8人の旅人と、赤い髪の娘たち   作:遠野ハネ

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【12話④ サイの街】「ハーヴェイは俺が殺す。あの子を導くのはおまえだ、テメノス」「あなたも導きますよ、オズバルド。共に光の道を歩くんです」

 治療院の外にはエドマンド君と兵士長グリフが並んで談笑していた。

 私達に気付いて駆け寄ってくる。

 

「嬢ちゃんは大丈夫か!?」

「疲れて眠ってるのか」

「治療院は空いてます?」

「ああダメだダメだ、宿屋行け。宿屋の旦那には俺が口利きするから」

 

 エドマンド君に連れられ、私達は宿屋にミルフィーユ君を運んだ。

 宿泊する部屋から私とオズバルドが退室し、清拭や着替えはソローネ君とキャスティがしてくれる。

 宿屋の店主と話していたエドマンド君が、私達に目配せして外に出た。

 時刻は夜10時前。サイの街に住まう人々も自宅に帰り、無人で穏やかで静かだった。

 

「……嬢ちゃんの髪色、なんでああなった」

「やはり気付くか」

「頑張りすぎたんです。ここの人に聞かれたらこう言ってください。『サンドリオンのところでオオサソリの大群が現れた、虫に恐怖しすぎてあの色になってしまった』と」

「そりゃ……気持ち悪い光景だな……」

 

 エドマンド君は私の『頑張りすぎた』が何を指しているか気付いている。

 しかし、彼はそれを言わない。生涯、黙り続けてくれることだろう。

 

「治療院の薬師には声を掛けるか?」

「はい。後でキャスティと顔を出しに行きます。エドマンド君は先ほど、兵士長グリフと話していましたね。どのような会話を?」

「『帰ったら王に進言する』とな。『武器を置き、少しずつでも移民を受け入れるように』と」

「人間同士の争いは大丈夫そうですねぇ」

「争えばサンドリオンが再び現れるぞ」

「肝に銘じるぜ。流砂が起きたらたまったモンじゃねぇ」

 

 エドマンド君は荒っぽく笑う。その表情に、私も自然と微笑みが浮かんだ。

 

「……キャスティさんのお節介から教わった。誰かを憎むより、手を取り合うほうがいいってな」

 

 そしてエドマンド君は私達に挨拶してから帰っていった。彼の仲間達が待つ野営地へ。

 

「オズバルド」

「ああ」

「……私、ミルフィーユ君が起きたらすぐに話しますよ。“愛”が何かを教えたい」

「どう教える?」

「珍しいですね、ウキウキした顔をして」

「気になるからな。テメノスがどんな“解”を出すのか」

「“結婚”や“恋仲”に結びつけない答えに気付きました。今、聞きます?」

「ああ、話せ」

 

 楽しんでいる声に私もウキウキしてしまう。

 

「フレイムチャーチの教会前で……暖かくなってきた日に、花壇に花の種を植えたんです。ミルフィーユ君と子ども達でね。書庫から本を借りて、花を育てる方法を皆で調べた日もあった。気を付けて水をやって、毎日話しかけていましたよ。

『外はとっても良いですよ』『空がとてもキレイですよ』『たくさん応援しますからね』と、子ども達がいてもいなくても、あの子は事あるごとに声を掛けていました、連日です」

 

 あの子は他に“今日のテメノス様”を花壇に報告していた。

 その日あった嬉しい事、誰かに優しくしてもらった感謝や、明日頑張りたい事を長々と。

 その声掛けを私はいつも隠れてコッソリ聞いていた。日々の楽しみだった。

 

「……咲いた花はとても美しかった。子ども達とミルフィーユ君で巡礼路を駆け上がり、大聖堂にいる人々、全員に声を掛けたんです。ふふふ、珍しく教会前に人がたくさん集まって。

誰が言い出したのかな、大勢の前で紙芝居を読まなきゃいけなくなったんです。少し緊張しましたね。いつも子ども達だけを相手にしていたのに、大人にも読み聞かせなければならなくなって」

 

 口元に手を当て、吐息をこぼす。

 黙って聞くオズバルドはやわらかく微笑んでいた。

 

「……私、なんの話をしてるんでしょうね」

「その咲いた花が“愛”か?」

「はい。さすがはオズバルドだ。これならミルフィーユ君もすぐに理解してくれる。“愛”はひとりに向けるものではない、と思ってもらえます」

「他の“愛”は教えないのか?」

「言いたくありませんね。『テメノス様と結婚したいです』になりますから」

「そうか。言われたくないのか」

 

