「へえ、双子とその場にいた奴とでスクールアイドルかよ」
場所は変わって、ホームルームが終わった1年生の教室。スマホをいじりながら、一同の話を聞く光聖。
興味の無さそうな声と素振りに、奏奈は「何よ、伝説誕生の瞬間に立ち会ったってのに」とむくれる。
「伝説……ねえ。目標はLiella!か?」
「もっと上」
「はっ、ウチだけじゃねえ、ラブライブの伝説になるって事かい」
光聖の発言の意味としては、『Liella!のラブライブ連覇記録は、現在に至るまで破られたことがない。それゆえ、Liella!を超えるということはラブライブそのものの最多連覇記録を更新することである』というものだ。
「まーだ何も始まってねーのに、デカい目標立てるなあ」
「いいじゃない、こっちの勝手よ」
「いいけど、ホントに何も始まってないスクールアイドルが最初にぶち当たる所ってのを知らないみてーだな」
まるで有識者かのように、光聖は指折りしながら語り出す。
「まず、何をするにも体力だ。腕立てをスカッと爽やかスマイルで出来るようじゃねーと」
「余裕ね」
奏奈が腕を組み、何か見上げてるのかってくらいにふんすと仰け反る。
「次にビジュアル面。この時代に言うことじゃあねーが、やっぱし整ってる顔のヤツがファンサだの何だのしてくれるのは、見ていて気持ちがいい」
「結ヶ丘イチの可愛さと美しさがココに!」
常に携帯しているのか、カバンから手鏡を出して、自分の顔ならドヤ顔すらも好きだと豪語する絶佳。
「そんで歌唱力。聞いてられないようなニセモノの歌を歌うようじゃあ、アイドルじゃねー……」
「カラオケ100点の打率、6割」
控えめにだが、自信のある分野だったもので、手を小さくあげて答える律夢。
3人のことをよく知らずに、スクールアイドルのありがちな壁を挙げる光聖。ここまでは正直、誰かが誰かに教えてもらえばいい。しかし。
「で、最後が」
「最後が?」
「曲作り」
「…………あっ」
さて、音楽一家に生まれた東姉弟だが、作曲や作詞については幼い頃から教わった素養こそあるものの、自分でやるとなると経験はからっきしのため不可能。
同じく絶佳も、結ヶ丘に通っている以上、最低限の音楽についての知識はあるものの、ちょっとした音感と楽譜の読み書きスキルくらいしか持ち合わせていない。
トドメとばかりに、「つまり、だ」と光聖は締めくくりに入る。
「どこかは尖ってるお前らだが、それが合わさると中途半端……3つのトゲじゃあ星にもならねー、ただのマキビシだ」
「マキッ……!!?」
ピキピキとこめかみに青筋を立てる奏奈。何かを予感した律夢は彼女を羽交い締めして、少し遅れて絶佳は、光聖側を手で制する。
「……夢は大きい方が、終わりが見えない。終わりが無いなら、頑張り続けられる」
曇りなき眼を見て、絶佳と律夢は感嘆のため息をつく。
「筋トレする奴の思考ってカンジだなァ……」
「ジム、何個契約してるんだっけ」
「5! 契約すればするほど強くなるのよ」
「バカだ」
「流石にバカだ」
「お姉、ごめん。擁護できない」
ノータイムで律夢と絶佳に飛びかかる奏奈に、スマホから目を逸らさないまま、光聖は言う。
「おい、アマゾネス」
「誰がギリシャ神話に出てくるムッキムキな女性だけの部族ですって!?」
「何も間違ってないだろ」
ギリシャ神話なんだ、元ネタ。絶佳は、ただの筋肉バカじゃあなさそうだと安心する。
「よく知ってるじゃあねーか……アマゾネスのくせに脳は筋肉じゃないんだな。塾は7ヶ所くらい通ってんのか?」
「脳は筋肉よ。そして筋肉イコール脳、つまり全身が脳! それに比べて、あんたは身体もヒョロヒョロなら、脳ミソもちんまりシワシワじゃないかしら」
「シワが多いほどいいだろ、脳は」
「確かに! あはははっ!」
「クク……」
キス寸前。そんな距離まで近づいた2人は、煽り合いを続ける。かと思えば、突然笑い出した。これには絶佳はともかく、律夢でさえも先が読めない。
「あははっ、ははははは!」
