8人の旅人と、赤い髪の娘たち   作:遠野ハネ

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【15話 ソローネ編】「言うこと聞かないヤツが一番胸クソ悪いのさッ!!」「聖火の加護があらんことを!!」

 “マザー”の手はとても大きい。

 片手で首をへし折られる夢を、何度も見た。

 

『フフ……これでおまえも立派な“蛇”だ。そして、私が母親ってわけさ』

 

 首輪をつけられ、ほんの少し息苦しくて。

 もう二度と、死ぬまで満足に深呼吸できないと思った。

 闇の中で生き続けるんだ……と思った。

 心が小さくなりすぎて、感情は大きく揺れなかった。

 冷たい雨が降っていた。外で────黒い女が踊っていた。

 

 見えない何かに手を引かれるように、外へ出てしまった。

 鞭で打たれると分かっていたのに。もっと近くで見たくなった。

 冷たい雨が全身を濡らす。服はすぐに重たくなった。

 女は楽しそうに踊っている。とても良いことがあったような笑顔で。

 長い髪は真紅色で、宝石みたいに美しかった。

 私に気付いた女は踊るのをやめて、歩み寄ってくる。大きな瞳は炎色。

 ドキドキするほど、綺麗な女だった。

 

『こんばんは、ソローネ』

 

 名乗っていないのに名前を呼んでくれた。

 一度も貰ったことがなかった“欲しい物”を贈ってくれた。

 頼んでいないのに手を繋いでくれた。

 

『ソローネを外に連れ出したのはわたくしよ。わたくしを鞭で打ってください。痛いのがとっても好きなんです。あなたの鞭が、わたくしはすごく大好きで。ぞくぞくするんです、嬉しくて。早くわたくしを鞭で打ってください!』

 

 嘘みたいな事を笑顔で言って、“マザー“に鞭を打たせなかった。

 

『あとで宝石を贈るわね、おやすみなさい』

 

 “マザー”は彼女の宝石が大好きだった。

 雨に打たれて風邪を引いたら、温かいご飯と果物と水と薬をくれた。

 いつもは『怠けるな』と怒鳴ってくる大人が、彼女を見るなり黙り込んだ。

 

『ソローネ、温かくなる輝石です。布団に入れて眠ってね。わたくし、ずっとそばにいますから』

 

 触ってないのに、優しく撫でてくれてるみたいな声だった。

 初めて、殴られたり怒鳴られることなく、長い時間眠ることができた。

 

『おはよう、ソローネ。食べたいものはある? わたくし、ポンと出しますから』

 

 初めて、食べたいものを食べさせてくれた。

 不思議な女だった。

 私の心を読んでいるみたいに、何も言わなくても気付いてくれた。

 知りたいことがあれば勝手に教えてくれて。

 声を聞きたくなったら勝手に話してくれて。

 嫌だと思ったら、頼んでないのに前に立ってくれた。

 

『ソローネ、わたくしがそばにいます。ずっとそばにいますからね』

 

 “そばにいる”────その言葉の通り、ずっとそばにいた。

 そばにいるだけだった。

 

 鞭で打たれても、怒鳴られても、傷付けられても、乱暴にされても、あの女は、ただ見ているだけだった。

 嬉しそうに、喜びの笑みをずっと浮かべて、ただ眺めるだけだった。

 痛みは感じなくて。傷は全く残らなくて。

 魔女がくれた物が、私の痛みと傷を消していることにはすぐ気付いた。

 

 魔女は微笑み続けた。

 私が何をされても、私に何があっても、近くで誰かが傷ついても、知ってるやつが殺されても、楽しそうに笑うだけだった。

 

 温めてくれて大きくなった心を、魔女が滅多刺しにした。

 目の前が暗くなって、立てなくなって、動きたくなくて、全てがどうでもよくなって。

 初めて“絶望”を感じた。

 

 そばにいてほしくなかった。

 ナイフで刺せば、痛がることなく笑った。

 愉悦の顔で、大喜びで、いきなり降った大雨の中に飛び出し、ずぶ濡れになりながら子どもみたいに踊った。

 

 “そばにいる”の頻度が減り、たまにしか現れないようになった。

 仕事を見られることもなくなり、動きやすくなった。

 それでも視線を感じる時が、誰もいないところで魔女の存在を感じる時があった。

『ずっとそばにいますから』の“ずっと”が震えるほど恐ろしくなった。

 あの女は私を解放しない。私が死ぬまで、ずっと。ずっと────

 

 

 ────そう思っていたのに。

 魔女は“ずっと”の終わりを私に告げた。

 あまりにも呆気なく、長年燻り続けた疑問に答えが出た。

 

