「いや、聞いてはいた。聞いてはいたけど、本当に容赦がないな!」
風間仁は、組織のホープにして特記戦力である卯月徹に協力を要請したことを、すでに後悔し始めていた。というのも、早々に異界の中に放り込まれたからだ。散々、徹の後輩である二人も含めて、異界に潜ることがどれほど危険なのか説明させておいて、これである。
「徹君は、本当に分かっているのか?実際は理解してないんじゃないか!」
「いえいえ、流石に理解していますよ。ただ、仁さんはとびきり厳しくしてやれとフウマコタロウに言われてますので。大丈夫です、死にそうになったら助けに入りますから。腕の一本や二本が飛ぶくらいは覚悟してもらいますが、ちゃんと治しますし」
実際、徹は流石にもう理解している。なので、美雪や愛は勿論、大和や天音にも自分で選んでもらうことにした。自分自身とみこについては、互いに必要なことであると考えているので、初めから変えるつもりはない。力が足りなくて後悔するなんてことは絶対にしたくないからだ。
美雪と愛は、これまで通りを望んだ。徹やみこの足手まといを早く脱却したいという思いが強いようだ。ただ、普通の異能者としての基準や常識については、徹やみこを参考にしてはいけないと理解したらしく風間にそこら辺の教示を頼むことにしたようだ。
一方で、天音は普通の異能者基準から始めることを選択した。霊格が弱まっているのもあるし、そもそも彼女は最前線で戦うタイプではなく、周囲には信者の護衛がついていたのが常だったので、まずは一人で戦えるようにならなければならない。
大和は大胆そのもので、最初から異界探索を選択した。幼少から軍事教練を受けていた上、今では悪魔の力までもっている。その辺の有象無象は相手にならないし、彼女がさらなる高みを目指すには、生死を賭けるほどの実戦が必要だと考えたからだ。
「ご先祖様、もう少し手心とか……」
「……駄目だ、そうです。愛や美雪と霊格がほぼ変わりませんからね。先達として、少しは頑張れということらしいです」
徹は、降魔中のフウマコタロウから伝わってくる意志を仁に伝えた。荒療治とは思うが、彼自身これが仁の為に必要であることは認めていた。
(仁さん、斥候兼サポート役をやっていたらしいけど、明らかに適性は別だもんな)
隠密状態で仁の戦いぶりを観察していると、よく分かる。風間の斥候としての能力は決して高くない。経験則と観察力でどうにかしているだけで、気配を読むのがうまいわけでもない。では、何に秀でているのかといえば、タイミングだ。機を見るのが抜群に巧い。多少の不利なら、簡単に立て直してしまえる程に、その才覚は突出していた。
(これで戦略眼もあれば、指揮官やれたんだろうが、あくまで個人の機なんだよなあ)
風間は戦場全体の状況を見て、自分が動くべき機を見極めるのが巧いのであって、戦局そのものを支配できるわけではないのだ。この才覚を突き詰めるならば、鍛錬方法はただ一つ。ギリギリ勝てる格上の相手に、ひたすらぶつけ続けることだ。というわけで、適正レベルの異界に放り込んだわけである。
「ここの悪魔、明らかに私より格上だよね?一戦ごとに死力を尽くす羽目になるんだけど!」
「死んでなくて勝ってるんですから、それはできるってことです」
仁が泣き言を漏らしながら肩で息をしているのを見て、徹は新たに接近してきた悪魔を、仁の知覚範囲に入る前に瞬時に燃やし尽くした。
(駄目駄目、まだ休息が足りない。せめて息が整わないとダメだ。お前らは徒党を組もうとするな。丸ごと焼却だ)
異界探索などしたことのない仁は、悪魔が毎回都合よく単体で襲ってくるなど、本来ありえないことだと知らない。だからこそ、本人には命懸けの訓練だと思わせながら、実のところ至れり尽くせりという、実に贅沢な訓練が成立しているのである。
(まあ、単独でここまで贅沢に面倒見るのは最初だけだ。フウマコタロウの件は本当にありがたかったし申し訳なかったからな。その分、下駄をはかせてもいいだろう。なんだったら、奥さんの方はパワーレベリングしてやってもいいしな。これに十分慣れて、美雪や愛より霊格が上がったら、今度は二人の指導役も兼ねて、一緒に異界探索をさせよう。そこで本当の意味で異界を理解するだろう)
徹はそんなことを思いながらも、必死に悪魔と戦う仁を冷静な目で観察するのだった。
「それにしても、先輩も今更だよなあ」
「ふふふ、徹先輩たら、本気で焦ってたもんね。あそこまで凄い人でも、自分の感覚でやってしまって間違うこともあるんだね」
美雪と愛は、いつも通り異界を探索しながら、どこか微笑ましげに言葉を交わした。
