果てぬ屍の絡新婦 作:ねずひ
設定のズレは許して……
一匹の妹が、落ち着きなくあたりを歩き回っている。壁や床を見分して、どうしたらいいのかわからないといった風に、また辺りを彷徨っている。まるで出口を探し続けるように。
私はしばらくその様を呆然と眺めて、それから再び壁に爪を打ち付ける作業に戻った。あれから1日経ったが繭が壊れる気配はなく、地面側から穴を掘ろうとしても硬い岩に阻まれて距離が稼げない。詰んでいることを信じたくなくて、私は考えうるあらゆる施策を打ち出し、そのすべてで失敗した。蜘蛛の糸が、まるで私たちの首をゆっくりと絞めていくようだった。
そんな状況で、誰が彼女を咎められよう。
「……きちちっ」
「
3日で共食いが起きた。弱い個体、争いを好まない個体からどんどん食われていった。はじめ20匹以上いた子グモは、蟲毒の形成によって、今や私を含めて7匹にまで減っていた。眉の中には、食べきれなかった妹たちの破片や死骸が散らばるようになった。その虚ろな8つの眼が、私を見ているような気がして、逃げるように繭の隅に潜んだ。
ただ、怖かった。
私が望み、期待していた、家族のような理想が崩れ去っていくのを見るのが。
殺すことも殺されることも、全く考えていなかった。一番の温室育ちは、平和な現代社会に毒されたこの私だったのだ。
「きちちっ」
「……」
――そして、私の番が来た。妹たちの肉を口にしていない私は、妹たちを守るために身につけた運動能力でどうにか妹たちを追い払ってきた。けれど、もう、限界が近い。とにかく腹が減っていた。体はまともに動かないし、意識だって薄らいでいる。正気を失いそうなほどの飢えだった。今まさに餓死しようとする私に覆いかぶさり、検分するように触角でこちらを突く妹を見ながら、早い一生だったなと思った。しかしまあ、妹たちの糧になると思えば、私の死にも意味があるだろう。
そうだ。死には意味がないといけない。
私は家族を守るために死ぬんだ。
だんだんとぼやけていく視界の中、今にも鋏角を閉じようとする妹の腹が、やけに柔らかくでっぷりと太って見えた。
あ――
でも――
『戦え』
『食い殺せ』
神経節に電流を流し込まれたかの如く、身体が勝手に動いた。脳裏にガンガンと響き続ける絶叫は、生存を求める本能の叫びか。
その言葉に従い、ただ肉体に備わる反射運動のごとき動きで、妹の挟角を足でかち上げてひっくり返す。そして、無防備に晒されたその腹に牙を突き立てた。
柔らかな感触。生命の脈動を吸い上げて。
――おいしい! かなしい。なんで? おなかすいた。あばれないで。まだたべる。たりない。おいしい!
……そうだっけ。
身体が何度も練習した動きをなぞる。合ってる。何の為に練習したんだっけ?
あ、動いてるのみっけ。
ごはんだ。
うごかないで。
▼
そうして私は、残りの妹を全員殺して、食べて、生きながらえたのでした。めでたしめでたし。
「あ、ああ……」
あたりに散らばる妹たちだったものが、私をみている。私は頭を抱えて、
「私が殺した……私が、妹を……!」
生まれ変わるなら人間が良かった。
人間の心を持ったまま、クモとして生きるのは、とても怖いことだった。クモとしての本能は欠け、同胞と意思疎通することはできず、卵嚢の外は外敵だらけ。生きる勇気はないけれど、自分で死ぬ勇気もない。
だから、妹と姉という役割で自分たちを定義した。姉は妹を守るもの。そう決めないと、生きる理由が分からなくなってしまいそうだったから。
人ではない存在と、向き合えなかったから。
「ひいっ……!」
私の手が、皮膚が、ぐずぐずと溶けていく。肉片がべちゃべちゃと滴りおちて、腕だったものは硬質な虫の脚になった。脇腹を突き破って爪が飛び出し、両脚はめきめきとねじ曲がって逆関節をかたどる。
中途半端に愛情を注いで、
身を捧げる覚悟も無くて、
そうして私は毒虫になった。
「ぎ……ちち……」
妹たちの残骸が、ざりざりと音を立てて近づいてくる。光の無い、乾燥して虚ろになった眼で、私を見ている。
「
彼女たちが欠けた頭で口々に言う。
『お姉ちゃん』『お姉ちゃん』『にげないで』『わたしを見て』『目をそらさないで』『ねえ』『お姉ちゃん』
『『『わたし、おいしかった?』』』
「〜〜〜〜!!!」
跳ね起きる。かく筈のない冷や汗が吹き出たような感覚の、そんな目覚め。夢? 壁から差し込む光は、妹たちの骸を照らし出している。もう見慣れてしまった蜘蛛の身体。ここは現実。そのはず、だ。
であるならば、本当にそうなのだとしたら……
さっきからずっと頭の中で喋っているのは、誰だ?
