────私の走馬灯は灰色だ。
空も、景色も、街の人も全てが同じ色。
鮮やかなのは……物心つく前からずっと一緒にいるロイだけだ。
髪は黒色、瞳は深緑色、それだけがきれいに見えた。
幼い私達は、ソローネ君の“友達”みたいな生き方をしていた。
食べ物をくれる大人に尻尾を振って、優しくしてくれる大人に懐いて、そんなふうに暮らしていた。
いつからか、黒い顔をした男に目をつけられた。
歪んだ笑みを浮かべる男が、男達が、私とロイにしつこく関わり、手を出すようになった。
ふたりで遠くへ逃げた。
街の外の、夜に灯りがつく道を、ふたりで手を繋いで、ずっと走った。
ずっとずっと怖かった。
どこまでも真後ろを追いかけてくる────そんなことを思いながら、震えながらどこまでも逃げ続けた。
黒い顔の大人が住んでいると思って、他の町には行きたくないと思いながら走り続けた。
森の木々の裏で、生い茂る植物の中で、隠れながら魔物を魔法で倒して、得たブドウやプラムを君と食べて、君と逃げ続けた。
季節は……たしか、秋になったばかりだった。昼は暑いのに夜はひんやりして、眠る時は寒かった。私が君を温めていた。
悪い大人が来るかもしれなくて、ずっとずっと眠りたくなかった。
旅人が近くを歩いているのが見えて、気づかれないように息を殺した。
『たすけてください』を言いたくなかった。
『たすけてください』を言ってはならないと思った。
声にも出さず、それを考えないように己を戒めた。
「テメノス……。悪い大人でもいい、たすけてもらおう。このままじゃ……しんでしまう……」
「いやですよわたしは。しばられて、そんげんをふみにじられて使いたおされる」
私は、前に水をくれた誰かの言葉を思い出しながら言った。
「ロイ、それを生きてるとはいわない。わたしはりようされたくない。“きょうかい”へ行こう」
「“せいそう”がある?」
「“フレイムチャーチ”に“きょうかい”がある。ご飯をくれたひとがいってた。悪いものは入ってこれないって」
「いこう! テメノス!」
ちいさな手を握り合って誓った。
寒い夜も、なんとか目を閉じて眠った。次の日たくさん走る為に。
雨が降りませんように、とそれだけを祈って旅をした。
私とロイに気付いたのはひとりの神官だった。
悪い大人に捕まらないように、暗いところに隠れていたのに。
教えてくれた名を聞いて、私とロイは「イェルクさま」と呟いた。
その人はいきなりマントを外して、それを私に羽織らせてくれた。
法衣を脱いでロイに着せてくれた。
魔法をかけてもらったみたいに温かくなった。
「私は、君達をずっと助けることを炎に誓う」
心が熱くなる声で、言ってくれた。
『たすけてください』を言ってないのに、助けてくれた。
行きたいと願った“フレイムチャーチ”に私とロイを連れて行ってくれた。
大聖堂で、見たいと望んでいた“聖窓”を見せてくれた。
目の前が見えなくなるほど、たくさん泣いた。
────走馬灯は次に、私を自宅に招いた。
全てが灰色に見えて、いつの間にかベッドに座っていた。手のひらも法衣も、血塗れだった。断罪の杖はどこにも無かった。
「……激怒したサンドリオンの大顎に貫かれて死亡、でしょうか。呆気ないですねぇ。あそこにクリック君が居たら良かったのに」
聖堂騎士は命の危機を感じた時、身体が勝手に回避行動を取る。そのように訓練している。
“神の剣”は強靭で、たったひとりでも戦えるように己を鍛え上げる。
「6秒あれば私も“守護の聖盾”を付与できていましたよ。クリック君がもし同行していたら、こんな無惨には終わらなかったのに」
嘆息をこぼし、ふと、隣を見る。
異端審問官の姿をしたロイが、私のそばに座っていた。
「……君も亡くなったのか」
私じゃなくて違う方を向いている。5年前よりも前髪が長い。
目が隠れ、微笑む口元しかちゃんと見えない。
飛びつきたいのに……全身が重くて動けなかった。
「帰りをずっと待っていたのに、今までどこに行ってたの? あの物騒な黒い弓はどうしたの? 人を置き去りにして勝手に家を飛び出して。すぐ追いかけたのに、止まらずに走り去って。ちいさい頃は私のほうが速かったのに」
君は返事をしない。微笑んだまま動かない。
「重いものをひとりで抱えて遠くへ行って。私に半分持たせたら楽だったでしょう。私はどこでも行けたのに。君となら、どこへでも行ったのに。
寒くありませんか? 寒いなら温めますよ。私いま動けないけど。不思議と全身が熱くて。死んだのに何でだろ」
ロイの手がスッと動いた。
白い指先が、私の腕輪を指差した。
「……これ? 誕生日プレゼントですよ。冬の晩に保護した子が贈ってくれた。精神年齢がとても幼くて、今日が誕生日って言う私の大嘘を信じてくれた女の子でね、私と仲間達のことが大好きで。私だけ貰うのも悪いから君にあげますよ」
腕輪を外し、ロイの腕を掴み、白い手首に腕輪を通して。
『あれ? 身体が動くな』とぼんやり思った。
「……ああそうだ。すごく困った事があった。数時間前にその子に質問をされてね。私……“愛”が何かを説明しなきゃならなくなって。クラリッサさんに丸投げされて、私が答えなきゃいけなくなりました……!