助けを必要とすれば誰よりも早く駆け付け、なにがあっても最後まで頼れる男。それが二人にとっての徹だっただけに、あの本気の焦りっぷりは初めて見るものであった。ああ、彼も人間なんだなと、むしろ、安心と親しみを感じたものだ。
「というか、おかしいのはとっくの昔に知ってたし……」
「あっ、やっぱり美雪ちゃんも?そうだよね、あんまり話さないけど他の異能者の話とか小耳にはさむし、何より霊格の差があるもんね」
美雪からすれば、徹の課した異界探索が普通の鍛錬でないことは、とうの昔に分かっていた。徹やみこ以外の異能者達が、潤沢に異界の物資を持っていない上に、自分達の成果を売ればトンデモナイ利益になったのだから、分かろうというものだ。
愛も同じである。いや、彼女は見鬼としての才能を持っているからもっと赤裸々だ。まず、徹やみこと他の異能者との霊格の差だ。言うまでもなく、彼女が想定した以上であった。そして何より、自分達の成長速度は、外部には知られてはいけないほどの偉業だった。たった一年で、霊格だけなら組織の上位層に入るのだから。
「まあ先輩の可愛らしい失敗ということで、今回は流してやろう」
「もちろんだよ、美雪ちゃん。今までいっぱいお世話になったし、それにみこ先輩が黙っていたせいも大きいよ」
「ああ、それはある。みこさん、先輩のいうことなら頷いちゃうからなあ。信用しすぎも善し悪しか」
弟子二人は、普段はできない類の師匠談義に花を咲かせるのだった。
<――だってさ、サマナーったら、弟子にも言われちゃってさあ>
愛と美雪を影に潜んで見守っていたアンジェリカが、仲魔達の集まりでぶっちゃける。
<主様もミスすることはある。そういうことでしょう。それに可愛いものではないですか>
滝夜叉姫が、フォローするように言う。
<うむ、完全無欠の英雄など存在はせぬ。あのヘラクレスとて完璧ではなかった>
デーメーテールが同調する。ヘラの干渉による悲劇が多かったとはいえ、ヘラクレス自身も過ちと無縁ではなかった。半神半人であろうとも、人である以上間違いを犯すということなのかもしれない。
<それなら、私達に盛大に間違えていただいても構わないのですが>
ペルセポネーが恐ろしいことを笑顔で宣う。みこが聞いたら、怒髪天をつくこと間違いなしだろう。
<あんたねえ、やめなさいよ。ただでさえサマナーまわりの異性が増えて、あの子過敏になっているんだから。とばっちりはご免よ。というか、あんたら、二人とも人妻でしょうが!ちょっとは抵抗ないわけ?>
<本体ならまだしも、この身はあくまで分霊である。ならば現世で新しい恋人を得て何の問題があろうか。それに、そもそもゼウスにそこまでの思い入れなどない>
デーメーテールは吐き捨てるように言う。神話でももめていたせいか、ゼウスに対しては、並々ならぬ思うところがあるようだ。
<ハーデス様はそこまで心の狭い方ではありませんし、やはり分霊ですからね。縛られることの方がナンセンスです。それにあれ程の英雄、心がときめかない女神がいましょうか>
どこか妖艶さを漂わせて、そう言うペルセポネーは、やはりあのギリシャ神話の女神なだけはあるのかもしれない。
<お二人の言われることも理解はできます。あれ程の武人、私の時代でもそうはいませんから。心奪われるのもやむなきことかと>
滝夜叉姫もうっとりした感じで言うが、アンジェリカはそれが欺瞞であることを即座に見抜いた。
<アンタはその気もないのに、あの子をからかっているだけでしょうが!本当にやめてよね。私まで疑いの目で見られるんだから!>
そういうアンジェリカを、残りの三者は何か言いたげな表情で見つめた。
(<アンジェリカさんが、一番怪しいと思うのですが>)
(<こやつ、一番付き合いが長いだけあって、しれっとそばにおるのよな>)
(<わかります、アンジェリカさん。これがツンデレ娘による素直になれない牽制なんですね>)
<な、なによ、その視線。私にはやましいことなんて……ないわ!>
アンジェリカは、一瞬の動揺を隠しきれていなかった。何か心あたりがあるのかもしれなかった。
<おやおやおや、これはとんだ伏兵が潜んでいたものですね>
心底愉しそうに笑う滝夜叉姫に、デーメーテールも同調するように重々しく頷く。
<うむ、恋は詭道ともいうらしい。秘めるのも一つの手かもしれぬな>
<サマナー、私達の誘惑を袖にされますものね。恥じらい慎みのある淑女路線で行った方がいいのかしら?>
ペルセポネーが真剣に検討し始めるのを見て、アンジェリカは本気で頭を抱えたくなった。
今日も今日とて騒がしい異界の日常であった。