ハル達の護送に徹は、全力を尽くすことにした。まだ隠しておこうと思ったフウマコタロウ由来の忍術・隠蔽術を惜しまなく使い、ハル達の存在を知らせぬようにしたのだ。その技の見事さは、その場にいたクズノハの構成員が目を見張るほどのものだった。
「これは凄えな」
「やっぱり、びっくり箱みたいな子ね。リアル忍者ってやつ?」
「あはは、笑うしかないっすね。あのオッサン、目の前歩いている私達にまるで気づいてないですよ」
フウマコタロウが言うには、隠密の奥義とは気配を消すのではなく、周囲に溶け込ませることにある。完全に消すと逆に違和感が残り悟られてしまう。故に極限まで気配を薄くし、存在自体は知覚させても、木石のように感じられるようにするのだという。
そして、それを証明するように今、徹に先導される一行は、クズノハの構成員の前で偉そうに演説しているヤタガラス幹部らしき人間の目の前を彼らは歩いて移動しているのだ。流石にクズノハの構成員の中には気づいた者もいるようで、苦笑している。
(分かっていたが、ヤタガラスレベル低いわ。幹部でも15くらいか?地方より酷いってどれだけ弱体化したんだよ。まあ、ここまで来る間にすれ違った構成員は全員10以下だったもんな。レベル30台がゴロゴロいて、40台もそれなり、それ以上もいるクズノハとは比較にもならない)
表の権力・権威が通じると思って、演説をぶっているのだろうが、居並ぶクズノハ構成員は全員、彼より霊格が上である。実力主義の悪魔業界で、なんと滑稽な光景だろうか。
(これなら心配はいらないな。ヤタガラスに本当の意味で、クズノハをどうこうすることはできない。これは確信だ。それに新藤の糞爺の件があったから、クズノハの自浄作用は働いたはずだからな。亀山さんが言うように探られて痛い腹はないだろう)
これはクズノハの構成員ではない外部の人間による護送という、ヤタガラスへのポーズでもあったのだが、誰一人気づかないのは予想外だった。一人くらいは見破られることを想定していたのだが、拍子抜けである。
「ヤタガラスの凋落ぶりは聞いていましたが、ここまで酷いとは……。有事には頼れそうにありませんね」
みこが呆れと諦めの入り混じった表情で呟いた。日本政府と繋がりの強いヤタガラスがこの有様なのは、彼女にとって大きな衝撃だったのだろう。
「うーん、彼女ちゃんはいい子ねえ」
「お前もちょっとは見習ったらどうだ?」
アヤがどこか感心したように言うが、ジンが呆れた様に突っ込む。
「嫌よ、私のいいところが死んじゃうでしょ」
「あはは。アヤさんらしいっすね」
アヤが即座に言い返し、ハルはそんな彼女の変わらぬ姿に微笑む。
「では、少し急ぎますよ。東京が危険なのは事実ですので」
それ以降、彼らは無駄口を叩くことなく、黙々と移動するのだった。
(馬鹿な!安全に着いた……だと!?)
