8人の旅人と、赤い髪の娘たち   作:遠野ハネ

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【3話②】「教皇の手を握ること……それが唯一できることで、それが最善の行動だった」

 

「ここで、何があったんですか……」

 

 クリック君とミルフィーユ君は、緊張した面持ちで割れた聖窓がよく見える場所に行く。

 奥の暗がりから、獣の荒い息遣いが聞こえてきた。

 

「しっ……!」

 

 反射的に、声を出さないよう2人に促す。

 目を凝らす。奥には大きな大きな黒い影。

 暗闇に浮かび上がるのは血に飢えた獣の眼光だ。

 巨大な狼・ヴァルグ種の魔獣がゆっくりと現れる。アレが聖窓を破って入ってきたのか……!

 クリック君が剣を抜いた瞬間、魔獣は大きく咆哮した。

 

「テメノス様!!」

 

 ミルフィーユ君が魔獣の前に飛び出した。まばゆい輝きを放つランタンを魔獣に突きつける。

 

「下がりなさいミルフィーユ君ッ!!」

 

 声を張り上げた、次の瞬間。

 魔獣は鋭い凶爪を振り上げ、ミルフィーユ君を薙ぎ倒した。

 軽いからだは吹き飛び、私達の後方に叩きつけられる。

 

「僕が行きます!!」

 

 クリック君はすかさず魔獣の前に出る。

 

「テメノスさんはミルフィーユさんを!!」

 

 “神の剣”に相応しい動きで、クリック君は魔獣に斬りかかる。

 

「任せましたよ!!」

 

 床を蹴り上げ、起き上がれないミルフィーユ君のもとへ。

 白い頭巾は裂け、血で汚れ、白い顔には大きな爪痕。

 

「ミルフィーユ君!!」

 

 ぼろぼろになった彼女は薄くまぶたを開いた。

 

「……てめのす、さま」

「今すぐ“回復魔法”を……!」

 

 痛みに呻きながら、彼女は辛そうにまぶたを閉じる。弱々しく、微笑んだ。

 

「へいき……です……」

 

 血が蒸発し、鋭い爪痕は幻の如く消えていく。

 

「いたく、ないです……から……。テメノスさま……クリックさんを……」

 

 後ろで聞こえる剣戟の音が遠い。彼女の声だけがハッキリと聞こえた。

 傷は消えても傷つけられた記憶は消えない。

 魔獣の恐怖をその小さな身体で、ひとりで受けた。

 

「おねがい、テメノスさま。クリックさんを……」

 

『彼を助けてください』───そんな目をしていた。

 ひどく傷つけられてもなお、赤い瞳は力強い。

 彼女は震える唇を引き結んで、無理して笑った。

 

「テメノス様に、聖火の加護が、ありますように……」

 

 己の心の奥深くで、今まで感じたことがない、大きな感情が湧き上がる。

 強い力が激流のように溢れてくる。

 断罪の杖をギシリと握り、私はクリック君のもとへ走った。魔獣の咆哮が鼓膜を震わせる。

 

「許しませんよ……!」

 

 断罪の杖を突きつけた。

 

「罪を贖いなさいッ!!!!」

 

 自分が持つ全ての力を。断罪の光を重ね、一撃で葬ることができる裁きの光を。

 

「“聖なる光”よ!!」

 

 目を焼くほどの閃光が炸裂し、大いなる裁きが魔獣を貫いた。

 

「聖心斬りッ!!」

 

 そして、クリック君の一閃重斬の技により、魔獣は息絶え、大きな音を立てて倒れた。

 邪悪な気配が消え去る。私達の勝利だ。

 肩で息をしていたクリック君は、剣を鞘に納めてミルフィーユ君のもとへ飛んでいった。

 

「ミルフィーユさんっ!!」

 

 彼女は座っている。気の抜けた笑顔で迎えてくれた。

 

「クリックさん、テメノス様をありがとうございます」

「ダメですよ起きたら!! 魔獣の爪があなた、を……」

 

 きれいな頬と元気な表情。白い頭巾は無惨に裂かれていたけれど。

 