 ウェルグローブでは今も大雨が降っている。

 宿屋の軒下で、壁に背を預けて曇天を仰ぐ。

 

 先生が言っていた。『赤い髪の娘が泣きたくなるほど心を痛めた時、空も同じように涙する。大きな雨を呼んでしまう』と。

 思い返せば、ニューデルスタでは雨がよく降っていた。短時間で止む大雨が。

 黒い魔女はいつも雨の中で踊り、その姿が視界に入るのがひたすら不快だった。

 ずぶ濡れで戻ってきて、私の名を呼ぶ。

 魔女から雨が逃げて行く。全身がすぐ乾く。

 悪い夢でも見ているような光景で、この女から逃げられる雨を羨ましく思ったこともあった。

 思い出せる全ての雨が、あの魔女の涙なら。

 ピルロを殺した時に降った雨も、魔女の涙だとしたら。 

 

「そんなわけない。ただの雨だ……」

 

 先生の話を否定したくないけど、これだけは嘘だと思いたかった。

 あの魔女が。狂ったように笑い続けるあの女が。心を痛めて泣いていた。

 落ち着かなくて、イライラして、嫌な熱が内側で暴れている。

 自分の心を思い通りにできない。

 別のことを考えたいのに、あの女がそれをさせてくれない。

 

「……くそったれ!!」

「ソローネ君、町の外で声を荒らげてはなりませんよ」

 

 軽薄な声が隣から。

 厄日だ。一番聞かれたくない男に聞かれた。

 

「ああ〜ちょっと待ってくださいソローネ君、中にはまだ戻らないで」

 

 逃げようとしたら阻止された。

 

「話、なに?」

「ミルフィーユ君のことで。あの子……今、すごく元気が無くて。オズバルドとキャスティに挟まれてご飯を食べています」

「アンタがそばに居てやればいいじゃん」

「私ばかりベッタリするわけにはいきません。あの子には他の大人も必要ですから」

「テメノス父さんは優しいね。愛娘のことを一番に考えて」

「大好きですからね」

 

 ニューデルスタで知り合って、同行するようになって、テメノスに対して『うさんくさ……』と思っていた。

 何を考えているか分からない笑顔は、ミルフィーユのことになると手に取るように分かってしまう。 

 この男はサイの街で『たすけてください』と私に頼んできた。絶対に助けを求めないと思っていたのに。

 

「ミルフィーユ君は心が痛いと言っていました。『テメノス様と呼びたいのに呼べなかったら』……そんなことを想像して、悲しんでいました」

「……へぇ。魔女を自分に置き換えたんだ。あの女のことなんて考えなきゃいいのに」

「私もそう思います。ご飯食べてブドウ食べて『とっても美味しいです』とだけ言ってればいいんですよ」

「大嫌いなんだね、あの魔女が」

「ええ。二度と私達の前に現れないでくれと思ってます」

 

 イラッ、と。なぜか癇に障る。

 真顔で『現れないでくれ』と言っていたテメノスがニヤッと笑った。その顔を張り倒したくなった。

 

「自分以外の人間が言うとムカつきます?」

「……別に。私だって思ったから」

「あの人、予想外に話してくれましたね。ミルフィーユ君がいたから?」

「楽だね。長年吐かなかった情報をたくさん聞けた。次にアレが来たらミルフィーユに対応してもらおう」

「事前に打ち合わせします? 質問を紙に書いて持たせるんですよ。取材ですね」

「話してくれたらいいね。でもきっとアレだよ。“いつか答えますから”」

「私と同じこと言ってました。人の真似をして……許せませんね」

「“言いたくありません”の男が何か言ってる」

「赤い髪の娘の存在をちらつかせて情報を得ようとしたら大火傷しました。ソローネ君は、今まであんな魔女を見たことあった?」

「無いよ。頭にもなかった。“楽しむ”と“喜ぶ”しか存在しないと思ってた」

「感謝してくださいね、ソローネ君。私のおかげでド怒りする魔女が見れましたよ」

「焦り顔で途方に暮れた顔をして、ミルフィーユの帰宅に内心ホッとした男が何か言ってる」

「ミルフィーユ君の『ライトさん泣いてましたよ』に大きく動揺した人が何か言ってます」

「あの女にゴメンナサイしてない男が何か言ってる」

「私はゴメンナサイの手紙を書きましたから」

 

 サッと出してきたのは白い封筒だ。あの女の名前が書いてある。

「やるじゃん」と心の底から思ったことをテメノスに言った。

 