何の問題も起きず、自身の管理霊地である神社の境内に辿り着いてしまったことに、徹は愕然とした。これまでトラブルに見舞われていたことで、今回も絶対に何かあると思っていたのだ。具体的には、メシア教かガイア教団の襲撃があるものと考えていた。
「お三方、お疲れ様でした。ここまで来れば、ひとまず安心です」
みこが三人を労うように声をかける。実際、中々の長丁場であったし、途中悪魔に乗せて移動したりしたのだ。間違いなく疲れただろう。
「ああ、流石にな」
タフなジンも流石に精神的な疲労を隠せていない。驚愕の連続で、もうどう反応したらいいか分からないといった感がある。
「あんたらがトンデモナイということだけは、嫌というほど分かったよ」
ハルも驚きのあまり、何を言えばよいのか分からない様子だった。ただ目の前の男女が、とんでもなく非常識な存在であることは理解した。
「ハハハッ、最高!徹君も、みこちゃんも、最高にいかしているわ!」
一人元気なのは、道中で起きた非常識の数々を喜んでいたアヤだけだった。
「お前なあ……」「……アヤさんは凄いですね」
アヤの反応に、ジンとハルは流石に呆然とするほかなかった。
「でも、これで終わりじゃないでしょ?ここで匿うなら東京じゃないというだけで、そこまで安全とは思えないわ」
アヤは、まだ何かあるんでしょうと言わんばかりだ。当たっているのがまた恐ろしい。
「察しが良すぎて怖くなりますね。ええ、ここからさらに非常識な空間にご案内します。そこなら、外部からはまず手出しできませんから。皆さん、心の準備はいいですか?」
「「……」」
「もちろんよ、さあ早く!」
元気に返事をしたのはアヤだけで、残る二人は沈黙したままだった。みこが慌てて助け船を出す。
「待ってください、アヤさん。ここまで来ればほぼ大丈夫ですから、一息つくくらいの余裕はあります。お茶を入れてきますね」
みこは返答を待つことなく足早に動いた。アヤが不満を漏らすのを警戒したのだろう。
「ええー、そんなの必要ないのに!」
「いえ、失礼しました。私も自分の感覚で動きすぎました。ここで一休みするのが正解でしょう」
果たして、アヤは不満を漏らした。その一方で、徹は自分の感覚が一般人と大分ずれてしまっていることを今更ながらに気づいた。悪魔を使っての移動は、徹にとっては日常でも、ハル達にとっては違う。それでは気疲れもするだろう。
みこがフォローしてくれて助かったが、これは猛省しなければならないことだ。どんな事故に繋がるかも分からないからだ。一般の異能者とすら感覚が違っていたのだから、一般人なら尚更だろう。仁に指摘された時点で、このことにも気付くべきだった。
しばらくして、みこがお盆にお茶を載せて戻ってきた。冷たすぎず熱すぎず、すぐに口をつけられる絶妙な温度だった。それを飲んだハルがほうっと息を吐く。ようやく一息つけたという感があった。
「ねえ、あんた、かなり警戒していたみたいだけど、あたし達を狙うような奴に心当たりがあるのかい?」
徹は少しの間、答えをためらった。しかし、先ほどのジンの反応を思い出し、アヤも絶対に知りたがるだろうと確信した彼は、みこに確認するように視線を向ける。彼女が黙ったまま頷くのを見て、口を開いた。
「悪魔業界で大きな力を持ったカルト教団が二つあります。一つはメシア教、これは皆さんも聞いたことくらいはあるでしょう。そして、もう一つはそれに対立するガイア教団です」
「メシア教?嘘、あそこのシスターさん、凄いいい人だったけど」
アヤが信じられないと言葉を漏らす。どうやら、知人にメシア教徒がいたようだ。
「メシア教は末端の信徒にはまともな人が多いんです。慈善活動とか、普通にしますからね。ただ、上に行けば行くほど狂信的で危険です。なので、アヤさんが会ったシスターは本当にいい人だと思いますよ」
