて「いいえ、存じませんわ。オズバルド様」と答えた。えぇ〜本当ですかぁ〜?
オズバルドはすんなり頷いた。
「……そうか。では、街の人間にあたるとしよう」
「事件を探り……どうなさるおつもりで?」
オズバルドは答えなかった。
『真実を明らかにするんですよ。“解”を求めるんです。そうしなければ、オズバルドはずっと無実の罪を背負うことになる。光の道をずっと歩けない。未来を生きる為に、事件を探るんです』────と、私は彼女に言いたかった。
だけど口を閉ざした。答えるのはオズバルドだ。私ではない。
クラリッサさんも切なそうに眉をしかめた。悲しそうにため息をこぼす。
「……オズバルド様。つい先ほど、ヴェリテさんによく似た声が聞こえました。講義の時によく言っていた口癖です。『知ってます。本で読みました』と……。帰ってきてほしいという気持ちで、とうとうわたくし、幻聴を……」
申し訳ない気持ちになり、後ろのミルフィーユ君に「出てもいいですよ」と声を掛けた。
「あ、あの……こんにちは……」
ミルフィーユ君が恐る恐る表に出る。
クラリッサさんは限界まで目を見開いた。
「あ、ああ、あああ……!」
立てなくなり、その場に膝をつき。
そして、慟哭した。
オズバルドが咄嗟に手を伸ばすほどに、泣き崩れた。
キャスティが気付け薬を調合するほどに取り乱した。
ソローネ君に『どうするの』と睨まれた。どうすることもできません。
ミルフィーユ君はオロオロしながらリュックを探ろうとして、手が汚れていることにハッと気づき、私に助けを求めてくる。
何を出したがっているか、テメノスお父さんはお見通しです。
リュックからブドウを出してクラリッサさんに差し出した。
「あ、あのあの!!」
必死に励ます声に、泣き崩れている彼女は顔を上げる。ミルフィーユ君は明るく笑いかけた。
「元気が出るブドウです!! どうぞ!!」
彼女は泣き声を全て己の内に押し込めた。
ただ、大粒の涙をぼろぼろこぼして、微笑みを返す。私の手からブドウを受け取った。
「お帰りなさい……。ずっと、ずっと……ヴェリテさんの帰りを……待っていたんですよ……」
「あ、あの……私は……ヴェリテさんじゃないです。ミルフィーユなんですよ、私は。顔がおんなじで……。ヴェリテさんはきっと、私のお姉ちゃんなんです……」
涙に濡れた瞳に大きな困惑が浮かぶ。
「失礼します」と間に入った。
「彼女は聖火教会……東大陸のフレイムチャーチで保護しました。自分の名前も思い出せないんです」
「フレイム……チャーチ……」
「今も記憶を失っています。生活する上で困るので名前を贈りました、“ミルフィーユ”と」
「はい! テメノス様がね、私の名付け親をしてくださったんですよ!!」
クラリッサさんは微笑む。
全てを察したようだ。この子が、全てを忘れたヴェリテだと。
オズバルドの手を借り、彼女は立ち上がる。
「ヴェリテとホリーは……ストームヘイルから戻らなかったのか?」
“ホリー”……見知らぬ人名と“ストームヘイル”の地名に、私達は耳を傾ける。
質問したいが、今は傾聴一択だ。
「……ええ、盗賊の一団に襲撃されたと、ハーヴェイが。ホリーさんや護衛達を手にかけ、ヴェリテさんを連れ去ったと。ハーヴェイも……片脚を断ち斬られ、死の淵をさ迷っている時に旅人に救ってもらったと……」
無表情で聞くオズバルドの瞳に業火が宿るのが見えた。
「もうここ数年、私は大図書館には行ってません。穏やかで尊い日々が失われてしまったのを……強く実感してしまうから……」
「なぜ、連れ去られたんですか?」
「ヴェリテさんが“第8の根源”を提唱したからです」
「だいはちのこんげん」
そして私を見て『なんですかそれ?』という顔をする。
私は第7の根源と“ダーケストの大穴”について簡潔に説明した。
ミルフィーユ君はフムフムして、『さっぱり分からないですけどスゴイです!』の顔をする。
クラリッサさんは頷いた。
「神官の扱う回復魔法と、薬を塗らずとも時間の経過で癒える自己治癒力。生きるもの全てに宿る“癒す力”……それが“第8の根源”です。6年前、それをヴェリテさんが講義で提唱して、大図書館を大きく揺るがせました」
大浴場でオズバルドが言っていたのはこれか。それは確かに学会を震撼させる。
しかし、私の耳には届いていない。誰かが揉み消した?
