果てぬ屍の絡新婦 作:ねずひ
どんだけ悪人だろうと、一つでも徳を積んでいれば死後に地獄から抜け出すチャンスがもらえる、というのが日本人の常識である。お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らしてくれるのだ。ではあの時、カンダタが踏み潰さなかった蜘蛛は天寿を全うしてお釈迦様の所へ行ったということだろうか?
(……天国とは言わないけど、生まれ変わるなら人間がよかったな)
と、産まれたばかりの
ううむ、と首を捻る。
一人だけ早起きしてしまったような気分だ。うっすらとした孤独と、だからこその全能感というか。この糸でできた天蓋、卵嚢の中において、目覚めているのは私だけ。最年長だ。だからといって価値があるわけじゃないけど。
とりあえず、誰か生まれてくるまでは壁や天井を這いずり回っておこう。なにせ足が多いというのは初めての経験なので。
▼
それから数日。
私は認識を改めた。
「
「?」
産まれたばかりの蜘蛛モドキが、健気にもまだ色素の薄い、微かに紫を帯びた手足をテケテケ動かして歩く様は、私のハートを撃ち抜いた。そ、そんな柔らかそうなあんよで! そこまで登れちゃうの!? きゃー、こっち見てー!
こちらに振り返った小さな蜘蛛モドキがきゅるっと首を傾げる。つぶらな目がとってもキュートだ。口元ですりすりと擦り合わせている挟角すら愛おしい。もう妹、妹ですこんなの。私がお姉ちゃんになります。いや性別わからんけど、蜘蛛ってオス弱いって聞いたことあるし。ってか割と生物界のオスって弱いがちだよね。雑魚オスは何にも守れないので、わたしお姉ちゃんになりま〜す♡(TS要素)
……ところで、さっきから私や妹たちを蜘蛛モドキと呼んでるのには訳があって。ふつう、蜘蛛の脚って8本のはずなんだけど、私たちは6本なのだ。まるで昆虫みたいじゃんね。でも蜘蛛みたく胸が無いからやっぱり昆虫じゃないのかも。
そんなことを考えている間にも、妹たちはどんどん産まれてくる。そして、各々が自由に動き回ってカワイイを見せつけてくる。なにせ彼女たち、身を守る本能からか体を寄せ合って過ごしているのだ。中にはうっかり誰かの上に乗っちゃった妹もいる。妹サンドイッチだ。ペンライトがあれば振っていたが? ピーコックスパイダーの求愛のように。
「カロロロロロ‼︎」
おっと――と、身を竦ませる。これは私たちの声じゃない。卵嚢、糸で守られた空間の外から聞こえる声だ。おそらくはカエルなんじゃないかなと思っているけど、実際どうだろう。私が産まれてしばらくの時にも聞こえてきたから、この辺りを根城にしている可能性がある。人間の時には片手で持てるサイズでも、今の身体じゃあ太刀打ちできないだろう。しかし、もし襲われた時に妹を守れるくらいには強くなっておきたい……。それが叶わずとも、囮になれる程度には動けないと不味そうだ。
――トレーニング、するか。
▼
それからさらに数日。
私は、妹たちに脱皮の仕方を教わっていた。
……いやね、仕方ないんですよ。下手に理性を宿したせいか、本来なら本能でカバーできるはずの知識が大きく欠けてるの。眠ってるって言ってもいい。そっちの方がかっこいいし。
そう、で、私の眠れる本能は一向に起きる気配がなく、しかし身体は成長するもので、早くも一度目の脱皮を迎えることになったのだ。ところがどこに力を入れれば殻を破れるか全くわからずじまい。こうして私は、次の子が脱皮を始めるまで窮屈な思いをすることになったわけである。姉の威厳なんて無かった。
とまれ、妹の真似をして背中に力を入れ、首を引っ込めたり脚でかりかり掻いているうちに、頭の殻がまず取れた。そこからのたうち回って、どうにか身体の殻から足を引き抜き、それで脱皮が完了する。いやあ疲れた。ぐでーっと地面に横たわっていると、脱皮を終えた他の妹が自分の脱皮殻をもそもそ食べているのが見えた。
……うーん。蜘蛛ってそんな生態あったかな? 捕食方法も、本来なら消化液を出して肉を溶かして啜るはずだけど。やはり私たちは、私の知る「蜘蛛」とはちょっと違う種みたいだ。というより、いっそ、異世界転生的なやつなのか?
見慣れぬ生態に本能のサポートが無いことを悲しみながら、私も妹の真似をして脱皮殻を食べる。おや、味がうっすくて硬いえびせんだこれ。
あ、ちなみに餌事情はあんまり困っていない。あまり腹が減らないのだ。多分、卵の時に持っていた栄養がまだ残っているのだろう。そうでもなきゃ、空腹から共食いが起きてしまうからね。
気を取り直してトレーニングだ!
今日こそ糸を使ったアクションをモノにするぞ!