「いつ渡すの?」

「次に会った時に。呼び出したらすぐ渡せるけど、あの女を呼びたくありません」

「大嫌いだから?」

「毛嫌いしても渡しますよ。私、最悪な意地悪をしたから。

でも、何があっても呼び出しません。あの女が『欲しいものがあればわたくしを呼んでください』と言っていたから。呼び出せば“欲しい物”を求めなければいけなくなる」

 

 テメノスの顔から笑みが消える。翡翠の瞳は鋭く、警戒の感情が濃く浮かぶ。

 

「あの女は相手が望む物をポンと出して与える。自分の願いも盛り込み、呪いを刻みつけた後、渡すんです。“相手の欲しい物を贈る”ではない。“自分のあげたいものを贈る”んです」

「……だからあの女は、ミルフィーユとミルディアに魔法の地図を贈ったんだね。“欲しい”を言う前に」

「そういうことです」

 

 大雨が止み、曇天が散っていく。

 雲の隙間から光が差し込み、暗かったウェルグローブを少しずつ照らしていく。

 テメノスは胡散臭い笑みをニコニコ浮かべた。

 

「この日差しなら、そのうち虹が出ますね。発見したらミルフィーユ君を呼びましょう。きっと大喜びですよ。魔女のことなんてコロッと忘れて……」

「テメノス」

 

 ぽつりと呟けば、胡散臭い笑みを消した。

 

「はい、なんでしょう」

 

 返事をした声はただひたすらにまっすぐだった。

 

「……なんでもない」

 

 テメノスの過去を聞いた。“私も”と思うのに、言葉が全く出てこない。

 

「そうですか。それじゃあソローネ君、一緒に虹を探します?」

 

 テメノスは微笑んだ。ミルフィーユに向けて笑いかけるような表情で。

 この男になら、私は。ミルフィーユや先生やキャスティなら。

 話せる、と思った。

 

 テメノスから離れ、水溜まりを避けて道を歩く。宿屋から数メートル歩いたところで、大きな虹を発見した。

 外に出てきた町の人間が盛り上がっている。

 テメノスの動きは早く、あっという間にミルフィーユを呼び出した。

 

「わぁああああ! おっきいクッキリな虹が出てます!」

「見事だ」

「美しいわね」

「次第に消えちゃいますよ。今のうちに楽しみましょう」

「えっ消えるんですか?」

「……消える。虹を形作る水滴が蒸発するからな」

「大変です!」

 

 ミルフィーユはバタバタ走る。虹がないところを右から左へ。

 

「ライトさぁん! 近くにいますか!? 虹が出てますよぉ〜!!」

 

 大きな声で呼びかける。あの女を探してる。

「何をやってるんですかあの子は……」とテメノス父さんはすぐ走っていった。

 戻って来たチビっ子は寂しそうに肩を落としている。

 

「ライトさん……トト・ハハ島に行ってるみたいです……」

「そんなにシュンとしないで。今日の虹は私だけで見ましょう」

「……はい」

 

 眉間にかわいいシワを寄せ、辛そうな顔でミルフィーユは笑う。本当にアイツのことが好きなんだね。

 アイツは私が呼べば必ず来る。それを分かっているけど、無言を貫いた。

 あの女が大嫌いだ。顔も見たくないし会いたくもない。消えてしまえと常に思っている。

 アイツの“ずっと”は私が潰す。忌々しい呪いを必ず砕く。跡形も無く粉砕して終わらせる。

 

「とっても綺麗ですねぇ……!」

 

 元気な笑顔と明るい声。

 テメノスの言う通り、ミルフィーユは魔女のことをコロッと忘れた。

 外にはさらに人が増え、町の人間以外にも、観光に来ている金持ちの夫婦が一様に虹を見上げている。

『スリ放題だね』と思っていたらすぐ気付いた。背丈の小さい少女に。

 一人だけ虹を見ていない。どこかを目指しているような顔で歩く。足の運びが……あれは気配を消している。横目で周囲をさりげなく伺っている。

 とても自然に、最小限の動きで、誰にも気づかれることなく、金持ちの男から何かを盗んだ。素人じゃない。“マザー”の子かも。“人買い”が言ってた孤児院の話……嘘じゃなさそうだ。

 

「ソローネ」

「……先生、ちょっと行ってくる。後で戻るから」

 

 あの子を尾行する。

 盗みが成功して喜んでるね。気を抜くのが早すぎる。

 後ろに意識を向けることなく、間抜けに歩いている。

 少女は町の喧騒から離れ、大きな屋敷に行き着いた。門を開け閉めしているのは初老の男。あれが探し求めた“マザーズ・ガーデン”か。

 音を立てずにテメノス達のところに戻った。

 

