ようこそ俺の実力至上主義のまちがった青春がある教室へ 作:ゆっくりblue1
ザァ……とノイズが走った。其処は何も無い白い空間。気付いた時には其処に居た。すると、目の前に人が現れた。白い患者服で、感情が宿っていない瞳。しかし、その姿形は完全に過去の自分だ。其奴が現れた時、此処が夢であることを察した。
そして瞳に感情を宿さないまま、其奴は口火を切った。
『…………まだ、思い出さないのかよ』
……前もそんな事を言ってたな。お前が過去の自分だとして、お前は一体何を知っているんだ?そう言えば、過去の自分は少し溜息を吐いて、ゆっくり言った。
『……たく、
…彼奴?仕掛けた?過去の自分だけが納得していた様子に苛立つ。普段やってる自己完結をして事情を説明されない状況を自分にされるって滅茶苦茶腹立つんだな。八幡学んだ。そう思っていると、過去の自分は少しだけ考える様な雰囲気を出した後、ゆっくりと言った。
『–––––––––––––喪われた恐るべき子供達、"IADE"計画………この言葉を頭の中に入れとけ。………成功例に忘れられるって彼奴ら如何思うんだろうな』
理解不能な言葉を言って、過去の自分は俺に近づいてきて、胸に掌をかざすと。
『………これだけでも知っとけ。役には立つだろうし』
ドックン!と鼓動音が鳴った。そしてある情報が流れてきた。その情報は–––––––––––––
–––––––誰かに揺さ振られている感覚。深く沈んでいた意識が吸い寄せられる様に浮上していく。そして、声がした。
「–––––はち……ん……」
「–––––はちま…くん」
「––––––––八幡君」
薄っすらと光が見えて、そしてゆっくりと瞼を開く。穏やかに差し込む陽射しに一瞬だけ目を細め、ぼんやりとした五感が徐々に明確になってきた。そしてその視界に映り込んできた銀髪。その髪の持ち主は俺を見て嫋やかに微笑むと、静かで優しい声で言った。
「……起きましたね。おはようございます。八幡君」
そう言われ、眼を覚ました俺はゆっくりと身体をベッドから起こそうとして、宙釣りの左腕に気付く。……はぁ、そう言えば左腕はこの状態だったな。身体を起こすのを一旦辞めて、ゆっくりと銀髪の少女、椎名の方を向いて言った。
「……ああ、おはようさん」
そう言うと椎名は嬉しげに眼を細めた。その顔から眼を背けつつ、宙釣りの状態の左腕を引っ掛けている布地からゆっくり外して、その後に左腕を地面に着かない為に腹筋を使ってベッドから身体を起こす。
やはり左腕を使えないというのはかなり不便だ。身体を起こすという事だけならまだマシだが、布地から外すという作業が面倒臭い。そうげんなりしていると、椎名が俺をじっと見つめていた。
「……如何した?」
「………いえ、何でもありません。御飯が出来ているので、手と顔を洗ったら食べましょう」
何でもなさそうなので深くは追及せず、椎名の言葉に頷く。ふと、松下が居ない事に気づいた。
「松下は何処か出掛けてんのか?」
「松下さんはコンビニに行ってます。十分程前に出て行ったので、もうすぐで帰ってくると思いますよ」
椎名がそう言ったとほぼ同時にインターフォンが鳴った。おそらく松下だろう。わざわざインターフォンを鳴らしたのは同居していることを悟らせない為だ。俺は玄関に行って、扉を開ける。
「あ、起きてたんだ。おはよう、比企谷君」
「……ああ、おはようさん。こんな朝早くから外に出掛けるのは流石だな」
そう言って松下を中に入れて、椎名が作った朝食を食べた。
俺が左手を負傷してから、早二週間が経過した。左腕が使用不能なので、登校は椎名と松下に助けてもらいながら登校している。恭しく補助されるので、登校時に周りから浴びる視線が痛くて居心地が悪い。その上に坂柳達が合流するので目立ってしょうがないが、橋本や鬼頭も居るのでまだ良い。そこまで問題ではない。