「すると何か、善人面して近づいてくる奴もいると?」
ジンが何かを悟ったかのように問う。
「司祭以上はそれを疑ってください。メシア教の司祭は、基本的に悪魔と関わらずになれるものではありませんから。善良な末端の信徒を使って、浸透したり取り込んだりして、教化という名の洗脳を施すのはメシア教の常套手段です」
「洗脳とかマジかよ……。でも、あんたらの滅茶苦茶ぶりを考えれば出来そうなのが怖いよ」
恐ろしい現実に、ハルが身震いする。実際、徹とみこならやってのけそうだという実感が、余計に恐怖を煽った。
「洗脳ですか、やろうと思えばできますね。もっとお手軽に魅了なんてことも出来ますし」
「本当に出来るのか。本気でヤバイ業界だな」
軽い調子で徹が答えるが、ジンは悪魔業界の恐ろしさを実感した。自分達が経験したことなど、ほんの浅瀬でしかないのだと。
「とはいえ、私達にできるのはあくまで術による一時的なものです。術の効果がなくなれば、元に戻ります。メシア教の教化は不可逆のものですから」
みこがフォローするように言うが、内容は三人にとってなんの慰めにならなかった。
「戻らないのかい?」
ハルが救いはないのかと問うが、生憎と救いはない。
「ええ、最善でメシア教に従順になるだけ、悪くなると神を賛美するだけの存在になったりします」
それどころか、天使の憑代、子を産む機械に人間牧場。全部ありえるのがメシア教の恐ろしさだ。もちろん、あえて語ることはないが。
「とんでもねえカルト教団だな。それに対立するガイア教団もヤバイのか?」
ジンが露骨に話を変えようと、ガイア教団へと矛先を向ける。
「そうですね、ガイア教団もメシア教に負けず劣らずなのですが、ある意味では安全です」
「なんで?」
アヤは心底不思議そうに尋ねた。負けず劣らずならヤバイのではないかと。
「ガイア教団はメシア教と真逆で、末端の方が危険ですから。見れば分かりますし、自分から危険に近づかなければ、比較的安全なんですよ」
「なるほどな。あいつもその類だったわけか」
ジンが納得したように頷く。恐らく今回の原因となった彼の舎弟であったカジュアルサマナーを思い出したのだろう。
「そうですね、その可能性は高いです。ただ、カジュアルサマナーを使い捨てにするのは両組織共通ですので、断定はできませんが、メシア教の方が一応体面はとりつくろっていますから」
「使い捨てだと?」
聞き捨てならないことを聞いたとばかりに、ジンが眉を顰める。道を踏み外したとはいえ、元は舎弟として面倒を見ていた人間だ。それが使い捨てにされていたと聞かされたのだから、無理もない。
「ええ、悪魔を使えるだけでは戦力になりませんから。悪魔は確かに脅威ですが、カジュアルサマナーが使う悪魔程度なら、簡単に倒してしまえる異能者は少なくないので」
「ジンがボロボロになりながら倒した奴も、徹君やみこちゃんなら楽勝だったと」
アヤが確信をもった口調で言う。彼女は朧気ではあるが力の差は理解しているようなのでおかしくはない。
「そうですね、否定はしません。今のジンさんに倒せる程度の悪魔なら、百以上同時に来ても、負ける気はしませんね」
「マジかよ……。マジで化物だな」
徹の確信をもった話しぶりに、ハルは呆然としながら呟く。彼女の前に現れた悪魔は容易に自分を殺しうる存在だったのだ。それが百体以上いても物の数ではないと言われるのは、かなりの衝撃だった。
「だから、クズノハの対応は間違いではありません。知らない方がいいこともあります。悪魔を知るということは、悪魔に近づくことと同義なのですから」
「なるほど、そうなるわけか。だが、分かるだろ?」
徹の言葉を聞いて、納得するように頷くジンだが、彼が顎をしゃくる先には威嚇してくるアヤがいる。
「こんな面白いこと忘れるわけないし!記憶消したりするのもなしだからね!」
