「歴史は人生の教師である」──キケロー
私にとって、歴史とはただの過去ではない。無数の人間が歩んできた道であり、愚かさを学び、成功の秘訣を探るための教科書だった。何百年、何千年と積み上げられた記録の中に、人間が同じ過ちを繰り返してきた証が刻まれている。
未来を知ることはできないが、過去から学ぶことはできる。だから私は、人生の指針を得るために歴史を学び続けてきた。
少なくとも、転生するまでは。
目が覚めたとき、私は異常なほどの静けさに包まれていた。
白い天井。窓から差し込む淡い陽光。心地よい風がカーテンを揺らす音。すべてが穏やかで、現実感が薄かった。
何があった?
記憶を辿る。
確か、いつものように歴史の勉強をしていた。昨日はナポレオンの生涯を振り返り、彼の戦略や言葉をノートに書き留めていたはずだ。
「能力とは、持ちうる力ではなく、それをどう活かすかで決まる」──ナポレオンの言葉を反芻しながら、私は次のページをめくった。
そして──
意識が途切れた。
ふと気づく。
──手が違う。
指が細い。手の甲は滑らかで、昨日まで見ていた自分の手ではない。 恐る恐る、自分の姿を確認する。
華奢な体つき、長い髪、そして──鏡を覗き込んで言葉を失った。
耳がある。
頭の上にウマの耳が生えていた。
何が起こった?
無意識に口をついて出たのは──
「Fiat voluntas tua.(汝の意志のままに)」
ルネサンス期の思想家、マキャヴェリの言葉。意志こそが運命を決める。
だが、これは私の意志で決められることなのか?
現状を整理しよう。
まず、私は人間ではなくなったらしい。
この身体は、間違いなく「ウマ娘」のものだ。
そして、この部屋はどう見ても病院ではない。
目の前の棚には、本が何冊か並び、壁にはカレンダー。ベッドと机がある。生活感のある学生寮のような部屋。
扉を開けると、外には長い廊下が広がっていた。窓の外には見覚えのある施設が見える。
──トレセン学園。
私は、ウマ娘として転生したのか。
「おっ、やっと起きた?」
声がした。
振り返ると、赤みのある栗毛色の髪をなびかせたウマ娘が立っていた。
「昨日はすっごく疲れてたみたいだけど、大丈夫?」
私は戸惑いながらも頷く。
彼女は特に気にする様子もなく、勝手に話を続ける。
「ま、最初はみんな緊張するよね! でも心配しなくて大丈夫。私がついてるんだから!」
「……君は?」
「えっ、名乗ってなかったっけ? ごめんごめん!」
彼女は胸を張って言った。
「エレガンジェネラル! これからよろしくね!」
「……そうか」
エレガンジェネラル。初めて聞く名前だ。
「っていうか、ほんとに大丈夫? 何か聞きたいこととかない?」
だが、彼女は俺の反応を待たずに、また言葉を継いだ。
「そうそう! あなた、すごい期待されてるみたいだよね!」
「……期待?」
「うん! 地元では負けなしだったんでしょ? それでトレセンに入ったって聞いたよ!」
──なるほど。
この身体の持ち主は、ウマ娘として相当な素質を持っていたらしい。
「だから、これからどんなレースをするのか、すっごく楽しみ!」
エレガンジェネラルは、まるで自分のことのように嬉しそうに笑った。
私は、静かに息を吐く。
──どうやら、私の運命はすでに決まっていたようだ。
ならば。
この世界で、私は何を学ぶことになるのか。
答えを知るために、まずは走るしかない。