が、問題は登校して教室に入った後だ。椎名や坂柳と別れて、松下とDクラスの教室に入った時だ。左腕の怪我の為にかなりクラスメイトからの視線が多くなり、奇異な視線が居心地悪い上に松下が俺の椅子を引いて、俺の右肩に掛けられた鞄を取って、教科書や勉強道具を机の上に置くという補助をするので、好奇や男子生徒の嫉妬の視線が倍増するのだ。
二週間経った今でも慣れない。初めは居心地悪くて胃が痛かったからな。左腕を理由に学校休みたいって何度思った事か。
今日もそんな視線をもらいながら教室に入る。そして自分達の席に向かって、松下が色々と俺の分の準備をしていると、声が掛けられた。
「ねえ、今日一緒に来てるけどさ。何で松下さんが補助してんの?」
話しかけてきたのは篠なんとかさんと佐藤?だった。松下がグループを離れる前には良く連んでいた二人だ。俺は内心舌打ちする。なるべく人が疎らな時間帯に登校していたので、わざわざ事情を聞いてくる生徒は居なかったが、ついに松下のグループの奴に知られてしまった。
どう言ったものかと頭を抱えながら打開策を思案していると、松下が答えた。
「おはよう。まあ、二週間も一緒に登校して、補助しているなら気になっちゃうよね。実は二週間前に寮の階段を上ってたら私が足を滑らせちゃってね。偶々後ろにいた比企谷君も一緒に巻き込んで転けちゃった時に左腕を、ね。だからお詫びとして補助しているの」
そう咄嗟にカバーストーリーをでっち上げた。松下の言葉に二人はふーん、と言うが余り納得した様子を見せてはいない。そんな篠なんとかさんは、更に聞いた。
「……でもさあ、片腕使えるんだし、いくら何でも過保護じゃない?」
そんな篠なんとかさんに佐藤?も同調する。更に何人かの周りの生徒も同様に頷く。特に池や山内は俺に嫉妬の殺気を送りながら首を縦にブンブン振ってる。しかし、松下はその質問も想定していたのか、平然としながらこう言った。
「過保護って左腕を折っちゃったんだからお詫びとしては当然だと思うんだけど?事故だったとはいえ骨折させる程の怪我を負わせて、放っておく程、私は人でなしにはなりたくないし」
毅然として言うその言葉に、篠なんとかさん達もこれ以上は追及出来なかったのか、最後に俺を睨んで自分達の席に戻っていった。何故に俺が睨まれなきゃならん。理不尽過ぎるでしょ。松下の手を煩わせんなボケ!的な視線ならまだわかるけど。
「……全く、何しにきたんだか………」
松下の呆れた声と視線は存外に冷たく聴こえたのに、俺は気付かないふりをした。そして今日も何時も通りにチャイムがなった。
登校してからは特に何も変わらず授業が展開され、昼休みになった。何時ものように図書室手前の階段のあるベストプレイスで食事を取ろうと移動し始める。松下はそれを見送る。
そして教室を出て、廊下を歩いて階段を降りていく。片手に弁当を持っているので、左腕が使えない状態の今では、転けたら危ない。
そのモノローグがフラグだったのか、降りる途中でヤケにワックスが効いている位置に足を置いた所為か、見事に足を滑らせた。
堪えようとして体重移動をミスり、前から地面に飛び込む様になってしまった。左腕は怪我で動かせず、右手には弁当で塞がっているので受け身が取れない。
ギリギリで左足が下の段に着いたので、左足に体重を移動し、咄嗟に地面を蹴り込んだ。
その時、世界が一転。ダンッと音を立てて、着地したのは地面。それも頭が地面に着いた訳ではなく、自分の足が着いていた。右手に弁当を持ったまま………は?