「『美しい赤髪の少女が“第8の根源”を見出だした』……その話が大陸中に知れ渡ったことで、盗賊は動いたのでしょう。誰もが口をつぐみました」
とても静かな、己を責めているような声だ。
「少女の考えを自分達が広めてしまったから、懸命に学ぶ少女は盗賊に狙われてしまったと。あんなにも盛り上がったけど、全ての者が諦めました。今ではもう……誰も“第8の根源”は語りません」
なるほど。だから私や教皇の耳にも届かなかった。でも、本当にそうでしょうか。
“癒す力”なら、大不死鳥・アグニスフォーチュンにすぐ結びつく。
聖火教会、聖堂機関が“第8の根源”を把握していないのはおかしい。
誰かが……大いなる何かが、情報を遮断しているとしか思えなかった。
「オズバルド様、わたくしは一度帰ります。波立つ心を……落ち着かせるための時間をください……」
「ああ。ゆるりと休め」
クラリッサさんはキャスティから気付け薬を貰い、帰っていった。
その背中は気丈で、一切ふらついていない。
見送った後、私達も一息ついた。
「オズバルド。聞いてもいいですか。『ストームヘイルから戻らなかった』とは?」
「先生が追う男の名は?」
「……ハーヴェイだ」
「その男……『片脚を断ち斬られた』って言ってたね」
「みんな。ここにいてはダメよ。外の空気を吸いましょう」
「はい! 外で深呼吸しましょう!」
階段をのぼる。全身が重い気がする。
外に出て、新鮮な空気を吸って、潮騒の音を聞いて。やっと身体が軽くなる。
オズバルドは私達の顔を見て、口を開いた。
「5年前だ。モンテワイズで学んでいたヴェリテに手紙が届いた。差出人は大図書館の館長だ。
『赤い髪と赤い瞳の女性が聖堂機関本部で活動していた。その記録が本部内に保管され、そこでしか閲覧できない』『ストームヘイルに来てほしい』という内容だった」
5年前……その時期はハッキリと思い出せる。仔細を聞かずとも気付いてしまった。
「……それで、先生の生徒は行ったんだね。ストームヘイルに」
「その途中で盗賊の一団に襲撃され、略取されたのね……」
「5年前なら、あの……オズバルドさんが捕まった時ですか?」
「収監される前だ。俺とヴェリテがここに帰る数日前に、その手紙が届いたんだ。お互いに相談して、俺はコニングクリークに、ヴェリテはストームヘイルに行くことになった」
「……見えてきましたね、全容が」
「話してくれる? 名探偵」
明らかにしたいが、それをオズバルドに話していいものかと逡巡した。
話せばきっと、彼は己の選択を悔いることになる。
オズバルドが私を見つめている。観察する瞳だ。
「テメノス。過去に聖堂機関本部で、赤い髪と赤い瞳の女性は活動していたか?」
確かめる声に観念した。
「いいえ。そんな話は聞いたこともないし、記録もありません。
もし本当にそんな記録が存在するなら、ミルフィーユ君を保護した時に教皇が教えてくれるはずだから」
「……罠、だったんだね」
ソローネ君の呟きに、キャスティも苦しそうな顔で口を結ぶ。
「テメノス様。わかったことを、話してください」
ミルフィーユ君の瞳は、変色した聖火と同じ色をしていた。全てを明らかにしてほしい眼差しだ。
「仕組まれた誘拐だったんですよ」
オズバルドは頷く。全てを理解している表情だった。
「下劣で狡猾な者が、美しい髪の才ある少女を強欲に求めた。大図書館で学ぶ彼女の周りには人が多すぎるし、少女のそばにはオズバルドがいた。大層邪魔だったんでしょうねぇ。引き離す為に、嘘の手紙をしたためた。
突発的な誘拐ではない。長い月日を掛けた、用意周到な計画的犯行です。これは協力者がいなければ成り立たない。
ヴェリテをストームヘイルに招いた者と、道中で襲撃した盗賊の一団はグルだった。同行者を処分して、求めていた少女も略取して……。
おかしいですねぇ。そこまで徹底しているのに、どうして生存者がいるんでしょうね。ソローネ君が襲撃者なら、目撃者はどうします?」
「確実に息の根を止める。よく確認してから立ち去るね」
「……偽りだ」
オズバルドは鋭く呟いた。
「ヴェリテの出発を見送った後、俺はコニングクリークに帰ろうとした。停泊所の船は問題が発生したようで、乗船できるまで3日を要した。
帰った時……家は業火に呑まれていた。俺の前に現れたハーヴェイは……両足で立っていた。駆け付けた衛兵隊が俺を拘束して。ハーヴェイが目の前にいるのに……衛兵隊は一切目もくれず……」
おやおや、船に問題とは。ずいぶんご丁寧に足止めを。
ハーヴェイを無視してオズバルドを拘束する衛兵隊……なるほど、あらゆる人間を手なづけていたんですね。オズバルドから全てを奪う為に。
ソローネ君は顔をしかめた。
「……幻覚?」
「俺を嘲笑っていた。ハーヴェイの声を確かに聞いた。アイツは言っていた。『私は、あの子が一番欲しかったんだ』と」
ソローネ君とキャスティの顔付きが大きく変わる。唾棄する表情だ。
「『片脚を断ち斬られた』ねぇ……。その男は、オズバルドが収監された後に、自分で自分の片脚を切断して、襲撃の被害者を装ったんですね」
「執念ね。なんてことを……。そこまでして……ひとりの少女を、己の手中に……!」
「先生の生徒は、今までずっと閉じ込められていた?」
「知ってます!! 本で読みました!!