「……え? あれ……? 魔獣の爪痕は? 攻撃されたはずじゃ……?」

「巡礼路でも言いましたが、ミルフィーユ君は我々と少し違うんです。負傷はすぐに治り、出血による血痕もすぐに蒸発します。教皇も存じていますよ」

 

 彼女は軽やかに立ち上がる。

 

「はい! すぐに治るから大丈夫なんです!」

「で、でも……痛いのでは……? 怖かったはずじゃ……」

「全然痛くないですよ。平気です。テメノス様とクリックさんがいたから怖くないです」

 

 心の底から明るく笑う。

 どうやら、魔獣の恐怖は彼女の心に爪痕を残さなかったようだ。私も大いにホッとした。

 ミルフィーユ君は頭巾を外す。泣きそうな顔をする。

 

「テメノス様ごめんなさい……。頭巾……大事にするって約束したのに。ぼろぼろになっちゃいました……」

「いいんですよ、また新しいのをプレゼントしますから」

「プレゼント!? わぁい! ありがとうございますテメノス様!!」

「大丈夫じゃないですよ!!」

 

 クリック君の一喝にミルフィーユ君はビクッとする。

 彼女の顔から笑みが消えるほど、クリック君は怒っていた。

 

「痛くない? 平気? そうだとしても、大丈夫なんかじゃないですよ!」

「あ、わ、私、本当に痛くないんです……! 元気になるブドウも、テメノス様の“回復魔法”も、私には全部必要なくて……」

「心が痛いんです!!」

 

 クリック君の言葉に息が詰まる。

 胸の奥に、殴られたような衝撃を感じた。

 

「怖かったはずですよ! 平和な町で穏やかに暮らしていた君が、いきなりあんな大きな魔獣に……! きっと君はテメノスさんに守られて、今まで誰にもひどい事はされなかった。

怖くないなんて、そんなことあるわけない。平気なわけないですよ!!」

 

 ミルフィーユ君はショックを受けた顔で、頭巾をギュッと握って「ご……ごめんなさい……」と力なく呟いた。

 クリック君はハッとして、ばつが悪そうに視線を外し、「怒鳴ってすみません……」と小さく呟いた。

 

「ふたりともそれぐらいにしましょう」

 

 大きな魔獣が倒れたことで、礼拝堂はとても見晴らしが良くなった。当初の目的を思い出す。

 

「……私達は教皇を捜しに来ました」

「そ、そうでした!」

 

 周囲を見る。

 聖窓は大きく破られ、淡く光を放つ破片が大小広く散らばっている。説教壇の前には燭台がいくつも倒れていた。すぐ近くに、初めて見る香炉も転がっている。歩み寄り、スンと匂いを嗅ぐ。

 

「この香りは知ってる。“マヤケシ花”だ……」

 

 離れたところでミルフィーユ君がぼろぼろの頭巾を被りながら「あの破片気になります!」と走っていき、クリック君が「触ったら切っちゃいますよ! 僕が調べますから!」と追いかけるのが横目に見えた。

 私は自分の意識を改めて香炉に向ける。

 

「“マヤケシ花”は……たしか、魔獣……特にヴァルグ種を強く惹きつけるものだ。なぜこんなものをここに……」

 

 こんなものを教皇が置くわけない。別の人間の仕業だ。

 つまり、魔獣は偶然ここにいたのではない。

 “おびき寄せられた”可能性が高い。

 他には───と視線を上げる。視界に入ったのは、説教壇の後ろに倒れる教皇の姿。

 

「教皇……!!」

 

 私の声にクリック君も気づく。同時に走り、教皇のもとへ駆けつける。

 ミルフィーユ君だけ動けずにいた。

 

「まさか……」

 

 教皇はぴくりとも動かない。傍らにしゃがみ、確認する。

 背中には大きな爪痕、まぶたは固く閉じられ、まだ温かいが、脈が、血の気も、呼吸も……

 

「……死んでいる」

「な、なぜこんな……! どうして……!!」

「落ち着きなさい、クリック君。こんな時こそ……」

「……すみません」

 

 動揺を抑え、クリック君は教皇を見つめる。

 

「背中の大きな爪痕は……教皇は、あの魔獣に……?」

「ええ、そうです。それで間違いない」

「まさか……こんな事故が起こるなんて……」

 

 クリック君は呆然と呟く。

 事故、ね……。君はそう思ってしまうのか。

 立ち上がろうとすれば、説教壇の内側、奥のほうに教皇の聖典が隠されていた。

 サッと手を伸ばし、取り出す。どうしてここに教皇の聖典が?