い、今起こった事を説明するぜ。さっき階段から足を滑らせたと思ったらいつの間にか俺の足はしっかり着地していた。一体何が起こったのか分からねえと思うが、俺にも分からねえ。超スピードでいつの間か駆け下りたとかチャチなもんじゃあねー、もっと恐ろしい片鱗を味わったぜ……
そんな呑気なボケが頭の中に流れつつ、咄嗟に後ろに誰か居ないかを確認して、誰もいないと知ってホッとした。無駄に騒がれちゃあ敵わんからな。
……にしても、視界が一転したってことは、足を滑らせて咄嗟に踏み込んだ左足で蹴り込んで、前宙したって事だが、俺ってこんな運動神経良かったっけ?
此処に入学して直ぐに専門書読んで鍛えてたが、滑らせた足で咄嗟に前宙が出来る程急激に運動神経が良くなる筈はない。中学の頃は体育は目立つことない平均的なレベルで、特に運動部には入っていなかった帰宅部だ。家ではダラダラしてたし、運動らしい運動はしていないのだが。
……まあ、別に良いか。怪我をした訳でもないし。
人間は日常生活では本来出せる力の約一割の力しか出せないと言われている。脳が制限している力を全て発揮すれば脳の情報処理速度に脳の耐久と身体が着いて行けず、自滅するからだ。興奮した状態の脳が分泌する神経伝達物質のアドレナリンやα、βエンドルフィンが多量に出て、痛みの軽減や脳が制限している力の残り九割の何割かを引き出せる。
分かり易い話、此の前のストーカーに思いっ切りドロップキックを意識外から入れたにも拘らず、気絶しなかったのはそれだし、人間は追い詰められた時に信じられない程の力を発揮する火事場の馬鹿力もそれだ。今回でそれと同じような形だっただけだ。
そう自分を納得させて、俺は再び図書室への階段を下りていく。
そして図書室の手前の階段に座って食事を取っていると、後ろから気配を感じ取り、振り向こうとして両目を覆われた。そして耳元で特別甘い囁き声に耳朶を打った。
「だ〜れだ……」
「…ッ!!」
耳元の囁き声に身体が過敏な程に反応して、ビクンッと身体が跳ね上がる。その反応が俺の両目を覆ってきた元凶には良かったのか、そこから更に追撃してきた。
「……ふぅ〜っ」
「んぐッ!?」
全て弁当を食べ終わっていて正解だった。口に食べ物を含んだままだったら気管に入っていたかもしれない。最も、この元凶も解ってやっているのだろうが。俺は追撃をされる前にこんな事をしでかしやがった元凶の名を呼んだ。
「……本当、何やってんだ……櫛田。こんなことしてるとこ誰かに見られたら変に勘繰られるし、下手したらバレんぞ。普通に他の生徒が廊下を通るかもしれないし」
そう言えば、覆われた目を開放するので、俺は後ろにいるであろう櫛田に顔を向ける。すると櫛田は悪戯が成功したという様子を隠さず愉しげに言う。
「誰もいない事なんて知ってる上でやったに決まってるでしょ。誰か居たら比企谷君が私にセクハラした様に仕向けるし」
「…こんのッ女…!」
此奴はやっぱり苦手だ。打算的な奴は自分の立場がどのようなモノで如何すれば最大限活かせるのかを解っている。俺は櫛田を頰を引攣らせ気味に睨みつつ、はぁ…っと溜息を吐いて右手で弁当の包みを閉じた。作ってくれたのは椎名で、左腕の使えない俺が食べやすいサンドイッチだ。片手で剥がしにくいビニール袋では無く、保冷剤を何も無い弁当箱に入れて、その上から重ねる様にサンドイッチの敷き詰めてある弁当箱、所謂二重底式だ。蓋は今の俺でも片付けやすい取り外し式の物だ。ありがたい配慮だ。
「……俺の反応を楽しんだならもう充分だろ。じゃあな」
此奴から早く離れるために俺は片付けた弁当箱を右手に持って、図書室に逃げようとする。すると櫛田は何でもない事の様に言った。
「松下さんと随分仲良いんだね、でも松下さんの友達の篠原さんや佐藤さんは比企谷君の事を良く思ってないみたいだけど」