 オズバルドは過去に言われたのかな。お父さんあるあるを、娘から。

 私の眼差しに気付き、フッと笑われた。

 

「……エレナは5歳だった。俺は言われていない」

「それならミルフィーユ君も言わないでしょうね」

「テメノス、あの子の精神年齢を5歳ぐらいだと思っているのか?」

「はい。特大に失礼な事を考えました。すみません、あの子はちゃんと10代半ばの娘ですね。元気が有り余りすぎた、かなり自由奔放な。

記憶を失っても真っ白になったわけではなくて、教会の時計を“柱時計”だと理解していました。教えていないのに。あの子は最初から字が書けましたよ。これも教えていません」

 

 私は白い表紙の手記を内ポケットから出した。

 こっちはミルフィーユ君について書き記しているものだ。あの子を保護した後に新調した。

 最初のページを開き、オズバルドに見せる。

 私は前に、贈ってもらった名を書かせていた。

 

「……ヴェリテの字と全く違うな」

「はい、別人だと思えるくらいに。記憶を失っただけで、ここまで筆跡が変わるものなんですか?」

「分からない。しかし、キャスティに字を書いてもらえば一目瞭然だ」

「やってもらいましょうか」

 

 その後、キャスティだけ出てきた。

 ミルフィーユ君のそばにはソローネ君がいてくれる。

 

「失礼、あなたの“医療日誌”を読んでもいいですか?」

「どうぞ。何か気付いたことがあったら言ってちょうだい」

 

 渡してもらった手記をオズバルドと並んで確認する。

 

「キャスティ。これは全て読んでいるのか?」

「じっくりとは見ていないの。街の名前だけ探していたから」

 

 彼女にとって大きな発見を得られない記述を探す。

 調合に使う葉に目を止め、私は青い手帳を開いた。

 これは聖火教会の支給品だ。紛失しても問題ない内容しか書かない。

 

「キャスティ、お願いが。サンドリオンと戦った時に、私達に使ってくれたものをここに書いてください」

「気になったのね」

「はい。たくさんの薬効を感じたので」

「書くわ。少し待ってね」

 

 キャスティは自分のペンで記入してくれる。

 書き終わり、返してくれた手記と“医療日誌”を並べた。

 

「……おお」

「筆跡、同じですね」

「ふたりとも、確認したいことが別であったのね」

 

 キャスティは苦笑する。私はすぐに謝罪した。オズバルドが説明して、キャスティは少し考える。

 

「……別人、という可能性は本当にゼロかしら」

 

 私とオズバルドも沈黙した。

 筆跡は違う。しかし、ミルフィーユ君の言った『エレナちゃんをたすけて』は、彼女がヴェリテだという証明だった。

 

「ゼロです。ヴェリテですよ、あの子は。そうじゃなきゃいけない」

「監禁されていたところから逃げてくれた……」

「……ハーヴェイの手から逃げ延びた」

 

 オズバルドが収監された5年前から、私が保護するまでの間、ずっと。

 他人の家を燃やして女性と子を殺害して嘲笑う男が、あの子の尊厳を踏みにじっていた。長年に渡って“生きている”とはいえないことを。

 目の前が暗くなる。抱いてはならない黒い感情がぶわりと溢れそうになる。

 大きな手が、私の肩をグッと押さえた。

 

「……オズバルド」

「ハーヴェイは俺が殺す」

 

 私を想う瞳に、復讐の炎が宿っていた。

 

「あの子を導くのはおまえだ、テメノス」

 

 キャスティは目を伏せる。祈るような表情で。

 オズバルドの手も熱い。いつも魔法を使っている手だ。

 その頼もしい手の上に自分の手を重ねた。

 

「あなたも導きますよ、オズバルド。共に光の道を歩くんです」

 

 そして私は、クラリッサさんに言いたかったことをオズバルドに伝えた。

 

「事件を探るのは、真実を明らかにする為。未来を生きる為に事件を探る。終身刑を言い渡した裁判長に“解”を突きつけてやるんです。

ミルフィーユ君にお願いしてオズバルドにピッタリくっついてもらいましょうかね。あの子なら力強く引っ張りますよぉ……『ピカピカの道はそっちじゃないですよ!!』とか何とか言って」

 

 簡単に想像できるのか、キャスティがくすくす笑った。

 

「カナルブラインで、私のところにテメノスを連れて行った時みたいに?」

「ええ、そうです。引きずられました」

 

 オズバルドの瞳がほんの少しだけ穏やかになった。

 

「俺は宿屋に戻る」

「私とキャスティは治療院に行ってきますね」

 

