急ぎ足で近づくも、ミルフィーユ君の足は止まってしまう。あの夜を思い出している顔だ。
私だけ近づき、確認する
まぶたを固く閉じている。
性別は男。私よりも歳上だ。
眼鏡をかけ、口元のヒゲは凍りついている。
量の多い長髪は長年洗髪しておらず束のように固まり、黒いコートの内側で太い首輪がちらりと見えた。
呼吸はしている。生きている。いつからここで倒れていたのか、彼の全身は冷え切っていた。
「テメノス様……生きてますか……?」
ミルフィーユ君は震えていた。まるで極寒の中にいるように。
すぐに“回復魔法”をかけた。
やわらかな光に包まれ、行き倒れの男はぴくりと動く。
「…………う」
「よかった……!」
ミルフィーユ君は目に涙を溜めて駆け寄った。
固く閉じていたまぶたがわずかに開く。
「もう大丈夫です!! ここにテメノス様がいますよ!」
「動けますかー?」
2人して覗き込む。
眼鏡の奥の瞳がわずかに開いて私を見て、ミルフィーユ君を見て、カッと目を見開いた。
「ヴェリテ……!」
「わっ」
男は急に起き上がってミルフィーユ君の手を掴み、私は断罪の杖を男の眼前に突きつけた。
ピタリ、と男は身動きを止める。ミルフィーユ君を凝視していた男は視線だけを私に向けた。
感情を隠している顔。私を調べようとしている瞳。
「離しなさい」
応じなければ即刻断罪だ。
睨み合う。時が止まっているように、互いに目をそらさなかった。
解放されたのか、ミルフィーユ君がパタパタ走って私の後ろに隠れる。
彼女の温もりが伝わってきて、私は断罪の杖を下ろした。
「手は……大丈夫ですか?」
「はい! 痛くないです! でもすごく冷たくてっ」
私の背中からピョコッと顔を出す。
「私の名前はミルフィーユです。あなたのお名前を教えてください」
やる気に満ち溢れた声。
私も、男も、同時に彼女を見た。
本気ですか君……見知らぬ男にいきなり手を掴まれたばかりなんですよ……!
私はサッと男に視線を戻す。彼はミルフィーユ君を驚愕の目で見つめていた。
ぽかんとしていた顔つきが変わり、打ちひしがれた、どしゃ降りの中にいるような表情になる。
男は地面に両手をつける。深々と頭を下げた。
「……悪いことをした。謝罪する。俺の名前はオズバルドだ」
ずっと頭を下げている。
ミルフィーユ君が『どうしましょうテメノス様!』の目で私を見る。
「顔を上げていい」
オズバルドは顔を上げ、立ち上がった。
「私はテメノス・ミストラル。聖火教会の異端審問官です」
「テメノス様が助けてくださったんですよ!」
「……礼を言う」
「あなたはどうしてここで行き倒れていたんですか?」
「西大陸に行こうとした。何も持っていなくてな……。
船賃を稼ぐ為に“獲得品”をたくさん手に入れようとした」
「え! 魔物とひとりで戦ってたんですか!?」
「ああ。雪道を駆け回っていた。
日没になり、夜が訪れ、風をしのげる場所を探していたら魔物に囲まれ、からがら逃げ、焚き火を起こす為の炎すら出せなくって、俺はここで……」
「こんなところで寝ちゃったんですね……」
「……気を失っていたんだ」
「あなたの首のそれ、知ってますよ。
あなた、フリジット監獄島から脱獄しましたね」
オズバルドは感情を隠した目で私を見据える。
「なんの罪で?」
「妻子殺しの罪で収監されていた。1879日間ずっと」
ミルフィーユ君は私の後ろに隠れない。赤い瞳でジッと見つめている。
私はさらに質問する。
「誰の妻子を?」
「俺の家族だ」
「……誰が殺したんですか?」
怒りが静かに滲む声に、私も、オズバルドも、同時に彼女を見た。
その瞳は、あの冬の晩に見た変色した聖火と同じ色だった。
「ハーヴェイ、という名の男だ。俺と共に魔法を研究していた。
俺の帰りを待つ妻と子がいる家に……火を放った。俺の目の前で……その男は笑ったんだ」
「……あなたは、無実の罪で投獄されたのか」
オズバルドは静かに頷く。その瞳には深い憎しみが宿っていた。
私のマントを、ミルフィーユ君はギュッと握る。熱い手だ。衣服越しに伝わってくる。
「……テメノス様」
「はい、何ですか」
「あの夜、大聖堂で……テメノス様が魔獣を討ったあの光を……。オズバルドさんの家族を奪った男に……。お願いします、テメノス様……」
熱い手が震えている。恐怖ではない。ミルフィーユ君にあるのは怒りだ。
私は断罪の杖を握る。