「はははは! ヒヒヒー!」
窓際の席に座っていた光聖。その後ろで鳥が羽ばたいたのを合図に、奏奈と光聖は互いに胸ぐらへ掴みかかる。
「何ですってえ〜!?」
「ンだとォ〜!?」
「け、喧嘩しないで〜!」
律夢が間に入るも、彼の筋肉は光聖よりも貧弱であり、板挟みにされて、押しつぶされてしまう。
「むぎゅ」
「てめぇ、黙って聞いてりゃ随分と煽ってくれるな……!」
「そっちこそ、この革命直前夜明け前って感じのあたし達に向かってあーだこーだと! 言いたいことがあるなら言いなさいよッ」
「おめーはMOROHAかッ! 革命だァ!?」
間抜けた声を上げて、シドのように挟まれる律夢を絶佳が引っ張って助ける。
なおも奏奈と光聖は睨み合ったまま。
「スクールアイドル舐めんな」
「……舐めてると思う?」
「目だけは真っ直ぐだ。潔し、腹が立つね」
愚直とでも言うべきか、一度身についた自信を手放そうともしない奏奈に、彼はウンザリしたようにどかっと席に座り直す。
「ま、見届けさせてもらおうか。お前らが絶望に打ちひしがれ、夢半ばに折れるとこ」
「こんのッ……」
「ちょ、絶佳くんまで! 抑えて抑えてッ」
いくらなんでも言い過ぎだと、今度は絶佳が隠していたムカつきをあらわにしようとする。しかし今度は、奏奈がそれを手で制する。
「見届ける。言ったわね?」
「ああ。確かに」
何か策があるのか。言質を取った、とまるでそれが鬼の首かのようにニヤッと笑う彼女は、光聖の腕を掴む。
ガシッ。非弱な二の腕が、彼女の腕に潰され、そんな音が鳴る。絵面だけなら、首に向かって裸絞(チョークスリーパー)をするアントニオ猪木のようである。
「カラオケ行くわよッッ」
「は?」
「歌の練習!」
強制連行。かつての大泉洋がアメフト部に連れていかれたように、彼は担がれていく。水曜どうでしょうと違うのは、連れていく者が1人ということか。
「なんでだぁぁぁぁッッッ」
教室の誰もが振り返る、今日一の大声で叫ぶも、無念。丸太のように肩に担がれた光聖は、奏奈と共に教室から出ていってしまう。
それを見ながら絶佳は「お姉ちゃん、さ」と言う。
「うん」
「巻き込み体質……ってやつ?」
「ああ、かなり」
残された律夢と絶佳は、スクールアイドルをやる上で彼女に振り回されることを確信し、無言で握手を交わした。
廊下を歩きながら、律夢は指折りタスクを数える。
「やらなきゃいけない事が沢山あるね」
「そうだねえ……うん、まずは部活を設立するところからだ」
さて、尖っていた頃の平安名すみれが『あたしを誰だと思ってるの!?』とキレた場所でお馴染み、木の柵に囲まれた渡り廊下にふたりが出た時。
その柵に、誰かが立っていることに律夢は気づいた。目星成功、腕を組みながら堂々と立つ姿はまるでマスターガンダム。
そこに立つ彼女の、こめかみの上あたりについているふたつの『丸』に、彼は見覚えがあった。
そして、我々にもあるだろう。我々はその女性を知っている。いや、その『眼差し』とその『丸』を知っている。
「……な……」
「や、律夢くん。久しぶり」
そう口にした彼女に、絶佳は遅れて気がついた。しかし、時すでに遅し。
「ちょっと来てくれる?」
「えっ!?」
律夢はすでに、その女性にお姫様抱っこをされていた。
「千砂都……さん……!」
「美麗さんの息子さん、ちょっとこの子借りてくから!」
「はっ!? え!?」
困惑する絶佳を尻目に、嵐千砂都は親友の倅を抱えてどこかに走っていってしまった。
絶佳は、一瞬だけ見えた千砂都の筋肉に、止めようとしても動けなかった。人を持ち上げるために作ったのかってくらいの、マリアのために鍛えたビスケット・オリバのような筋肉。
男性並の骨格をした手に、半ズボンから覗く大腿筋。袖から見えた上腕二頭筋の盛り上がり。
確信を持って絶佳は言える。あれは伝説のスクールアイドルグループ『Liella!』の筋肉を
そして、もうひとつ確信したことがある。