 目的は挨拶と回診だ。薬師ひとりに全ての負傷者を任せるのは酷だから。

 “回復魔法”が必要なら私の出番です。

 治療院を訪問して、キャスティと私が診ることを請け負い、マオ君に休息をお願いした。長い間、ぐっすりと眠れなかったはずだから。

 マオ君の目が涙で潤む。

 

「助けてくださって……ありがとうございます」

「どういたしまして。君に、聖火の加護があらんことを」

「おやすみなさい、マオさん」

 

 マオ君は月明かりの街中を歩いて行く。帰りたい家があるのだろう。

 その背中をキャスティとふたりで見送った。

 

「……走馬灯を見て思い出しました。私は『助けてください』を言えない人を助けたかったんです」

「だからミルフィーユはカナルブラインの患者さんにブドウやプラムを……。テメノスは今までずっと誰かを助けていたのね。そんなあなたをそばで見続けて、あの子は誰かを助けたいと思うあの子になった」

「私だけじゃありませんよ。たくさんの優しさに包まれて、あの子はあんなふうになったんです」

 

 そして私とキャスティは治療院に入った。満床だ。

 リン君とロウ君にも声を掛け、ここのひと晩を私達に任せるようにお願いして、2人を帰宅させた。

 

「夢呼びの花も拡散剤も、まだまだたくさんあるわ。眠れない子に調合するわね」

 

 夢呼びの花(睡眠効果)……安眠できますね。キャスティ、ブラヴォー。

 むくりと兵士長グリフが起き上がった。キャスティがすぐに歩み寄る。

 

「グリフさん、どこか痛いところはある?」

「平気だ。気が緩んで少しだけ眠っていた。殊勲の薬師さん、あなたと外で話したい。……今、いいか?」

「ええ、もちろんよ」

「ここは私に任せてください」

 

 外に出る2人を見送り、私は断罪の杖を壁に立て掛け、薬品棚のそばに腰を下ろした。

 腕に視線を落とし、ミルフィーユ君の誕生日プレゼントを思い出す。

 私はあの子に『いっぱい元気になりたいです』とお願いした。

 サンドリオンの大顎に貫かれ、死んでしまって、生者では行けない場所でロイと再会して、聞きたかった声を聞いた

 致命傷だけでなく、私の心も癒してくれた。

 

「……いっぱい元気になりました。だからミルフィーユ君、きみも……元気になって、目覚めてくださいね」

 

 あの子は争いを嫌う。町の人に乱暴しようとする暴徒のところに飛び出して行った。

 己の傷は自然と癒え、他者の傷は“付与”で癒す。

 あの子はよく贈り物をして相手を喜ばせる。

 でっかい岩の輝きにも気付き、その歌声は私達の心に安らぎをもたらした。

 全ての魔法も使えた────これはヴェリテが該当する。

 大不死鳥と同じ特性をミルフィーユ君は全て有している。

 心の底から危機感を覚えた。けして、聖堂機関のカラス達に知られてはならない。

 

 キャスティが戻って来て、ソローネ君も顔を出す。

 私が交代で宿屋に戻り、ミルフィーユ君の目覚めを待つ。

 深夜1時……2時を過ぎても変わらず深い眠りにつく。枕もとで飾る花はピカピカと輝いていた。

 

 夜が明けても目覚めなかった。

「交代で眠りましょう」とキャスティに提案されても、私は頷くことができなかった。

 ミルフィーユ君を抱き上げ、宿屋の外に出る。

 街の人も起きていない早朝だ。

 昇り始めた朝日を見て、穏やかな気持ちで寝顔を見つめる。

 私のそばで仲間達が寄り添ってくれた。

 

「……ずっと120分しか眠らなかった。それがまずおかしいんです。長い時間眠れて逆に安心しましたよ。私の死を癒した“付与”の反動だから……どれくらい寝るんだろうな。私はミルフィーユ君が目覚めるまで、ここで怪我人を癒す神官を務めます」

 

 みんなに晴々とした微笑みを向けた。

 

「オズバルドはモンテワイズの大図書館、ソローネ君はウェルグローブ、キャスティはウィンターブルームでしたね。旅立ってください。それぞれの目的があるんだから。ミルフィーユ君が目覚めたら急いで追いかけます。魔法の地図があるので」

 

 前方の朝日に視線を戻す。ゴッ!!と頭を殴られた。

 

「痛いですソローネ君!!」

「ミルフィーユを泣かすことを言ったからだよ」

「旅立てるわけないでしょう。この子を置いていけないわ」

「『いなくなっちゃいました』と号泣する。その姿を見たいのか、テメノス」

 

 みんな静かに怒っていた。

 またゴンと殴られて……誰ですか今殴ったの!