「良いですよ。ミルフィーユ君が買ったプラムが尽きるまで、何撃でも」
「……何発撃つ気だ」
「あなたがやめろと言うまで、ですかね」
オズバルドと、私は、お互いに微笑みあった。
その後、3人で港を目指す。
彼は自分の名を“オズバルド・V・ヴァンシュタイン”だと改めて名乗った。学者の男だ。
私はミルフィーユ君に声を掛け、昨晩入手した“獲得品”のストールを彼に渡すようお願いした。
あの首輪はとてもよく目立つ。
旅をする上で衆人の注目を避けるため、これで首輪を隠すのがちょうどいい。
「ミルフィーユ君。このストールをオズバルドの首に」
「はい! テメノス様!」
タタッと走り寄り、背伸びしてオズバルドの首に巻こうとする。
「俺がやる……」と断る彼に、ミルフィーユ君は「私に任せてください!」と元気いっぱいに言う。
オズバルドの、彼女を見つめる瞳はどこか切なそうだ。
辛そうな表情が急に曇った。困り顔だ。
「どうしたんです?」
ちょっと近づいて様子を見る。
ミルフィーユ君が、オズバルドの首輪と首の間の隙間にストールをムギュ! ムギュ!と押し込んでいた。
「何をやってるんですか君は……」
「首にあるこの黒いのがオズバルドさんの首に当たらないようにしています。このストールふわふわなので」
「苦しいでしょう、そんなムギュムギュ押し込んで……」
「えっ!? 苦しいですか!?
ごめんなさいオズバルドさん! 今すぐ取りますから!!」
引っ張ろうとして、だけどストールが首輪に引っかかったようで、ミルフィーユ君は焦った顔で私を見る。
「と、取れません! 助けてくださいテメノス様!!」
「強引に取ろうとするからですよ。ほら、おどきなさい」
首輪に引っかかったストールをスルスル外す。
なんで苦戦してたんでしょうね。すぐ取れましたよ。
「ありがとうございます!!」
「これはオズバルドが自分でやりますから。君はただ見守っていてくださいね」
「はいテメノス様!!」
ストールを片手でオズバルドに渡す。
「礼を言う」と呟き、首輪に巻いた。
完璧に隠れ、これで問題なく歩けるだろう。そばの木々がガサガサ揺れる。
バッと魔物が3体現れて、ミルフィーユ君はすぐ後ろに逃げた。
私が動くよりも先に、オズバルドが手を横に払う。
「“炎よ、燃えろ”」
オズバルドがそう発した瞬間、彼の周囲を鮮やかな炎が一周した。
そして冷気に満ちた森道に大きな炎が現れ、魔物だけを焼き払い、炎が消える。
眼前に残るのは“獲得品”だけだ。
「旅路を遮る魔物は俺の魔法で排除する」
オズバルドの秋風冽冽な声に、ミルフィーユ君は私の後ろで歓声を上げる。
「わぁあああオズバルドさんすごいです! とってもとっても強いです!!」
胸の奥がチクリとする。なんだろう、大人げない。
「テメノス様みたいに強いです!!」
誇らしげな声、きらきらの笑顔。
チクリとしたものがやわらかく溶けていった。
「俺の魔法は役に立つか?」
「もちろんです。強い方と共に旅をしたいと思っていました。
これからよろしくお願いしますね、オズバルド」
「わ〜い!! 一緒に行きましょうね!」
差し出した私の右手に、オズバルドも同じようにしてくれる。
握手する私達をミルフィーユ君は嬉しそうに見つめていた。
“獲得品”を売却する・オズバルドを入浴させる為、停泊所を素通りして南下し、ニューデルスタを目的地に決める。
現れる魔物は全てオズバルドの魔法が一掃してくれる。
とても歩きやすくなって笑みがこぼれてしまった。
「ブラヴォー! オズバルド!」
ミルフィーユ君がなぜか、私のほうをジィッと凝視していた。目をすごいカッと開いている。
私分かります。その顔は『私もぶらぼー!って言ってほしい!!』だ。
私はフッと息をこぼし、『いつか言ってあげますよ、いつかね』という笑みを返した。
話しながら、途中で現れる魔物を倒しながら、オズバルドは私の気になっていたことを自分から打ち明けてきた。
「ヴェリテは俺の生徒だった少女だ」
「……
「私に似てる子……なんですよね?」
オズバルドが思わず手を握るほどのソックリさん。じわじわと嫌な予感が胸を焦がしてきた。
「……似ている、ではない。俺は君をヴェリテだと思った。
初めて会ったのは6年前、俺が収監される数日前の背はこれくらいで……」
「あ。教会によく来るミミリちゃんと同じです」
「その背なら年齢は10歳くらいでしょうね」
現れた魔物を氷結魔法で粉々にする。オズバルドは“獲得品”を拾ってまた歩いた。