 

「テメノス様……」

 

 私もクリック君もハッとする。いつの間にかミルフィーユ君がすぐ近くにいた。

 青ざめた顔で、震えながら教皇を見下ろしている。

 

「教皇様……死んじゃったの……?」

 

 クリック君がサッとマントを広げ、教皇の遺体を見せないようにする。

 私は聖典を法衣のポケットに入れた。

 ミルフィーユ君は動き、クリック君を押しのけるようにして、さらに歩み寄った。

 

「て、テメノス様……イェルク様に“回復魔法”を……」

 

 目を開いているのに、どこも見ていない瞳だった。

 彼女は立てなくなって、教皇のそばでガクンと膝をつく。

 クリック君は言いづらそうに顔を歪めた。

 

「……ミルフィーユさん。教皇はもう……」

 

 彼女にはたくさんのことを教えた。もちろん“死”についても。

 彼女は理解しているのに、受け入れたくない顔をしている。

 ミルフィーユ君は傷一つない手で血に汚れた教皇に触れた。

 

「……あ! テメノス様! イェルク様、まだ温かいです! だから“回復魔法”を! テメノス様……!」

「ミルフィーユ君」

 

 静かに名前を呼ぶ。ミルフィーユ君がビクッとした。

 

「……教皇は殺されました。もう二度と、そのまぶたは開かない」

 

 ミルフィーユ君は私の目をしっかり見て、私の声をしかと聞く。

 

「イェルク様は……」

「死にました」

「テメノスさん……!」

 

 クリック君の非難する眼差しは無視する。

 ミルフィーユ君の大きく見開いたままの瞳に涙が浮かび、ぼろっとこぼれた。

 

「そこまでです、テメノス審問官」

 

 訪問者が2人、無遠慮に入ってきた。

 聖堂機関の副長・クバリーと、彼女を護衛する聖堂騎士だ。

 

「聖堂機関です。これより、現場は我らが預かります」

「……なぜここに……?」

「魔獣の報せを聞き、駆けつけた」

 

 カツカツと靴音を鳴らし、接近する。

 すぐそばまで近づき、説教壇の後ろで事切れた教皇に気づいた。

 

「……遅かったようですね。教皇が……殺されるとは……」

 

 深いため息をこぼす。

 教皇から視線を上げ、次に私とクリック君を見る。

 

「貴殿らには、後で話を伺います。去られよ。現場から何も持たずに。その子どもを連れて」

 

 ミルフィーユ君は動かない。ずっと教皇に触れている。

 副長はうんざりした顔を見せた。

 

「いつまでそうしている。離れろ」

 

 ミルフィーユ君は教皇を一心に見つめている。厳しい声をわざと無視している顔だ。

 

「離れろと言っている!」

「いやです!!」

 

 副長よりも大きな声で拒絶した。

 涙をぼろぼろこぼしながら、副長を精一杯睨みつけた。

 

「離れたくない! いやです!!」

「なにを……!」

「だって! だって聖窓が!! あんなに割れてたら寒い風が入ってきます! イェルク様がもっと冷たくなっちゃう!!」

 

 涙で濡れた瞳は明るい炎の色をしていた。

 副長は顔つきを変え、沈黙する。

 

「ミルフィーユさん……」

 

 彼女はまた教皇に向き直る。血で汚れた手を拾い上げ、両手で握った。

 

「イェルク様を……イェルク様を温めなきゃ……。寒く……ないように……」

 

 副長は一歩、後ずさる。

 

「……わかった、許可する。ただし数刻だけだ」

 

 副長は冷たく言い捨て、聖窓の破片が散らばっているところに行く。

 

「アレが大不死鳥の……」

 

 そのかすかな呟きを私は聞き逃さなかった。

 

「(……“アレ”呼ばわりですか)」

 