 取りあえず「すみません」と謝っておいた。

 

 私達は旅の目的が異なる旅人だ。

 お互いのことをあまりよく知らない。聞かないし打ち明けないから。

 行くべき場所も、目指すところも、求めるものも全て違う。

 それでもお互いに助け合い、支え合っている。

 ミルフィーユ君を保護する前、私には“仲間”と呼べる存在はいなかった。

 それが、今では……

 

「……共に歩いてくれますか?」

「必要だからね。“回復魔法”を使える神官は」

「ソローネは人を見る目に長けているわ。悪い子にすぐ気付いてくれる」

「大斧で戦える薬師はキャスティだけだ。素晴らしい知見を得られる」

「ミルフィーユ君ならこう言うでしょうね『皆さんで一緒に旅をしましょう!』って」

 

 私の腕の中でぐっすり眠る幼子に目を向ける。そして気付いた。長髪の薄い部分が、ゆっくりと……少しずつ、輝ける赤色が戻っていく。

 髪先まで赤く染まればきっと目覚める。そんな予感がした。

 

「聖火神エルフリックが……色を塗ってくれているみたいだ」

 

 目の奥が熱くなりながら、私は、心の底から笑うことができた。

 その後、安心したのか、少し眠るつもりで布団に潜ったら8時間ほど寝てしまった。

 

 

 ────そして同日、夜の10時34分。宿屋の宿泊室に全員集まっていたら。

 

「テメノス様!! おはようございます!!」

 

 大満開の笑顔で幼子は起床した。赤い長髪の色も元通りだ。

 テメノス父さんは喜びのあまり、愛娘を抱きしめた。

 

「おはよう。よく寝てたね、ミルフィーユ」

「気分はどうだ?」

「ご飯を作ったの。お腹が空いたら食べてちょうだい」

「わぁ〜い!! たくさん食べたいです!!」

 

 サイの街の台所を借りて用意していたお弁当をミルフィーユ君に渡す。

 すごい勢いで完食し、デザートのブドウとプラムも食べ、白湯もゴクゴク飲んで、つやつやの笑顔でごちそうさまを言う。

 

「テメノス様、私、夢を見ました」

「見たんですか!? 初めての!?」

「はい、初めて見ました」

 

 興味深い内容に、ソローネ君達も身を寄せた。

 

「おっきな船がありました。怒った顔のお姉さんがいました」

 

 オズバルドをチラリと見て『ヴェリテの記憶ですか?』の顔をすれば首を振られた。

 

「『帰んな』ってプンプンした顔で言われました。『ここには出来損ないの船しかないよ』って。とってもピカピカした船だったのに……そんなことを言ってて、すごく悲しくなりました……」

「天気はどうでした?」

「いい天気です。雲が一つも無くて。鳥がたくさん飛んでて『ピャア、ピャア、ピャア』って鳴いてました。それでね……」

 

 話しの途中でいきなり倒れた。

 

「ミルフィーユ君!!」

「テメノス、夜の11時になった」

「寝たんですか!? あんなに眠ったのに!!」

「起床は2時間後だな」

「どうなってるんですか……?」

「とても不思議ね……」

 

 私達はそれぞれの寝台に戻った。ゆっくりと腰を下ろす。

 夜に2時間だけ寝る、それだけが大不死鳥に関係のない特性だった。

 オズバルドはうつむき、思考している。

 

「先生。ミルフィーユが言った鳴き声の鳥、知ってる?」

「船なら、そばに海がありますね。鳥は……」

「……ウミネコだ。生息地はトト・ハハ島」

「ヴェリテはトト・ハハ島には?」

「聞いたことがない」

「オズバルドと一緒に行ったことはある?」

「ない」

 

 トト・ハハ島で『ここには出来損ないの船しかない』と言った女性の夢。

 ヴェリテがオズバルドと出会う前の過去・記憶か。

 夢の内容は起きたら確認すればいいか……と思ったのに、深夜1時に起きた君は「頭ぼやぼやして分かんないです」とぷにぷに顔で言った。

 安心したのか、ソローネ君達は「おやすみ」を言って就寝した。

 キャスティは「私も思い出したの。明日の朝、話すわね」とミルフィーユ君に言い、布団に潜った。

 

 私とミルフィーユ君は夜のお散歩に出た。

 ヒノエウマ地方の月はフレイムチャーチより大きい。濃い金色で美しかった。

 月明かりがミルフィーユ君の赤い髪を照らす。その髪色を見るだけで安心した。

 言わなければならないこと、話したいことが多すぎて、喉が塞がって沈黙してしまう。

 数歩前を歩くミルフィーユ君が足を止め、振り返る。うきうきの笑顔だ。

 