ゆら、ゆら。暖かくも、まるで久しぶりの戦いに飢えているモノノフのようなオーラに、彼は気づいた瞬間にそこに視線を向ける。
「キミはこっち」
「なッッ……」
体育館方面から向かってくる人影。絶佳よりも頭一つ小さい、高めの声の男。
「音羽……さん……」
「やあ。美麗さんの息子……だっけ?」
今や数々のアイドルグループ、ひいてはロックバンドなどにも楽曲提供をし、澁谷かのんのマネージャーにして夫と全国的に知られている男。
澁谷音羽、その人であった。
────
「話は聞いたよ。スクールアイドルやるんだって?」
「は……はい」
向かい合う、伝説と凡才。
「見るに、きみは奏奈よりも歌は上手いし、律夢よりも体力はある」
「ありがとうございますッ……」
カフェ『MAN-MARU』、テーブル席にて、西園寺絶佳は人生で一番緊張していた。幼い頃に習っていたピアノ教室のテストよりも、結ヶ丘の入学試験よりも。
もちろん、友人の父親を前にして、ではない。有名人を目の前にして、だ。
「ふふ。でも、中途半端なんだ」
「!!」
来たッ。来たッッ。来てしまったッッ。
プロ目線からのダメ出しッッ。
習い事の先生、学校の教師、何よりも親から。絶佳は目上の人から何か言われる度に、身体が硬直してしまうのだ。
決して『大人に言われることがシャクだから』だなんて子供じみた理由じゃあない。しかし、大人でもない。普通の高校生の、普通の価値観として、『怖い』のだ。
「
「まあ……そうですよね……話には聞いてました、澁谷の双子って……」
「賞も色々取ってきたからね」
軽く流した音羽は、手を顔の前で組んで言う。
「怒らないで聞いて欲しい。歌とダンスに特化したふたりがいる中で、あの子達に対抗してそれらを伸ばしても……キミは目立てない」
ハッキリ言われてしまった絶佳は、思わず前のめりになって聞く。必死さ故の行動だ、額に滲む汗がそれを物語る。
「ならどうすればッ」
これじゃあッ。
「私は……どうすればッッ」
これじゃあッッ。
天才ふたりに挟まれる……凡才……ッッッ。
ふうっ、と息をつき、姿勢を楽にして音羽は言う。
「競うな、持ち味をイかせ……って言葉がある」
「……持ち味……」
格闘家か何かの名言か? と、絶佳は首を捻って復唱する。
自分の、持ち味。
そんなもの、この凡才たる絶佳にはひとつしかない。
周りが思うより案外に自己肯定感が低い絶佳は、唯一誇れるものを挙げた。
「結ヶ丘イチの……可愛さ?」
「それだよ」
「なっ……ま、まだ伸びしろがあるんですか!?」
何気に、もう完成されきった美だと自分で評価していることがバレたが、音羽は動じず「そりゃあ、もう。たっぷりと……」と言う。そして。
「ぼくが思うに、きみは一番しんどいルートだ。体力と歌唱力を底上げしつつ、ビジュアルを磨かなきゃあならない……」と続けた。
しかし、そんなことは話半分にしか耳に入っていない絶佳。
この可愛さが……もっと伸びるッッ。たっぷりとッッ。
そして、あの子たちの力になれる。何もかも中途半端で、可愛さしかない私がッ。
なら、やらない手はない。絶佳はコーヒーをぐいっと飲み干し、音羽に言う。
「それでもッッ!!」
「その『それでも』が聞きたかった」
音羽はおもむろに立ち上がると、絶佳の分まで会計をしてくれる。その間にも、音羽は彼に向かって語り続ける。
「これから辛いことがある。それはスクールアイドルだけじゃあない、ただの勉強や私生活にも試練はある。それでも……『それでも』、と言い続けてくれないかな。そうするだけで、再び走り出すことはできなくても、起き上がることはできるはずだ」
それでも、と言い続ける。できないと思っても、もうダメだとへこんでも、それでも、と言い続けるんだッ。
絶佳はその言葉を胸に刻み、「じゃ、さっそくランニングでもしようか」とストレッチをする音羽の横で、ゆっくりとアキレス腱を伸ばし始めた。
ちゃんと走るなんて、何ヶ月ぶりだろう。足はつらないだろうか。そういえば、奏奈と光聖、そして律夢は大丈夫か。曲はどうしよう? グループ名は?