「準備します?」

 

 抜け目がない男だ。

 

 

 ────空が夕暮れに染まり、町の喧騒が遠く聞こえる森の中で修道服に着替えた。

 服はテメノスの法衣とあまり変わらない。

 

「ソローネさん、きれいです」

 

 ちびっ子が大満足の声で褒めてくれた。

 

「その姿なら違和感なく潜り込めるわね」

「かったるい服……さっさと終わらせて帰るから」

「ちょっといいですか? ソローネ君、修道士に変装するのなら言葉遣いも大事ですよ」

 

 テメノスが口うるさく言ってきた。

「気づかれぬよう、改めたほうがいいかもな」と先生まで言ってくる。

 

「……へぇ。わかったよ」

「ミルフィーユ君ならどう返事をします?」

「えっと、えっと……本に書いてました。『かしこまりました』です」

「あら。言葉遣いについて書かれた本もあるのね」

「よく読み込んでいます。聞きました? ソローネ君。“わかったよ”では不適切ですよ。“承知しました”とか……敬語を使いましょう」

「……いまからやんの?」

「いきなり本番ではボロが出かねませんからね」

 

 ミルフィーユが『がんばってください』とやる気に溢れた笑顔になり、

 キャスティが『応援してるわ』の顔で微笑み、

 先生は『わからなければ聞け』の顔でジッと見つめてくれて、テメノスがパンと軽く手を叩く。

 

「はい、言ってみてください」

 

 ひたすら居心地が悪い。

 “言いたくない”と“屋敷に潜入したい”で後者が勝った。

 

「しょ……承知しました」

「承知した顔ではないわね……」

「くるしそうな声です……」

「慣れていないから言葉が上滑りしていますよ? では、言ってみてください。

“聖火の加護があらんことを”と」

 

 さらに難題を突きつけてくる。

 真面目な顔して、翡翠の瞳はウキウキだ。楽しみやがって……

 

「……せ、聖火の加護があらんことを……」

「そんなふて腐れた表情では信者でないと丸わかりですよ? 慈悲深い微笑みを浮かべながら唱えるのがコツです」

「せ、聖火の……」

「はい、声が小さいです!」

「せ、聖火の……くそったれ!!」

 

 持っているものを地面に叩きつけたくなった。

 ミルフィーユがちょこちょこ歩いてくる。赤ん坊みたいな表情で私の顔に手を伸ばす。

 ちいさな手で撫でてくる。

 

「ソローネさん、自分に言ってみてください」

 

 ふわふわの笑顔でコソッと伝えてくる。

 

「自分自身に祈るんです。『良いことがありますように』『嬉しいことがありますように』『願いが叶いますように』って。

思いながら言うんです。“聖火の加護があらんことを”って」

 

 無邪気に笑い、ミルフィーユはテメノスの隣に戻った。

 

「ソローネ、テメノスを真似しろ。言葉遣いも、振る舞いも、歩き方も……全て、テメノスを思い浮かべろ。“こんな時、テメノスならこう言う”と考えながら」

「……ありがとう。やってみるよ」

 

 練習して、披露して、先生に褒めてもらったことで、次は屋敷だ。

 魔女は……来たかったら来ればいい。あの女がそばにいれば“マザー”の動きが鈍るはずだから。

 

「ここから先はひとりでいいから。先生達は宿屋に帰ってね。ここで待たないで」

「ま……待っちゃダメですか……? 『お帰りなさい』を言いたいです」

「ソローネ君は帰ってほしい。落ち着かないんですよ、私達がここで待ってると」

「宿屋で帰りを待ちましょう」

「行ってくる」

 

 ミルフィーユの『いってらっしゃいソローネさん!!!!』の特大に元気でうるさい笑顔に見送られ、屋敷に向かった。

 あっという間に夜だ。

 しばらく歩き、到着する。

 守衛のおじいさんが私に気づいた。

 

「おや……新しいシスターさんかい?」

「はい、お世話になります」

「うむ。お入りなさい」

 

 門を開いて招いてくれる。鐘の音がふたつ聞こえた。

 

「……また鐘か」

 

 おじいさんの呟きにテメノスを思い浮かべる。こんな時、アイツなら……

 

「綺麗な音ですね」

 

 ……こう言う。

 しかし、おじいさんの表情は暗くなった。

 

「……そうじゃな」

 

 忌々しそうな声。その理由が分からなかった。

 建物の中に入ってすぐ気付いた。匂いが違う。嗅ぎ慣れた……“マザー”が愛用している香水の臭いだ。

 灯りが少なく暗い孤児院だ。目の前にホールが広がっている。

 あちこちに幼い子供達が思い思いに時間を過ごし、6人のシスター達が面倒を見ている。

 

