高校入学して早一ヶ月。新しい生活にも、各々慣れてきた頃、その話はクズノハから持ち込まれた。
「すまんが、手を貸してほしい。今回はお前達二人へのクズノハからの正式な依頼だ。ある女性をしばらくの間、管理異界で匿ってほしいのだ」
亀山が面目なさそうに、そう言う。
「わざわざ俺達の異界に、縁も所縁もない女性をですか?クズノハの方が秘匿しやすいのでは?それとも東京においておけない理由があるのですか?」
徹の当然の疑問に、亀山はなんとも言いづらそうな表情で答えた。
「確かにそのとおり。秘匿された異界をクズノハは所有している。だが、この間、鷹司の一件で存在を感知されるどころか、侵入まで許してしまっただろう。あのせいで、防衛体制と秘匿を見直すことになってな。諸々の術式の見直しや結界の改変などで、半年間は誰も入れないことになっている。それに、彼女は東京にいなければ安全なのだ」
正直、亀山も本来はクズノハで匿うつもりだったのだろう。だが、先の鷹司の一件が地味に響いていた。カバーしていなかった侵入経路が判明したという意味では僥倖だが、それを塞ごうとすれば、当然一朝一夕にできることではないというわけだ。
「なるほど、そういうことでしたか。そうなると断れませんね。なぜ、東京以外なら安全なんです?」
鷹司の一件は、今や身内である大和の問題だ。彼女自身に責はないとはいえ、あの事件が原因となったのは間違いない以上、相応の対応をして然るべきだろう。
「その女性は優れた歌い手でな。それだけなら、何も問題はなかった。だが、彼女の歌声は悪魔を呼んでしまったのだ」
「歌声で、悪魔をですか?その方は優れた巫なのですか?」
みこがとんでもないことを聞いたと、思わず口を挟む。歌唱で悪魔を呼ぶなど、余程の巫としての才がなければ不可能だからだ。少なくとも彼女には無理だ。生まれた時から、巫女としてしか生きられないだろうと断定されたほどの才を持つみこであってもだ。
「いいや、そんな才能は微塵もない。彼女は神を敬うようなタイプでもないしな。どちらかと言えばアウトロー寄りな女性だ。正直、巫女としての才能は壊滅的だろう」
「はい?」「えっ?」
徹とみこは信じられないことを聞かされ、少し間の抜けた声を上げた。
「正確に言えば、彼女は独力で悪魔を呼んだわけではないのだ。彼女はたまたまライブ会場に来ていたガイアのカジュアルサマナーが持っていた悪魔召喚プログラムに同調共鳴したに過ぎないのだ」
(これ、デビルサバイバーのハルか!確かに彼女は悪魔を呼ぶ旋律を歌えた!だが、あれはバベルの制御に彼女の師であるアヤの旋律が使われていたからのはずだ。まあ、よく考えなくても、あんなことができる女性の歌声だ。元々どんな力が備わっていてもおかしくはないか)
亀山の話を聞くうちに、徹は一つの心当たりを思い出した。東京封鎖を未然に防いだことで、徹にとってハルの存在はすっかり意識の外に追いやられていたのだ。
「お前達が驚くのも無理はない。我らクズノハも本気で耳を疑ったからな。そして、呼び出された悪魔もカジュアルサマナーの使役悪魔でしかなかった。問題は、その悪魔がカジュアルサマナーの制御を離れた上、本来の霊格を取り戻してしまったことだ。まったく、開いた口がふさがらんよ」
「超絶厄ネタだー!」
「それはよく助かりましたね」
徹は思わず絶叫し、みこは心配そうに言った。
「うむ、紛うことなき厄ネタよ。幸いだったのは、生の歌声でなければ意味がないということだ。録音や電子機器ごしに聞いた歌声では何の効果もないことが分かった。そして何より、オリジナルには一切影響を及ぼさん。そういうわけで、歌手ハルこと『
「なるほど、そのハルさんは、テロの引き金に用いられかねないというわけですか」
やっぱりハルだったのかと徹は納得しつつ、その歌声が悪用された場合の危険性に思いを馳せる。