「………」
そんな言葉に反応せずに俺は図書室に行こうとする。すると櫛田は続ける。
「最近、うちのクラスの一部の生徒の間で比企谷君の二股疑惑があるって知ってる?松下さんは遊びで椎名さんが本命。その逆もあるよ」
その言葉に思わず足を止めた。その様子を見ている櫛田の方には視線を向けず、背中を向けたままだが櫛田は更に言葉を重ねる。
「松下さんは気にしてなさそうだったけど、比企谷君的には身の潔白を証明した方が良いんじゃないかなぁ?」
「………それをお前が俺に言って、如何するんだ?俺にそれを言ってお前に何のメリットがある?」
正直言って理解が出来なかった。別に櫛田が俺と椎名達の関係に話題を振る意味は無いからだ。此奴は自分の本性がバレず人気者として過ごせればそれで良いはずだ。互いに脅し脅されで俺が裏切りようがない事は解っている。契約はちゃんと守っているし、愚痴にも付き合っている。櫛田は不満材料がない訳ではないと思うが、それならば直接的に言うだろう。
「…うーん、所謂交渉かなぁ。噂を潰してあげるから比企谷君に私の願いを叶えて欲しいなって」
櫛田からの突然の交渉提案。噂を潰してくれるのは目立つことが嫌いだから正直言ってありがたい。が、問題は此奴の交換条件だ。本性を知っている俺からすればとんでもない条件だというのは予想がつく。
「…条件次第だ。依頼の内容を言ってくれ」
「堀北の退学、もしくは綾小路君の退学。出来ればその両方かな」
「却下だ」
堀北の退学もアレだが、特に綾小路とはあまり関わりたくない。何を考えているか解らない上、坂柳と同等かもしくはそれ以上の頭脳を持つ可能性のある奴なんざと敵対したくない。逆に俺が退学させられるかもしれない。
「即答だね。まあ最初から期待して無かったから良いよ。出来ればって感じだったし。……じゃあ今度の試験がある時にDクラスのクラスポイントを一位にするっていうのは?」
それならばまだ可能性としては高い。龍園や坂柳と敵対するのはかなりリスクを伴うが、坂柳のAクラスは今葛城と敵対している為に、坂柳とは一時的な利害一致で協力出来る。問題は龍園だが……まぁ、今度の試験の内容次第か。
「……とりあえず保留にしておいてくれ。今度の試験内容にもよるからな」
「良い返事は……まあ、期待しないでおくよっ。またね」
そう言って、櫛田は来た道を戻っていった。俺は図書室に足を進めつつ、噂についてのことを考えていた。
[newpage]
それから数日が経ち夏休みが近付いてきたある日の休日。俺は左腕の治療の経過の為に医療機関を受診していた。
「……骨や神経に異常は無い様です。CTをスキャンした結果から見ても後遺症は残らないでしょう。順調に回復して、傷もほぼ塞がってます。もう包帯を巻く必要はありません」
そう言われ、俺はホッと息を吐いた。左腕が使えないのは不便というのもあったが、何より同居人、椎名や松下の補助が無くて過ごせるのはありがたい。
女子二人に食事の時の補助、食べさせられる事や風呂に入って頭や背中を洗われるという天国の様な地獄の様な補助を切り上げられるのは思春期の男子としては一安心だ。ぶっちゃけあれを続けられるとヒモそのものに堕落する。専業主夫となって養われる気はあるが、ヒモになるつもりは無い。後、羞恥心が凄かった。良くあんな事をリア充は出来るもんだ。
特に風呂では椎名の悪意無い天然の所業によって何度か理性が途切れかけた。洗われる時に俺の頭の位置が椎名の着痩せの影響か実はそれなりにある二つのお山ある部分だから、足を滑らせた椎名が凭れて…な?後、シャワーの勢いを間違えた所為で椎名も濡れて、その時の服装が透過性が高い物だったから……うん、良く俺の理性は耐えた。本気で良くやった。