徹達が場合によっては施そうと考えていた記憶処置を、先回りして拒否されてしまった。流石に本人が明確に拒んでいる状況で強行するのは、彼の筋的にもありえないので、不可能になってしまった。
「俺は自分の女を見捨てる気はない」
「ですよね、そうなりますよねー。ハア、分かってましたよ。ただ、ハルさんだけは別です」
ジンとアヤが悪魔業界に関わるのは半ば諦めた徹だが、ハルだけは別である。
「あたしは駄目だっていうのかい?」
憧れのアヤと切り離されることに、ハルの口調が自然とキツくなる。
「いえ、そもそもですが、アヤさんとジンさんは覚醒していらっしゃいます。ジンさんが悪魔を倒せたのはその恩恵です。ですが、あなたはしていない。悪魔と遭遇し九死に一生を得たにもかかわらず、覚醒しない。これはあなたに悪魔と戦う才能がないことを意味します」
「……」
はっきりと自分に才能が無いと断言されるのは、どんなものであっても気分のいいものではない。ハルは気分が沈み、言葉を失う。
「ですが、実は幸運でした」
「幸運?覚醒とやらができなかったことが?」
「はい、だってハルさん、覚醒していないのに歌で悪魔召喚に干渉したんですよ。覚醒していたらどうなっていたことか」
覚醒していない時点でこれなのだ。覚醒が彼女の歌にどんな影響をもたらすか、想像もしたくない。現時点では、デッドコピーにしか効果が無いが、オリジナルにまで効果を及ぼせるようになったら、悪夢でしかない。
「どうなるっていうんだい?」
「最悪は殺されますね。良くても好きに歌うことが出来なくなるでしょう」
ハルの歌は、現時点でも十分に爆弾になりうるものだ。それが覚醒により進化、あるいは強化されるだけでも危険なのは言うまでも無い。
「それは駄目ね。ハルの歌がきけないなんて、私に死ねと言ってるのと同じよ!」
それを聞いたアヤが、すぐさまハルの覚醒に反対する。どこか不満げだったハルの機嫌がそれだけで上向いた。
「まあ、言わんとするところは分かる。現時点なら東京から移動するだけで良かったが、それだけじゃ済まなくなる可能性が高いってことだな」
ジンが徹の意図を読み取って解説する。
「大変遺憾ながら、徹の言うことは大袈裟ではありません。ジンさんが今危惧されたような事態になりかねません」
みこが申し訳なさそうに補足する。これに明確な原理的裏付けがあれば、まだ対処のしようもあったかもしれない。しかし、ハルの歌が悪魔召喚に干渉する原理は未だ不明である。クズノハの同調共鳴も推測であって確定ではないのだから。
「うーん、徹君、みこちゃん、あなた達ならどうにか出来ないの?私達、というかハルを守ってくれる気はあるんでしょう?」
「それは勿論ありますが、異能に迫る歌声となると、流石に前例がありませんし、十全な対応はしかねます。こうなれば、本物の女神様の知恵を借りましょう。あれで中々物知りですから、どうにかなるかもしれません」
アヤの懇願に、徹は悩ましげな表情を浮かべる。だが、そこで一つ思いついた。女神母娘なら、何か知恵があるかもしれないと。
「本物?」「女神?」
思いもしなかった提案に、ジンとハルは目を白黒させる。
「なにそれ、本物の女神様なんているの?早く会わせて!」
「分かりました、ご案内しましょう。これからハルさん達三人が一ヶ月過ごす空間でもありますからちょうどいいですね。ですが、お覚悟を。神とは一筋縄ではいかないものです。よく言うでしょう。触らぬ神に祟りなしと、アレは紛うことなき真実なのです」
アヤの急かす様子に苦笑しながら、徹は真剣な表情で忠告するのだった。
徹が三人を先導して入った先は、なんと神社の本殿だった。本来、人の立ち入るべきでない場所である。流石に怖いもの知らずのアヤも、アウトローな二人も、なんとも居心地の悪さを感じていた。三人が入ったことを確認し、みこが扉を閉める。瞬間、奇妙な違和感が部屋にいる全員を襲った。