 不愉快極まりない物言いに、嫌悪で顔が引きつってしまう。

 私はミルフィーユ君に視線を戻した。

 クリック君は彼女のそばでしゃがみ、見守っている。

 ミルフィーユ君は涙をこぼしながら、教皇に力ない微笑みを向けていた。

 

「イェルク様の手……すごく、冷たいんです。こうしたら……イェルク様の手、温かくなりますよね……?」

「……喜びますよ、きっと。教皇、褒めていましたね、君の手を。『聖火みたいな手だ』と」

 

 春が近づく冬の朝、そんなことを教皇は、ミルフィーユ君に言っていた。その幸せな日を思い出して彼女は嬉しそうに笑う。

 心まで寒くなりそうな夜、痛ましい時間が過ぎていく。

 夜11時になり、彼女は手を握ったまま、あっけなく眠りに倒れた。それを私は、前もって伸ばしていた腕で支える。

 

「ミルフィーユさん!!」

「彼女はいつもこの時間に眠るんです。外に運びましょう」

 

 軽々と抱き上げる。頭巾がずれ落ち、外れてしまった。

 さらりと流れる赤い長髪を、副長は観察する眼差しで見つめてくる。

 落ちた頭巾はクリック君が拾ってくれて、早歩きで大聖堂を後にした。

 

「クリック君、1つ、頼まれてください。調べてみてほしいことがあるんです」

「調べもの……ですか?」

 

 私のお願いにクリック君はしっかりと頷いた。

 誰もいないところで伝え、クリック君は『任せてください』の目で応じて、素早く私のもとを離れ去る。

 見送った後、聖火に近い家の戸を叩き、開けてくれた夫婦に頼み、寝台を貸してもらった。

 濡らした布で彼女の手を拭う。

 

「感謝します」

「いいんですよぉテメノス様! うちの子、西大陸に行っちまってね、ひと部屋余ってたんですよ!」

「俺たちゃ隣の部屋にいますから。なんかあったら言ってくださいね!」

 

 明るい声で言いながら、扉を閉めて出ていった。

 静かになって、私は溜め込んでいた息をやっとこぼした。白い頭巾を枕もとに置き直す。

 

「(……少し、疲れたな)」

 

 ヴァルグ種はよく知っていた。

 しかし、あれほど巨大な魔獣と戦ったのは初めてだった。

 寝台に横になればすぐに眠れそうな。強い疲労感で全身が重かった。

 寝台はひとつ。ミルフィーユ君が眠っている。泣き腫らした顔で穏やかに。

 夜1時になれば彼女は起きてしまう。それまで自分も寝てしまおうか。

 

「(座って目を閉じるか、もういっそ床で転がって仮眠するか……)」

 

 頭があまり働かない。

 私がすぐそばにいれば安心するだろう、そんなことを思って、私は彼女の隣に横たわる。

 いつもなら同じ寝台で眠りはしない。

 

「(ミントさんに怒られ、教皇には咎められますね、これは……)」

 

 まぁいいか、と思ってまぶたを閉じた。

 寝台の端っこで彼女から離れているのに、ものすごく温かいぬくもりが伝わってくる。

 え? 私いま暖炉のそばにいます? 思わず目をカッと開いてミルフィーユ君を確認した。

 ぐっすり寝ている横顔。

 教皇は彼女の手を『聖火みたいな手だ』と褒めていた。こういうことか。

 

「あたたかい……」

 

 心が安らぐ。まぶたがどんどん重くなる。

 教皇の言葉に同意しながらまぶたを閉じた。

 彼女が起きたらその気配で自分も目覚める、そう考えていたのに。

 

 ────ハッと目が覚める。

 部屋が明るくて、頭を抱えたくなりながら横を向く。ミルフィーユ君は隣で座っていた。

 私の視線に気づき、にっこり笑いかけてくる。

 

「おはようございます、テメノス様」

「おは、ようございます……」

 

 上半身を起こす。

 

「……すみません、眠ってしまいました。君が目覚める時に起きようと思っていたのですが……」

「もっと寝ててほしかったです。貴重なテメノス様の寝顔だったのに」

 

 昨晩、あんなことがあったのに。

 君は明るい声で精一杯笑う。

 