医師の診断が終わり、遂に左腕の使用が解禁されたお陰で比較的上機嫌で、元いた寮へ戻る。部屋に戻って、同居人の椎名と松下に事情を説明する。
「そうですか。良かったです、これで不自由なく過ごせますね」
「全治二カ月って言ってたのに随分と早かったね。まあ怪我が早く治るのは良い事だけどさ」
椎名は純粋に俺の怪我の完治を喜んでくれ、松下は怪我の自然治癒の早さに驚きつつも、一安心だと微笑む。俺は今までの補助の礼を言った。
「……この怪我の間、補助してくれて助かった。何かやって欲しいことがあるなら言ってくれ。余程の無茶じゃない限りはやり通すから」
「いいえ、八幡君には不謹慎ですが、八幡君が怪我をしている間のお世話も充実していましたからそこまで気にしないで下さい」
「食事もお風呂も楽しかったと言えば楽しかったし、比企谷君の恥ずかしがってるところも貴重な部分が観れて良かったかな」
何でそんな楽しかったと言われるのかは地雷だと思うので触れないでおく。しかし色々有りつつも助かった部分も確かに多い。何かあったら聞こうと思った時、松下が何かを思いついたのか、じゃあさ、比企谷君。と言って続ける。
「…私もこれから此処で暮らし続けて良い?此処での暮らしも気に入ったから。もちろん椎名さんの許可も要るけど」
そんな提案に椎名は嬉しそうに微笑んで頷くが、俺はその言葉を聞いて少し考えた後にゆっくりと言った。
「……本気か?俺の最近Dクラス内での噂が広まってること、お前が知らん訳が無いだろうけどその上で言ってんのか?」
そう聞けば、松下は頷く。椎名は噂?と不思議そうに首を傾げた。まだDクラスの他クラスは広まって無い様だ。俺は櫛田に言われた噂を説明すると、椎名は納得した様に頷く。
「……分かってる。分かった上でのお願いよ。別に私は噂なんて気にしてないから。目立つことは多分今後は避けられない。……比企谷君と関わった時から、ね」
……椎名のように、俺と関わる事で今までの考えを覆す程の"何か"を松下もまた見つけたのだろうか。Aクラスを目指す為に暗躍を続けていた筈だ。松下も目立ちたがりとは違う。むしろ目立つのは好きではない筈だ。
「……如何も須藤の一件から最初のお前の言動と合ってない気がしてな。目立ちたくないならボッチの俺と此処まで関わる必要も無い筈だ」
「………」
正直言って、俺がそれ程松下に影響させた事は、有ってもストーカーの件のみだと思っている。けれどその前から松下の動きが最初とは違ってきていた。顕著なのは軽井沢達グループとの関わりが消えた時だ。自意識過剰だが、ストーカーの件があるとしても恐らくそれが根本的な理由じゃない。その他に理由がある筈だ。
松下がそこまでして俺と関わる理由は何なのだろうか。そして松下を見詰める。
「………」
「………」
松下は目を逸らさない。ただ俺の顔を同じ様に見詰めているだけ。その目から分かることは此処に居たいという意思のみ。その間凡そ数秒で俺は溜息を吐いた。
「…はぁ………分かった。松下がそうしたいなら俺に止める権利は無い。元々お礼だしな」
「……ありがと」
そう安堵の息を吐いた松下。椎名は松下に宜しくお願いしますね。と言ったので松下も頷き返す。………はぁ、更に噂になるかも知れないなぁ。本当、刺されない様に注意しとこ。
そんなこんなで引き続き松下が同居人として加わって数日。授業も進み、放課後を迎えたHRでDクラスの担任である茶柱先生から夏休みの予定についてのことを聞かされた。
夏休みは前半が前の中間で言われた"バカンス"とやらで潰れるらしい。夏休み潰してまでバカンスなんざ行きたくないですがそれは。
しかも二週間。夏休みが入るのはそのバカンスの一週間後らしい。クラスは大盛り挙がりだったが、俺には嫌な予感しかしない。この学校は実力主義を謳っている。無駄に鬼畜なこの学校が二週間も使って只々甘い蜜を吸わせてくれるとは思えない。