カジュアルサマナーは雑魚であり、集団で運用した際の悪魔の頭数にしか価値がない。それがこの世界の悪魔業界におけるカジュアルサマナーの暗黙の評価だ。故にガイア教団もメシア教も、カジュアルサマナーを使い捨ての戦力としてしか用いない。いや、正確にいうならば、戦力として数えない。ただ、鉱山のカナリヤや鉄砲玉として用いるには便利ということで、使っているだけだ。
しかし、ハルの歌声があれば違うことができる。元より失っても惜しくないカジュアルサマナーだ。騒動を起こしたい場所に配置し、ハルの歌声によって制御を失い、本来の霊格を取り戻した悪魔を暴れさせる方が、余程有用であろう。一種の自爆テロだ。
「うむ、我らもそれを危惧してのことだ。幸いにして、生き残った目撃者は彼女のごく近しい関係者ばかりだった。自分から彼女を売る者はおらん。件のカジュアルサマナーはライブ会場のマスターである男の舎弟だ。最近、やけに羽振りが良くなり、態度も大きくなったので、詰問するつもりで呼び出されたそうだ。唯一の問題人物であったが、真っ先に悪魔に殺されたが故、情報封鎖自体はうまくいった。ガイア教団にもメシア教にも情報は漏れておらん」
「それは良かったですね、聞いている限り問題はなさそうですが」
「そうですね、私もそう思います。むしろ、拙速の移動は彼女に何かあると教えるようなものではないですか?」
徹とみこは亀山の説明に首を傾げた。今のままで問題なさそうに思えたからだ。むしろ、今動かすより、ほとぼりが冷めるのを待ってから移送すべきだとすら思った。
「我らとてそれを考えなかったわけではない。だが、今はマズイのだ。我々の手元に彼女がいるというのは……」
亀山は苦渋の決断であることを隠そうともしない。
「彼女がクズノハの手元にいると、何か問題があると?」
嫌な予感がプンプンしてきた徹であった。こういう時は大抵ろくでもない理由と相場が決まっているからだ。
「鷹司の無敵戦艦計画は言うまでもなく、須田達の不死兵の一件も、ヤタガラスと旧日本軍の負の遺産と言える。こうも立て続けに事件が起きた以上、弱体化しているとはいえ、ヤタガラスの責任を問わぬわけにはいかぬ。しかし、腐ってもヤタガラスは政府との太いパイプを持っている。それを使い、相互監査を条件として突きつけてきよった。それ自体は、何の問題もないが、そこに無関係の彼女がいてみろ。連中は必ず使い道を探ってくるだろう」
「クズノハが永世ライドウの強い意向を受け、戦争中に政府やヤタガラスと縁を切ったのは有名な話ですからね。しかし、私たちの異界のある霊地は、名目上はクズノハから管理を委託されている形です。監査の対象になるのでは?」
みこが自分達まで調査の手が及ぶのではないかと指摘する。実情は、
「ふん、今のヤタガラスに近隣とはいえ、地方に目を向ける余裕などない。連中は東京で精一杯なのだ。それですら満足にできていないのに、実際の管理者がクズノハでもない霊地に、連中がリソースを割くことはないだろう。それに、万が一こちらの霊地まで監査を要求してきたところで、実情をばらせば何も言えんよ。ただでさえ弱体化している連中に、最前線で暴れ回る焔の黒騎士を敵に回すことなどできん。奴らが欲しいのは我らが隠している何かだからな。もっとも、そんなものないがな」
そう言って、亀山は豪快に笑った。どうやら、彼は立て続けにヤタガラスの負の遺産にかかわったせいで、ヤタガラスに対する印象がかなり悪くなっているようだ。クズノハ自体も、ヤタガラスを信用していないのだろう。今回の依頼が正式な形で徹たちに持ち込まれたことが、その何よりの証拠だった。
「そういうことなら分かりました。悪魔事件に巻き込まれた被害者春沢芳野氏の護送及び保護依頼、卯月徹と神山みこ両名が謹んでお請け致します」
姿勢を正して、徹が亀山に頭を下げる。みこもそれに倣う。
「うむ、卯月神社の若き俊英の二人ならば、必ずやこの依頼を無事に果たしてくれると信じておる」
亀山はそう宣言した。