「魔法の才に秀でた少女だった。
火炎・氷結・雷撃……俺が自在に扱える根源はその3つだが、ヴェリテは私より多く、風と光と闇の魔法も得意としていた」
「……それは素晴らしい。まだ10歳でしょう」
「いいなぁ。私も魔法を使ってみたいです。どんな子でしたか?」
「君のように感情豊かではなかった。
好きな物も欲しい物も言わず、自分のことを一切話さず、語るのも質問するのも全て興味のある事だけ。
『本当の家族のところに帰る』が口癖で、『助けて』を言えない子だった」
「ほんとうの家族のところ……」
「……ヴェリテさんは今はどちらに?」
オズバルドも分からないようで、彼は遠い目をして首を振った。
「俺がフリジット監獄島に移送されてもう5年だ。
“本当の家族のところ”に帰ったのかもしれない」
5年前に10歳だった少女。成長しているなら……
「うーん……ほんとうの家族のところ」
……難しい顔で呟いている。
成長しているなら、ミルフィーユ君ぐらいの背丈になっているはずだ。
焦燥感で苦しくなる。初めて会った夜、彼女は言っていた。
『私、どこかに「行かなきゃ」って思ったんです! 『捜さなきゃ』って!!』
『誰かは分からないけど、それだけを強く思って……』────もし、その誰かがオズバルドなら。
「浮世離れした少女だった。
初めて俺の前に現れた時、『解読してほしい文字がある』とお願いしてきて、その場で服を脱いだんだ。いきなり背中を見せようとして……。
……あの出来事は今もハッキリと覚えている」
オズバルドは人差し指を空に向け、火の魔法で文字を書く。誰も知らない謎の記号。
その文字の連なりを目にして、息が詰まった。
同じだ。ミルフィーユ君の背中に刻まれているものと。
「オズバルドさん。5年前、ヴェリテさんはどこのお家に住んでいましたか?」
「西大陸のコニングクリークだ」
「それなら……船でこっちの大陸に来て、オズバルドさんのいるところを目指したと思います。
オズバルドさんのことを助けたい!って考えながら」
「……どうしてそう思ったんですか?」
胸が痛い。いつもの微笑みを上手に浮かべられない。
「私がテメノス様のこと『大好き』って思うように、ヴェリテさんもオズバルドさんのこと『大好き』って思ってます!
テメノス様がもし捕まったら……私ぜったい助けに行きます!!
私……分かるんです。ヴェリテさんもきっとそうします!!」
「(ああ……そうか……)」
ミルフィーユ君はオズバルドの話すヴェリテだ。
私は、焦燥感と胸の痛みの正体に気づいた。
「(君は……全てを思い出したら……“ミルフィーユ”じゃなくなってしまう……)」
失った記憶が戻ればヴェリテになる。
私を慕う君はおそらく消える。
明確な“死”がこの先、そう遠くない未来で待っている。
「テメノス様!」
何かに気づいた顔で走り寄ってくる。
勢いがある接近に、私は両手で近づく彼女を受け止めた。距離がほんとうに近い。
「疲れた顔をしています!
寒いですよね! 走ってニューデルスタに行きましょう!」
「……寒くないですよ。私も“旅人の外套”を着ているんですから」
「ちがいます! ぜったい寒いです!!」
小さな手を大きく広げ、両手を伸ばしてくる。
むにゅ、と私の頬を両手で包んだ。熱い体温がぶわりと伝わってくる。
心が安らぐ、聖火のぬくもり。
「やっぱり冷たいです! 私が温めてあげますね!!」
ミルフィーユ君の笑顔が急にぼやけた。
目に浮かんだものが、涙になってこぼれそうになる。
「テメノス様……?」
「……失礼。雪が目に入ってしまいました」
「雪ですか?」
私の頬を温めたまま、ミルフィーユ君は空を仰ぐ。
重い曇り空には雪がぱらぱらと降り落ちていた。
ミルフィーユ君の手が離れてしまう。
「た、大変です! 急いでニューデルスタに行きましょう!」
走ろうとした彼女の手をとっさに握る。『テメノス様?』と言いたげな顔がパァッと輝いた。
「ありがとうございますテメノス様! 大好きです!!
一緒に手を繋いで走りましょうね!」
いつか消えることになっても、君と生きた記憶は消えない。
君が“ミルフィーユ”じゃなくなるまで……
「(……最期まで一緒にいますよ)」
彼女はオズバルドにも手を伸ばす。
「オズバルドさんも一緒に走りましょう!!」
オズバルドは『3人で手を繋いで走るのは嫌だ』という顔をした。
私も同じ気持ちです。