“監禁罪”です!!」
ミルフィーユ君は嫌悪の顔で全身を震わせた。瞳は怒りの炎でさらに燃え上がる。
「その男はヴェリテさんを今も監禁してるんですね! どこに……どこに閉じ込めてるんですか!?」
リュックを下ろし、手を突っ込んで乱暴に魔法の地図を取り出した。
怒りすぎて手の汚れを忘れている。
睨んだ顔でしゃがみ、地図にピタリとくっつけて隅々まで見ている。
ソローネ君が耳元で「ミルフィーユが……そうなんだよね?」と囁いてくる。
私も「ええ。『エレナちゃんを助けて』と確かに言いました」と小さく呟いて返事をする。
キャスティもオズバルドも私に歩み寄ってきた。仲間達に小声で伝える。
「保護した時、あの子は裸足でした。身にまとっていたのは、引っ張れば破れそうな薄布だけ。冬の寒い晩、聖火の前に座っていた。
……逃げてきたんですよ、きっと。閉じ込められていたところから」
「誘拐、長期間の監禁……」
「オズバルドの家族を手に掛け、家にも火を放った」
「研究していた記録も全て盗んだ。どこまで、罪を重ねるの……」
いきなりミルフィーユ君が立ち上がった。鼻息荒そうな激怒の表情だ。
「オズバルドさん!! そのハーヴェイって男はどこにいるんですか!!」
魔法の地図を片付け、リュックを背負い直す。
今にも飛び出していきそうな奮然とした顔付きだ。
「オズバルドさんから家族を!! 家を燃やして!! 大事な物をぜんぶ奪って!! 今も! ヴェリテさんにひどいことしてます!! なにもかも最悪です!!」
そして前のめりで歩き出そうと、ひとりで町の方へ行こうとする。
私はすぐに後を追い、彼女の両手をガッと握り、それ以上進ませないように引っ張った。
怒るイノシシが如く、彼女は歩みを止めようとしない
「断罪です!! ずっと断罪です!! テメノス様離してください!! 私が今からハーヴェイを断罪しに行きますので!!」
深刻そうに暗い顔をしていたソローネ君達は、一様にプッと吹き出した。
私の顔にも微笑みが浮かんだ。
オズバルドは小さく肩を震わせる。
「……今から、ハーヴェイの情報を集めるところだ」
「はい! 分かりました! 私もお手伝いします! すみからすみまで!!」
くるりと踵を返し、次はオズバルドを町へ引っ張ろうとする。
手の汚れを忘れてますね。
その姿を私達は後ろから、離れたところから見つめた。
「ねぇテメノス」
「はい」
「思い出したら、ヤバいんじゃない」
「……私もそう思ったわ」
「そうですね。同じことを考えました」
ハーヴェイに連れ去られ、保護するまでの期間、あの子はずっと囚われていた。
傷が癒える体質だから、その身に傷は残っていない。
あの子が記憶を失うほどの“何か”をハーヴェイがした。長期間に渡って。
「自分の心を守る為に全てを忘れたなら。思い出させては……なりません」
眼前で、ミルフィーユ君はやる気に溢れた顔でオズバルドと話している。
何を思い出すかは自分では選べない。
失ったものが一気に戻るかもしれない。
“何をされたか”───想像するのもおぞましい記憶を思い出すことになる。
「……二度と、笑えなくなる」
恐ろしくなった。
心が凍りつくほど、寒気がした。