その日、ガイア教団には激震が走った。なぜなら、教団内で個人でありながら独立した勢力を保っていた鷹司重信が、焔の黒騎士に拠点ごと塵も残さず殺されたというのだから、無理もない。発展型超力兵を派遣する傭兵稼業は、ガイア教団にとって手軽に最前線で戦える戦力を調達できるという意味で、すこぶる有用だった。それ故に、誰もが狂っていると理解しながら、鷹司に資金援助をしていたのだから。
「鷹司の翁が殺されたそうよ。メシア教過激派のやらかしを収めた時にみせたあの独特の魔剣の気配と恐ろしい炎の痕跡からして、下手人は、DB焔の黒騎士で間違いないわ」
そう言って報告するのは、ガイア教団において、諜報・暗殺を主に担当するユリコ*1という女性だった。ユリコ派と呼ばれる彼女を崇める信奉者を配下としている。妖艶な美女だが、同時に蛇を思わせる酷く危ない雰囲気を纏っている。報告している内容は、自分が所属する組織にとって明らかな凶報であるというのに、彼女は酷く楽しげだった。
「……焔の黒騎士か。オザワの暗殺、九頭竜と翔門会の壊滅、そして今回だ。最早ガイア教団にとって明確な敵であるとみなすべきだろう」
一方で不愉快そうに、焔の黒騎士を敵と断定するのは、サイバース・コミュニケーション社のCEOを務める異色の幹部である氷川静司*2だった。彼にとって、狂ってはいても鷹司の技術と頭脳は有用なものだったからだ。特にミロク経典の解読に少なからぬ寄与をしていただけに、その死は氷川にとって看過できない損失だった。
「なんの大義もない狂った屍人の傀儡使いなど、死んで当然。かの焔の黒騎士は道理を弁えた人物であると報告を受けている。鷹司には、殺されるだけの道理があったのだろう。あのような狂人の為に、焔の黒騎士と敵対するなど馬鹿げている」
それを真っ向から否定したのは、陸上自衛隊の陸将補、五島公夫*3だった。彼の表情は、長年患わせていた持病が快癒したような清々しさすら感じさせた。
「道理も糞も関係ねえ。舐められたら殺すべきだろうがよ。ガイア教団が一介のDBに舐められるなんてあっちゃならねえ」
五島の発言に、怒りを露わにしたのは、この場では一番若い男である鬼塚剛志*4だった。粗野で教養の欠片も無い凶相だが、暴力の気配だけは凄まじく濃い。
「それを言うなら、オザワが殺された時にするべきじゃなかったかしら?ここまでやられておいて、今更な感じが否めないわ」
「はっ、オザワなんて、お山の大将気取ってた雑魚だろうが。悪魔を使うんじゃなくて使われてる時点で、元より奴には未来なんてねえよ」
オザワの真の実力を知るユリコは、今さら報復を主張することの遅さを指摘した。しかし、鬼塚にとってオザワなど評価に値しない存在だった。
「それに鷹司の手駒が傭兵として、ガイア教団に多大な貢献をしたことを忘れてはならない。彼の頭脳と技術が失われたのは、教団にとって大きな損失だ」
「教団にとって?テメエにとってじゃねえのか、氷川?」
重々しく氷川が言うが、鬼塚が挑発するように問う。鬼塚は拳を固く握り締め、全身に力を漲らせていた。いつでも相手になると言わんばかりだ。
「……」
氷川は鬼塚と言い合う愚を避けた。とかく鬼塚という男は、誰にでも喧嘩を売る男なのだから。しかも、それでいて口先以上に強いので、始末に負えない。
「ふん、そこでのってこねえから、テメエはつまらねえ。兎に角俺は俺のやりたいようにやる。あんたらもガイア教団の面子が潰れたのは認めるだろう?なら、俺が報復に動いても問題ねえはずだ。遅い?今更?知ったことか」
「よかろう、好きにするがいい。私は手をださんし、教団としてではなくお前個人が動くことについては掣肘せん」
鬼塚の宣言に、五島は苦笑しながら頷いた。こうなれば、鬼塚は決して止まらないと彼は知っているからだ。
「剛志ちゃんと焔の黒騎士様の戦いとなれば、見物料が取れそうね。特等席で見させてもらうわ。氷川ちゃんも動くなら、自分の手駒でなさい」
リリスは笑みを深めるばかりで、それ以上は何も語らなかった。
「……」
氷川は苦々しげな表情を隠さなかったが、何も言わなかった。口を開いたところで、自分の望む結果には到底ならないことを理解したからだ。この上は、焔の黒騎士への対処を鬼塚に任せ、自分は鷹司の遺産の確保に全力を注ぐべきだ。
まさかそれが完全に徒労に終わろうとは、夢にも思わなかったが……。
◇ ◇ ◇
ところかわって、品川の大聖堂。日本におけるメシア教の総本部ともいうべき地では、普段であれば決して一堂に会することのない最高幹部たちが、ほとんど顔をそろえていた。ミカエル、ウリエル、ガブリエル、ラファエルをはじめとして、マンセマット、サリエル、ラグエル、そして、日本の統括を務めるアブディエルが末席に座っていた。しかし、彼らは知っていた。すでに本来いるべき存在がここにいないことを。