「今のは……」「なんか変」「確かに」
三人は明確な違和感を感じたが、上手く言葉に出来ない。
「まあ、論より証拠。百聞は一見に如かずとも言います。自らの目でご覧あれ」
徹はそう言うと、三人を外へと誘った。それに従い、外に出た三人は全員、目を見張った。
なぜなら、彼らを迎えたのは、見慣れた神社の境内ではない。秋風にざわめく、黄金の稲穂の大海原だった。実りの匂いを含んだ風が頬を撫で、遥か彼方まで続く金色の波が、ここが現実の外側であることを雄弁に物語っていた。
「ここどこ?」「マジかよ……」「……」
アヤは全く別の場所へ移されたのだと即座に理解し、ジンはそのあまりの非常識さに思わず言葉を漏らした。ハルに至っては、もはや声すら出ない。どこまでも続く黄金の稲穂の大海原は、現実離れした美しさを湛えており、三人は完全に目を奪われた。あのアヤですら、しばし見惚れていたほどである。
つい先ほどまで神社の一室にいたとは思えぬ広大な空間。ここが現世とは異なる神域だと言われても、三人は疑いもなく信じただろう。それほどまでに、眼前の光景は常識を超えていた。
「なにこれ、本物?」
それでも真っ先に動き出したのは、アヤだった。ジンはその変わらぬ有り様に笑みをこぼし、ハルもようやく、目の前の光景を現実として受け入れ始めた。
「もちろん、本物です。ここはずっと秋なんです。豊穣の女神様の領域ですからね」
「凄い凄い、どんな隠し球が出てくると思ったら、季節さえ変えちゃうとかもうビックリよ」
徹の解説にアヤは目を輝かせた。思わぬ収穫に喜んでいるようだ。
「いい風……。こんなところで思い切り歌えたら気持ちいいだろうなあ」
肌を撫でる心地よい風に、ハルが思わず呟いた。
「存分に歌ってください。ここが徹の言っていた心おきなく歌える場所ですから」
みこはそれを肯定する。約束は果たされたのだと。
「なるほどな、あんな入り方なら、一般人はまず来られねえ。気合いの入った奴なら分からねえが、何らかの仕掛けがあるんだろう?」
ジンは得心したように大きく頷いた。徹やみこがハッタリを言っていなかったのだと認めた。
「はい、ここの入場許可証、若しくは私かみこがいなければ、異界は開かれません」
「もうそんな堅苦しい話はいいじゃない。ようやくハルの歌が、心おきなく聞けるのよ!」
ジンと徹が異界の安全について話していたところで、アヤが割って入る。今はそれより優先するものがあると。
「♪♪♪~」
ハルは歌い出した。これまでの鬱憤を晴らすかのように全力で。その美声は黄金の大海原を駆け抜け、異界に響き渡った。初めて聞くその歌声に、徹とみこは目を見張った。なるほど、ただの歌声とは思えない。異能に迫ると評されるのも頷けるほどのものだった。
二人の反応に、アヤは得意げな顔をして、「お前の手柄じゃねえだろ」とジンに小突かれていた。
パチパチパチ
ハルの歌が終わり、余韻を味わっていた五人は、不意に響いた拍手に驚き、そちらへ目を向けた。
「いやはや、見事な歌声であった。なあペルセポネー」
「ええ、オルフェウスほどとは言いませんが、当世風の音楽もよいものですね」
そこには母性的だが酷く肉感的でグラマラスな美女と、清楚で綺麗と形容するほかないスレンダーな美女が立っていた。
「来たのか、デーメーテール、ペルセポネー」
「無論だ、サマナー。我が召喚主が来たとなれば、迎えに来ぬわけにもいくまい。珍客も連れているようだしな」
徹の言葉に、不敵に笑うデーメーテール。神話においてゼウスとも対等に張り合った彼女は、頼りにはなるが、同時に常に油断ならない仲魔でもある。
「ペルセポネーも御苦労だった。この三名を一月ここに滞在させたいがいいか?」
「勿論です、サマナー。全ては我が英雄の言うとおりに。閨の誘いはいつでも受け付けていますよ」