様々な不安はありながらも、それでも、と絶佳は地面を蹴った。
────
「何するんですかぁッ! 千砂都姉さんッ!」
「あはは、もう姉さんって感じの年じゃないけどね」
そう笑う千砂都が律夢を下ろしたのは、公園に着いた時だった。
その公園は、千砂都とかのんの思い出の公園。出会い、育ち、そしてかのんの息子である律夢にもまた、馴染みのある光景だった。
「さ、もうそろ皆も着く頃でしょ」
腕を伸ばしながら、彼女はそんな独り言をつぶやく。誰が来るんですか、と律夢が聞く前に、周りから足音が聞こえてくる。
「この私を呼んだからには、それなりの用事なんでしょうね」
後ろからは、ハイヒールだろうか、土を突き刺すような足音。
「久しぶりデスね、リズリズ!」
右からは、跳ねるような足音。ウキウキしているのが伝わる。
「この皆さんで集まるのも、去年以来ですね」
一番落ち着いているが、どっしりとした安定感の足音。
律夢はもしやと思い、ぐるっと後ろを向く。すると、彼の思った通りの人達がこちらに近づいてきていた。
平安名すみれ。唐可可。葉月恋。
「Liella!の……1期生……」
「かのんは居ないけどね」
「ま、仕事だから。仕方ない! これだけ集まったら上等だよ〜!」
それぞれ活躍する場は違えど、普段から忙しくしている4人が集まって何をしようというのか。
「これから日替わりで、私たちが面倒見るから」
「面倒って……えっ?」
「あんたが産まれたての時も、よくやってたじゃない。かわりばんこに見てやるのよ」
すみれは最近出ているドラマの役作りで切った毛先をくるくるといじり、顔を近づける。
一緒に風呂に入ったことだってあるはずの彼女に、今更ドキッとしてしまった律夢は、自分に嫌気が差した。所詮は男子高校生というわけか。
「大丈夫デス、可可たちが一緒デス!」
「一緒に頑張りましょうっ」
大人気アイドルに、結ヶ丘の学園長。この場にいる人間のステータスを鑑みても、彼はまだ何をするのか分かっていなかった。
そんなおろおろとする律夢を見て、千砂都は肩に手を置く。
「ま、ま、ま。行けば分かるさ、律夢くん」
「分かるって……どこに……」
「聞いたよ。スクールアイドルやるんだって?」
律夢はびくっとする。母が教えたのか。にしても気合いの入った面子だ、どうせやるなら本気でというかのんの気概が見られる。
本人には話を通してなかったのか、と呆れる一同だが、千砂都だけは早く身体を動かしたくてウズウズしている様子。
手始めに近くにあった鉄棒に捕まり、数回逆上がりをして、体操選手のように公園の生垣を飛び越えて歩道に着地し、ノータイムで走り出す。
「それじゃ! 特訓、開始〜!!」
「ああなった千砂都さんは、かのんさんに似て頑固ですよ。頑張ってくださいね、律夢さん」
「走り込みデス〜!!」
「ふええ……」
律夢は4人と走り込みを始めるが、すぐに置いていかれてしまう。少し休憩してから、千砂都の経営するジムでの筋トレも、最初のうちなので上手くいかない。
「よーし! 唸れ筋肉、散らせ汗ッ! 私たちの手にかかれば、もやしっ子もスクールアイドルだよ〜!」
一通りのメニューを終えた律夢は、ベンチに倒れ込んでしまった。
「懐かしいデスね……可可もこうやって千砂都にしごかれまシタ……」
「最近なりを潜めてたスパルタが牙を剥いてるわね」
「最初は皆さんこうなるものです。気を落とさないでください」
4人としては、昔を思い出して懐かしいとしみじみする中、律夢だけが無力感に打ちひしがれていた。
というか、なんで現役じゃあないのについていけてる人がいるんだ。Liella! って、そんなにすごい人達の集まりだったのか。こんなのになれるのか、僕は。
奏奈のようなパワフルさ、絶佳のような優しさと可愛さ、そんなものは持ち合わせていない。ただ、歌だけ。こんな事でやっていけるのか、と、律夢は心の中でますます弱気になってしまう。
ぜえぜえと息を切らす中、千砂都がシェイカーを差し出す。