 あれが“マザー”の子たち。

 あんなにいるのに、不気味なくらい静か。よく躾けられてるね。

 大きな柱時計を一瞥する。間もなく夜の7時だ。

 

 私はシスターのひとりに無言で会釈し、傍らに立つ。

 ここに“マザー”がいるなら、出てくるはずだ。

 無表情の子供達と、冷めきった表情のシスター達が急に動いて整列する。静かで物音ひとつも立てずに。

 柱時計が重苦しい音で鳴り、奥の扉が開いた。

 薄暗いホールだと、扉の向こうがまぶしく見える。

 巨体の毒々しい赤ドレスの女“マザー”が現れた。側近の男を引き連れて。

 

「いい子にしていたかい、“卵”ちゃんたち?」

 

 他のシスター達と同じ角度で礼をする。

 “マザー”は目敏いからけして顔は上げない。

 

「フフ……。今日は上物が手に入ったよ。こいつを盗んできたのは誰だい?」

 

 上機嫌な声は欲で濁って汚い。

 大きな手にきらめく宝石は明るい月の色。

 ひとりの少女が前に出る。盗んだ子だ。

 

「わたしです、“マザー”」

「……おいで、ミラ」

 

 覚えのある光景だ。“蛇”達の前で、“マザー”が素晴らしい働きをした子を褒める。

 

「これは“ウルフダイヤ”……一級の宝石だよ。おまえたちもミラを見習いな」

 

 何もしていない子は羨望の顔をして『次は自分が』と躍起になる。

 嬉しそうなミラに“マザー”は脂ぎった微笑みを向けた。

 

「よくやった、もう一人前だ。褒美をやるよ。……蛇の“証”をね」

 

 “マザー”がミラに首輪をはめる。その光景を“卵”達はまばたきせずにジッと見つめる。

 

「似合ってるよ、ミラ」

「素敵な首輪……。“マザー”のためなら、なんだってします」

 

 声と表情が私と違う。心から“マザー”の為に尽くしたがっている。

 

「いいかい、時間になったら“黒鐘の塔”に来るんだよ」

「わかりました、“マザー”」

「モロゾフ! 時間になったら扉を開けておやり」

 

 側近が恭しく頭を垂れる。

「承知しました、“マザー”」の返事を聞かずに“マザー”は扉の向こう側に行った。

 整列していたシスターと子供達が解散する。

 

 私の首輪は……外す鍵の1つを“マザー”が持っている。奪って、殺す。そのためには“マザー”の隙を探らなきゃ。

 

 灯りの少ない廊下を歩く。

 施設内を探れば、2階のベッドルームに首輪をつけられたあの子がいた。

 ちいさな男児が泣いている。

 

「うぅ……いたいよ……」

「大丈夫。いま手当てしてあげるから」

 

 いつもなら消している足音と気配を、今だけは隠さずに入室する。

 微笑むテメノスの真似をしながら歩み寄った。キャスティにもらったハンカチを差し出す。

 

「これ、使って」

「……ハンカチ。ありがとう、シスターさん」

 

 “マザー”に見せた笑顔を私にも向ける。

 

「この子、失敗して“マザー”にお仕置きされたの。失敗すると、“マザー”にあの扉の向こうに呼ばれて……」

「鍵がかかってるよね」

「うん。でも、モロゾフが鍵を開けてくれるの。“マザー”に呼ばれた時だけ」

 

 手当てをしてもらった男児は明るい顔で部屋を飛び出していった。

 

「そこでね、わたしも……何度も何度もムチで打たれた……」

「……そうだね。誰でも鞭で打たれるよ。失敗しなくても、“マザー”が気に入らなければ鞭が飛ぶ。理由無く打たれることもある」

「シスターさんも……?」

「鞭で打たれたくないと思わせる。動けないヤツを……動かす為に」

 

 男児も、この子も、暗い闇に首を掴まれている瞳だった。

 

「わたし……なんでも人より遅い“できそこない”だった。だからきっと……ほんとのママはわたしを捨てたの」

 

 “できそこない”────それは自分で思った言葉じゃない。誰かが刻みつけた罵倒だ。

 

「……そろそろ時間だわ、行かなきゃ。じゃあね、シスターさん」

 

 ご親切にいろいろと教えてくれた後、ミラは“マザー”の言いつけ通りに動く。

 “黒鐘の塔”へ。そこに“マザー”がいる。

 扉の鍵を持ってるのはモロゾフって男だったな。じゃ、頂戴しに行きますか……。

 