同じくペルセポネーを労い、異界の滞在許可をとるが、彼女の返しは危険そのものである。彼女はいつも、徹に対して自分が一人の女であることを意識させてくる。
「「待って(待て)!」」「……」
その光景を見せられたアヤとジンは、情報過多に揃って固まり、ハルは女神の美しさに見惚れる。みこは当然、微笑んだまま青筋を浮かべていた。いつものこととは言え、こうも堂々とされるのは腹が立つ。しかし、それすらも女神の手管だと知っているが故に、怒りを露わにすることもできない。
「ご紹介します。私の頼れる仲魔で、女神デーメーテールと女神ペルセポネーです。ご存じかも知りませんが、二柱は母娘でもあります」
平然と二柱を紹介する徹に、さしものアヤも頭を抱え叫んだ。
「デーメーテールにペルセポネー?あのギリシャ神話の?私でも知ってるビッグネームじゃん!」
「マジで女神を使役してるのかよ。信じられねえ。というか、よくあの誘惑に耐えられるな。クラッと来ねえのか?」
ジンは、もはや驚愕を通り越して呆れていた。何より、徹を見誤っていたことを痛感していた。こいつは想像以上の奴だったと。自分に向けられた誘惑でもないのに、劣情を掻き立てられたのだ。アヤが傍にいるというのにだ。彼は女神の恐ろしさを骨の髄まで理解させられていた。
「いつものことですから。とはいえ、止めて欲しいのが本音ですが」
「何を言うか!妾の誘いも袖にしておいて、本当につれぬ男よな。妾とペルセポネーだぞ、男子の誉れであろうに」
徹の言葉に心底不満げにデーメーテールが反応する。
「だって籠絡して絡め取る気だろ?俺を意のままにして、異界の支配権を分捕る算段だろうが」
「うむ、やるな。汝が妾達に溺れたなら、やらぬ理由がない」
デーメーテールの堂々とした宣言に、ジンもハルもアヤでさえも驚愕する。こうもはっきり肯定するとは夢にも思わなかったのだ。そして、徹がした忠告を全員が思い出した。
「えっ、マジ?ヤバっ!徹君、よく使役できるね!」
「お前、背中を預ける相手はよく選んだ方がいいぞ」
「ギャップが酷すぎる……」
アヤは純粋な驚きと感心を声に出し、ジンは心からの忠告をした。ハルは女神の外見と本性のあまりの落差に、ただ呆然としていた。
「色々ありますけど、頼れる奴ではありますから。おい、聞いていたのなら、分かるだろう?今回はこの娘、ハルさんの歌が問題になっているんだ。お前達はどう感じた?」
三人の反応を見ても、徹の態度は変わらない。女神相手には相応の付き合い方があるのだ。
「ふむ、中々の美声であり、技術も大したものだったが……強いて言うなら解放感か」
「そうですね、本来の形への解放。押し込まれ歪められたものを正しい形に解放する力、そんなものを感じました」
女神二柱はそれぞれ語った。共通するのは『解放』だった。
「なるほどねえ、さすが女神様。なんか分かる気がする!なんかハルの歌聴くと楽になるんだよねえ」
「いい歌だとは思うが、俺はそんな風に感じたことはないが」
アヤは納得しているが、ジンは訝しげだった。
「恐らく、その娘は何か鬱屈したものを普段から抱えて生きているのだろう。あるいは人の世での生きづらさを感じているのではないか」
「デーメーテール、余計なことを言うな」
デーメーテールがそう評するが、誘うような言葉に徹が即座に割って入る。
「おお、怖い怖い。サマナー、妾のような手弱女に殺気立つものでは無いぞ」
「手弱女だと、どの口で言うか」
(こいつ、マジで油断ならねえ。アヤはデビサバだと自分の意思で悪魔召喚プログラムの礎になった女だ。厭世的なのは何もおかしくはない。失敗した、会わせるべきじゃなかったな)
徹は本気で後悔していた。
「まあまあ、母様、その辺で。男性の方は、恐らく自分を貫いて生きているのでしょう。つまり、既に本来の自分として生きている。ならば、今更彼女の歌声で解放されることもないのでしょう」