バカンスの為にこの学校貸切の豪華客船で向かう様だ。そんな説明を受け、大盛り挙がりのクラスの喧騒を耳に入れながら、俺は帰りの準備をしていると。
『1年Dクラスの綾小路清隆、比企谷八幡。至急生徒指導室に来る様に』
チャイムと一緒にそんな茶柱先生の声に呼び出しをくらった。面倒くせえ……一体何なんだよ。隣の松下が聞いてきた。
「……何かした?」
「少なくとも呼び出しを受ける様な事は……」
ない。と言い切ろうとしてそう聞いてきた同居人を見て止めた。してるわ。不純異性交友と言及される様な事してるわ。
だが、それは椎名が同居している時点で何かしらのアクションがある筈だ。しかもストーカーの件で怪我をしている間も松下が同居しているが、その間に呼び出しはなかった。呼び出しを受けるには今更過ぎる。
目的が解らないが、少なくとも不純異性交友の件ではない筈だ。俺は溜息を吐いて、ドナドナのBGMが頭の中で流れながら行きたくないと訴える意思を引きずるようにして呼び出された生徒指導室に行こうとする。
すると教室を出たところで制服のズボンのポケットに入ったスマホがメールを着信したので廊下を出たところで確認する。送ってきたのは松下だった。
『先に帰っておくね。今日は私が当番だから、何か食べたいものある?』
そんなメールに俺は松下自身に視線は向けず、メールでトマト以外だったら何でも良い。と送っておく。そして後ろから綾小路がきているので送信した状態のまま電源を落として、ポケットにスマホを入れ、職員室に向かう。すると綾小路も後ろから横並びになる。そして聞いてきた。
「また呼び出しを受けたが比企谷は何かやったのか?」
「してねえに決まってんだろ……」
そんなデジャブな会話をしつつ、生徒指導室に向かう。そして生徒指導室に着くと、気怠げにノックをして、入れと応答が有ったので入った。
「「……失礼します」」
そして中で向かいの席に座っていた茶柱先生が言った。
「放課後に呼び出して悪いな。直ぐに終わる話だ。直ぐにな……とりあえず扉を閉めたら座れ」
悪いと言いつつ態度に出ていない茶柱先生に促され、扉を閉めた後、俺と綾小路はそれぞれ用意された椅子に適当に腰掛け、茶柱先生と対面した。
「それで、呼び出しの要件は何ですか?別に問題行動は起こしていないんですけど」
そんな綾小路の無機質な声音の問いに、茶柱先生は真顔で淡々と答えた。
「今回は特に問題行動について話す訳ではない。私個人との取引をさせようとな」
「取引?」
そんな俺と綾小路の疑問に茶柱先生は更に続ける。
「そうだ。お前達には今度の試験で全力で一位をDクラスにしてもらう」
茶柱先生から出された取引内容。クラスの事に不介入の教師からの私的なモノだ。茶柱先生の眼は力強く、曲げるつもりは無いという意思が垣間見える。しかし綾小路が言った。
「御断りします。目立つ様な事をしたくないので、平穏無事に過ごしたいって前に言った筈ですが」
「……悪いが拒否権は無い」
そう茶柱先生がニヤリと笑って、醸し出す雰囲気を変えた。綾小路は無表情のままだが、怪訝そうな声で聞いた。
「……一教師が脅迫ですか?先生の私的な理由で生徒を縛るのは人権の侵害だと思いますが」
「違うな。最初に取引と言っただろう。お前達がこの取引に応じれば悪くない[[rb:後ろ盾> ・・・]]が得られるぞ。そうだな……綾小路、お前の"親父さん"からな」
そう茶柱先生が言った時、初めて綾小路の空気が大きく揺らいだのが分かった。綾小路の眼は無機質な冷たさそのものの"怒り"が見える。今迄の人生で食らったことのない威圧感。それをまともに受けて尚、茶柱先生は余裕そうな態度を崩さない。ただ、肩が微弱だが震えている。