 他のシスターと同じ歩き方で通路を進み、“マザー”の銅像を磨き上げているモロゾフのそばを通る。

 隙だらけで、笑ってしまうほど呆気なく鍵を盗むことができた。

 死角に潜みながら待ち続ける。扉の前に誰もいなくなるのを。

 10分────だろうか。静かに解錠し、音を立てずに扉の向こうへ。

 裏口だ。石畳の道が続いている。

 鐘の音がふたつ聞こえた。

 

「また鐘の音……」

 

 手入れが行き届いた庭園を抜け、行き着いた先は“黒鐘の塔”だ。

 階段を登り、頂上に行く前に姿勢を低くする。

 気配を感じた。2人だ。この先に“マザー”がいる。

 

「さあ、ミラ……。一人前になった蛇に聞かせるおとぎ話があるんだ」

「おとぎ話……」

「フフ、愉しい宴が始まるまでの余興だよ」

 

 聞こえる声に耳を澄ませる。

 “マザー”の悪趣味な語り声と、ムチを振る音と、痛みに呻く小さな声と、耳障りな鐘の音。

 階段を駆け上がり、頂上へ登る。

 黒い鐘にあの子が縛り付けられて────私は、鐘の音の正体に気付いた。

 修道服を脱ぎ捨てる。

 

「おひさしぶり、“母さん”」

「……おや、ソローネ。ようやく来たかい」

「やっぱり気付いてたの? ……私がいること」

「見慣れないシスターがいたからね。ミラに案内させたのさ。ここなら誰にも邪魔されず、娘を可愛がれるだろ」 

 

 “マザー”がムチを鋭く振る。鐘の音が、またひとつ。

 

「あの鐘の音の正体はその“お仕置き”か……。相変わらず悪趣味だね。“母さん”」

 

 微笑んでやると“マザー”は悔しそうに舌打ちした。

 

「……おまえが“選別”に残るなんてね。何しに来たんだい? 母さんの鞭が恋しくなったかい。フフ……おまえは誰よりこの鞭の味を知ってるからねぇ。人を思い通りにするには“痛み”が一番さ」

 

 “マザー”が歩く。広々とした場所に行く。

 鞭で石畳を鋭く打つ。

 

「……同感だよ」

 

 私もそれに続く。戦いやすい場所に立つ。

 

「私はあんたに“お仕置き”しに来たんだ。あんたを殺して、私は“黒蛇”を抜ける」

「……このメス蛇が。私はね……おまえが大嫌いだ、ソローネ!!」

 

 鞭の扱いなら、“マザー”の右に出る者はいない。

 身体を打たなくても、床を打つ音だけで全身を震わせる。

 拒否も、拒絶も、抵抗も、逃避したい心も、その鞭と大喝でへし折り続けた。

 夜の闇の中でしか生きられないと……思い込ませた。

 そんな“マザー”が、黒い魔女を恐れている。気持ち悪くて鞭を振るのを止めるほどに。

 

 あの歪んだ笑みを思い出す。

 不吉で、禍々しくて、吐きたくなるほど気持ち悪い笑みを、思い出して真似をした。

 “マザー”の顔付きが一変する。

 

「言うこと聞かないヤツが一番胸クソ悪いのさッ!!」

 

 黒い魔女を思い出して嫌な気持ちになったみたいだ。

 アイツの真似をするのは業腹だけど、使えるものは全て使う。

 ナイフを抜き、構える。ミルフィーユを思い出す。

 自分自身に祈った。『願いが叶いますように』と。

 

「聖火の加護があらんことを!!」

 

 先に私が動いた。鞭を振り上げる前に懐へ。

 “マザー”の左手に嫌なものを感じて回避する。目の前を────ナイフが風を裂いた。

 

「そっちもいけるんだ」

「私の鞭で震えていたガキが立派になったねェ!!」

 

 長年支配し続けていた女だ。鞭を打ち続けていた腕は強靭で敏速だった。

 鞭とナイフを持ち替え、利き手で凶刃を繰り出してくる。

 無駄にデカいのに寒気が走るほど速かった。“マザー”のナイフを捌く。捌き続ける。

 

「遅い! 遅い! 鈍いよソローネ!! 今まで何をやってんだいッ!!」

 

 わずかな隙も見出だせない。耳障りな音と火花だけが散る。

 “マザー”と切合い続け、嫌な嘲笑を聞きながら、気付いたのは血の臭い。

 いつの間にか“マザー”のナイフが私の腕に────キャスティの怒りがよく分かった。殺意が湧いた。

 アイツの“ずっと”はどこまでも私の邪魔をする!