「ペルセポネー、お前も母親に続く気か。次はないぞ」
徹は影から妖刀を喚びだし構えた。これは警告ではない。これ以上、余計なことを言えば斬るという宣告である。
「あらあらサマナー、申し訳ありません。女神とは悪戯好きなもの。あなたの側女の可愛い悪戯と思って見逃してくださいな」
まるで悪びれる様子もなく、ペルセポネーは笑顔で嘯いた。
「二度は言わん」
「ペルセポネー」
徹の冷たい宣告と母の言葉にペルセポネーは、居住まいを正した。
「では真剣に語りましょう。ハルという女性の歌声には、解放の力があるのは間違いないでしょう。恐らく、その力の根源は彼女自身の生い立ちにあるのでしょうね。そして、その放出口が歌だったのは、それが彼女の救いだったからでしょう」
三人は、徹と二柱のやりとりを呆然と見つめるしかなかった。簡単に他者の内面をさらけ出し、他者の前で何でも無いことのように語る女神の傍若無人ぶり。それを制止し、ついには刀を構えるに至った召喚主。女神を使役することの意味を、三人はまざまざと見せつけられていた。
「よし、分かった。去ね、今しばらくはお前らの顔を見たくない」
「用済みになったらポイ捨てなんて、なんて都合のいい女なのかしら、私」
およよと泣き真似をして去るペルセポネー。
「些か冗談が過ぎた、許せよサマナー」
あくまでも尊大に許されることを前提に去るデーメーテール。
「なんというか、お前苦労してるんだな」
思わずしみじみと呟くジン。彼自身アヤのせいで苦労しているので、共感めいたものを覚えたのかもしれない。
「あれはヤバイね。一人で会ったら、帰ってこれる自信ないわ」
アヤが珍しく真顔で呟いた。
「あれが女神?とんでもねえ阿婆擦れじゃんか!」
ハルが憤慨して叫ぶ。
「女神は人を魅了し容易に心に入り込んできます。決して気を許されませんよう」
みこが厳粛な雰囲気で警告する。女神に魅入られた人間に幸せな未来などないのだから。
「今回のことは私の失敗でした。必要だからと言って、会わせるべきではなかったです。今後、お三方との接触を禁止する命令を出しますので、ご安心を」
徹は素直に頭を下げた。今回は彼の完全なる不手際だ。アヤが想像以上に揺さぶられてしまっている。ほとぼりが冷めるまで、いや、できるなら永遠に会わせるべきではない。
「分かった、謝罪は受け取る。だが、あんまり自分を責めるなよ。あの女神様はお前を出迎えに来てたんだ。相談しなくても、どのみち顔を合わせてた可能性は高いだろう」
ジンはフォローするように言う。
「気にしなくていいよ。自分でも分かっていることだから」
アヤには、やはりいつもの元気がない。口で言うほど影響は軽くはないのだろう。
「気にすんなよ、あたしの為だったんだろう?恩を仇で返すような真似はしないよ。それに本性知らなきゃ、あの外見に騙されていただろうから、知れて良かったよ」
ハルは、むしろ女神の本性が知れて良かったと思っているようだ。なにげにここにきて一番元気になり、安定しているのは彼女なのかもしれない。
「本当にすみません。まだまだ未熟者で、お恥ずかしい限りです。とはいえ、ここでの安全には責任を持ちますので、ご安心を。人間が泊まれる家もありますので、そこで今日は休んでください」
徹は強くなっても、まだまだ悪魔召喚士としては未熟なのを痛感せざるをえなかった。しかし、それはそれとして、仕事は仕事である。未熟なりに最善を尽くさねばならない。
「私がご案内致します。徹は女神達への命令もありますので」
みこが徹に気を遣い、もっともな理由を添えて案内を申し出る。三人は何も言わず、それに従った。徹も何も言わない。これ以上は、情けないだけだと思ったからだ。
「では、ゆっくり休まれますよう」
徹はゆっくりと深く頭を下げた。しかし、穏やかな態度とは裏腹に、その内心は自分自身への怒りに支配されていた。