親が再婚した俺に課せられたのは、義妹と生き別れた実兄の代わりになることだった 作:古野ジョン
「ふー……」
荷物の開封作業なんかが終わり、ようやく自室で一息つくことが出来た。部屋は十畳ほどの広さがあり、障子の向こうには縁側がある。絵に描いたような和室だな。
部屋の中には高そうな文机とちゃぶ台が備え付けられている。きっと父親が気を利かせてくれたのだろう。ありがたいことだ。
「ん」
その時、ガタッという音が聞こえてきた。恐らく奏の部屋からだろう。そう、俺たちの部屋は襖一枚隔てて隣同士なのである。
「……」
じっと襖を見つめる。この奥には奏がいる。俺に対して再び声を荒げていた奏が。
話の内容から察するに、奏には実の兄がいるようだ。あの様子だとかなり慕っていたのだろう。しかし父親の離婚で生き別れ、その影をずっと追い続けている……といったところか。
詳しい事情は父親に聞くしかないだろうが、参ったなあ。もちろん最初から仲良く出来るなどとは思っていなかった。しかし、こうも頭ごなしに否定されるとなかなか辛いものがある。
「家族か……」
ごろんと畳に寝転がってみる。俺と奏の境遇は似ているようで似ていない。俺は基本的にずっと一人で過ごしてきた。もちろんここまで育ててくれた母さんには感謝しているが、それはそれとして家族というものをあまり知らずに生きてきたという思いもある。
学校から帰っても誰もおらず、電子レンジで温めた飯を一人で食べるだけ。不規則な勤務が多い母さんとはなかなか生活リズムが合わず、特に小さい頃は寂しい思いをしていたのをよく覚えている。
それに比べ、奏の方はどうか。少なくとも家に帰れば安藤さんたちがいただろうし、あまり寂しい思いはしなかっただろう。一方で、母さんと仲良くしていた俺とは違い、奏は父親とうまくやっていなかったようだ。
そして、俺と奏の決定的な違いは――
しかしなあ、いきなり隣同士にするのはどういう意図なんだろう。いくら兄妹だからって、つい最近まで他人だったんだ。ましてや思春期の男女。こんな人目につかない離れに二人きり、なんて正気じゃないと思うが。
ふと立ち上がり、障子を開けて縁側に腰かけてみる。まだ夏真っ盛りということで、外は暑い。蝉の鳴き声もよく聞こえてくるな。ああ、いい気分だ。
「ん?」
「げっ」
その時、隣の部屋の障子が開き、顔をしかめた奏が姿を現した。右手には麦茶が入ったコップ、左手にはポテチか何かの袋。ちょっとしたティータイムを楽しむつもりだったらしいが、招かれざる先客がいたというわけか。
「なんでアンタがいるのよ!」
「別にいいじゃん、何もしないって」
「……あっそ」
奏は不機嫌そうに座り、乱暴に袋を開けた。俺は再び庭の方を向き、ぼーっと景色を眺める。下手なことを言って奏の気分を損ねるわけにはいかないけど、何も話さないと気まずいな。
「ね、ねえ」
「……何よ」
「その麦茶、どうしたの?」
「えっ、これ? 私の部屋、冷蔵庫があるから」
「ああ、なるほどね」
どうやら奏は離れで悠々自適な生活を送ってきたようだ。一人暮らしみたいなもんだろうに、こんな男が隣に越してきたらそりゃ嫌だよな。などと考えていると、奏がちらりとこちらを見てきた。
「……アンタも飲む?」
「えっ?」
「麦茶! 飲むかって聞いてんの!」
「急に大声出すなよ! ……じゃあ、いただくよ」
「あっそ」
投げやりな返事を寄越しながら、奏は立ち上がって部屋に戻っていった。……意外だ。てっきり完全に拒絶されていると思っていたが、心優しいところもあるんだな。奏はすぐに戻ってきて、麦茶がなみなみと入ったコップを手渡してきた。
「はい、どーぞ」
「ありがとう」
「別に、ただの麦茶だから」
再びそっぽを向く奏。コップを口につけ、麦茶を飲んでみる。……うまっ!?
「ちょっ、美味すぎるだろ!?」
「安藤さんが買ってきてくれたやつだもん。美味しいに決まってるでしょ」
「麦茶ってこんなに美味いもんなんだな……」
感動のあまり、コップを傾けて一気に飲み干してしまった。金持ちってすげえな。
「もう昔から飲んでた麦茶に戻れねえよ」
「そんなに?」
「ああ。母さんには悪いけどな、あはは」
空になったコップを置いて、ふうと息をついた。昔は母さんが冷蔵庫で麦茶を冷やしてくれていたなあ。夏休み、外で遊んだあとに一気飲みしたことをよく覚えている。
「……ねえ、聞いていい?」
「何だ?」
「お母さんって、どんな人?」
「へっ?」
予期せぬ質問に、思わず横を向く。奏は真剣な顔でこちらを見つめていた。
「どんな人って……どういうことだよ」
「いいから答えてよ。どんな人なの?」
「そうだなあ……」
母さん、か。一緒に過ごす時間は長くなかったかもしれないけど、それでも俺には常に優しくしてくれていた。職場での愚痴をこぼすこともなく、ずっと「母さん」であり続けていたのだ。
「まあ、温厚な人だよ。きっと奏……さんにも優しくしてくれる」
「そっか。……よかった」
奏はほっとしたような表情を見せた。もしかすれば、今まで「母親」という存在にあこがれていたのかもしれないな。
「アンタ、お母さんに怒られたこととかないの?」
「あんまりないなあ。……いや、あるな」
「どういうこと?」
「飯の前におやつ食べるなーってよく言われてたなあ。……そうそう、それこそポテチとか」
「えっ?」
ちらりと、奏の側に置いてあるポテチに目をやる。俺がこんな大袋の菓子なんか食べてたら、間違いなく母さんに怒られるな。
「あんまり菓子ばっかり食べてると夕飯食えないぞー? なんて、あはは……」
「……」
などと言い放った瞬間、奏の表情が一気に険しくなった。……つい兄みたいなことを言ってしまったけど、これって――
「兄貴面しないでよ!」
「ひえっ!?」
奏は立ち上がり、またも声を荒げた。俺をギンと睨みつけ、さらに口を開く。
「お母さんはお母さんだけど、アンタはお兄ちゃんじゃないから! このバカ!」
「ば、ばか……?」
「お父さんみたいなこと言うな! もう知らない!」
奏は部屋に入ると、ピシャリと音を立てて障子を閉めてしまった。あーあ、やってしまった。はあとため息を吐いて、再び庭を眺める。
やっぱり兄になるなんて無理なのかなあ。少し無力感を覚えつつ、空になったコップを手に持ち、これからの日々を案じる俺であった。