 純白の宝玉を、魔女が押し付けたものを握り、“マザー”の顔へ────粉砕したい気持ちで、石畳に叩きつけるように。

 それを“マザー”は憶えている。私から取り上げ、気味が悪いと捨てたから。

 生じた一抹の隙を、私はナイフで鋭く突いた。

 

 倒れたのは────“マザー“だ。

 大きな手から凶刃も盗む。

 静寂が戻り、呼吸の音だけ聞こえる。

 

「やっぱり……あんたはあの女のガキだよ」

 

 死にかけの女が何か言っている。

 全身が寒かった。どれだけ失血しているかは分からない。

 頭がぼんやりして、目が霞む。

 視界がハッキリ見えるようになる。血が戻ったのを感じた。

 

「フフ……ソローネ。おまえを産んだ女は、かつての私のボスだった。凄腕の盗賊でね……。憎たらしいほど強かったよ」 

「私の母が……“蛇”の頭だった……?」

「……知らなかったろ。“ファーザー”に口止めされてたからねぇ……」

 

 言葉に詰まれば笑われた。息も絶え絶えなのに、尊大な表情で。

 

「あの女は、私が嵌めて殺してやったのさ……! そして“蛇”の頭はすげ替えられた。そうして繰り返されてきたのさ。後継者争いはね」

「……後継者なんて興味ない。私は……自由になりたいだけ」

「ああ、そうかい。じゃあ自由になりなよ。なれるモンならね……。

自由なんてないよ、ソローネ。“蛇”の影が付き纏うのさ。どこまでも……」

 

 “マザー”と“ファーザー”を殺せば、全ての“蛇”が牙を剥く。

 “かわいそうな子供”ばかりじゃない。

 殺すのも盗むのも大好きな悪党が掃いて捨てるほどいる。東大陸にも、西大陸にも。

 

「……魔女に比べたら全て可愛いよ。来たかったら来ればいい。相手するから」

「血は争えないね……。折れる時に……おまえの細首を折っときゃよかった……」

「なぜ、私を殺さなかった?」

「……“ファーザー”さ。“ソローネを殺せば俺がおまえを殺す”……だと。あのクソ親父……初めから娘に惚れ込んでたのさ」

 

 沈黙する。相槌を打つのも億劫だ。

 

「話は終わった。首輪の鍵をよこせ」

「笑わせるんじゃないよ。この腐れ売女が……! 欲しいなら盗みやがれ、私の屍からねッ!!」

「……そうする」

 

 ナイフを構える。“マザー”は動けない。これなら楽に殺れる。

 

「やめてっ……!!」

 

 私の手を、あの子が止めた。

 大鐘に縛られたまま大きな声で。

 

「どんなにムチで打たれたっていい……。この人は……できそこないのわたしを認めてくれた……! たった1人の、ママなの……。お願い……殺さないで……!」

 

 涙ながらに訴えかけてくる。

 私の感情は少しも揺れない。

 

「……恨むなら、恨みな」

「やめてええええええええッ!!」

 

 あまりにも呆気なく、命を奪った。

 自分のナイフを回収し、鍵も入手する。

 

「……いや……。そんな……ママ……」

 

 大鐘に縛り付けていたロープを切る。

 崩れるように座り込み、涙で濡れた瞳で睨んでくる。

 

「許さない……許さない……!!」

 

 感情を消してから、ジィッと見つめてやる。怯えた表情で縮み上がった。

 

「私は、ソローネ。名前を憶えたかい? いつでも命を狙いに来な。歓迎するよ」

 

 放り捨てていた修道服を拾い上げ、立ち去った。

 返さなければ。ミルフィーユはきっと“盗んだ”とは思っていないから。

 

 気配を消し、すんなり孤児院を出る。

 守衛のおじいさんは今も外にいた。深々と頭を下げてくる。

 

「シスターさん。……ご苦労じゃった」

「ごめんね、おじいさん。私はシスターじゃないの」

「ほほ……そのようじゃな」

「もう1つ謝らせて。あなたの仕事がなくなる。“マザー”が死んだから」

 

 おじいさんは背筋を伸ばす。

 私を睨まないし、怯えないし、微笑むだけだ。

 

「なに、仕事ならまだある。あなたを咎めはせんよ」

「いい守衛さんだね……」

 

 暗い暗い帰路につく。

 この孤児院にいる“卵”達に、今は意識を向けることができない。

 ひとり分の“自由”だけで精一杯だ。

 

「さよなら……“母さん”」

 