私は保護者ですよ! あの子の先生です! 神官の皆と大事に育てた一人娘なのに! あああ……お父さんあるあるにその内襲われる! 『テメノス父さんと結婚したいです』なんてお願いされるんですよ! “愛”が何かを一緒に考えてくださいよロイ! 私を助けなさい!!」
フッとロイが小さく息を漏らす。
顔を上げれば、微笑む君と視線がぶつかった。深緑色の瞳を楽しそうに細めている。
「テメノス、君は大丈夫だ。ちゃんと答えられるから」
ハッキリと聞こえる声だ。ずっと聞きたかった声だった。
「ロイ……」
目の前が真っ暗になる。何も見えなくなる。
「……ロイ!!」
全てが遠くなって、そして────
「────ッ!!?」
ビクッと全身が震えた。
口の中が砂でジャリジャリして、血の味がする。ここは……
「(……サンドリオンの)」
全身が重く、関節がひどく軋む。
痛みはなくて、しかし動けない。
わずかに顔を左に傾ければ、砂の中でオズバルドとソローネ君が気絶していた。
眼鏡が血で汚れ、ソローネ君は……隠れてよく見えない。
ミルフィーユ君も動かない。赤髪は砂埃まみれで、白い頭巾が近くに落ちている。
遠くで激しい斬撃の音が聞こえた。
震える手で、がくがく揺れる腕で、なんとか身体を起こす。手と法衣が血と砂で汚れている。
「やぁああああああッ!!!!」
覇気が溢れる勇ましい声が聞こえ、顔を上げる。
キャスティがひとりでサンドリオンと戦っていた。
大斧の俊敏な連撃でサンドリオンを圧倒している。
全身が発光していた。色は、彼女が着ている制服と同じ青。
彼女の連撃がサンドリオンの動きを止める。
「救いの手を!!」
キャスティは飛び退き、鞄から鉢と棒と複数枚の薬草を出す。歴戦の薬師の動きであっという間に調合する。
とても器用だった。調合しながら私の目の前まで来てくれる。
「みんな! お薬の時間よ!!」
拡散剤を含んだ薬は、服薬できない状態でも吸入できる。
全身が軽くなり、関節の軋みが楽になり、力が溢れた。満足に身体を動かせるようになる。
オズバルドとソローネ君の呻き声もかすかに聞こえた。
断罪の杖を支えにして立ち上がる。
「感謝しますよ! キャスティ!!」
ロイが失踪して、次の異端審問官に私が選ばれた。
返事をする前に巡礼の旅に出て、途中で学者と薬師のライセンスも取得した。
断罪の杖に相応しき者になりたかった。困ってる人を助けたかった。
『助けてください』を言えない子を助けられる人になりたかった。
最近だ。懸命に育てた赤髪の愛娘が私に言ってくれた。
『私は、テメノス様は、異端審問官に相応しい方だと思っています。異端審問官は……テメノス様がいいです。テメノス様しかいないと思ってます。断罪の杖で戦うテメノス様、私……好きです』
曇りなき瞳で、私を一心に見て、言ってくれた。
「“アレファンに学びましょう”!」
魔力を束ねる。今のソローネ君達を癒すなら“大回復魔法”だ。
治療の光が、清い深緑の輝きが私の周りを素早く旋回する。
「“癒しの奇跡を与えたまえ”!!」
まばゆい輝きが傷ついた仲間達に届く。
ソローネ君はバッと飛び起き、オズバルドもスッと立ち上がる。
サンドリオンを見据える2人の目に底力が溢れていた。
私のそばで、もぞ……と起き上がった子が、眠たそうな顔で白い頭巾を探す。
「君の宝物は私が拾いますからね」
私の声に、眠たそうな顔のまま笑う。安心しきった幼子の表情だ。
回復した私達を見届けたキャスティが、大斧を振ってサンドリオン目掛けて駆けていく。
私は断罪の杖を強く握った。
「……さぁ!! 反撃ですよ!!」
私とオズバルドは同時に魔力を重ねる。
大光明魔法と、大氷結魔法を放つ為に。
サンドリオンは斧にも弱く、キャスティの連撃に動けずにいる。
大斧を振り切った彼女は大きく後退し、その直後、ソローネ君が光の精霊石複数個を一気に投てきする。
大光明魔法とほぼ同じの威力だった。
「“フクロウ”!!」
そしてさらに、何か黒いものを投げつける。
キャスティとソローネ君がサンドリオンから大きく離れた。
私とオズバルドはお互いに目配せする。『いけます?』『もちろんだ』と目で会話した。2人でサンドリオンを見据えて、そして────
「“聖火の力を……授けたまえ”!!」
「“氷嵐よ……巻き起これ”!!」
────光と氷の根源でサンドリオンを貫く。
白と青の輝きが消える寸前、キャスティがサンドリオンに飛び込んだ。
「斧一閃ッ!!!!」
キャスティの大斧がサンドリオンの大顎を片方折った。
戦意を喪失したのか、砂埃を大きく巻き上げながら大穴の底に逃げていった。
勝利の喜びは湧き上がらない。ここからすぐに逃げなければ。
「……ミルフィーユ君!!」
すぐに目を向ける。彼女はうつ伏せで倒れていた。
白頭巾の端を片手で握った状態で動けずにいる。私が拾いますと言ったのに!
