「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」──孫子 『孫子の兵法』
戦う以上、敵のことを知らなければならない。
そして、それ以上に、自分自身のことを知る必要がある。
今の私は──自分の領域すら、理解できていない。
「ねえ、左脚、痛いの?」
唐突にエレガンジェネラルが問いかけてきた。
寮の一室。
夜の静けさが窓の外から忍び寄る中、彼女は私の表情をじっと見つめていた。
「……どうして、それを?」
「最近のあなた、全力で走れてないよね?」
私は答えられなかった。
──中山ウマ娘ステークス。
私は、また“それ”を見た。
剣闘士たち。
短剣と盾を携えた、静かな戦士たち。
彼らが姿を現すとき、私は加速する。
それは、間違いなく私の走りを後押しする存在だった。
しかし──
その前に立ちはだかる、“矢の嵐”。
私は、左脚に矢が刺さる幻覚を見て、僅かに減速した。
そして、その隙に1着を逃した。
ただの幻覚。それはわかっている。
でも、その感覚はあまりに鮮明だった。
冷たい鋼の鏃が肉を貫く痛み。
血が流れる錯覚。
そして、ふとした瞬間に──本当に脚が痛むような気がする。
「剣闘士と矢の幻覚?」
エレガンジェネラルは腕を組み、考え込んだ。
「あなたの領域なのかもね」
「……やっぱり、そうなのかな?」
「たぶんね」
彼女は、何かを確信したように言う。
「スターリープライドの
「……」
私は、自分の走りを思い返した。
剣闘士たちは、私と共に進んでいた。
彼らは、味方なのだろう。
では──
「……矢は?」
「もしかして、それは……」
エレガンジェネラルは言葉を濁す。
「何か?」
「……いや、まだ何とも言えないけど」
彼女は少しだけ口元を歪めた。
「勝てばいい。でも、負けたらどうなるんだろうね」
私は、答えを持たない。
次走、関越ステークスが迫るにつれ、私は何度も左脚を意識した。
痛くはない。
でも、何かがひっかかる。
寝る前にストレッチをしても、トレーニングを終えた後も、気がつけば私は左脚を確かめていた。
大丈夫、問題ない。
そう何度も心の中で繰り返す。
けれど、その言葉に込められた不安が、少しずつ現実味を帯びていくような気がした。
そして、関越ステークス、出走の日。
私は、まだ結論を出せないまま、レースへと向かっていた。
今の私は、何と戦っているのか?
私は──何を背負って、走るのか?
まだ、それを理解できていない。
しかし、戦場に立つ者に、退くという選択肢はない。