▼
それから、さらにさらに数日が経った。
いままで地面で身を寄せ合っていた妹たちも、どこかそわそわと卵嚢の内壁を彷徨いている。私もなんだかドキドキして、意味もなくぴょんぴょん跳んでみたりする。
そう。
そろそろ卵嚢の外に出る時期なのだ。この分厚く丈夫な糸の壁を食い破り、外界に産声を知らしめす日が来たのである。それは同時に、私たちが食物連鎖の輪に参加するということ。食い殺し、また食い殺される可能性が常について回るということだ。
とても怖い。けれど、そうも言ってはいられない。私たちはいずれ、ゆりかごを出なくてはならないから。私は卵嚢の糸壁に牙を突き立て、少しずつその層を剥がして行った。やがて、薄暗かった空間に一筋の光が差し込む。『外の景色』だ。私が小さな穴から外を覗き込むのと同時に、聞いたことのない咆哮が遠くから響いてきた。
それは、徐々に距離を近くして。
やがて、その主たちが姿を顕す。
「――」
暗がりの中で、私より遥かに巨大な緑色の竜が、狂ったように雄叫びを上げている。顎や羽の付け根、そして尻尾の先を覆うように生え揃った棘。文字通りの気炎を口から吐き、敵意を剥き出しにして相手を睥睨する『陸の女王』。
対するは、背中に紫色の結晶を背負った巨大な蜘蛛。そのフォルムは私たちとよく似ているが、動物の皮を纏っているのか、つるりとした体表は外套の陰に隠されている。無機質な8つの眼には、しかし、明確で冷徹な殺意が込められて――その象徴こそが、『影蜘蛛』の必殺兵器である猛毒滴る鋏角だ。
「
よりにもよってモンハンの世界であったという衝撃が心に響き、それ以上の衝撃が体を揺らした。リオレイアが突進し、すぐそばの壁へと突っ込んだのだ。忌々しげな咆哮がまたして、起き上がったリオレイアは苛立ちや怒りといった感情を浮かべているようにも見える。
縄張り争いがもつれ込んだのだろうか。あの影蜘蛛――ネルスキュラが仮に私たちの母だとすれば、この辺りを生息地にしていてもおかしくはない。一方で竜の方、リオレイアは非常に気が立っていることからして、もしかしたら彼女が産んだ卵が近くにあるのかも知れなかった。
ならばこれは、あるいは子を持つ母同士の戦いなのやもしれぬ。この世で最も強く気高い存在が、互いの全てを賭けて争っている。正しさを決めるためでも、相手を食らう為でもなく、ただ守るために。そう思うと、私の心情はネルスキュラに大きく傾く。
(……私も、あんなふうに、妹たちを)
小さな穴から覗く大規模戦闘は、さらに苛烈さを増す。リオレイアがその翼を羽搏かせて制空権を確保しにかかるが、ネルスキュラの巣に近いここでは上空にも糸が張り巡らされている。高さを確保できないリオレイアに向けて地上から放たれる糸が足に絡みつき、引っ張られ、姿勢がガクンと崩れ――チャンスとばかりに鋏角をうごめかせて獲物を引き降ろすネルスキュラだが、噛みつく寸前で横に跳ねた。直後、先ほどまでネルスキュラの頭があったところを
着地したリオレイアはお返しとばかりに火球を数発吐き出す。ネルスキュラが纏う皮は毒怪鳥ゲリョスのもので、最大の弱点である電気系の属性を大幅に弱める絶縁体の働きをするのだが……たしか、熱には強くなかったはずだ。回避に専念せざるを得ないネルスキュラに牽制の火球を放ちながら、リオレイアは脚に絡みついた糸にも火を吐いた。
「……!」
自然界では最上級の強度を誇るクモの糸だが、生物が生産するが故の弱点がある。つまり──原料となるアミノ酸やタンパク質は、熱で変性しやすいのだ。見る間に黒ずみ、硬く脆くなった糸を、リオレイアは煩わしそうに地面に叩きつけて砕いた。
属性的な相性は、リオレイアのほうに軍配が上がるようだった。ネルスキュラが喰らいつけているのは、虫の体節が生み出す独特で俊敏な回避と、行動を阻害するようにばらまかれた糸塊のおかげだ。最大の武器である鋏角での挟み込みは、同時に最大の隙でもあるからか、うかつに攻めに転じることができない。遠距離から火炎を使えるリオレイアと比べて決定打に欠けている。
一方で、地面の糸塊によって突進を封じられたリオレイアは、口元から炎を漏らしながら憎々し気にネルスキュラを見据えている。それはどこか、猛々しい殺意にも似て……ない背筋がぞくりと震えた。とてつもなく厭な予感がする。
あれが──あれほどの闘争本能が──研ぎ澄まされた野生と結びついたとき。弱肉強食の掟が、その平等さを確固たるモノにする。
リオレイアが再び吠えた。空間がびりびり震えるほどの声量で。あとから思えば、あるいはそれは、息を吸い込むための予備動作だったのかもしれない。
咆哮、そして二呼吸目。その口から誰の目にも明らかに過剰な熱量を備えた火球、否、隕石のごとき業炎が放たれ。
世界が、赫灼に染まった。
▼
意識を取り戻して体を起こした私は、視界が黒く染まっていることに気付いた。暗さではなく、黒い。
見上げる。それはかつて繭だったもの。そして今は熱によって変性、炭化し、外界を遮断する壁となったもの。爪を触れると、コツリ、硬い感触がある。脚を振りかぶって叩きつける。僅かにヒビが入るが、それだけだ。私は初めて鋏角を広げ、ネルスキュラがリオレイアにやろうとしていたように、壁を強く挟み込んだ。顎に大きな衝撃が響き、鋏角がひしゃげる音がした。
私は再び、壁と化した繭を見上げる。これが繭だった時にこじ開けた穴から、一条の光が差している。振り返ると、妹たちの無数の目が闇の中で爛々と輝いていた。
ここはすでに、ゆりかごではなくなっていた。
自称お姉ちゃん:可愛さにやられた。妹を守護るつもりだった。
妹s:本能に従う。姉のことは他個体としてみている。
ゆりかご:墓場だった。