 傷が消えても、失った血が増えても、寒いのは変わらない。

 温かいものと引き換えに鍵を得たからだ。

 気を抜けば震えそうになる。

 

 暗い夜道を早歩きで。

 早く宿屋に、そう思っていたのに……

 

「なんでいんの?」

 

 ……4人全員、なぜかいた。

 戻って来た人間に向けて言う挨拶を、全員が口々に言ってくる。

 ため息がこぼれる。頭が痛くなる。呆れて『ただいま』を言えなかった。

 

「テメノス様がね、『ここでソローネ君の帰りを待ちたいなぁ』って言ってくれたんです。えへへ」

「よく分からないけど動きたくなかったんです。今動けるようになりました」

「嘘をついてごめんなさいね。『宿屋で帰りを待ちましょう』と言ったら、ソローネが気兼ね無く行動できると思ったの」

「“ここで帰りを待ちたい”は全員の総意だ」

「……悪かったね。こんな寒いところで待たせて」

 

 微笑んでいたキャスティが急に真剣な顔をする。

 

「ソローネ、あなた……!」

 

 そしていきなり早歩きで近づいてくる。

 彼女の後ろでミルフィーユとテメノスが何か言ってるけど聞き取れない。

 

「怪我をしたわね……!!」

「……どうして」

「寒くないところで“寒い”と言った。今まで言わなかったのに……! 出血量が多いと血圧が低下して体温が下がってしまうの!」

 

 キャスティが手早く触る。

 何もできない間に、首や額や手首を次々と。

 

「顔色は……悪いわね。熱はない、怪我はどこに?」

「腕だった気がする。傷は消えた。痛みも無いから分からない」

「だから痛みは必要なのに! あの人……!!」

 

一瞬だけ怒った顔をして、すぐに優しい顔になる。

 

「……ごめんなさい、ソローネ。深呼吸しましょう。ほら、大きく息を吸って……ゆっくりと吐いて……」

 

 ミルフィーユの心配する声も聞こえるけど、何を言っているかは聞き取れない。

 キャスティはたくさん触ってくる。

 この手は痛いことをしない。とても優しい手だ。私のことだけを思っている眼差しだ。

 まるで、今のキャスティは……

 

「ごめんなさい、ソローネ。私ったら、お節介だったかしら……」

「ううん。考えてたんだ。本当の母親って、こんなふうに子供を心配するのかなって……。

私は……母親がいなかったからわからなくてさ。キャスティみたいな人が“マザー”だったらよかったのに」

「ソローネ……」

「……なんてね」

 

 キャスティの手が離れたと思ったら「ミルフィーユ、お願い。ソローネを温めて」と声を掛けるのが聞こえる。

 その直後、ヌッと元気娘が顔を出してきてビクッとした。

 

「ソローネさん、すっごい手です。顔を温めてもいいですか?」

「……好きにして」

「失礼します」

 

 すごい丁寧だ。テメノスに教わったの?

 私の両頰に、ミルフィーユの手がぺたりと。

 熱い手が全身の寒さを吹き飛ばした。

 奥の奥にいる“寒い”をミルフィーユの“熱い”が抱きしめるように温めていく。

 目の前にいるちびっ子に寄りかかりたくなった。

 

「宿屋、行きたい。寝たい」

「肩を貸しますよ、ソローネ君」

「……先生の肩がいい」

「体格差がありすぎる。キャスティの肩にしなさい」

 

 温かい手が離れた後、キャスティはすぐに肩を貸してくれた。全員で帰る。

 頼んでないのに、私の歩くペースに合わせてくれる。

 ひどく疲れてボンヤリしながら『言っておかなきゃ』とそれだけを思った。

 

「……テメノスさ、話したよね……。アンタだけが話すのはフェアじゃないから……私も言う……」

「話せることだけでいいですよ」

「ちょっとだけね、長話は……したくないから。

私は……“フレイムチャーチに行けなかった子供”だ……。物心つく前から、ずっと……言われたことを従順にこなす、道具だった……」

 

 私の手を熱い手が握ってくれる。お願いしてないのに。

 

「私は、この脚で……思うままに走り回りたい。“自由”が欲しい……それが、私の旅の目的……」

 

 暗いと思っていた道が明るく見えてくる。

 全身温かくて、いつの間にか寒くない。

 

「ソローネの旅に薬師は必要よ。どこまでも、共に行くわ」

「悪い大人がいたら教えてください。断罪しますので」

「寒い時は任せてくださいね。私のすっごい手でソローネさんを温めます」

「肩は厳しいが手なら貸せる。いつでも言え」

 

 片付ける為に振るっていたナイフを、今は。

 アンタ達の為に振りたいと思った。

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