「ずっと見てたんですか?」

「もちろん! テメノス様の寝顔なんて、多分この先絶対見れないですから!」

「そうですね。寝姿なんて弱味を、私は誰にも見せたくない。君はよく分かってる。もちろん“誰にも”の中にはミルフィーユ君も入ってますよ」

「だと思いました。ふふふ、テメノス様に勝ちましたよ私。

テメノス様が見せたくないって思ってる姿をバッチリ見ました」

「参りました。今回の勝負は私の負けです。仕方ありませんよ、だってすごい温かいんだから、君」

 

 ぴくり、と彼女の笑顔が少し固まる。

 私を見つめる赤い瞳がわずかに揺れた。

 

「離れて寝ていたのにすごく温かかったです。すぐ眠くなって、ぐっすり寝てしまいました。ありがとう、ミルフィーユ君。私のことを温めてくれて」

 

 じわり、と赤い瞳に涙が浮かぶ。彼女はもう、笑うことができなかった。

 

「あなたにずっと手を握ってもらえて教皇も幸せだった。安らかに眠れたはずですよ」

 

 浮かんだ涙が溢れて頬を伝う。

 

「テメノス様、私……」

 

 ぐすぐすと泣いた。その泣き顔に、胸の奥がぐしゃりと痛む。

 

「……起きてから、ずっと苦しくて……。自分の中で苦しいのがずっとぐるぐるして……。他にもっと色んなことができたのに、って、なんだか分かんないんだけど、そう思って。すごくすごく悔しくなったんです……」

 

 幼子みたいな顔でぼろぼろ泣いた。

 

「……私、イェルク様の手を握ることしかできなかった。もっとたくさん、色んなことをしたかったです……!」

 

 この子を守らなければならない。

 そんな気持ちが胸いっぱいに溢れて、私は彼女の頭を撫でた。

 

「……十分です。教皇の手を握ること……それが唯一できることで、それが最善の行動だった。イェルク様に選ばれたこの私が言うんです。自信を持ってくださいよ、ミルフィーユ君」

 

 パチッとウインクする。ミルフィーユ君はコロッと笑った。

 

「えへへ。テメノス様がそう言うなら絶対そうですね!」

「良い笑顔です。いいですか? 楽しい時や嬉しい時に笑うんです。苦しい時や辛い時、心が痛い時はけして笑ってはなりません」

「……はい。私、忘れません。テメノス様の言葉も、クリックさんの言葉も」

「そうしてくださいね。自分にできる事が何か分からない……そんな時は私が教えます」 

 

 彼女の瞳は、晴れ渡った夕焼けの色をしていた。

 

「もし今、分からないなら、君にできることを教えてあげましょう。行動ではなく言葉です。私は“それ”を君に言われると元気になります」

 

 彼女の頭をぽんぽん撫で、私は寝台を下りて立ち上がる。

 法衣を払い、襟元を整えた。

 

「言葉、ですか……?」

「そうです。君がよく私に言ってる言葉です」

「え、えぇ? なんだろ?“テメノス様”……?」

「それは私の名前ですね」

「えぇー!? 言葉、言葉、ことば……?

……あ! わかりました!“頑張ってくださいテメノス様”!」

「ブッブーはずれです。なんです君、いつも私に言ってるじゃありませんか。ド忘れしたんですか?」

「テメノス様にいつも言ってる? え、えーっと、おはようございます……?」

「残念はずれです」

「うぅ……なんだろ……。全然わかんないです……テメノス様、ヒントを……」

「ヒントは言いませんよ」

 

 難問に目をぐるぐるさせている。

 くすりと笑い、壁に立てかけてある断罪の杖を握る。

 娘の着替えを見る趣味はない。扉を開けて部屋を出ようとしたら、熱い視線を感じて振り返った。

 彼女は寝台の上でジィッと見つめている。

 

「わかりました。答えを言いましょう」

「ありがとうございます! テメノス様!!」

 

 きらきらの笑顔に、私も微笑みがこぼれた。

 

「“好きです”」

 

 言いながら部屋を出て扉を閉める。

 喜びの大歓声が聞こえてきて、私はつい、お腹を抱えて笑ってしまった。

 

 

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