「はい、プロテイン飲んじゃって〜!」
「うわ、なんか来た……変な色……」
「味は結構いけるよ」
「だって、こんなのゲーミングプロテインじゃないですか」
「夏美さん監修ですからね……」
色としては虹色。それ以外に形容しようのない、ねっとりとした液体。律夢はそれを、こうなりゃヤケだと飲み干す。
「はい飲んじゃって、キューキュー!」
「最新歯ブラシ毛先がキュー!」
「何処で覚えたんです、そんなの」
「すみれ、平安名ダディダディやってくださいデス」
「えっ、やったこと無いんだけど!? 持ちネタみたいに言うのやめて!?」
すっかり学生ノリになってきている3人を見て、恋は「もう、皆さん。貸し切りとはいえはしゃぎすぎですよ」と人差し指を立てて注意する。
「かのんさ……間違えました、律夢さん。あんなコールを覚えたらダメですよ」
「今、お母さんと間違えました!?」
しかし、あの頃を思い出して浮かれていたのは恋も同じだった。
友人とその息子を間違えてしまい、落ち込む恋を可可が慌てて慰める。
「仕方ないデスよ、こンなに似てるんデスから」
「僕……そんなに似てますかね」
「まあ、奏奈ちゃんと比べたら……ね」
「かのんの面影を感じるのは、断然律夢よ」
「……なれたら、いいな。お母さんみたいに」
彼の言葉には、見た目だけでなく、中身も追いつきたいという気持ちもあった。
若いせいか、すぐに来る筋肉痛。ガクガクの足。未だ落ち着かない呼吸。合唱で身につけた腹式呼吸も型なしだ。
しかし、彼は唯一の武器を見せた。
「……〜♪」
「!」
彼が絶え絶えの息で捻り出したそれは、『私のSymphony』。Liella!の曲だった。
ワンフレーズだけ歌うと、彼は床に仰向けで倒れる。大の字だ。天井の照明に目を細めつつ、汗の水溜まりを作る律夢は、小さくもハッキリとした声で言う。
「僕は、母さんみたいなスクールアイドルになりたい」
震える足で立ち上がる律夢は、誰かにボコボコにでもされたのかってくらいに情けなく、頼りなかったが、その目には確かに母親への憧れとスクールアイドルへの情熱があった。
「まだ……『マイナス』なんだッッ」
「マイナス……か……」
「僕は『ゼロ』に向かっていきたいッ!!」
千砂都は、その志があるならゼロよりずっとマシだと思ったが、彼の闘志に火をつけたそれに口を挟めなかった。
その目は、かつて見た幼馴染に似ていて。スクールアイドルをやってみようという気にさせてくれた、あの目に。
律夢は、ふらふらと千砂都に歩み寄る。
「僕でも……なれますか……?」
汗まみれの身体を、横から可可とすみれが支える。彼女らの見た律夢の横顔は、びしょびしょの中でも燃えていた。
自分たちもそうだった。何も出来ない、何も成し遂げられなかったあの頃の、焦燥感と悔しさにまみれた日々。しかし、何度も今の律夢のように、前を向いて乗り越えてきた。
「……リズリズは、ずっと『這い上がりたかった』のデスね……」
「僕なんかでも、あなた達みたいな……スーパースターにッ……」
「ったく、そんなこと聞いて……答えなんて決まってるでしょう?千砂都ッ」
汗を拭く恋は、その気高い精神に、またもやかのんを見出していた。
去年度、部員の意向によって解散したスクールアイドル部。自分が学園長をしてきた中でも、最も無力感を感じさせる出来事に、恋は何度も枕を濡らした。
音羽たちはしょうがないと言うが、悔しくて、悔しくて、仕方がなかった。いち個人の葉月恋としても、結ヶ丘の学園長としても。
だが、ここに、あの日のかのん達と同じようにスクールアイドルを志す若者が現れてくれた。
生徒に頼ってしまうことにはなるが、この機会は大切に、大切に育てて、送り出してあげなければいけない。そんな使命感にも、恋は駆られていた。
千砂都は彼の頬を両側から掴む。
「君が、私たちの次のスーパースターだよ」
彼の後ろの窓から、夕日が差す。後光のようにも見えるそれと共に、両腕を広げて支えてもらっている彼は、まるでキリストのようにも見えた。