「焔の黒騎士、些か以上に目障りですね」
癒しと導きの大天使ラファエル*5は、不快感も露わに吐き捨てた。
「ガイア教団を削ってくれているのだから、いたずらに敵視するべきではないと思うのだけれど」
神の言葉を伝える大天使ガブリエル*6が諫めるように言うが、叡智と炎の大天使ウリエル*7がそれに異を唱える。
「魔人とされる者を擁護する気か?魔人とは万人に等しく凶事と死を撒き散らすもの!すなわち、主にすら牙を剥く狂犬です」
「レミエルの件もある。独断専行だったとはいえ、主の雷霆たるレミエルが、そうそう在野の者に負けることはないはずだ。奴の仕業である可能性は決して低くない」
死と裁きの大天使サリエル*8が、この場の誰にとっても想定外だったレミエルの消失を持ち出す。彼らの唯一絶対の神である主の声を、ガブリエルに次いで聞くことのできたレミエル。その消失は、否が応でも大天使達の焦燥と不安を増幅させていたからだ。すなわち、自分達は主に見捨てられたのではないかと……。
実際には、至高天にあった聖四文字は物質界の成熟に伴って、人間へ霊的な助力は最早不要と考え、天使達も長年の働きに報いて、好きにしてよいと自立を認めたに過ぎないのだが、突然、神の声が聞こえなくなったも同然の大天使達は、一部を除いて完全に聖四文字の意を理解していなかった。
結果、彼らは暴走した。そして、主が声をかけてくれなくなったのは、この世界を主が見捨てられたからだと結論づけた。その原因は、人間が驕り高ぶったことにあると考え、浄化という名の滅びを押しつけることに決めた。いや、正確には、滅びに瀕させることで、主がメシアを遣わすことを企んだのだ。そうすれば、また自分達には役割が与えられると。彼らは再び主の声が聞けるなら、それが叱責であっても、何ら構わないのだ。
だが、なんたる悲劇か。至高天にあった聖四文字はルシファーと相打ち消滅してしまっている。現在の神の加護は、至高天に僅かに残る残滓によるものでしかない。そのタイミングも最悪だった。大天使達の暴走を知った聖四文字が、暴走を止めようと声をかける直前だったのだ。結果、大天使達は真実を知らず、自分達の願いが決して叶わぬまま、今も暴走を続けているのだ。
「一概に決めつけるのはどうかと思いますが。主は寛容と慈悲を伝えておられます」
正義と調和の大天使ラグエル*9が、白熱する議論を諫めようとするが、効果は薄かった。
「そんなことだから、主の声が聞こえなくなったのではないですか?」
そんなところに特大の爆弾を落としたのは、必要悪の大天使マンセマット*10であった。その言葉に、大天使達は一斉に黙り込んだ。神の真意を知る数少ない大天使の一柱だが、マンセマットはあくまで職務に忠実だった。同僚であっても試練の対象であることは変わらないのだから。
「およしなさい、マンセマット。主は我らを見捨ててなどおられない。むしろ……」
「おっと、それ以上はいけませんね、ガブリエル。あなたは甘すぎる。それ以上は禁じられているでしょう」
ガブリエルが思わず続きを口にしかけるが、マンセマットは断固たる口調でそれを遮った。ガブリエルもそれ以上は何も言えなかった。
「静まれ。そもそも、主の真意を我らがうかがい知ろうとすることこそ不敬。我らは神の剣であり、盾であれば良い。件の黒騎士が主の意に沿わぬなら、裁きを与えるだけのこと」
今まで議論を注視し、あえて発言を控えていた天軍の総司令官たる大天使ミカエル*11が、重々しく口を開いた。しかし、その静かな威厳の裏に、誰よりも深い狂気が潜んでいることを、この場の者たちは知らなかった。神の声が聞こえないだけではない。かつて兄同然に慕っていたルシフェルの失踪もまた、彼に大きな影響を与えていたからだ。
「「……」」
ガブリエルは悲しげな表情で何も言えず、マンセマットは呆れと嘲笑を胸中に押しとどめ、何も言わなかった。
「東京大封鎖がならなかったのは、確かに痛恨であった。しかし、あれは九頭竜の企みを我らが見過ごしたが故に生じた試練であった。そもそも九頭竜の企みが主の意に沿うものではなかった。故に、それを阻んだことをもって焔の黒騎士を裁くことはしない」
ミカエルは、神の試練を意図的に引き起こそうとする行為が、神の意にそぐわないことを理解していた。しかし、それで神の声が聞こえるならば、それでいいのだ。故にこそ、九頭竜の企みを見逃した。
「ミカエル、日和ったか!」