『忘れちゃったの?』
『私たちのこと、覚えてない?』
『あんなにがっついて私たちを食べたのに?』
違う、私は……。
生きたかっただけで。
『まちがってないよ』
『元気出たよね、お姉ちゃん!』
『外に行こう』『ごはんがあるよ』『敵もいる』
『ころしてたべてころして、きっと大きくなろうね』
外に出たくないよ。
私ごと、なかったことにさせてよ。
『なんで?』
『私たちを連れて行ってよ』
『高いところに連れて行ってよ』
『それとも』
『私たちのこと』
『生きるために食べたんじゃなくて、意味もなく殺したの?』
――。
――――――――。
……私には、責任があった。
妹たちの死に、意味を与えるという責任が。
生き永らえたこの命を、繋いでいくという責任が。
『準備、できてる?』
『大きくなって、いつか生まれ変われるくらい』
『強く、大きくなってね』
う、ぐ。
身体からピシリと音がする。むず痒さに脚を振り回すと、頭部の殻がボロリと剥がれた。栄養を得た私の身体は、急激に成長を迎えている。
頭の中の声が、どう身を捩れば簡単に殻を抜け出せるかを教えてくれた。
そうして古い殻を脱ぎ捨てる。
『天井に糸を伸ばすの』
『ぶらーんって、勢いをつけて』
『あの壁の穴にぶつかれば、きっと外に出られるよ』
『大丈夫! いっぱい食べたお姉ちゃんは大きく、重たくなれたもん!』
誰に教わるでもなく、ネルスキュラの攻撃方法は似通う。挟角を押し付けるように進む戦法も、糸の吐き方も使い分けも、振り子のように自身の身体をぶつけて相手を吹き飛ばす方法も。
それは、遺伝子のどこかに刻み込まれた情報である。脈々と受け継がれる、血脈に刻まれた本能である。
声に従って壁によじ登り、糸を吐き出す。そして脚を離すと、重力に唆されて加速した私の身体が壁にぶつかる。どが、と鈍い音がしたかと思えば、炭化した卵嚢がボロボロと崩れ始めた。支えを失い外に放り出された私は、したたかに地面に体を打ち付け、逆さまになった視界で先ほどまで私がいた場所が残骸に埋もれていくのを呆然と眺めていた。
『お姉ちゃん、やったね!』
『ここからだー!』
脳内に響く声で我に返る。仄暗いながらもハッキリとした陽射しが、緑と起伏に富んだ地形を照らし出す。蜘蛛の糸が床に張られ、足場を形成していた。
――地底洞窟。
たしか、ここはそう呼ばれていた。
そして……繭のすぐそばには、焼け焦げた巨大なネルスキュラの死骸があった。
どうやらあの戦いは、リオレイアの勝利で幕を閉じたらしい。光を失った八つの眼には、恨みも悲しみもなく、ただ死という空虚が遺されていた。
ネルスキュラが纏うゲリョスの皮は火に弱い。そしてリオレイアは毒に強い。初めから相性の悪い相手ではあったのだ。それでも繭を守り通したのは、母の矜持というものか。
――その死に意味を。
――私が生きる意味を。
苦しむ様に脚を丸めてひっくり返った母の、その身体の影に、細かく砕けた毒の結晶が落ちていた。粘度を弱めた糸でそれらを集めて、団子状にしたものを喰らう。
『わ、お姉ちゃんすごーい』
『そ、それ美味しいの?』
「……」
私は無心で毒を喰らい、そして母の死骸にも噛みついた。炭化してさえいなければ、どれだけ些細な肉片でも残さず食べた。妹に似ている味がしたせいか、少し吐きそうになった。それでも――痙攣する腹を無視してひたすらに食い続けた。己の血肉と為すことが、食いつないで生き延びることが、被食者の死に与えられる意味であると信じて。
「……ぎちちち」
この身に背負うは、継承の使命。
絡みつく因縁の糸。
二日後、私の背中には毒々しい藤色の棘が生え始めていた。
なんかベビーは親についていったり死骸の中で集まって暮らすらしい。あと糸が出せないらしい! マジ?
本作のネルスキュラベビーはもともと現実の蜘蛛の生態から設定を作っているのでどう考えても整合性が無いんですね~。マジかよ投稿主最低だな……。
ここは4G時空ということでひとつよろしくお頼み申す。
ちなみに脳内音声の主は7匹います。詳細は次回。
主人公のセリフをルビに置くのが面倒なので、次回から主人公も『』で会話に入れるかもしれん。