「私はお前の親父さんに一度会っている。お前の事を追っているようだぞ?今もお前を退学させる為に周辺を嗅ぎ回っているが流石のお前の親父さんもこの学校には手が及ばない。が、私の一独断でお前の事を退学させようと思えば出来る」
「………」
綾小路は答えない。綾小路の焦る理由、親父……自分の親に退学させられようとしている事。綾小路の親父さんは茶柱先生の口振りから察すれば、相当な権力者の様だ。そして綾小路が敵意をはっきりと示すことから仲が悪いどころの話ではない。そして茶柱先生は今度は此方を向いた。
「比企谷、お前も綾小路と立場は一緒だ。最も、お前を追っている人物は違うが」
"ピキッ"と音が聞こえた。何の音だ?………しかし、俺が綾小路と同じ立場?何のことを言っている?俺は誰かに追われる様な覚えは無い。本気で一切。中学でもそんな存在を知らないし、追われたことはない。ただ、この学校に来る一ヶ月程前に[[rb:ある事> ・・・]]に遭遇したが。それは関係無い筈だ。
「……唯のボッチの俺が追われる様な覚えは無いんですが。……Aクラスに先生が拘るのは好きにすれば良いですが、そんな私的な理由で巻き込んで欲しく無いんですけど」
「残念だ。お前の退学させるに足る証拠は綾小路よりも簡単なんだがなぁ…」
……恐らく不純異性交友を理由としようとしているな。俺は茶柱先生を睨む。俺だけならまだしもこの取引自体に関係無い椎名と松下を巻き込むのは明らかに過剰干渉だ。
「お前達はギリシャ神話の『イカロスの翼』を知っているか?」
イカロスの翼、塔に閉じこめられたイカロスが塔の外に憧れ、外に出る為に父のダイダロスに翼を織ってもらい、イカロスはその翼を使って外に出る事が出来たが、外に出たイカロスは欲にかられ、空に浮かぶ太陽の方へ何処まで行けるかを知りたくなり、太陽に向かって飛ぶ。
しかし、父のダイダロスに翼を使う際、こんな事を言われるのだ。その翼は蝋で出来ているから太陽には近づくな。と。
その忠告を破ったイカロスは太陽に向かい、その翼は忽ち灼け落ち、イカロスは海に転落する。という筋書きだ。
「お前達はイカロス……いや、比企谷は[[rb:翼そのもの> ・・・・・]]だな。ダイダロスの忠告を破ったお前達が灼け落ちない様にするのに私との取引は役立つだろう。……もう一度言う。Dクラスを一位に導け」
そう先生は強い気迫で俺達に言った。そして、俺達は取引と言う名の脅迫に乗るしかなかった。
[newpage]
生徒指導室を出た後、溜息を吐いて、さっさと寮に帰ろうとして、綾小路に引き留められる。
「比企谷」
「………何だ?」
綾小路の方へ向く。綾小路は何時も通り無表情で無機質だ。先程の怒りは感じない。そのまま綾小路は言った。
「さっき茶柱先生の言った俺の事、詮索はしないで欲しい」
「しねえよ。別に興味は無い。お前の過去に何があろうが俺には関係無い事だしな」
「…そうか」
そう言って数秒の無言が場を包むが、やがて綾小路は足を動かし、俺に言った。
「お互いに大変だが頑張るしかないな………じゃあな。比企谷」
「……ああ」
そう言って綾小路は去って行った。俺はその場で櫛田に保留の件について受ける趣旨の内容でメールを送った。すると直ぐに返信が来た。
『解ったよ。アンタが依頼キャンセル出来ない様に先払いにしとくから』
「……はぁ、働きたくねえなぁ」
全く、教師に脅され、労働を強制されるとは……とりあえずあの教師は絶対許さないノート殿堂入りでランキングトップに認定だな。
本当、唯普通にダラダラ過ごしたいだけなのに如何してこうなった……
俺は窓の外から沈み始めた夕陽を見つつ、反射する光を浴びながら溜息をもう一度吐いた。
誰も居ない昇降口で無機質な男は誰にも聞こえない声で呟いた。
「比企谷八幡……お前は、俺の敵なのか……?」