「あの者はすでに多くの信者を殺しているのだぞ!」
ラファエルとウリエルが食ってかかるが、ミカエルは一瞥しただけで二人を黙らせた。
「しかし、信者殺害とレミエルの消失は見逃せぬ。レミエルの件が奴の仕業と分かれば、全力で討ち果たしてくれよう」
その言葉に、強硬派は矛を収めた。穏健派の大天使達は、信者殺害を口実にしているだけで、ミカエルがそのことを欠片も気にしていないと見抜いていた。しかし、結論そのものには異を唱えなかった。主の声が聞こえない今、レミエルはそれほど重要な存在だったからだ。
「アブディエル、貴様は焔の黒騎士の動向を監視せよ。そして、早急にレミエルの消失の件について、真実を明らかにせよ」
「はっ、直ちに」
大天使アブディエル*12はその命令に恭しく頷いたのだった。
大天使達は、なおも狂乱し、暴走を続ける。全てが徒労に終わると知らぬまま……。
◇ ◇ ◇
「なんというか、悪魔になったのに、本当に変わらないんですね」
大和は神社の境内を巫女服姿で掃き清めながら独りごちた。
彼女にとって、この一週間は激動という言葉さえ生温い日々だった。自分の出生の秘密を知ったことから始まり、血族が狂人の犠牲になった事実、果ては自身の悪魔化まで、イベントが目白押しだ。
だというのに、今の大和は、信じられないほど、穏やかな暮らしをしている。むしろ、買い物などが自由にできるようになり、自分のために使える時間が格段に増えたことも考えれば、人間時代より恵まれているまである。なんとも、滑稽でやりきれない話であった。
「彼が年下だったとは、本当に驚きました」
徹が自分より年下だとは、思いもしなかった。あれ程の益荒男が、まさか自分より年若いとは夢にも思わなかったのだ。まあ、一つしか違わないのだが、それでも年下は年下である。
「私が一番のお姉さんなんですから、しっかりしないと」
そう言って、むんと力こぶを作る。年だけなら、アンジェリカや滝夜叉姫、ペルセポネとデーメーテール親子が遙かに年上なのだが、彼女達は大和の中で別枠のようだ。
大和は鷹司の拠点焼却後、焔の黒騎士から徹達に保護を依頼され、預けられたという形で処理された。彼女の身元引受人は徹とみこであり、美雪や愛と同様の扱いだった。ただし、対外的にはあくまで焔の黒騎士の仲魔ということになっている。
「しかし、あの方、有名人だったのですね。目の色を変えてスカウトに来ていた方々が、焔の黒騎士と聞いた瞬間、青い顔をして全員帰ったのは凄い光景でした」
大和の存在を知った悪魔業界の組織は、彼女を業界の事情も知らぬ素人と見なし、丸め込んで自組織に引き入れようと企んだ。しかし、焔の黒騎士の威名は、そんな目論見を吹き飛ばしたのだ。
「まさか亀山さんまで来られるとは夢にも思いませんでした。ご自身で仰っていた危惧が間違っていなかったことの証左ですね。人手不足は嘘でも何でも無いわけですか」
大和からすれば、亀山も大恩ある人物である。親しさを出すことなく初対面を装うのは苦労した。まあ、形だけのものだと亀山本人は笑っていたし、実際、随員も連れていなかった。クズノハの人員に対するポーズなのだろう。真相は大和の真価を除いて、トップにはすでに報告済みらしい。
「本当にクズノハというのは凄いのですね。お二人からの依頼とは言え、私の戸籍を鷹司家から独立させた上で、祖母の旧姓まで名乗れるようにしてくださるのですから」
そう、今の大和は『鷹司大和』ではない。『橘大和』なのだ。みこの両親から養子に迎えたいという申し出もあったが、彼女は断った。顔も知らぬ祖母や母との繋がりを名字だけでも残したかったからだ。
「確かに生きてみるものですね。生きてみれば、人外になりおおせたというのに、望みは湧いてくるばかり。小説の続きは読みたいですし、おいしいものだって沢山食べたい。高校にも行ってみたいですし、恋だってしたい」
大和は悪魔化した後、みこに奢ってもらった食事の味を忘れない。高級料理などではない、ファミレスチェーン店のありふれたメニューだったが、それでも確かにおいしかったのだ。その事実こそが、以前の自分と本当の意味では何も変わっていない証左に思えたからだ。
「みこさんの料理は絶品でしたし、あの方も料理上手だそうですし、愛ちゃんもなかなかの腕前。美雪ちゃんは要努力ですが、これからに期待です」
大和は新生活でも、その健啖ぶりを遺憾なく発揮していた。今や三人前どころか、五人前を平らげている。悪魔になったせいだと本人は言い訳しているが、実際のところは怪しいものである。
かつて己の命さえ惜しまなかった少女は、今や生きることを心から楽しんでいた。