全員で一斉に駆け寄り、断罪の杖を傍らに待機させ、私が彼女を抱き起こした。
まぶたをわずかに開いている。眠るのを我慢している子どもの顔をしていた。
「てめのすさま……」
「ミルフィーユ君、勝ちましたよ」
「サイの街に帰りましょうね」
「元気の出るブドウ、食べる? 口開けたら一粒ずつ入れるよ」
「……待て。ミルフィーユの髪が」
オズバルドの苦しげな声で気付いた。
長髪の半分が変色している。赤に白を混ぜたような薄い色をしていた。
「てめのすさま、すごく……ねむいんです……。てをつないで……かえりたいのに……ちからがはいらなくて……。すごくねむたくて……」
これは度重なる“付与”の結果だ。直感で思った。動揺の声を思わず漏らしそうになった。
強く意識して、無理して微笑みを浮かべる。
「いいんですよミルフィーユ君。きみ、いっぱい頑張ったんだから。ゆっくり眠ってくださいね。起きたら一緒にご飯を食べましょう」
すごく眠いはずなのに、ミルフィーユ君は頑張ってニコリとした。
私に笑顔を見せて、ガクンと眠りに落ちる。
無性に泣きたくなって、抱きしめた。
「よく……頑張りましたね……。おやすみなさい……」
私の肩をキャスティがポンポンする。
その次、ソローネ君が肩をポンポンして、さらにオズバルドも肩をポンとした。
本当に……頼りになる仲間達なんだから。
砂の中にピカピカの花が埋もれているのを発見した。キャスティが拾い上げる。
ミルフィーユ君のリュックはオズバルドが持った。白い頭巾はソローネ君が抱えてくれた。
抱き上げて運ぶ私の周りを、みんなが囲むようにして歩いてくれる。帰路につく。
「……また暴れないといいのだけど」
「揺れと崩落は収まったな……」
「もう来ないと思うよ。キャスティが片方折ったんだから」
「残る問題は、人間同士の争いね」
ピカピカの花が魔物を遠ざける。
私達は無事に外へ脱出することができた。
「ねぇテメノス」
「はい、なんでしょう」
「腕輪……無くなってる」
「えっ!?」
言われて初めて気付き、視線を走らせる。
キャスティとオズバルドもジィッと見つめてきた。
「……たしかにありませんね」
「外れてどこかに飛んでいったのかしら……」
「明日、探しに行く?」
「いいえ。紛失したわけではない」
「テメノスを癒して粉々に壊れた」
さすがはオズバルドだ。すぐに正解を言ってくれる。キャスティとソローネ君は驚いた。
「みんなは覚えてます? 激怒したサンドリオンが突っ込んできた時のことを」
「なんか、来たよね。あまり憶えてない」
「俺もだ」
「あなた達、攻撃されたのよ。私は嫌な予感がしたからすぐに大きく飛び退いていた。勘が働いたのね」
「ああ……だからキャスティ、ひとりで戦ってたんですね」
オズバルドとソローネ君は目を見張る。
「ミルフィーユ君の祈りと願いが私を癒し、キャスティの薬で立ち上がることができました」
「サンドリオンの攻撃の真正面に、テメノスが立っていたのよ。大顎に……貫かれたように、見えたんだけど……」
「やはりそうですか。一回死んだんですね、私」
軽い口調にみんなは顔を強張らせる。
灰色の走馬灯を見た。よく分からない灰色の自室に行った。そこはきっと生者では行けない場所だ。
「あっという間でした。すぐ目の前にあの大顎ですよ。貫かれて走馬灯を見たんです」
「……それってあの?」
「はい、死の間際に見るものを」
「『“痛い”を“痛くない”にしてほしい。来年の誕生日もお祝いできるように』────それがこの子の願いだ。“付与”した効果が、テメノスの死を癒した」
「ミルフィーユ君はもちろん“こう”なります。深夜1時になっても起きませんよ、きっと。皆さん、この子が起きないと思って今日は就寝しましょうね」
ソローネ君が『そう言って起きてるでしょ、アンタ』の顔をして、
キャスティが『眠れないわよ、私』の顔をして、
オズバルドが『起きているからな、俺も』の顔をして、
私は『ありがとうございます』の顔をして。
みんなでサイの街に帰った。