「テメノス様っ」

 

 返事をしたいのに、君の名を呼びたいのに、胸がいっぱいで声が出せない。

 ミルフィーユ君はにっこり笑った。

 

「テメノス様、大好きです!!」

 

 胸の奥が温かくなる。

 君はすごいな。言葉だけで元気になる。

 

「ミルフィーユ君」

「はい!」

「“愛”を」

「……はい」

「“愛”を、君に教えます」

 

 少し離れている君が戻ってきた。

 目の前まで歩み寄り、赤い瞳をきらきらさせて見上げてくる。

 

「いいんですか? 『2日後に』ってテメノス様言ってたのに」

 

 たくさん寝たことに気付いていない。

 

「いいんです。今教えたくなりました」

「ありがとうございます! テメノス様っ」

 

 そして私は、仲間達と朝日を眺めた場所にミルフィーユ君を連れて行った。

 座ってもらい、その隣に私も腰を下ろす。

 いつもは砂混じりの風が吹いているのに、今は無風だ。

 

「私が教えられる“愛”はひとつだけです。いいですか?」

「はい」

「私はそれしか教えられないんです」

 

 ミルフィーユ君はわずかに首を傾げ、よく分かってない顔で「お願いします!」と元気よく頷いた。

 罪悪感で心が雑巾絞りされてるみたいに苦しくなる。撤回したくなる。

 言いますよもちろん! 『“愛”は他にもあるんですよ』って!! でもそれは今じゃないんです!! 言うべき時が来たらゴメンナサイして訂正しますから!!

 

「……種が、あるんですよ。それは心に植える特別な種で、水や光や栄養は他の人が与えます」

 

 ミルフィーユ君は遠い目をする。子どもたちと種を植えた日を思い浮かべている。

 

「『好きです』になったら芽が出ます。他の人が、育つ為に必要なものを与えるんです。そばにいたり、話したり、話を聞いたり、同じ時間を共に過ごします」

 

 ミルフィーユ君は思い出している。ひとりで熱心に話しかけていた日々を。

 

「『大好きです』になったら葉が出て、どんどん成長していきます。ずっと一緒にいるとぐんぐん伸びていく」

 

 花が咲いた日を思い出し、ミルフィーユ君は満開の笑みをいっぱいに浮かべた。

 

「花が咲いたら『大好きです』が“愛”になる。その花は自分だけでは咲けない。長い時間をかけ、水と光と栄養を与えてくれる誰かがいることで、咲くことができるんです」

「……テメノス様。その花は、いつか枯れちゃうんですか?」

「枯れませんよ。心に咲く特別な花なんだから。水と光と栄養を与えてくれる人が、その花を『大好きです』と思い続ける限り、枯れずにずっと咲き続けます」

「それが……“あい”……なんですね」

 

 私は白い手帳を開き、ペンを握る。

 

「“愛”はこう書くんですよ」

 

 ゆっくりと字を書く。

 書き終わった後、ミルフィーユ君は「分かりました。それが……愛なんですね」と理解した声で言ってくれた。

 ふわりと微笑む。まるで、誕生日の贈り物を貰ったみたいに。

 

「それじゃあ、『大好きです』の次は『愛です』になるんですか?」

 

 全身がギクッと固まる。己の内側で嫌な汗がブワッと出る。言葉に詰まり、息も止まる。

 

「そう、です、ね……」

 

 ガッタガタの声が出た。

 

「……愛……」

 

『「愛してます」になるんですよ』とは即答できなかった。

 教えれば翌日には『テメノス様、愛してます』になるんですよこの子は!!

 ロイ! 助けてくださいロイ!! 私はなんて答えればいいんですか!?

 

 頭の奥で、張り詰めていた糸がプツンと切れた。私は遠い目をする。

 

「……“愛”はすごくすごい特別な気持ちです。声には出さずに心の中で思わなければなりません。ミルフィーユ君、『大好きです』を言いたい時、心の中だけで『愛です』を言ってくださいね。声には出さずに」

 

 無音の心でそう答えていた。

 

「はい! ありがとうございますテメノス様! 大好きです!」

 

 頬を染め、花畑のただ中にいるような春爛漫の表情で言う。

 恋する乙女の瞳が『愛です』を歌っていた。

 誰か……誰でもいい、断罪の杖で私を滅多打ちにしてください……!

 

 私はミルフィーユ君と、ソリスティアにある全ての清いものに謝罪したくなった。

 

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